byジュンさん






−−−− まずは、巻を開く前に −−−−



 彼女の名前は惣流アスカ。
 近所ではあっかちゃんで通っている。
 その年齢は4歳。
 もうすぐ幼稚園だが保育園には行っていない。
 母親が仕事に行っている間は曽祖父が面倒を見ている。
 彼女に言わせると、自分が曽祖父の相手をしてあげているそうだが。
 曽祖父にはその意見に異存がないようなのでそういうことにしてもよい。
 そして彼女の父親はいない。
 何故いないのかは彼女の口から聞いてみよう。

「かみさまがつくるのをわすれたのよ。
 ホント、かみさまってバカね。
 アタシのおうちにだけわすれるなんてどうにかしてるわ」

 別に母親がそのように教えたわけではない。
 早すぎた結婚と父親であった男の浮気が原因である。
 もちろんアスカにそんなことは言ってはいない。
 父親は死んだことになっていた。
 それでもアスカは母親の言うことを信じていない。
 何故なら家には父親の写真が一枚もないからだ。
 そこでアスカは自分には最初から父親というものがいないのだと納得したのである。
 だが彼女は父親を欲しがってはいない。
 物心がついたときから身近にいなかった父親という存在が
 彼女にとってどういう効果があるのかよくわからないからだ。
 世間の家族の父親を見ても羨ましいとは思わない。
 彼女には母がいるから。
 そしてもう一人、髪の毛の色も瞳の色も自分や母と異なる曽祖父がいるから。
 
 アスカは彼の膝に抱かれるのが好きだった。
 亡き祖母が曽祖父と喧嘩をして見知らぬ国の異人の元へ走ったなど
 幼いアスカは知るはずもない。
 祖母が病気で死んだ時はまだ赤ん坊だったのだから。
 曽祖父は祖母の息があるうちにはかの地に到着できなかった。
 しかし彼はやってきた。
 彼の出来得る限りのスピードで異国の地に到着したのだが間に合わなかったのだ。
 そして彼は娘の葬式を終えた後、唯一の身寄りをなくした孫に母親の国に来ないかと誘った。
 言葉が通じないのでジェスチャーで。
 この件を詳しく書いても仕方がない。
 ともかく彼女は来た。娘を抱いて。
 日本人の家は小さいと聞いていたが、曽祖父の家は違った。
 その昔、旧藩時代に家老を務めていた家柄の古い家。
 一人で住むには大きすぎる家。
 そして寂しすぎる、暗い家。
 身寄りが一人もいない、古希を過ぎた老人。
 愛した男に裏切られ、唯一の肉親だった母に死なれたまだ若い母親。
 そのままでは家の重い雰囲気に押し潰されてしまってもおかしくはなかった。

 その家を明るくしたのが、アスカの存在だった。
 彼女が長い廊下を広い畳をはいはいし、大きな庭をよたよたと歩いていくうちに、
 暗い陰気な家の雰囲気が変わっていった。
 陰鬱だった縁側の板敷きは陽の光に包まれ、
 埃が覆っていた使われていなかった部屋は清められ、
 庭は片付けられ久しぶりに手入れもされた。
 すべては小さな子供が安全に動き回れるように。
 アスカを中心にしてすべては回っていた。
 母親はアスカに負けまいと一生懸命に異国の言葉を覚え、
 曽祖父は母娘に日本語を教えた。
 気難しいと評判だった彼は近所で噂になった。
 あの爺さん、金髪の孫と曾孫と暮らし始めて変わったな、と。
 やがて、無口な彼は知り合いに少しだけ愚痴を零したのだった。
 もっと早く素直になるべきだった、娘にはすまないことをした、
 あの世に行ったときに娘にこれだけのことをしてきたと胸を張って言える様にこれからは生きるつもりだ。
 そして、彼は有言実行の士であった。

 惣流アスカは幸福だった。
 父親はいなくても。
 彼女には母親がいて、そして曽祖父がいる。
 誰にでも自慢できる二人だった。

「えっへん、アタシにはね、すってきなママとやっさしいじ〜じ〜がいるのよ!
 いいでしょっ。ぜったいにこ〜かんなんかしてあげないわよっ!」

 このお話は惣流アスカがその幼き頃に巻き起こした
 様々な事件を記録したものである。
 もちろん、そのことで世界が変わる事はないのだが、
 彼女にとっては大事件だったのだ。

 まずは、アスカが4歳と2ヶ月になった時の話だ。




−−−− あっかちゃん、お豆腐に手こずるの巻 −−−−



 その日、アスカは脱走の機会を窺っていた。
 曽祖父の目を盗んで。



 彼女はお昼寝が嫌いだったのだ。
 夜にしっかり眠っているので昼寝のための寝つきが物凄く悪かったのである。
 30分くらいは布団の上でごろんごろんと寝返りを打っている。
 惣流トモロヲは子守唄を歌えなかったので、ぽんぽんとアスカの身体を軽く叩くくらいのことしかできない。
 しかし、大抵はアスカより彼の方が先に眠ってしまった。
 その前日もそうだったのである。
 そうするとアスカはトモロヲが自分にしたようにその骨ばった掌を優しく叩いてあげるのだ。

「よしよし、いいこでねむるんですよ〜。
 いいこにしていたら…そうねぇ、ぐふふ、きょうはハンバーグにしますよ〜。
 やったぁ〜、ハンバーグぅ〜。だからいいこにしましょうね〜」

 もちろん、曽祖父がいい子でお昼寝をしてもアスカの思い通りの夕食のおかずになる訳がない。
 そういう時はぷぅっと頬を膨らませて、眼前のお皿に寝そべっている豆腐に呼びかけるのだ。

「ちょっとアンタ、ど〜してアンタがそこでおねむしてんのよ。
 ふ〜ん、そう。アタシにはくちをききたくないってことなのね。
 いいわっ。せ〜ばいしてやるから」

 トモロヲがよく見ている時代劇で覚えた言葉を織り交ぜながら、彼女は豆腐を叱責した。
 
「こら、ぶつぶつ言ってないでさっさと食べて頂戴」

「うぅ〜、おト〜フすきじゃないの」

「好き嫌いはいかんぞ、アスカ」

 曽祖父がぼそりと言う。
 いささか決め付けるような調子だが、アスカは少し膨れて見せるだけ。

「ぶぅ。じゃ、おト〜フにジュースかけていい?」

「ダメよ。目茶苦茶言わないで、普通にお醤油かけなさい」

「おいしいかもしんないわよ。ママ、たべたことあんの?」

 惣流キョウコは吹き出した。
 
「そんなに気持ちの悪いことしません」

「わかんないわよぉ〜。おいしいかも!やってみよ〜かな〜」

「すれば?」

「ホントっ?」

 目を輝かせるアスカ。
 今日は母親が珍しく物分りがいい。
 いつもこんな調子ならいいのにと彼女は思った。
 いつだってアスカの主張は簡単に却下されるからだ。
 してやったりとにんまり笑う娘を見てキョウコはにこっと笑った。

「その代わり、おいしくなくても残さずに食べないとダメよ」

「ぐふぅ、まずいのはヤだ」

 アスカはぷぅっと頬を膨らませた。
 
「自分で決めてそうしたんなら、責任は取らないとダメ。
 自業自得ってこと。わかる、アスカ?」

「わかんない」

 最近覚えた四字熟語を得意げに使うキョウコだったが、
 その時曽祖父が浮かべた微笑を目にとめてさっと頬を染めた。

「ママもまだ字は書けないけどね。まあ、自分のしたことは自分で責任をとりなさいってこと…ですよね?」

 恐る恐る尋ねた相手は軽く頷いた。
 少しほっとしたキョウコは醤油射しを手に取る。

「ママがかける?それとも自分で?」

「アタシ!かしてっ」

「どぼどぼかけるんじゃありませんよ」

「しょ〜ちっ!」

 これも時代劇で覚えたのだろう。
 やたら“承知”という言葉を使いたがる。
 アスカは醤油射しを受け取ると慎重に豆腐の上にかざす。
 普通なら曽祖父を一番にすべきなのだが、アスカを最初にさせるのには大きな理由があるのだ。
 もしかけ過ぎたらその大量の醤油を3人で分けねばならないので。
 この日の醤油は適量だった。
 アスカの自慢げな顔といったらなかった。

「へっへぇ、じょ〜ずでしょっ」

「ああ、上手にできたよ」

「でっしょ、でしょぉっ」

 褒められた嬉しさにアスカは顔を綻ばせる。
 今にも振り回しそうな醤油射しを娘からもぎ取るとキョウコはトモロヲに渡す。
 彼は神妙な顔でほんの少しだけ醤油を垂らす。
 
「アスカ、生姜は?」

「いらな〜い。にがいもん」

「それが美味しいのよ」

「よくいうわよ。ママもダメだったんでしょ〜。きいたよ」

 苦笑したキョウコはトモロヲを少し睨みつける。
 情報源は彼しかいないからだ。
 その彼は涼しい顔で手を合わせた。
 慌てて彼に倣う母と娘。

「いただきます」

 こうして惣流家の夕餉ははじまる。
 テレビはつけていない。
 アスカの躾によくないというトモロヲの意向だった。
 異国で死んだ一人娘を育てた時もそうだった。
 その当時は娘から文句を言われたものだったが、
 この二人は何も言わずに彼に従っていた。
 どうやらキョウコもそのように育てられたらしい。
 自分が嫌っていたやり方で子供を育てたとはと、彼は苦笑する一方で胸の奥を熱くさせた。
 一人娘は異国の地で何を想い生きて、そして死んでいったのか。
 今となってはそれを知るよすがもない。
 ただ、彼女が生きた証がここにいる。
 肌の色も目の色も違い、キョウコなどは頭半分自分より大きい。
 だがこの外国人の容姿をした母と娘には自分と同じ血が流れている。
 遺伝子がどうとは老人には考えづらい。
 何事も血で考える方が容易いのだ。
 とくにトモロヲのような古い男には。

 醤油の濃茶色と、青ねぎの緑色、そして鰹節の薄茶色が絵のように描かれて見える白い豆腐をアスカは見下ろしている。
 まるで豆腐は画用紙のようだと彼女は思っていた。
 でも画用紙ならお絵かきができるが豆腐は食べないといけない。
 彼女はその豆腐がどうも好きになれなかった。
 お味噌汁の中に入っているのはまだいい。
 麻婆豆腐ならば寧ろ好物な方だ。麻婆茄子は嫌いだったが。
 とにかく豆腐自体の味が嫌いなのである。
 こんな冷奴の形で豆腐そのものが皿の上に乗っていること自体がアスカの食欲を著しく減衰させていた。
 
「どうしたの、アスカ。早く食べなさい」

「うぅ〜」

「嫌いなものを後に残すと余計に食べにくくなるわよ」

「でもぉ」

「最初に食べてしまわないと、食事が楽しくないと思うけど」

 アスカは母親を睨みつけた。
 キョウコは知らぬ顔で箸をすすませる。
 豆腐には手をつけないままに、アスカはトモロヲの方に目を移した。
 曽祖父も黙って食事をおこなっている。
 その手元を見てアスカは目を丸くした。
 日本に生まれ日本で育った彼としては当然のように冷奴を綺麗に扱っている。
 どうしてこの白いやつが形を崩さずに箸に挟まれて曽祖父の口に運ばれるのか。
 アスカにとっては魔法としか思えない。
 彼女は自分の手の中にあるスプーンを眺めた。
 まだ豆腐のようなものはスプーンじゃないと食べられない。
 
「いつまでスプーン見てるの?
 見ているだけじゃ先に進まないわよ」

 キョウコはいささか得意げに箸を使っている。
 もちろん、最初は彼女もスプーンを使っていた。
 何とか人並みに箸を使いこなせるようになったのは来日して1年半ほど経過してから。
 彼女にとって幸いだったのはアスカがその悲惨な状態のときを見ていないこと。
 母親が以前はスプーンで冷奴を食べていて、少し前まではお箸で冷奴の形をどんどん崩していくだけだった事を。
 しかし母親の威厳を保つためにはかなりの特訓が必要だったことをトモロヲは知っている。
 アスカが寝静まってから台所で米粒や豆を箸でつまむ練習をキョウコは毎日していた。
 そういう孫娘の姿をトモロヲは胸を熱くして眺めていた。
 一見すると髪や瞳の色。そして体格の違いから、亡き娘の若い頃とは異なって見えるはずなのだが、
 彼の目には金髪の孫娘が黒髪の娘と重なって見えた。
 そう、負けず嫌いだった娘にそっくりなのだ。
 一生懸命に目の前のことに取り組んでいるその横顔が。
 成功した時に見える輝くような笑顔が。
 うまくいかないときにしかめてみせるその膨れ面が。
 ああ、あの馬鹿が生きている。
 この孫娘の中で。
 そして、曾孫の中にも。
 アスカの笑顔はあの馬鹿の小さい時そっくりだ。
 そのことは日々の暮らしの中で実感できていた。
 何気ない仕草や表情の中で。
 ああ、そう言えばあの馬鹿も豆腐が嫌いだった。
 どうしてこんな冬に冷奴を食べないといけないのかと中学生の頃はよくかみついてきたものだ。
 自分が好きだからと家族に押し付けるなと頬を膨らませたあの表情。
 やはりこの小さな暴れん坊も娘の血をしっかりひいている。
 トモロヲは未だに豆腐を睨みスプーンを握りしめたままのアスカを見て少しだけ唇を歪めた。
 口の中に豆腐が入っているから微笑みにくかっただけのことだが。

 さて、そのアスカは決意した。
 豆腐を成敗することを。
 母親の言うとおりだと思うから。
 先に豆腐を食べてからお魚を食べる方がいい。
 決意した後のアスカの行動はいつも素早い。

「いっくわよぉ」

 宣言するように言うと、アスカはスプーンを豆腐の真ん中あたりに突き入れた。
 ぶにゅりと真っ白な身体が裂ける。
 そしてその真っ白な固まりをスプーンに乗せて次々と口に放り込む。
 ところが小さな子にはよくあることだが、咀嚼するスピードがそれに追いつかない。
 あっという間に口の中が豆腐で一杯になる。
 たちまち豆腐独特の味が口中に満ち溢れた。
 うげぇ、とアスカが喉を上下させた途端に、タイミングよく母親の一言。

「吐き出したら、豆まきはしませんよ」

 そう。節分を2日後に控えていた夜の話だった。
 アスカは去年の豆まきは殆ど覚えていない。
 喜んでいたことは確かだったが節分という行事として喜んでいたのではなく、
 家の中を走り回って豆を投げるという遊びとして喜んでいたのだ。
 因みにその夜、惣流家で一番はしゃいでいたのはキョウコだというのは秘密だ。
 そのことについては彼女はトモロヲに厳重に口止めしている。
 実は、そのトモロヲも楽しかった。
 まるで子供のようにはしゃぐキョウコが微笑ましくて仕方がなかったのだ。
 最初はアスカを喜ばせようとしていたのに自分の方が夢中になってしまい、
 鬼になるは、鬼の癖に豆をまくは、勝手に桃太郎と話をくっつけて創作劇を始めるは…。
 何しろアスカに読んで聞かせるための絵本も彼女にとっては日本語習得のための大事な教科書だったため、
 おとぎばなしはキョウコにとってとても身近な存在だったのだ。
 冬なのに汗びっしょりになってはしゃぐ母親にアスカも手を叩いて喜んでいたのだが。
 彼女はその1年前のことをすっかり忘れていた。
 そして、豆まきという行事をそれはそれは楽しみにしていたのである。
 
 だからアスカは懸命に豆腐と格闘した。
 目を白黒させながらも、少しずつ豆腐を喉に送り込む。
 ようやくお茶を飲むことができるまでには彼女としては長い長い時間が経過していた。
 実際は30秒もかかっていなかったのだが。
 アスカは目に涙を溜めながらも、残りの豆腐も成敗した。
 そして、彼女は痛感した。

 やはり、お豆腐という白い顔のヤツは大嫌いだ、と。




 
 さて、その翌日のアスカである。
 彼女は傍らのトモロヲの様子をじっくりと窺った。
 本当に寝ているのだろうか?
 そっと手を伸ばす。
 鼻先に手をかざして呼吸を確かめるなんて高級な技はできるわけがない。
 アスカは神妙な顔で指を曽祖父の腰に押し当てた。
 そして、相手の反応を窺うより先に自分がむずむずしはじめる。
 アスカの弱点は腰だった。
 腰を触られたら即座に奇声を上げ、そして身体をくねらせながら笑い出してしまう。
 トモロヲは腰を突付かれても身動きひとつしない。
 眠っているのかなとアスカはさらにじっと曽祖父を見据える。
 やがて耳を澄ましているうちにすぅすぅと寝息が聞こえてきた。
 アスカはにやりと笑った。

「ちゃ〜んす」

 さすがに声を潜めてアスカは布団から這いずり出た。
 脱走成功である。
 山に囲まれた地方都市の昔からの住宅地なので扉には鍵がかかっていない。
 ただ表門には閂がかかっているので、アスカが脱走するのは勝手口から。
 格子戸をそろそろと開けて裏の小路に出る。

「やったぁっ」

 拳を天に突き上げてガッツポーズ。
 そして、慌ててアスカは駆け出した。
 ガッツポーズをしているときに背中から捕まえられたのを思い出したからだ。
 きゃっきゃっと笑いながら小路を走る。
 
「あら、あっかちゃん、こんにちは」

 アスカは急ブレーキをかけた。
 小路の脇にある家の庭から声が聞こえたのだ。
 そっちを振り返ると顔なじみのおばさんが箒を片手に立っている。

「こんにちはっ!」

 元気いっぱいでお辞儀をするアスカ。
 お辞儀の仕方はトモロヲとの散歩で身につけた。
 だからこの年頃の子供にしては馬鹿丁寧なほどきちんとした挨拶ができる。
 それを見るのが楽しみで、近隣の大人たちはアスカに声をかける習慣ができた。
 子供が少なくなった町だけに、こういうふれあいの機会が少なくなっていたことをようやく気が付いたとみなで笑いあったくらいだ。
 昔はいたずらをする子供達を叱ったり、挨拶の声があちこちでしていたのに、今は真昼間でも森閑としている。
 年寄りが多く、また屋敷町なだけに余計にそう感じるのだろう。
 そんな中で登場したのがアスカだった。
 最初はみんな敬遠していた。
 何しろこの街では見慣れない、金髪で碧眼の美人に抱かれた青い目の赤ん坊なのだ。
 興味はあっても声をかけようがない。
 そしてトモロヲがアスカを抱いて散歩に出た時、小路に佇む彼の周囲を住人たちが取り囲んだ。
 都会に出た子供達が孫を連れてきてもほんの数日。
 そのうちは孫にとってもただの金蔓としての存在しかなくなってしまう老人たちもいる。
 彼らはトモロヲの腕の中のアスカが眩しかった。
 トモロヲは馬鹿ではない。
 この近所の住民の好感触を利用しようと考えた。
 そして、その翌日はキョウコも引っ張り出したのである。
 まだまだ日本語がたどたどしい彼女だったが、トモロヲの目的はよくわかった。
 彼女としても日本に永住するつもりでやってきたのである。
 公園デビューならぬ、小路デビューは成功した。
 世話焼きのおばさんがキョウコに料理を教えたり、育児の仕方を伝授したり…。
 キョウコが明らかな外国人の姿をしていたことが逆にいい方に転がったのかもしれない。
 年寄りとはいえおじいさん連中は男である。
 映画やテレビでしかお目にかかれないような金髪美人がすぐ傍にいるのだ。
 鼻の下が伸びないわけがない。
 釣ってきた魚、送ってきた林檎や蜜柑をお裾分けする者がちらほら出始める。
 普通なら進呈する者を軽蔑し、さらに贈られる方の女性も蔑みの目で見られ、よからぬ噂で集中攻撃されるところだ。
 ところがキョウコの場合は違った。
 身の程をわきまえない色ぼけじいさんどもがとあきれられながらも笑いの対象となり、
 笑われてもみんな開き直ったり言い訳したりしない。
 また、キョウコにもおばさん連中があのじいさんには気をつけろとか助言したり、
 あんなのよりもこっちの方が旨いとお裾分けしたりと好意的この上ない。
 実はトモロヲはキョウコのような異分子がこの古臭い界隈で暮らしていけるのか心配でならなかった。
 東京や大阪のような都会なら話は違うだろう。
 ここでは観光コースを外れてやってくるような気紛れ者かビジネスで来る、本当にわずかな数の外国人しか生で見ることがない。
 しかも自分の血をひいている事が信じられないくらい、キョウコは美しい。
 そのことを素直に思えるのは彼女が完全に外国人の容姿をしているのに他ならなかった。
 そして、近所の連中がキョウコがもてているのを許容して、寧ろ逆に面倒を見るようになったのもそこだったのかもしれない。
 自分たちより頭一つ大きいキョウコをおばさん連中が取り囲んで話をしているところを見て、トモロヲは心から安心した。
 好意を受けるキョウコの方も自分から溶け込もうとして一生懸命だ。
 片言だった日本語がどんどん流暢になっていったのは近所での世間話が大きな力になった。
 もっとも逆効果として、25歳という若さの割にはおばさん臭い話し方になったという笑い話も有るが。

 そうしてキョウコが溶け込んだのと同様に、赤ん坊の時からこの町で暮らしたアスカが町の人気者なのは当然のことであろう。
 金髪というよりも赤毛気味の紅茶色の髪の色と青い瞳ではあるが、アスカはこの町で育つこの町の子供だ。
 
「あっかちゃんはどちらへ?」

「あっち!」

 出会ったおばさんは夫婦だけで暮らしている。
 東京で暮らす長男は嫁の実家にはちょくちょく戻っているようだが、こちらには一年に一度だけ。
 季節外れの七夕を正月明けの土日に一泊二日。
 どうやらお年玉の回収のために来ているようで、翌日にはお昼も食べずにそそくさと帰る。
 次男の方は季節の変わり目ごとには顔を見せるが、いい歳になるのに結婚する気がまったくないようだ。
 そんな彼女だけに毎日元気な姿を見せるアスカが可愛くて仕方がない。
 今もぴしっと前を指差すアスカに頬が緩んでしまっていた。
 
「何のご用で?」

「しんないっ。でも、あっちへいくの!」

「ふふふ、何かが呼んでいるのかしらね」

 アスカは小首を傾げた。
 そういう仕草一つ一つが愛らしくてたまらない。
 そして、アスカはおばさんを見上げてきっぱりと言い切った。

「あっちにね、ぼ〜けんがまってるのっ」

「冒険?」

「うん、ぼ〜けん。だいぼ〜けんなのっ」

 顔を少し赤くして瞳をきらきらさせている。
 おばさんは留守をしている主人に後で自慢をしてやろうと思った。
 今日のあっかちゃんはとても可愛かったよ、と。
 
「マフラーしてないのね。うちのしていく?」

「いいっ。ぽっかぽかだから!」

 赤いジャケットをぽんぽんと叩く。
 吐く息の白さまでが暖かく感じる。
 
「そう。じゃ、気をつけてね」

「うん、きょ〜はすごいもんがみつかるわっ」

「がんばってね、あっかちゃん」

「うん!じゃ、バイバイ!」

 両手を振るとアスカは背中を向けた。

「いってらっしゃい」

「いってきま〜す」

 くるんと振り返ってもう一度おばさんに手を振る。
 そして、本当に行く手に何かが待っているかのようにアスカは歩き出した。
 ずんずん、と。
 その背中を見送っておばさんは思った。
 何かいいものが見つかるといいわね、あっかちゃん。



 この日、アスカは大切なものを見つけることになる。
 彼女の一生の中でかけがえのないものを。












 あっかちゃん、ずんずん 第一巻 「あっかちゃん、お豆腐に手こずるの巻」 −おしまい−













(あとがき)

 このお話は特に時代や場所は設定していません。
 時間の流れが止まっているような地方の城下町です。
 もう長く訪れてはいませんが、伊賀上野あたりのイメージですね。
 昭和の時代を引きずっているような町であることは確かです。
 あらかじめ申し上げておきますが、この話では波乱万丈なことは起きません。
 アスカを幼少の時にこういう和んだ環境で暮らしたなら、
 どういう大事件(もちろんアスカ視点です、はい)が起きるか。
 そのようなおはなしを綴っていくつもりです。
 このような作品を引き取っていただき、三只様にはお礼の申しようもございません。
 月一回とかのゆったりと書いていく連載ものなので、
 もしかすれば不評のため打ち切りという宣告を受けるかもしれません。
 でも、最後まで書きますけどね。最終巻までの構成はできていますから。
 読者様、そして三只様、できれば最後までお付き合いくださいませ。

 2005.05.10 ジュン




ジュンさんから投稿を頂きました。

いやはや、あっかちゃん可愛いですねー。
月一連載ということですが、次にアスカが見つける大切なものとは?
まあ、答えは明白ですけど、楽しみにじっくり待つことにしましょう。
続きが楽しみな方は是非メールしましょう。













しかし、こんなお話を頂けると、なんとなくお父さんになった気分になれます。

お父さんになったからには娘「あっかちゃん」に望むことはただ一つ。





打倒あまえんぼう!!




……ごめん、とーちゃん、いま適当なこといった。







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