話はとある家の仏間に始まる。
 その部屋には老女がたった一人で座っていた。
 彼女は大きく古い仏壇の前でじっと目を瞑っている。
 そして、すっと笑みが広がっていく。
 洞木サクラ刀自は自らの計画を実行に移すことを決めたのだ。

 日向マコト巡査を葛城ミサトの夫にする。
 婿養子にしつらえようというのだ。
 これが成功すれば、彼らが100組目の縁結びとなる。
 実に目出度い話ではないか。



「おおっ、新しいお友達って、あっかちゃんのボーイフレンドかぁ?」

 大声でおどけてみせたのは、問題の葛城ミサトだった。
 彼女が姿を見せたのは幼稚園が終わり、園児たちが迎えを待っている時間だった。
 
「えっとね、シンジちゃんは…」

「わたしのいとこなの。ぼぉいふれんどじゃない」

「えっ、そうなの?レイちゃんのいとこかぁ。そういやちょっと面差しが似てるかな?」

「にてない。ぜんぜん」

 素っ気無く言うレイはアスカの手をしっかりと握り締めている。
 シンジになど渡すものかと。
 嫉妬かな?それとも別の何か。
 ミサトは表情に出さずに、何らかの確執がこのいとこ同士にあるのだと察知した。
 アスカの取り合い?
 子供らしいけどそれだけじゃなさそうな気がする。
 彼女はすっとシンジの前に蹲った。
 子供と同じ目線に立つ。
 幼児教育の基本だ。
 
「こんにちは、シンジちゃんね。私はミサトお姉さん」

「こ、こんにちは」

 まっすぐに見つめられて照れくさいのか、少しオドオドとしているシンジ。
 
「まだ、本当の先生じゃないけどね」

「みならいってことよ、ねっ」

 横からアスカが口を挟む。
 ミサトはにっこり笑って、シンジの頭を帽子ごとぽんぽんと叩く。

「見習いでもいいじゃないよね。前を向いていけばいいの」

「うん」

 わかっているのかどうなのか、シンジは小さく頷いた。

「よしっ、じゃ、これからよろしくぅ!」

 アスカはそんな光景が何となく嬉しく、レイはそっぽを向いた。
 そして、シンジは何となく心がほっとしたような感じがした。
 彼は幼稚園を変わる事が怖かったのだ。
 元より特に仲のよい友達がいたわけではなかったが、やはり見ず知らずの場所に行かないといけないというのはかなりのプレッシャーだった。
 そのプレッシャーは嬉しいことに行く前に解消された。
 引越しを通じて鈴原トウジや相田ケンスケと知り合いになっていたからだ。
 それに登園する時はアスカと一緒だった。
 その上、父親が後を歩いている。
 アスカの曽祖父と肩を並べて。
 ただ、途中で合流したレイに睨まれたのには閉口したが。
 それでも、ひまわり組でみんなの前に立って挨拶した時は物凄く緊張した。
 だから、知っている顔を捜す。
 真っ先に目に入ったのは最前列で顔中で笑っているアスカだった。
 もっともその隣で目を細めているレイの顔も視野に飛び込んできたので、慌てて別の顔を捜す。
 斜め後の方でニヤニヤ笑っているトウジとケンスケを発見し、ほっと一安心。
 がんばれ!とばかりに拳を突き上げるトウジに転園生はしっかりと頷いた。
 もっとも幼稚園児の自己紹介だから、先生が巧みに誘導する。
 名前とどこから来たかを言って、アスカの家の離れに住んでいることも言った。
 さすがにこの年齢では囃し立てるのではなく、純粋にみんな「すっごぉ〜い!」と驚いていた。
 何が凄いのかを問うてはならない。
 ただその反響がアスカには何故か嬉しく誇らしい。
 別に大家だからというそんな俗物的なものではない。
 それが証拠に立ち上がったアスカは振り返って、腰に手をやった。

「あのねっ、シンジちゃんは…」

 そこまで彼女が言った時、シンジはどきっとした。
 父親の秘密を発表されるのではないかと恐れたのだ。
 有名ではないが、知る人…というよりも知る子供こそ知る、可愛いタッチの絵本の作家。
 その息子としては素直に言い触らしたいのだ。
 自分を威張るのではなく、父を凄いと言いたい。
 しかし、その当の父から頼まれているのだ。
 あの絵本を書いていることを誰にも言わないでくれと。
 だからこそ、彼は黙っている。
 大好きな父のお願いだから。
 シンジもその言いつけをしっかり守ってきたのだが、今回の引越しの前についうっかりアスカに喋ってしまった。
 するとどうだろう。
 アスカの口からあっという間に、その家族に。
 そして、引越しの時にはトウジとケンスケと洞木ヒカリの3人にあっさりと漏れた。
 人の口に戸は立てられない。
 無論シンジがそんな諺を知るわけがない。
 しかし、彼は実感として骨の髄まで了解した。
 そこで、その秘密を知る4人に全力で口止めをしたのだ。
 絶対に、何があっても喋らないで欲しい、と。
 その時、彼らは即座に応じた。
 絶対に、口が裂けても喋らない…とは言わなかったが、針千本の誓いは立てた。
 ひとまずそれでシンジは安心したのだ。
 だが、アスカは不安だ。
 針千本を飲むことになっても喋るかもしれない。
 その不安が今急に膨れ上がった。

「シンジちゃんは…」

 くるりとまわって、シンジを見る。
 そして、彼女はにっこりと笑った。
 笑ったが故にシンジは泣き出しそうになったのである。
 
「シンジちゃんは、チェロがひけるのよっ!」

 まるで自分が弾けるかのようにアスカは胸を張った。
 しかし、彼女の予期していた…望んでいた反応はまるでなかったのである。
 チェロが何たるかを知っているものがほとんどいない所為である。
 ヒカリたちは既に知っていることだけに別に歓声を上げるまでもない。
 水野先生は内心苦笑した。
 アスカはシンジのためにみんなの歓声が欲しかったのだろう。
 確かに新来の子供を集団に溶け込ませるにはそれも一つの手である。
 彼女はアスカの尻馬に乗った。

「わあ!シンジ君、チェロが弾けるの?凄い!」

 大人が見れば演技となるだろうが、幼稚園児にはこの程度の大仰さでいい。
 少し焦っていたアスカはホッと一息。
 シンジもやはりこんな反応を受けると嬉しい。
 それに父親のことではなかったのでシンジの方もホッとしたのも事実だ。
 そして先生が驚くのを見て、よくわからないがとにかく凄いことなのだと察知して歓声が上がる。
 その歓声が落ち着くのを待って、水野先生はチェロの説明を始めた。
 楽器だと知って、中にはテレビで見たことがあると言い出す園児も出てくる。
 もちろんそのほとんどがバイオリンなどと混同しているのは明白だ。
 先生は「セロ弾きのゴーシュ」の絵本を取りに行き、こんな楽器だとみんなに示す。
 どれどれとみんなは先生の元に殺到する。
 自分の席に残っているのはアスカたちだけ。

「あのえほんも、ぎこぎこしいい〜〜〜っのほうがいいよねっ!」

 『ぎこぎこ、しぃ〜っ』はろくちゃんこと碇ゲンドウの最新作で、まだ店頭に並んでいない絵本だ。
 シンジは慌ててアスカに向かって、しい〜〜っ!と人差し指を唇の前に立てた。
 それを見て彼女はえへへと笑いで誤魔化す。
 どうもアスカちゃんは信用できない。
 シンジは少し泣き出しそうな目で彼女を見つめた。



 その頃、園長室では洞木サクラ刀自の謀略が幕を開けていた。

「まあまあ、洞木さんのおばあさま、ようこそいらっしゃいました」

「園長先生もお元気そうで何より。さっそくですが、今日はいいお話を持ってきましたのよ」

「まあ、なんですの?」

「園長先生の娘さん。ミサトさんにピッタリのお婿さんを紹介したいと思いまして」

 まさに単刀直入。
 刀自の直球勝負に園長は微笑みを返した。
 その後二人の間にどのような会話がなされたのであろうか。
 ただ、帰り際の刀自の表情がにこやかなものであったことだけは記しておこう。



「うみぃぃぃぃぃ〜っ!いくいくいくいくいくいく、いきたぁ〜いっ!」

 雄叫びを上げたのはアスカである。
 ついでに彼女はぴょんぴょんと畳の上で何度もジャンプしている。

「これ、アスカ。お行儀よくしなさい」

「いくのっ、アスカ、ずぇったいにうみにいくんだもん!」

「もう、この子ったら。ごめんなさいね、洞木さん」

「いえ、うちの子も大はしゃぎで。みんなで海に行くんだって」

「みんなってみんな?レイちゃんも、シンジちゃんも、トウジちゃんも、ケンスケちゃんも?」

「ええ、仲良し6人組揃ってね」

「やったぁっ!ねっ、ママ、いいでしょ!いっていいでしょ!ねっ、アスカ、いくぅっ!」

 場所は晩御飯も終った、惣流家の一室。
 この家には洋室は一切ない。
 キョウコが来日した時、床が畳以外の部屋が台所しかないことに彼女は素直に驚いた。
 靴は玄関で脱いでしまうことにも。
 そんな彼女を見たトモロヲが洋室を作ろうかと提案したが、もちろんキョウコは即座に断った。
 これからは日本人として生きていく決意をしていたからだ。
 そして3年もこの家で暮らしていると、違った意識も生まれてきた。
 廊下や縁側、それに納戸などといった、板張りの場所に何となく愛着がわいてきたのだ。
 といってもそれが畳の部屋を忌諱することには繋がらない。
 畳の部屋もまたほっとする。
 勤めを終えて家に帰ってきたとき、台所仕事に入る前に、畳に座って無作法とは思うが足を投げ出す。
 そのまま背中を倒し仰向けになりたい気持ちを抑え、気持をリフレッシュさせ台所へと向うのだ。
 また正座の特訓には縁側の板敷きが有効だった。
 まるで拷問ではないかと思えたあの頃が懐かしい。
 逆にアスカは物心ついてからずっとこの純和風の屋敷に住んでいる。
 しつけの厳しいトモロヲと一緒に暮らしているだけに涼しい顔で正座もこなす。
 未だに長時間の正座が少し苦手の母親とは大違いだ。
 キョウコは法事の日が近づくと、ほんの少しだけ憂鬱になる。
 あの終りそうで終らないお経と、次に行く家に迷惑がかからないかと思うくらいの長話をする龍巌寺の和尚が恨めしい。
 さて、この日客間で話をしていたのは洞木ワカバである。
 夏休みに仲良しグループさんたちで海に行かないかという誘いだ。
 同席していたアスカはワカバがそのことを言った途端に舞い上がった。
 キョウコもそんな娘が可愛くて仕方がない。
 みんなに迷惑をかけないようにと注意をして送り出してやろうと考えていた。

 ところが、そこから話はキョウコの予想から大きく逸脱していったのである。

「ええっ、私が一緒に?」

「はい。ご父兄の方で一緒に行って頂ける方がいらっしゃらないのですよ」

 それは事実だった。
 その日帰り旅行に参加する子供は月の光幼稚園ひまわり組の6人組。
 レイはシンジを一緒にしてくれるなと思うだろうが、それを口に出すような子ではない。
 目つきには露骨に出してはいるが。
 そのレイの保護者は元気ではあるがもうおばあちゃんである。
 シンジの父親は何しろあの容姿でもあるし、何より泳げないらしい。
 ケンスケの両親とトウジの両親はともに働いている。
 しかも土日に休めない仕事だ。
 
「エツコさんもダメなんですか?運動神経抜群ですけど…」

「ええ、あの人ぴったりなんですが、ほら刑事さんでしょう?
 ドタキャンされたら子供達が可哀相じゃないですか?」

 なるほどそれはそうだと納得し、そしてキョウコは話し相手を見つめた。

「私?あ、ごめんなさい。うちの下の子はまだ手がかかるので…」

 洞木三姉妹の末娘はまだ1歳。
 確かに母親がついていないとダメだろう。
 となれば、ワカバが他の子供達の面倒を見ることはかなわない。
 もっともここでキョウコは見抜けなかった。
 洞木サクラの存在を。
 もう乳離れしているのだから、日帰りであれば彼女に末娘の面倒を見てもらえば済むことだ。
 
「う〜ん、で、残ったのが私、と」

「ええ、市役所のお仕事もお忙しいでしょうが、あの、失礼ですが非常勤なんですよね」

「はい。事前に申請しておけば一日くらい気軽に休めます。でも、それほど泳ぎに自信はないですし…」

 まずは謙遜である。
 ドイツにいたとき、川や湖、プールでキョウコはよく泳いだ。
 しかし、実は海は知らない。
 南ドイツには海は存在しないからだ。
 海は身体が浮くそうだ。
 どう浮くのか興味津々のキョウコである。

「ああ、大丈夫です。そっちの方は物凄い助っ人をお願いしてるんですよ」



 助っ人とは葛城ミサトであった。
 彼女は泳ぎには自信がある。
 水産学部にいたからというわけではない。
 彼女は海が大好きだったからだ。
 しかし学生時代ならともかく、今の境遇ではなかなか海にはいけない。
 園児用プールでは逆に欲求不満が募るばかりだ。
 だから、ミサトはこの誘いに大喜びで乗ってきた。
 これが洞木一家の謀略とは微塵も疑わずに。

 そして、キョウコも知らなかった。
 もう一人助っ人がいることを。
 これについてはワカバが話す事もないと判断したのだろうか。
 誰あろう、日向マコト巡査である。
 刑事と異なり、交番勤務の巡査はよほどのことがない限り決められたとおりの休みである。
 元より海行きのその日程はマコトの休みの日を基準にして決められたなど誰が知ろうか。
 知っているのはマコトと同じ交番勤務の老巡査だけだ。
 彼はサクラの提案に簡単に賛同した。
 マコトがキョウコに惚れていることは火を見るよりも明らかだ。
 だが彼の目から見て、どう見ても外国人でしかも離婚歴のある子持ちの女性など論外だ。
 ただし、これは後付の理由。
 見た目がつりあわないと判断しただけのこと。
 こうしてマコトも釣り上げられた。
 彼はミサトが参加することなどまったく知らない。
 アスカたちの日帰り旅行の運転手件用心棒件安全監視係という役どころに飛びついたのだ。
 もしかするとキョウコも来るかもしれない。
 例え来なくても好感度アップは間違いないからだ。

 サクラの謀略はここまではうまく進んでいたのである。
 だが、ここに人知れず恋のキューピットをもって任じていた女性がいたことは計算外だった。
 そう、鈴原エツコである。
 
 彼女は名刑事である。
 一見、武闘派刑事っぽく見えるのだが、長年第一線で捜査に携わっている所為か洞察力には秀でている。
 誰も気づかなかったキョウコのマコトへの想いを簡単に見破っているのである。
 そして彼女は可愛い後輩巡査のためにも二人の恋を成就させてあげようと思っているのだ。
 そんなところへ洞木ワカバから海水浴の企画を聞いたのだ。
 その時、彼女はピンと来た。
 昨日交番に通りかかった折に、老巡査の様子がおかしいと気になっていたのだ。
 最近マコトはどうかと話題にすると、アイツにも春が来ると彼はにやにや笑った。
 キョウコのことかと水を向けるとそんなことはまるでなさそうな感触だ。
 となればどういうことなんだろうかと…、いや彼女的には『どないなっとん?』であるが。
 そこへこの企画だ。
 大人はマコトとミサトだけ。
 なるほどそういうことか。
 噂には聞いていたが、洞木家のおばあさんは仲人をするのが趣味だとか。
 日向巡査と、あの幼稚園の先生もどき?
 目の付け所はいい。
 マコトのようなタイプの男性は年上の女性の方がいいのだ。
 だがその年上の女性の髪の毛は金髪でないといけない。
 (そんなアホな。年上やゆうてもなぁ、そん髪の毛は金髪や。金髪。金髪やないとあかんねん!)
 だが、その思いを言葉にするほどエツコは浅はかではない。
 取調べのテクニックを見したる!

「すんません。それちょっと片手落ちとちゃうやろか?」

 にこやかに、そして少しゆったりとした調子でエツコは火蓋を切った。
 母の計画を見事だと信じていたワカバはびっくりし、何故かと問い返す。
 かかった。
 内心、エツコはほくそ笑む。
 しかしそんなことはまったく表情にも出さずに、話を巧みに誘導する。
 弁護士が同席していれば誘導尋問だと看破されていただろうが、ここにいるのは普通の主婦。
 エツコの手管によって、ワカバはものの見事に洗脳されてしまったのである。
 つまり誰も父兄が一緒に行かなければ、その二人はゆっくりと食事をする暇もないんじゃないだろうか。
 それはあまりに可哀相だし、子供たちに何かあると彼ら二人に責任が押し付けられることになる。
 だが、知ってのように父兄はみんな仕事を持っている。
 唯一主婦であるワカバは赤ちゃんがいるからそんな場所で幼児の大群の面倒は見られないだろう。
 私が休みであればよかったのだが、その日は生憎と勤務だ。
 ここは非常に言いにくいが、惣流アスカちゃんのお母さんにお願いするしかないのではないか。
 何故なら、あの人は役所勤めだが非常勤で休みもとり易い筈だから。
 子供たちも父兄が一緒だと安心するだろう。
 ああ、一人だけ家で仕事をしている父兄がいるにはいるが、ワカバさんも会ったことがあるでしょう?
 ほら、シンジちゃんのお父さん。
 いい人だけどあの風体じゃ子供と海岸でじゃれまわれると思う?
 想像してみて?もしかすると、不審者だと思われて警察に捕まってしまうかもしれない。
 刑事の私が言うのだから間違いない。
 アスカちゃんのお母さんが一緒に行ってくれたら、私たちも子供たちも安心。
 日向巡査と幼稚園のあの女の人も少しはお喋りとかする暇ができるでしょう。
 うんたらかんたらうんたらかんたら。

 エツコのアパートを退出したときには、ワカバは完全にキョウコに海に行って貰わねばならないという強迫観念に囚われの身。
 その勢いで謀略の源である、母親サクラも説得してしまった。
 なるほど、それではお見合いにならない。
 行くべし。
 母の命令で、こうしてワカバは夜分惣流家を訪れたのだ。



 事態は今やエツコの手の中で踊りはじめていた。

 いい加減なように見えて、彼女は完璧主義者である。
 そうでなくては犯罪捜査は難しかろう。
 ワカバが自分の修正計画の通りに動いたことはキョウコへの電話で確認した。
 「ごんたくれをよろしゅう頼みまっさ」と外交辞令を言ったついでに…こちらが本題だが…、
 保護者のもう一人が誰だか知っているかと質問。
 「ミサトさん以外にいるんですか?」という答に彼女は爆弾を投げつけた。

「運転手や。それに女ばっかりやったら何かあったときに困るやろ。
 せやから、日向巡査が行くことになってるんやで。休みやさかいな」

 もしこれがテレビ電話であったなら、
 一瞬で真っ赤に染まったキョウコの顔を見ることができただろう。
 残念ながらエツコは見ることはできなかったが、それでも気配は察した。
 
「そ、そうですか。日向さんが一緒なら安心ですよね」

「そや、話は変わるけど、キョウコはんは水着はどんなん持っとん?」

 キョウコにとってその話題ならばまったく話は変わってはいない。
 当然、エツコも話を変えたつもりはない。
 それどころか、キョウコの覚悟を後押ししているのだ。
 
「私の、水着…!」

 水着姿をマコトに見せる。
 キョウコは2着しかない水着を思い返した。
 ドイツ時代に使っていた水着は処分している。
 今持っているのは来日して、アスカを市民プールに連れて行くようになった時に購入したものだけだ。
 どちらもワンピースで地味な色の水着である。
 急に黙り込んでしまったキョウコに、エツコは声に出さずに優しげに笑った。
 
「アスカちゃんに新しい水着買わんでええんか?子供はすぐサイズが合わんようになってまうからなぁ」

「そ、そうですね。水着買わなきゃ」

「あ、そうそう。幼稚園のことなんやけどな」

 エツコは話を本当に切り替えた。
 キョウコは子供ではない。
 水着の件は自分で考えるだろう。

 だが、エツコは知らなかった。
 マコトの高校時代の想い人が、葛城ミサトその人であったということを。



 夏休みがやってきた。
 海水浴は8月の2日を予定している。
 今日はお休みに入ってから2度目の日曜日。
 キョウコとアスカ、そしてレイは市内で一番大きいスーパーマーケットにいた。
 二階の水着売り場。
 そこにアスカはうんざりした顔で立っていた。
 何しろこの売り場に来るのはこれでもう5回目だ。
 アスカの水着は7月半ばの1回目に来た時に決まっていた。
 2回目ではアスカの新しい麦藁帽子を買った。
 夏休みに入って暇になりアスカと遊ぼうと家にやってきたレイともどもやってきた3回目では、
 「おばちゃんがレイちゃんの水着を買ってあげる」という展開に。
 4回目も「水着に合った麦藁帽子を買ってあげましょうね」と。
 ただし、子供たちのものを買うのはほんの5分足らず。
 後は大人の女性向けの水着売り場をうろうろと歩き回るのだ。
 15分もそうしていると、アスカが身体にぶつかってくる。
 「もうどっかいこ〜よ」と。
 そこでキョウコの悩める時間は終わりを告げる。
 思い切ってビキニにしようか。
 それともハイレグ?
 いやいや、そんな格好で挑発すれば彼に嫌われるのではないか。
 彼に好かれるにはどんな格好を?
 いやいや、好かれたらいけないんだった。
 私とあの人は結ばれてはいけない……でも、でも、でも!
 そんなことを考えながら水着売り場を彷徨うのだから、簡単に決まるわけがない。
 さすがに5回目ともなると、足を踏み入れただけでアスカはうんざり顔。
 
「ママぁ、もういっていい?」

「ええっ、まだ全然見て無いわよ」

「だって、もう…」

 アスカは指を折っていく。

「5かいめっ!」

「わたしは3かいめなの」

「そ、そうね、もうそんなに…」

 苦笑するキョウコはもうあきらめようかと思った。
 その時、アスカが偉そうに腕組みしながら言ったのである。

「レイちゃんとごほんのうりばにいってるからねっ。
 かえってくるまでにかってるのよ、い〜い?」

 その隣でレイもうんうんと頷いている。
 キョウコは二人の頭に手を置いて、そして膝を曲げた。

「ありがとう、二人とも。じゃ、あとで本を買ってあげる。選んでなさいね」

「しょぉ〜ち!」「わかった」

 明るく、大きく頷くと、二人は微笑みあった。
 それからばたばたと走り去っていく。

「うまくいったね、アスカちゃん」

「しっ、ママにきこえる!」

 走りながら喋っている子供たちの言葉はしっかりとキョウコの耳に届いていた。
 立ち上がったキョウコは腰に手をやり、ふっと溜息を吐く。
 
「やられた。でも、もう今度こそ決めないと…」

 そう呟くと、彼女は決意を胸に水着売り場に足を踏み入れたのだ。



 たっぷり30分後、アスカとレイは水着売り場に戻ってきた。
 だがキョウコの手には紙袋も何もない。
 思いつめたような表情であちらこちらのハンガーにぶら下がっている水着を手にしては溜息をつくだけ。
 その光景を見て、アスカは盛大な溜息を吐いた。

「ダメねぇ、ママは」

「どうするの?」

「ふふん、アタシがきめたげる。そ〜しないとごほん、かってもらえないもん!」

 アスカはずんずんと歩み寄っていく。
 その後をちょこちょことついて行くレイ。
 何しろ夏休みの日曜日の水着売り場。
 ごった返す人ごみの足元を目指して、颯爽とアスカは向かっていった。

「ママっ、まだなのぉっ!」

「あ、ごめん」

「もう、3じかんもまったのよっ!」 

「アスカちゃん。うそはだめ。30ぷんよ」

「それくらいまったよ〜なきぶんってことなのっ」

 ああ、それなら正しいとレイは頷いた。

「ごめんなさいね、なかなか決まらなくて」

「わかった、じゃアスカがきめたげる」

「えっ」

「レイちゃんもてつだって」

「うん、わかった」

「ま、まちなさい」

 5分後。
 キョウコはレジで会計を済ましていた。
 アスカとレイの選んだ水着を買ったのだろうか?
 とんでもない。
 アスカがこれだと言った、真っ赤なハイレグビキニ。
 レイがこれがいいと思うのと指し示した、真っ白なシースルーの…つまり乳首まで見えてしまうワンピース。
 キョウコは真っ赤に頬を染めて、悩んでいた水着を引っ掴みレジへと走ったのだ。
 いざ買ってしまうと、もう心はうきうきしてくる。
 2フロア上の本屋に行き、アスカとレイが選んでおいた本を購入する。
 なんと彼女たちはレジのおばさんにこれだという本を預けておいたのだ。
 絶対にすぐ戻ってくるから取っておいてねと真剣な顔で頼む幼女二人に駄目だとは言えまい。
 5分で帰ってくるからと言ったのに30分以上も過ぎて実は困ってたとおばさんは笑った。
 ごめんなさいとしかキョウコは言えない。
 その後、二人と喫茶店に行き、クリームソーダをご馳走してあげた。
 アスカはいつものように泡をグラスから溢れさせて、大慌てで泡を吸い込む。
 レイは慎重に少しずつクリームを削っていく。
 こうも性格が違うのに仲がいい。
 馬が合う、という言葉を思い出したが、この二人がそうなのかもしれないとアイスコーヒーを飲みながらキョウコは思った。
 さて、となると馬がアスカで乗り手がレイか。
 惣流家の畳の上をアスカが四つんばいになってその上にレイがちょこんと座っている。
 そんなイメージが沸いてきて、キョウコはくすくすと笑った。
 何はともあれ、散々悩んだ挙句ではあるが、おニューの水着は手に入れた。
 その日の夜、お風呂場で一人ファッションショーをした彼女はまるでティーンエージャーの如き表情であった。




『何よ、あれ。あんなの日本人じゃない。反則よ。酷い…』

 呆然と立ち尽くしているのはキョウコである。
 彼女の視線の先には葛城ミサトがいた。
 背の高さは二人ともそう変わらない。
 だが、明らかに胸の大きさが違う。
 確かにキョウコはドイツでスタイルに対してコンプレックスを持っていただけのことはあり、巨乳ではない。
 しかし、日本人の中に混じれば明らかに大きい方に見える。
 だが、このミサトに並ぶとどうだろう。
 間違いなく貧乳扱いされてしまう。
 ミサトが大きすぎるのだ。
 しかも彼女の水着は、アスカがこれだと指さしたものとそう変わらない、真っ赤なハイレグビキニ。
 その水着から零れ落ちそうなくらいの乳房には同性であっても息を飲んでしまう。
 スタイル良過ぎる……!
 幼稚園で見たときは水着ではなく、ホットパンツにTシャツだった。
 その時にもプロポーションが良さそうだとは思ったが、ここまでとは想像していなかった。
 これでは、私はまるで…ええっと、何て言ったかしら?そう、かませ犬じゃないの。
 かませ犬ってどんな犬かは知らないけど、意味はあってるはずよ。
 ああ、どうしよう。
 日向さんに比べられてしまう!
 来なきゃよかった、海なんて。

 

 ちょうどその頃である。
 50kmほど離れた場所では、エツコが蒼くなっていた。

「なんやて!あのミサトさんが日向巡査の片思いの相手やてっ!そんなアホなっ!」

 事情聴取の相手は頭がつんつるてんのお坊様。
 青葉シゲルである。
 ただし聴取と言っても街中で立ち話をしていただけだ。
 以前、友人だとマコトに紹介されたことがあり、面識があったからだ。
 だから最初は、今日は問題の海水浴だと笑い合っていた。
 ところがシゲルが問題発言をしたのだ。

「しかし、マコトのヤツも果報者だぜ。両手に花だ。
 しかもミサトさんと言えば、高校時代にずっと憧れていたダイナマイトボディ……」

 と、ここまで言った時に彼は胸倉を掴まれた。
 そして先ほどのエツコの叫びとなったのである。
 彼女はシゲルからすっかり聞きだした。
 マコトがずっとミサトのことを惚れていたこと。
 それに少なからずミサトの爆乳に魅せられていたことも。

「知っとるか?何カップや、ミサトさんは」

「今は知らないが、大学のときはE…」

「い、Eっ!」

 エツコは自分の胸からふた周りくらい上の空間を持ち上げる。
 大きすぎる。
 キョウコはどう見てもCカップか?
 その当時はミサトはマコトのことを相手にすらしていなかったらしい。
 しかし、今はどうなのであろう。
 もし、今交際相手がおらず、マコトのことを異性として意識したなら…。

「あかん!大ピンチや!」

「ええっと、刑事さんはマコトのことを知ってるんですか」

「知っとるわ。日向巡査はキョウコさんにラブラブやないか!」

「大丈夫ですよ。あいつはそんなに浅はかなヤツじゃない」

「そんなんわかるかい!目の前にそんなのぶらさげられたら、男なんかどうなるか」

 エツコは空を仰いだ。
 海がどっちの方角かはわからないが、ここは神や仏にすがるしかない。

「ちょっと、坊さん。あんたの神通力で日向巡査によからぬ思いが産まれんように何とかしてぇな」

 そんな神通力があれば、自分の恋愛を何とかしているわいとシゲルは己の無力さを嘆いた。
 だが、何かしないことにはこの女刑事はここから離してくれないだろう。
 シゲルは目を閉じて、合掌し、むにゃむにゃと経を唱える。
 それを見てエツコも彼に並んで手を合わせた。
 この思いが通じればいいのだが、実は二人が向いているのはあさっての方向。



 シゲルのお尻が向いた50kmばかり先。
 その親友マコトは進退窮まっていた。
 砂浜で6人のちびっ子を前にしてラジオ体操、それイチニイサン。
 それから注意事項の確認。
 これはワゴン車の中でも散々言ってきたことだが、マコトの性格では念を押さずにいられない。
 沖には出るな。必ず浮き輪をすること。その他諸々。
 そんなに言われると記憶するのはひとつかふたつだけ。
 ただ、彼がくどくどと注意をしているのは性格以外にも理由があった。
 着替用のブースからキョウコが出てこないからだ。
 ミサトの方はさっさと出てきて、子供たちと一緒に屈託なくラジオ体操に加わっていた。
 マコトはキョウコのことが気になるのが半分、そしてミサトを正視できないのが半分である。
 何故正視できないか。
 それは周囲の反応を見ればわかるだろう。
 周囲の男性たち。露骨にミサトの身体を注視する者。ちらりちらりと胸を見る者。
 ミサトの方を意識して一緒にいる女性に腕を抓られる者。足を踏まれる者。頬を引っ叩かれる者。
 悲喜こもどものプチ騒動を巻き起こしている意識はミサトにはない…わけがない。
 ちらりちらりと周囲に視線を送り、その男どもをあたふたさせているところがその証拠だ。
 マコトはそれら男どもの中で一番ミサトに近い場所にいて、それにもかかわらずできるだけそっちを見ないようにしている。
 彼も男だ。
 グラマラスな肉体に興味がないわけでもない上に、その肉体の持ち主は高校時代に思いを寄せていた女性だ。
 これが少しでも不真面目な部分を持っていて、それが自分で許せる男ならよかった。
 だが、マコトは生真面目なのだ。
 ミサトをそんな目で見ること自体が間違いだ。

 しかし、どうしてこんな海水浴にそんな際どい水着で来るんだ、この人は!
 それにキョウコさんはどうしたんだ!
 まさか、遭難?いや、もしかすると不埒な輩にかどわかされてあんなことやこんなこと……。
 ああっ、馬鹿馬鹿馬鹿!日向マコトの馬鹿!
 警察官の癖に変なことを想像するなっ!

 その頃、キョウコはようやく脱衣所から出てきた。
 ポニーテールとまではいかないが、金髪を後で一本に束ねている。
 そして、バスタオルをしっかりと身体に巻き、身体のラインをわかりにくくして。

 ああ、困ったなぁ。
 ずっとこんな格好をしているわけにはいかないわよね。
 きっと、日向さんはミサトさんに目が釘付けになってるわ。
 ああ、比べられたくない。
 だいたい、日向さんが来るって知ってたら私は…。
 うう〜ん、やっぱり来てたわよね。
 うわっ、あの人だかりってまさか…。
 いやだ、あんなところに行かないといけないの?
 あれって、きっとミサトさんが呼び寄せてるんだ。
 女王蟻?女王蜂?どっちだっていいわ、もう。
 はぁ、行けばいいんでしょ、行けば。

 コンプレックスの固まりと化したキョウコが歩み寄っていくと、それにつれて人垣が割れていった。
 当惑顔の美しい白人女性が歩いてくるのだ。
 ナイスバディの日本女性は期待の範疇だが、こんな地方の海水浴場で美人の金髪女性など現れるわけがない。
 それがしずしずと歩いてくるのだ。
 その時ようやく彼らはナイスバディの女性の周りにいるガキども(野郎視点)の中に白人の子供がいることに気がついた。
 あの子のお姉さんか?
 遠巻きのギャラリーたちは一様にそう思った。
 もちろん、彼らは一人で海水浴に来ているわけではない。
 仲間がいるということは会話も生まれる。
 キョウコの耳にもその会話が入ってくるのだ。
 おい、見ろよ。すっごい美人だぜ。ほら映画俳優の…なんだっけ、似てないか?あの子のお姉さんだぜ、絶対。
 現金なものだ。
 褒められると萎縮していた心が少しずつ膨らんできたのである。
 ふふふ、お姉さんだって。嬉しいこと言ってくれるじゃない。
 そこへ全てをぶち壊すアスカの叫び声が上がった。

「ああっ、やっときた!ママぁ、こっちこっち!」

 ざわざわざわ。
 この二人は親子であると周囲に認識されたが、それで評価が一気に落ちるということもなかったのである。
 ざわめきの中からキョウコの耳に届くのは、子持ちには見えない、いやだからこその色気だ、などという声。
 褒め称えられるというのは相手が誰であってもそれなりに嬉しくなるものだ。
 少しだけ胸を張り、でもバスタオルでしっかりと身体はガードしてキョウコはアスカの元へ歩いていった。
 待ちに待ったキョウコの登場ではあったが、いざ現れたとなると見ることが出来ないマコトである。
 だが、キョウコへの賞賛の言葉は彼に喜びなど与えはしない。
 逆に腹立たしくなるだけだ。
 そこで彼は声を張り上げた。

「じ、じゃ、海に入ろうかっ!」

「おおおっ!」

 賛同の叫びが一番大きかったのはミサトだった。
 その声に負けまいとさらに声を張り上げる園児たち。
 そしてミサトと子供たちは先を争うように波打ち際に走った。
 去っていくダイナマイトボディに誰ともなく「ああ…」という溜息が漏れた。
 残されたのは、マコトとキョウコの二人。
 いきおいギャラリーの目はキョウコに向う。
 その雰囲気にマコトは耐えられなかった。

「い、い、いきましょうっ」

「はいっ」

 少し上ずった声に、少々裏返ってしまった声が返った。
 もちろん手を繋ぐことなどできない。
 それにさすがにバスタオルを巻いたまま、海には入れない。
 まるでひまわりが花を開いたような派手なビーチパラソル…ミサト所有物…の下へ行き、荷物のところにそっとバスタオルを置く。
 その音、その雰囲気をマコトは背中で聞いた。
 ごくり。
 唾を飲み込む音がキョウコに聞こえたのではないかとひやりとする。
 バスタオルを取った途端にキョウコはまるで裸になってしまったような錯覚を覚えた。
 彼女はちらりとマコトの背中を見た。
 もちろん、彼は海パン一丁であり、そんな姿はこれまで見た事がない。
 キョウコは少し息を飲んだ。
 まあ、もっと華奢だと思ってたけど…、あ、そうか、おまわりさんだものね、鍛えられて当然か。
 この時、一瞬アスカの父である、あの男を思い出してしまった自分がキョウコは情けなかった。
 比べたりしてはいけない。
 でも、比べるのは仕方がないんじゃない?
 ほら、ミサトさんと私の身体を見比べるように…。
 そこに思考が戻るとまた恥ずかしくなってきた。
 キョウコは自分の身体、特に胸を見られまいと波打ち際ではしゃぐ子供達の方に駆け出した。

「待ってください」

 マコトを追い抜いた時、呼び止められる。
 彼女は息を呑んだ。
 何を言おうというのだ。

「ち、ちゃんと体操してからじゃないと…」

 キョウコは大きく溜息を吐いた。
 別に何を期待していたわけではないが、まったくこの人ときたら…。
 だが、その生真面目さがまた彼の好きな部分でもある。
 しかし、彼の目の前で、しかも水着姿で体操などできやしない。
 しかも日本の体操ってラジオ体操でしょう?
 あの大きく股を開いて蟹股になって…、駄目駄目、絶対にそんなことできない!

「大丈夫!」

 まるでアスカのように叫ぶと、キョウコはダッシュする。
 その時、マコトはようやくキョウコの姿を確認し、瞬きを忘れていた。
 これがキョウコさんの水着姿!
 生まれてきてよかった。
 そこまでの感動を彼に与えているなどまったく知らずに、彼女は波打ち際までやってきた。
 子供達はもうすでに腰の辺りまで浸かり、海水を掬っては手当たり次第に周りの友達にかけまくっている。
 引っ込み思案のシンジやおとなしいヒカリでさえみんなと同じだった。
 キョウコはそんな子供達を見て微笑んだ。
 そして、足首に打ち寄せる小さな波に指を触れる。
 濡れた指をぺろりと舐めてみた。
 
「わっ、本当にしょっぱい」

 顔を歪めて、すぐににこりと笑う。
 これが海なんだ。
 アスカも海は初めてのはずなのに、あの子はどんなことを思ったのだろうか。
 あのはしゃぐ姿を見ていると何も感慨など持たなかったような気がする。
 キョウコは腰に手をやり、アスカたちの姿をじっと眺めていた。
 その後、約3m。
 マコトは砂浜から動けなかった。
 水着の仕様など彼のような朴念仁にわかるわけがない。
 ビキニかそれと違うか程度だ。
 後ろから見るとビキニ、前から見るとワンピースだが、おへその辺りが少しカットされている。
 モノキニ&オープンフロント・ワンピースタイプと彼に教えてあげてもよいのだが、
 おそらく彼は“キョウコさんの黒い水着”としかインプットできないであろうから別にいいだろう。
 白い肌、すらっと伸びた脚、きゅっと持ち上がったヒップ、子供を産んだことがあるなど考えられない。
 腰はしっかりくびれているし、背中だって、肩だって、ああ、あのうなじ!
 息をすることも忘れ、彼はその後姿に魅入られたように惹きつけられていた。
 だが、その時彼の身体に異変が起きた。
 それを自覚するや否や、マコトは脱兎の如く砂浜を駆け出し、海へと突入した。
 腰まで浸かり、ぜいぜいと肩で息をする。

 ふう…、やばかった。
 トランクスにしておいてよかったよ…。
 あんな目で見てたって思われたら…って、見てたからこうなっちまったんだよな。
 おおぉ〜い、早く小さくなれよ、頼むから。

 日向マコト危機一髪であった。
 ただ、キョウコがその様子を見てしまったとしたら、彼が危惧したような感情にとらわれただろうか。
 もしかすれば、自分の身体に欲望を抱いてくれたと内心歓んでいたかもしれない。
 もっとも、表面上は「エッチ」と膨れっ面だっただろうが。
 
 キョウコとて男の生理を知らないわけではない。
 しかし、まさか自分でマコトがそうなったとは夢にも思わないし、元より彼のあそこの状況も知りはしない。
 だからこっちに背を向けて水平線を見つめている理由がよくわからない。
 わからないが、何故か彼の背中を見ていると心が熱くなる。

「キョウコさん、何してるのっ?」
 
 しみじみほのぼのしていると、いきなり背中にゴムマリが押し当てられた。
 そのゴムマリのすぐ上で囁くように叫ばれた言葉の主はミサトである。
 ということはこのゴムマリは彼女の乳房に相違ない。
 勘弁してよ、何この質感は。

「ミサトさん、ひとつ聞いていい?」

「ん?いいわよ、何でも訊いて」

「胸、サイズは?」

「えっと、9…」

「ああ、もういい、いいです」

 その時点で自分より8cmも大きいことがわかった。
 8cm以上の惨めさは不要。
 キョウコは慌てて答を遮った。

「ふぅ〜ん、いいの?」

 余裕綽々とはこのことか。
 ミサトはゴムマリをキョウコの背中から離した。

「あ〜あ、私もそんな水着にすればよかった。セックシーよねぇ、キョウコさんったら」

「ば、馬鹿なこと言わないで。私なんか…」

「ビキニなんか幼稚園のプールじゃ着られないから、つい昔のを引っ張り出しちゃったの。だからきつくってさぁ」
 
 ああ、はいはい。
 まだ大きくなってるの?羨ましいというか、やっぱり化け物?

「さあ、楽しみましょうよっ!ほら、アスカちゃんのお母さんに集中攻撃よ!」

「しょ〜ち!」「りょ〜かい!」

 すぐに返事をしたのはアスカとレイだけ。
 だが、攻撃は全員揃ってだった。
 四方八方から水を被せられ、悲鳴を上げるキョウコ。
 その悲鳴にマコトは振り返った。


 
 遊び疲れ、子供たちはパラソルの下でお昼寝中。
 ミサトは小麦色になるのだと少し離れた場所でうつぶせになっている。
 その少し前、サンオイルを塗って欲しいと彼女がマコトに(という意識はミサトにはなかったのだが)言ったとき、
 キョウコは即座に指令を出した。
   
「アスカ、レイちゃん、ヒカリちゃん、ミサト先生にオイルを塗ってあげなさい」

 「おおっ、おもしろそ〜」とまずアスカが飛びついた。
 幼児の小さな手で身体中をまさぐられ、ミサトはきゃっきゃっと嬌声を上げる。
 そんな光景を笑いながら眺めているマコトをキョウコは横目で見た。
 
 日向さん、あなたはオイルを塗りたかった?
 ミサトさんの身体に触りたかった?
 ごめんなさい。
 私はどうしてもそんなことをさせたくなかったの。

「なぁ、おばちゃん。なんであんなんぬるんや?」

 砂遊びをしていた男の子三人だったが、トウジが不思議そうな顔で質問してきた。

「うふふ、変よね、知らなかったら。あれはね、キレイに日焼けするためにしてるのよ」

「ひやけをきれいに?へんなの」

 ケンスケが不思議そうに言った。
 一番日焼けの薄いシンジでも日頃外で遊んでいるだけでかなり日焼けしている。
 おそらくこの3人は明日にでも一皮めくれることだろう。
 そのシンジがにっこり笑いかけてきた。

「レイちゃんはひやけどめだよね」

「そうね。あの子は色が白いから、日焼けが火傷みたいになっちゃうからね」

 キョウコはシンジの頭を撫でた。
 この男の子とレイとの確執はアスカから聞いている。
 だが今の言葉と表情からすると、どうもシンジにはその従兄妹に対する悪意も敵意もないようだ。
 何とかしてあげたいな、とキョウコは思った。
 二人ともいい子なのだから。

「そやけど、なんであんなべちゃべちゃのやつなんや?きもちわる」

「きもちわるいから、みさとおね〜さん、きゃあきゃあいってるんじゃないのか?」

「おばさんはぬらないの?」

 シンジの質問を耳に入れて、マコトは憤慨していた。
 キョウコさんは断じておばさんなどではない!と。

「私はいいの。日焼けしたら、真っ赤になっちゃうからね。
 レイちゃんと二人でUVカットを塗りあいっこしてるのよ。水着になる前に」

 胡坐をかいていたマコトは瞑目する。
 そして、矛盾した命令を己の身体に通達するのだった。
 その一、UVカットミルクを塗るキョウコさんの姿を想像せよ。
 その二、その想像に下半身が反応するべからず。
 無茶だった。
 よからぬ妄想に敏感に反応した局部を隠蔽するために彼はその場にうつ伏せになった。
 できるだけ自然に見えるように。



「ちょっと、シンジ。こっちにおいでよ」

 昼寝が終わり、また海に子供たちは駆け出した。
 一旦海に入ったアスカだったが、彼女はにやりと笑うとシンジの腕をぐいっと掴んだ。
 そして、このように囁いたのだ。
 素直なシンジは何の疑問も持たずにその背中を追った。

「アスカちゃん、どうしたの?」

「ちょっとそこまで。わすれもの」

 海の中に入っていけば注意するところだが、目的地がパラソルならばいいだろう。
 そう判断したマコトは二人から目をそらした。
 バナナボートに必死に取りすがっているレイとヒカリの方が大変だと思ったからだ。
 かくして、アスカの悪謀は幕を開けた。
 そのスケールはかなり小さかったが。

 アスカはパラソルの下、シートを少し捲って、そこの砂をせっせと掘り出した。
 シンジはよくわからないが、その近くに座って彼女の動きを見ている。
 そして、アスカは目的のものを掘り起こした。

「へっへっへぇ。みてみて、これ」

 得意げに差し出したのはミサトのサンオイルだった。
 これを私に塗りなさいと命令されて、シンジは途惑った。
 
「だって、これってミサトおねえさんのでしょ。いいのかなぁ」

「いいのいいの、ほらさっさとする」

「でもさ…。それにどうしてぼくなの?どうしてレイじゃないの?」

「しかたないじゃない。レイちゃんはひやけしたらあっちっちになっちゃうんだもん。かわいそうじゃない。ぬりっこするのは」

「ぬりっこ?って、じゃ、ぼくも?」

「とぉ〜ぜん!アンタ、アタシにさからったら……」

 アスカは首を捻った。
 適当な脅し文句が思いつかなかったのだ。

「ええっと、あれよあれ。そうそう、アタシ、このまええほんかったのよ」

「えほん?」

「そうっ!ぎこぎこしぃ〜〜〜〜っ。へっへっへ!」

「えっ、よみたいならぼくのをかしてあげるのに」

「うるさいなぁ。アタシはほしいものはぜ〜んぶアタシのものにするの」

 アスカはサンオイルをぽんとシンジに投げて、その場にすくっと立つ。
 顎を上げて、腰に手をやり、足を踏ん張る。

「アンタはアタシのめ〜れ〜ど〜りにすればいいのよっ!ほらっ」

 この時、アスカにはまだ羞恥心がなかった。
 だからシンジの目の前で、ぱっとワンピースの水着をもろ肌脱ぎできたのだ。
 最も下までは脱がずに上半身だけだったが。
 そして、シートの上にうつ伏せになると右手をくねらせて自分の背中をぽんぽんと叩いた。

「さっさとするっ。しないと…」

 思いついた。
 脅迫のネタを。

「おと〜さんのことみんなにいうわよ!」

「わっ、ダメだよ!するから!」

 慌ててサンオイルをアスカの背中に垂らす。

「ひゃっひっひいっ!くすぐったぁ〜いっ!」

「ご、ごめん」

「は、はやく、ぬりぬりしてよっ。きもちわるいよぉ」

「わ、わかった!うわっ、べちょべちょだぁ」

「くひゃっ、げへへへへっ、こ、こら、ばかシンジ、こしょこしょしないでよぉ」

「してないよぉ、ぬってるだけだよ」

「だってぇ、ひひゃひゃひゃ、がはははっ!」

 散々笑わされたアスカがシンジに報復したのは言うまでもない。
 殆ど使ってしまったサンオイルはミサトのバックのそばに置き、二人はまた海へと向った。
 それでもシートの上は零れたサンオイルでべとついていたが、これくらいなら大丈夫とアスカはたかをくくっていたのである。
 サンオイルを戻しておいたのだから絶対に大丈夫だと。

「なんか、ぜんぜんきいてないわよね、これ」

「うん。まだこそばゆいかんじ」

 共犯者たちは数時間後の惨劇を知らずに、手を繋いで仲良く海へ。
 ただし、証拠隠滅がずさんだったため発見が早く、大事には到らなかった。
 だが二人のおかげで予定よりも2時間早く街へと戻る事になってしまったが。

 

「あついよぉ、せなかがあついよぉ」

 上半身裸でシートにうつぶせになっているアスカ。

「アスカちゃんに、アスカちゃんにぃ」

 具体的にどこが熱いとは言えず真っ裸になっているシンジに、トウジとケンスケはうちわで風を送っている。

「こらっ、アスカ!早めにわかったからこの程度で済んでるのよ!」

「わ、わかったよぉ、もうしない、しませんから。なんとかしてよぉ」

 後でこんな騒ぎを起こされて運転席のマコトは気が気でない。
 助手席でミサトは携帯電話中である。

「OK、リツコ。じゃ、途中の薬屋さんでその軟膏買って二人にすり込んどく。
 もうっ、覚えたって。じゃ、言うわよ。ゼーレアウグスブルグファーマジャパンのアットマ…あれ?」

 ミサトは掌でマイクを塞いで、マコトに囁いた。

「ごめん。覚えて。忘れちゃいそう」

「わかりました」

「リツコ、もう一度お願い。ゼーレアウグスブルグファーマジャパンのアットマコゲラシオンゲル」

 マコトは口の中で何度もその薬品名を呟く。
 そして、覚えたとミサトにアイコンタクト。
 ミサトは拳を握ってガッツポーズをする。

「覚えたわ。そうそう、覚えたのは私じゃないから、大丈夫。
 わかってるって、あまり力を込めないように優しく優しくぅよね。
 はいはい。私じゃなくて、キョウコさんにしてもらいますよ〜だ。
 ああ、ごめんなさいって。何度言えばいいのよ。私が悪うございました。
 管理不足です。わかったわかった。あんたン家に直行するから。ほら、もう切るわよ。えいっ」

 親友と話をしている間は若干余裕のあったミサトだが、電話を切った途端に真面目な顔になる。

「聞いての通りよ。どこか薬屋さん見かけたら止めて。お願いね」

「わかりました」

「アリガトね」

 ぽんとマコトの肩に手を置いて彼女は優しく微笑んだ。
 その瞬間をワゴン車の後ろの席のキョウコが見てしまったのである。
 彼女は寂しげに笑った。
 二人が凄く自然に見えたからだ。
 キョウコは大きく息を吐くと、アスカのお尻を軽く叩いた。

「あなた、責任とりなさいよ。シンジ君、お婿さんにいけなくなったらどうするの?」

「とる、とるっ。なんでもするから、ゆるしてぇ」

「せきにんなんかとらなくてもいいわ、アスカちゃん」

「いやだぁ、レイちゃん。たすけてぇ」

 シンジ同様、アスカもレイとヒカリにうちわで扇がれていた。
 キョウコは自分の娘よりもシンジの方だ。
 何より彼の方が被害が大きい。
 まったく、幼児とはいえ海水パンツを脱がしてお尻にも塗るとはとんでもないことをする。
 前にまで塗ってなくて、まだよかったけど。
 キョウコは帰ったら、ゲンドウに平身低頭せねばならぬと覚悟を決めていた。

 こうして、マコトとミサトの非公式お見合い第一部は幕を閉じることになった。
 その夜、洞木家では二人がどうだったかヒカリを取り調べたが、
 いい子のヒカリは「ふたりともやさしかったよ」とだけしか報告できなかった。
 その時点でようやく、キョウコでなくワカバを同行させればよかったのだと気がつくサクラ刀自であった。
 ひとまず、エツコの作戦は成功したようだ。
 さて、その希代の軍師であるエツコは腹を抱えて笑い転げていた。
 息子からアスカとシンジのサンオイル事件を聞いて。









 
 
あっかちゃん、ずんずん 第十二巻 「あっかちゃん、海へ行くの巻」 −おしまい−
















(あとがき)

 第十二巻です。
 アスカたちは海へ。でも、私はあまり海水浴は詳しくありません。特に水着とかサンオイルとかは。
 小説ですからサービスはなしです。キョウコさんの水着姿は見てみたい気はしますが(おい)。
 本来ならアスカなど日焼け止めをしっかり塗っておかないと大変なことになっちゃいます。
 子供の過度な日焼けには注意しましょうね。

 2006.8.16 ジュン








はやあっかちゃん十二話です。
海ですね〜、夏ですね〜、いいですね〜。
なのに、掲載遅れてせっかくの季節感が…。すみませんすみません。
とまれ、水着が乱舞ですよ。ミサトのなんかダッダーンのボヨヨンボーンですよ!!(意味不明)
たしかに小説である以上、目に直接訴えるインパクトはないですがそれでも…むにゃむにゃ。


…ジュンさんがえっちだと思うかたは是非感想メールをお願いします(笑)





(2006/9/1掲載)


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