「レイちゃんっ、あそぼっ!」

 碇家の玄関。
 三和土をぐっと踏みしめてアスカが怒鳴った。
 それに応えるようにぱたぱたと軽い足音がやってくる。
 ただし、その足音は近くまでやってきてぱたりと止まった。
 アスカは顎を引いてその方向を睨みつける。
 奥にある居間の襖から水色の髪の毛が見え隠れしている。

「レイちゃんみっけっ!」

 しっかりと指さしてアスカが叫ぶ。
 さっと水色が引っ込む。

「あそぼっ!」



 あの翌日の話である。
 アスカとレイが行き掛かり上生涯の友の約束を果たした翌日。

 あの時、碇ハルナはアスカに尋ねてみた。
 レイに言わせた言葉の意味はこうなのだが、それでいいのかと。
 胸いっぱいの期待を込めて。
 アスカは即答した。
 
「あったりまえじゃない。きょ〜から、アンタはアタシのおともだち。ヤだなんていったらゆるさないからっ」

 レイは何も言えなかった。
 彼女からすればまるっきり新種の人間だったのだ。
 強気で苛めに来る者はいっぱいいた。
 だがこんなに強気に友達になろうと言ってきたものなど一人もいなかった。
 中には「遊ぼう」と申し出てくる子供もいたが、それは本人の意思ではない。
 ナースやボランティアに命じられていやいやレイの前に立ったのだ。
 いくらレイが小さくてもその雰囲気はわかる。
 だからこそ彼女は彼らに返事ができなかった。
 ハルナ以外の誰も想像だにしていなかったが、未熟児で生れ落ちたこの小さな女の子は満ち溢れんばかりのプライドを持っていたのである。
 同情や命令で近寄ってきて欲しくない。

 碇家の家系はそうなのだ。特に女性の方は。
 ハルナもそうだし、彼女の産んだ二人の娘もそうだった。
 婿養子を貰った長女は一人息子を残して事故死し、
 綾波家に嫁に出た次女はレイの命と引きかえにこの世を去った。
 つくづく逆縁の娘たちを持ってしまったとハルナは苦笑している。
 長女のユイが産んだシンジは病気知らずで少し線は細いが健康に育っている。
 ところが背中をどやしつけたくなるほど内にこもった性格だ。
 これは絶対にあの無愛想な婿養子に似たのだとハルナは思っている。
 だから反対したのにと居間に飾っている娘の笑顔へ彼女は悪態を吐いた。
 もっともだからと言って、孫のシンジが可愛くないわけがない。
 しかし、内向的な孫二人を並べてみても、何もはじまりはしなかった。
 ハルナ一人がお膳立てをし二人を遊ばせようとするのだが、その遊びはすぐに自然消滅してしまう。
 結局、この二人では主体性がないために物事が持続しないのだ。
 次女が生きていればとせん無い想いにとらわれるときもある。
 ハルナはそういった時、逆に自分を奮い立たせるのだ。
 あと20年。
 少なくともあと20年は絶対に死んではならない。
 レイが大人になるまでは。
 だからあんなに嫌いだった成人病検診にも定期的に赴くようになった。
 今のところ幸いにも健康そのもの。
 そしてハルナの毎日はレイを中心に回っている。
 ただ、彼女も承知していた。
 孫娘を中心にするあまり、箱入り娘にしてはいけないと。
 今のところ、レイは完全に箱入り娘だった。
 彼女の行動半径は家の中だけ。
 定期健診のときには数日前からむずかり出す。
 ハルナが宥めても怒っても「行きたくない」としくしく泣くだけ。
 ようやく出かけるときには完全に顔を隠して家を出る。
 できるだけ人に顔を見られないようにするため。
 目を逸らされないようにするため。
 好奇の目で見られるのには慣れたが、目を逸らされるのが何より悲しい。
 
 ところが、アスカは違った。
 レイに友の誓いを強制的に…そしてそうとも知らずに言わせた後のことだ。
 アスカはしげしげとレイの顔を見つめたのだ。

「アンタ、びょ〜き?」

 レイは悲しげに首を振った。
 少し慌ててハルナが言葉を挟む。
 せっかく友達になれそうなのに偏見を持って欲しくなかったから。

「あのね、あっかちゃん。レイはね、生まれつきなの」

「ふ〜ん、そ〜なの?アタシもそれよ。めがあおいの。ほらほら」

 ばっとレイに近づき、ぐっと顔を寄せる。
 祖母と病院の人間以外でこんなに接近されたのは生まれて初めてだった。
 赤い瞳と青い瞳の距離はほんの5cmほど。
 
「ほんとう。あおい」

「でしょでしょっ。アタシもうまれつきなのっ。いっしょいっしょっ」

 きゃっきゃっとはしゃぐアスカだったが、レイは少し目を落とした。

「あおのほうがきれい。あかはいや」

「アタシのかみのけあかいわよ。アンタはあおじゃない」

 間髪を置かず切りかえすアスカ。
 そして、彼女はぐふふと笑った。

「なにいろでもいいじゃない。じ〜じ〜はめはくろいし、かみはしろだよ。
 あ、きょ〜あったおししょ〜はまゆげがくろなのに、かみのけきんいろなんだよ」

「おししょうってなに?」

 アスカは眉を顰めた。
 信じられなかった。
 あんなに面白いものを見てないなんて。

「おししょ〜はおししょ〜じゃない。わかんない?」
 
 レイはふるふると首を横に振る。
 この説明でわかるほうがおかしい。

「先生ってことよ。お師匠さまって」

「ああ、それそれ。ほくしんいっと〜りゅうのせんせ〜なの」

「まあ、赤胴鈴之助?」

 聞きなれない名前を出されてアスカはぐっと考え込んだ。
 自分は天才ではあるが子供だから知らないことがあるのは仕方がない。
 そう結論付けた彼女は肩をすくめた。

「しんない。アタシはアタシなの。でもって、せいぎのけんしなの」

 我が道を行く。
 この時から、レイはアスカに振り回される運命にあったのかもしれない。
 言っていることはほとんどわからないが、聞いているのが不快ではない。
 
「ねっ、びょ〜きじゃないんならおそとであそべるよねっ」

 アスカはまたまたレイの顔にその顔を寄せた。
 詰め寄るという表現の方が正しいかもしれない。
 
「わ、わたし…」

 レイは首を横には振らなかった。
 彼女は迷っていた。
 アスカとなら外に行ってもいいような気がする。
 だが、怖い。外が怖い。

「あのね、あっかちゃん。レイはあまりお外に出たことがないの。だから…」

「ん?」

 アスカは考えた。
 外で遊んでいないということはどういうことだろう。
 やっぱり病気なのかもしれない。
 アスカは自分が物差しなのだ。
 外に出ちゃダメだといわれるのは病気の時だけだ。
 きっと風邪を引いているに違いない。
 アスカは断定した。

「わかった。じゃ、あしたね。あした、むかえにくるから、ずぇったいにおそとであそぶのよっ」

 腰に手をやるいつものポーズ。
 有無を言わさぬとはまさにこのこと。
 アスカの勢いにつられてレイはこくんと頷いてしまった。

「けっていっ。じゃあさの7じっ!」

「あっかちゃん、7時はちょっと早いんじゃないかしら」

「じゃ7じ5ふんっ」

 ハルナは吹き出してしまった。
 アスカはウケを狙っているわけではない。
 それだけ本気でレイと遊びたいと思っていることがよく伝わってくる。
 顔は笑っているものの、ハルナは涙を零したかった。
 嬉し涙を。
 そして祈る。
 明日になってもあっかちゃんの気持ちが変わっていないことを。




「レイちゃんっ、あそぼっ!」

 アスカが叫んだのは、午前8時47分。
 約束は9時だった。
 彼女の出撃準備は午前7時には整っていたのだ。
 8時27分まではキョウコが実力行使で引き止めていた。
 文字通り首根っこを掴んでいたのである。
 洗面所で歯磨きと薄化粧を施していた時には、股の間にしっかりとアスカの身体を挟んで。
 その時はズボンにしてよかったとキョウコはつくづく思ったものだ。
 約束は9時だから早すぎるのはよくないといくら言い聞かせても、

「レイちゃんはよろこぶから、だぁ〜いじょ〜ぶっ!」

 そうきっぱりと言い切るだけ。
 余所様に迷惑はかけられないから、出撃しようとする娘を押さえ込んでいたのだ。
 そして、8時27分にその役目を曽祖父にバトンタッチした。
 その時間に家を出ないと役所に遅刻するからだ。
 
「おじいさま!あとはお願いしますっ!アスカっ、どうせ走っていくんでしょうから家を出るのは8時50分でお釣りが来るわ!
 いいっ?それまでは家でじりじり待ってなさいっ!早すぎるのは相手に迷惑なのっ!」

 玄関先の母の叫びにアスカはい〜だっと歯をむき出しただけ。

「お願いしますねっ、じゃいってきますっ!」

 がらがらっと格子戸を開けてキョウコは飛び出していった。
 後に残されたのは、いざ飛び出して行かんと全身で暴れるアスカとそれを抱きとめているトモロヲの二人。

「はなしてぇっ!じ〜じ〜」

「いや。キョウコの言う通りじゃ。余所様には迷惑をかけてはならぬ」

「め〜わくじゃないもんっ。きっとレイちゃん、きの〜のよるからねないでまってるもんっ!」

 アスカには可哀相だがそれは間違いである。
 昨晩10時には綾波レイはぐっすりと眠りについていた。
 ただし、その枕元に大きなつばのついた帽子が置いてあったことを知ったなら、きっとアスカは大満足だっただろう。
 それにレイは朝6時には起きて家の中をそわそわと歩き回っていたのだから。
 
 子供には母親よりも老人の方が甘い。
 トモロヲの限界は8時38分だった。
 
「すまん、キョウコさん。わしは力不足じゃ」

 別にアスカが超人的な力を用いたわけではない。
 いい加減暴れるのに疲れてしまったので、アスカとしては下手に出て頼んだだけのこと。
 ただ曽祖父としては、急に力が抜けて首をうな垂れ小さな声で「お願い、じ〜じ〜。おでかけさせて」と言われてしまうと、
 こう返事するほかない。

「向こうの家の人に迷惑をかけるんではないよ。それと外で遊ぶのは気をつけ…」

「いってきまぁぁすっ!」

 早かった。
 がらがらっと戸を開けてアスカは駆け出していった。
 その後姿を見てトモロヲは苦笑した。
 そして、先の発言と相成ったわけである。
 トモロヲは少ししてから散歩がてら碇家まで赴こうと考えた。
 うちの曾孫が迷惑をかけとりませんかと。



 さて、片やこちらはキョウコ。
 彼女は自転車通勤だ。
 市の観光課に勤めている。
 愛用の自転車は真っ赤に塗られたマウンテンバイク。
 トモロヲからはもっと大人の乗るような自転車にしなさいと苦言を呈されているが、
 これだけは譲りませんと頑強に自分の愛車をキョウコは守った。
 盆地になっているこの町に殆ど坂はない。
 彼女の愛車は大通りに出てスピードを上げた。
 まだまだ寒いが3分も走れば身体は温かくなる。
 唇からもれるのは白い息。
 頬も少し赤らむその表情はとても4歳の子供がいるとは思えない。
 午前8時35分。
 本町交番前通過時間。
 日向マコト巡査は決まってその時間に交番の前の道路を掃除している。
 その目的は改めて述べる事はなかろう。
 
「おはようっ、おまわりさんっ!」

「おはようございますっ!いってらっしゃいっ!」

 彼にとって至福の時間である。
 最初は会釈程度だった。
 それが今のように自転車の速度を緩め、挨拶を交わし、その上敬礼までしてくれるようになるとは。
 非番の日でもこの時間だけは出勤したいと本気で思ってしまうマコトだった。
 この日もピシッと敬礼して走り去っていくキョウコを彼は呆けた顔で見送っていた。

「まったく…平和じゃのう」

 交番の中で老巡査はお茶を啜っていた。
 町が平和なのは何より。
 しかしあれは高嶺の花だ。
 いい加減なところで失恋した方が日向には良いのだがと、
 マコトが聞いたなら肩を落としてしまいそうなことを彼は思っていた。
 そんな不吉な想いを余所に、マコトは彼女の姿が消えてしまった後もずっとその方向に敬礼したまま立ち尽くしていた。

「ふむ、ありゃあまたまた当分仕事になりそうもないのう」

 老巡査は立ち上がって制帽をしっかりと被った。
 また息子のような後輩の背中をどやしつけなければならない。
 これも日課のようになってきているのだが。



「レ〜イちゃぁんっ!」

 ずかずかと上がり込むような躾をアスカは受けていない。
 三和土に足を残したまま、玄関先に両手を置いてレイがいるはずの居間に向って叫ぶ。
 さてどうしたものかとハルナは考えた。
 どう見てもレイはアスカと遊びに行きたいのである。
 でも外の人目が怖い。
 背中を押すのは簡単だが、できることなら自分の意志で踏み出して欲しい。
 そうだ、この手で行こう。
 ハルナはわざとらしく濡れもしていない手をエプロンで拭きながら台所の方から玄関に歩いていった。

「あら、おはよう、あっかちゃん」

「おはようございますっ!おばさんっ」

 ぺこりと頭を下げるアスカ。
 言動がアクティブだから礼儀知らずのように思われてしまいそうだが、
 実はこの近辺の小さな子供の中で彼女が一番躾が行き届いていると囁かれているのだ。
 この噂にはトモロヲとしてはしてやったりである。
 さすが家老職の家系だと言われると情けないとは思いながらも嬉しいものだ。
 武家の世が終焉を迎えて100年以上経つ。
 堕落するには充分な年月かも知れぬと、トモロヲは自嘲していた。
 しかし彼は気付いていなかった。
 家老職の末裔だと言われていることが嬉しいのではなく、アスカの良い噂だから嬉しくて仕方がないことを。
 
「ええっと、レイはどこにいるのかしら?」

 孫娘の居場所はもちろん承知している。
 
「アスカ、しってる!あそこっ」

 指先がそっくり返ってしまいそうなほど力を込めて指さす。
 その指先からまるで何かの光線が発射されていたかのように、
 襖の陰のレイがびくんと震えて襖がガタガタ。
 
「あら、レイ。そこにいたの。こっちにいらっしゃい」

 できるだけそれとなくハルナは言った。
 
「こっち、こっちっ」

 アスカが両の掌で手招く。
 レイが顔半分襖から覗かせる。
 赤い瞳が祖母とアスカを捉える。
 視線が合ってしまえばもうアスカの勝ちだ。

「レイちゃん、おはよっ!」

「…おはよう」

 レイは愛想笑いができない。
 本人が笑いたいときにしかその頬は緩まない。
 生まれ育った状況がそうさせてしまったのだろう。
 このこともハルナの気がかりのひとつだったのだが、
 今、レイは微笑んだ。
 おそらく満面のアスカの笑顔につられた所為だろうが、
 それでも笑った。
 おはようの挨拶とともに。
 そしてレイは身体を襖から見せた。
 ただし左足が微妙に襖に隠れている。
 それが彼女の気後れなのだろう。

「ごはん、たべたっ?」

 アスカの二言目がこれだ。
 何故ならキョウコに散々言われていたから。
 まだ朝ごはんを食べていらっしゃらないから行っちゃダメだと。
 確かにそれは午前7時だったから当然の止め言葉だろう。
 だがその言葉がアスカの心に残っていたからこそのこの二言目。
 
「たべた。すくらんぶるえっぐ」

「アタシはめだまやきっ」

「それに、ぱん」

「アタシはごはんにのりっ」

 惣流家の朝食は純和風だった。
 丸い卓袱台に外国人の容姿の母娘がお茶碗を手に取る。
 パンの方がよければとトモロヲが言っていたのだが、キョウコは断固拒否したのである。
 日本に来て、これから日本人として暮らすのだから、食事は和風で行くと。
 実は時々トーストを食べていたトモロヲはおそらく死ぬまで食パンを食べることはあるまいと覚悟した。
 事実、これ以後トモロヲが口にするパンは菓子パンだけだった。
 三食和風の惣流家と違って、ハルナは朝をパン食に決めている。
 きちんとサラダやハムエッグもこしらえるところはやはり女性なのであろう。
 
「パン?あんなのでおなかいっぱいになるぅ?にほんじんはやっぱりごはんよっ!」

 西洋人そのままのアスカが偉そうに言う。
 そんなアスカをじぃっと見つめて、おもむろにレイが呟いた。

「あなた、にほんじんなの?」

「くわっ、アタシのどこが…えっと、なんだっけ、そうそう、めりけんじんにみえんのよっ。
 どこからみてもアタシはにほんじんそのものじゃない」

 レイの目から見れば、どこから見てもアスカは絵本やテレビで見る外国人そのものである。
 だが彼女は思った。
 こんなに自信たっぷりに言うのだ。
 きっとアスカが正しいに違いない、と。
 ただ、わからない言葉は確かめずにはいられない。

「めりけんってなに?」

「おりょ〜りにつかうしろいこなのことよ」

 どうだとばかりに胸を張るアスカ。
 老人のトモロヲは小麦粉のことをメリケン粉と呼称する。
 したがってその知識を吸収しているアスカも漢字がまだ読めない以上、
 袋に小麦粉と書かれていてもメリケン粉と書かれているものだと思い込んでいたのだ。
 もっとも、この時の説明はいささか的を外していたが。
 幕末モノでメリケン人と呼んでいたからアスカはそう混合しているのであった。

「しろ…。しろはきらい」

 ぼそりと呟いたレイだったが、その呟きはアスカの声にかき消された。

「ごはんたべたのなら、はやくいこっ!ねっ、ねっ!」

「う、うん」

 完全に勢いに押された。
 こくんと頷いてしまったレイである。
 そのタイミングにあわせてハルナが語りかけた。
 
「レイ、帽子を忘れたらダメよ。はい」

 このためにわざとレイの帽子を玄関に移動させておいたのだ。
 枕元に孫娘が大事に置いていた帽子を朝起きた時にハルナは手に取った。
 何をするのと言いたげに慌てて布団に起き直るレイに、祖母は踏んでしまうかもしれないからねと微笑んだ。
 そして、出かけるときには被るんだよと何気なく玄関に置いたのだ。
 つばの大きな黒い帽子。
 陽射しに弱い皮膚を護るためのものだ。
 その帽子を下駄箱の上から手に取って、ハルナはレイの方に差し伸べた。
 その動きにつられるように二歩三歩。
 おまけにアスカの声までレイの背中を後押しするようだ。

「わっ、い〜ない〜な、ぼうし、い〜なぁ!」

 真剣に褒められ、羨ましがられて、嬉しくないものがいようはずもない。
 レイはとことこと帽子の元に駆け寄った。
 そして、しっかりと帽子のつばを握り締めた。

「それ、レイちゃんのぼ〜し?」

「うん」

 こくりと頷くレイの頬は嬉しさに緩んでいた。

「アスカもかぶってきたらよかった。アタシのぼ〜しはまっしろなのよ〜」

「しろいの?」

「うんっ、でね、まわりだけあおいの。とぉってもかわいいの。アタシ、しろだぁ〜いすきっ。ぐふふふ」

 白という言葉を聞いてふっと表情を固くするレイだったが、アスカはそういうことに頓着していなかった。

「つぎはアタシもしろぉ〜いぼ〜しもってくるからねっ。やくそくっ」

 出かける前から次回の約束を取り付けるとはアスカもなかなかの営業マンいや営業ウーマンである。
 さて、アスカが本来なら忌避すべき“白”というキーワードを臆面もなく連発するのは理由があった。
 キョウコである。
 日本人と西洋人の混血児である彼女はその崩しようもない事実と偏見に苦しんだ。
 特に幼少の折に。
 この前日、帰宅したアスカが喜び勇んで新しい友達の事を喋るのを聞いていると、
 どうもその友人はアルピノのように思われてきた。
 アスカが席を外した時にトモロヲに訊ねてみるとやはりその通り。
 可哀相な子じゃと彼はしんみりと言ったが、キョウコはふと考えた。
 同情するだけではいけないと。
 その子とアスカが本当に友達になるのなら、自分の娘に友人に対して哀れみなどの感情を持たせてはならない。
 友情は対等でならなくてはいけないのだ。
 そして、彼女はアスカを質した。
 娘は胸を張って「おともだちになるんだもんっ」と叫ぶように言う。
 キョウコはにこやかに頷いた。

「それじゃ、逃げられないようにしっかりお友達になることね」

 謎のような母の言葉にアスカは首を捻った。
 そして、頬をぷぅっと膨らませる。
 
「レイちゃんはアスカのこときらいになんかなんないもんっ」

「ふ〜ん、自信たっぷりね。それじゃ、その子と親友になるための秘策を伝授してあげましょうか」

「おおおぉ〜」

 アスカにとっては嬉しいその言葉。
 何よりも“伝授”というのがチャンバラ娘の彼女のツボにはまった。
 ははぁ〜と両手を畳につく愛娘の姿にキョウコはほくそ笑んだ。
 惣流家の視聴嗜好は何も曽祖父と幼児だけではない。
 キョウコだって時代劇が好きなのだ。二人ほどではないにしても。
 
「アスカ、何色が好き?」

「あかっ!」

 即答である。
 特撮番組の老舗三只プロの作る『特務戦隊Eレンジャー』を毎週アスカは楽しみに見ているのだ。
 この主役であるEレッドになりきってよく家や外で暴れている。
 赤色が好きでそうなったのか、それともリーダーの色が赤だからそうなったのか本人にもわからない。
 ともあれ、この返事は予想していた。

「じゃ、白は嫌い?」

「ううん、きらいじゃないよ」

「白ってどんな色?」

「うう〜ん」

 身体を起こしたアスカが腕組みをする。
 少し抽象的な聞き方だったかと、キョウコは訊き直した。

「何に使われてる?白い色は」

「Eホワイト!」

 これも即答だった。
 思わず、微笑んでしまう。

「それから?」

「えっと、おしろっ!それから、くも!うぅ〜ん、がよ〜し。アスカのぱんつ。じ〜じ〜のすててこ。
 あ、ゆきだるま!うさぎさんっ。そうそう、ぎゅ〜にゅ〜。かるぴすっ。あんにんと〜ふ……それに、おと〜ふ」

 最後のだけアスカは顔を歪めた。
 まずお城がでてくるのは城下町ならでは。
 雲に画用紙を連想した後に、パンツやステテコが出てくるのは嬉しいことにそれだけ家の手伝いをしているということだろう。
 洗濯物の取り込みをトモロヲと一緒にするのがアスカの日課なわけだ。
 雪だるまと兎はいかにも幼児らしい。
 その後に食べ物に移り、そして杏仁豆腐からの連想で嫌いな豆腐に行き着いた。
 誘導しなくても豆腐を口にしてくれて助かった。
 
「アスカ、お豆腐は嫌い?」

「うう、きらい。まずいもん」

「そうね、アスカには不味いのよね」

「だって…」

 顔をしかめる娘にキョウコは表情を消した。

「ママは好きよ。最初は嫌いだったけどね」

「きらいだったの?」

「ええ、最初に食べた時吐き出したくなったわ」

「えええっ、アタシにははくなっておこんのにっ」

 頬を膨らます娘のおでこをキョウコは指でつついた。

「あなたは本当に吐き出そうとするでしょう。私はちゃんと食べたわよ」

 キョウコのしらっとした態度に唇を尖らせるアスカ。
 どうしてあんなものが美味しく思えるのか理解できない。

「杏仁豆腐はあんなに好きなのにね」

「だってあまいもん。だからおと〜ふにもおさとうかけて…」

「いいわよ。不味くなっても残さずに食べるならね。明日にでもする?」

 アスカは少し顔を斜め上に傾けて想像してみた。
 つるつるした豆腐の上に砂糖をばら撒いてスプーンで掬う。
 そして口の中へ…。
 彼女は顔をくちゃくちゃにしかめた。
 キモチワルイ。

「ヤだ。ぜったいにしない」

「そりゃそうよね。ママだって絶対に食べたくないわ、そんなの」

 うんうんと頷くアスカ。
 
「それじゃ、色はどう?」

「いろ?おと〜ふの?」

「ええ、そうよ。アスカは赤が好きだったわよね。真っ赤な色のお豆腐はどう?」

 アスカは大きな瞳をぐっと見開いた。
 真っ赤な豆腐。
 スプーンで掬うとその中身も真っ赤。
 うへっと口を横に広げる。
 ぶるんぶるんと首を横に振る。

「そうよねぇ。それじゃどんな色が一番美味しそう?」

 また首を傾げるアスカ。
 その頭の中を様々な色の豆腐が通過していった。
 黒い豆腐。青い豆腐。黄色い豆腐。オレンジ色の豆腐。ピンク色の豆腐。紫色の豆腐……。
 どれも全然美味しそうじゃない。
 それどころか口にもしたくない。
 そんなのを食べないといけないくらいなら、まだ白いのがましだ。

「ぶぅ…、しろ」

「そうね、ママも白がいいわ。で、アスカ?どうして白がいいと思う?」

「わかんない」

 キョウコはにっこりと微笑んだ。

「それはね、お豆腐が白い色で生まれたからよ。もし他の色がいいのなら、最初からその色で生まれてきてるわ」

「うまれつき?」

「ええ。アスカが青い瞳で生まれてきたのもそうね」

「アスカが?」

「そうよ。似合うとかそういうのじゃなくて、もしアスカが黒い瞳で黒い髪で生まれてくるのだったら、ママの子供として神様は授けてくれなかった」

 真剣な表情で言葉を紡ぐ母親に、アスカも一生懸命に耳を傾けた。

「ママの赤ちゃんになってくれてよかった。もしかしたら、アスカはどこかの大金持ちの家に産まれてきてたかもしれないけどね」

 キョウコはニコニコと笑って、そして「その方がよかった?毎日美味しいお菓子を食べられたかもよ」と付け加えた。
 アスカは慌てて首をぶるぶると横に振った。
 とんでもない話である。
 自分はママの娘でじ〜じ〜の曾孫なのだ。
 他の家に産まれるなんて考えたくもない。

「よかったわね、アスカ。青い瞳で、ママの子供で、生まれてきたから、いいお友達にも出逢えた」

 アスカはきょとんとした。
 そして、思い当たった。

「レイちゃん?」

「ええ。ママの赤ちゃんだったから、こうやって日本にやってきて、そしてそのレイちゃんとも会えたんじゃない」

 アスカの口がほうっという感じに丸くなる。

「レイちゃんの方もそうかもね。ま、アスカに出逢ったことが幸か不幸かわかったもんじゃないけどね」

「ああっ、ママのいじわるぅ。アタシとおともだちになれるんだから、せかいいちのしあわせもんにきまってんじゃないっ」

「あらあら、自意識過剰ね、我が娘は」

「なによそれ。じしびきかじょ〜ってなんなのよ」

 にたぁと笑った母の表情にアスカはからかわれたのだと直感した。
 ぷふぅ〜と膨れてそっぽを向く。

「ふふ、それなら証明して頂戴ね。いいお友達になって」

 うんうんと力を込めて頷く。
 当たり前だ。
 自分とレイちゃんは世界一の友達になるのだ。
 それが神様の定めた運命。
 そのために自分はママの子供で産まれて来た。
 だから髪の毛はいずれ金髪で今は赤い髪。
 そして瞳の色が青いのだ。
 アスカは確信した。
 レイちゃんもきっとそうなのだと。
 お豆腐みたいに白い肌で産まれてきたから、この自分と友達になることができたのだ。
 白い色を嫌いだと言っていたけどそれはおかしい。
 そうだ。
 自分が白が好きだということを教えてあげよう。
 そうすれば白い色が嫌いだなんて思わなくなるかもしれない。
 彼女は大きく頷いた。

 その後、母娘のやりとりを聞いていたトモロヲはキョウコに言った。

「キョウコや、あれは詭弁というものではないかの」

「ふふふ、そうですよね。でもいいじゃないですか。誰が困るわけでもなし」

「それはそうじゃ。困るものなど一人もおらんわい」

 トモロヲは孫娘の爽やかな笑顔につられて笑みを漏らした。
 そう、誰も困りはしない。
 そのレイという小さな子供の気持ちをほぐすには大人の力よりも同じ子供の方がいいに決まっている。
 このキョウコの娘なのだからきっとアスカはやりとげるだろう。
 碇家の孫娘もよい友達を持ったものだ。
 孫自慢に曾孫自慢。
 惣流さんも変わったもんだと周りに言われているのをトモロヲは自覚できていなかった。



 アスカは白が好きだと連発した。
 
「あのね、おそらにしろぉいくもがあったよ。ふわふわしてて、やわらかそうで、アタシしろ〜いくもだいすきっ」

 レイは玄関に立ってハルナに帽子の紐を調節してもらっていた。
 三和土に立つアスカは両手を式台についてレイを見あげるようにして力説している。
 その意図はレイにはまだわかっていないようだった。
 だが、そのすぐ近くで聴いているハルナは溢れそうな涙を必死に抑えていた。
 アスカが自分で考えたのか、惣流の家の人に教えられたのかはわからない。
 ただアスカが何を言いたいのかはよくわかる。
 レイの白い肌のことを自分は気にしていない。
 だからレイの方も気にするなと言いたいのだ。
 ああ、神様。
 惣流家は仏教だろうが、この可愛い西洋人の容姿の子供はキリスト教だろうか?
 ハルナはどちらでもいいと思った。
 いずれにせよ、運命をつかさどる神様。
 ありがとうございます。



 しばらくして大きなつばの黒い帽子をかぶったレイはその手をアスカに引っ張られるように碇家の玄関から出て行った。
 その表情は少し戸惑いが見られたが、
 ハルナの目にはそれは孫娘が新しい世界に踏み出そうというわずかな恐れのように見受けられた。
 そしてその恐れを打ち払うかのようにレイを引っ張って行くアスカの顔は明るい。
 玄関の向こうはいつもの風景。
 だがハルナの目にはその風景が違って見えた。
 それは、明るく、輝いて、まるで孫娘の将来が今を境に切り替わったように。
 レイをお願い、あっかちゃん。
 明るい陽光に消えていく小さな背中に、ハルナはそう祈った。





 
あっかちゃん、ずんずん 第三巻 「あっかちゃん、友をお迎えに行くの巻」 −おしまい−


















(あとがき)

 第三巻です。
 ああ、どんどん時間の流れが遅くなっていく。
 三只様、ごめんなさい。
 次回はようやく二人のお散歩。
 シンジちゃんは名前だけでなかなか登場できませんでしょう。
 タイトルバックの素晴らしいイラストを見て内容と違うと
 訴えないでくださいね(汗)。
 

 2005.05.28 ジュン



 ジュンさんからあっかちゃんの三作目を頂きました。
 …いや〜、次回のサブタイトル、見事に外しましたね(笑)
 次こそはいよいよ…?
 まあ、生涯の友もいいですけど、生涯の恋敵になりそうな気もしなくもありません。従妹同士も結婚できるはずですしー(笑)
 続きが気になる貴方も一つジュンさんにメールしてみましょう。
 メールは作家のビタミン剤です。





(2005/6/04掲載)


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