晴れ渡る青空は明るく澄み通り、大地に吹き溜まる澱みを全て吸い上げ浄めているかのようだった。

燦々と照り付ける真夏の太陽に焼かれながらも、その光の恵みを浴びる人々の笑顔は快活で翳りない。

街は、平和で活気に満ち溢れていた。

休日という所為もあるのだろう、通りには老若男女を問わず人間たちがひしめいている。

――第2新東京の繁華街。

こっちに来てから私が外を出歩くのは初めての体験だったが、都市の発展度で言えば、どうやらかつて住んでいた第3新東京市を上回っているらしい。

街は綺麗に整備され、道行く人間たちが疲れを癒せるように企図してか、所々にベンチが設えられ休憩所のようになっている。

私たちが今いるのは、そうした場所の中でも最も大きな広場だった。

赤い煉瓦に舗装され、中央では大きな噴水が涼やかに花を咲かせるその場所は、待ち合わせ場所としては最適らしく、数多の人間たちが時間を気にかけながら周囲を見回す姿が見られる。

その中で、我々三人は常とは異なる装いに身を固め、植え込みの陰に身を隠していた。

アスカは、纏めた髪を野球帽(ちなみにシンジの所有物だ)の中に押し込み、普段のシンジに近い装飾の少ない簡素な服を着込んで、さらに大きめのサングラスで顔を隠し。

私は、以前ミサトに買い与えられた枯葉色のコートと同じ色の帽子に、三角に尖った形のサングラスで完全に正体を消し。

そして、シンジは。

 

「いや……絶対なんか間違ってるよ、これ……」

 

涙を堪えるように震えるシンジの声が、呪詛のように背後から聞こえてくる。

しかし、アスカはそんなものなど全く耳に入っておらぬ様子で、目を爛々と光らせて周囲を窺っていた。

 

「さ〜て、加持さんとミサトはどこかな〜っと」

 

「お願いだから無視しないでよ!」

 

長い黒髪を模した帽子をかぶり、人間のメス用の衣服に身を包んだシンジの悲鳴じみた声が、周囲の空気を震わせた。

 

 


 

Dear My Family

(中編)


 

 

「うるさい男ね、あいかわらず。

 いつまでもぐじぐじ言ってんじゃ――」

 

煩わしげに振り返ったアスカの言葉が途切れる。

シンジの姿を見た瞬間、一瞬にしてアスカの表情からは険が消えていた。

代わりに浮かんだものは――笑い。

 

「――プッ……」

 

「わ、笑うなよなあ!」

 

爆笑するのを必死に堪えながらも肩を激しく震わせるアスカに、羞恥と屈辱で真っ赤に染めてシンジが噛み付いた。

まあ、シンジが怒り狂うのも無理はない。

ミサトを見送ったシンジの背後から襲い掛かり、無理矢理衣服を剥ぎ取り女装を強いたのは、他ならぬアスカなのだから。

しかし、事の張本人は顔を間近に迫らせたシンジの姿にますます刺激されたのか、遂に堪えきれず爆笑し始めた。

 

「あはは、ダメ、アップになんないで〜。笑い死にしちゃう〜」

 

鬼である。

涙目になりながら、と言うか半分泣きながら、シンジは懸命の口調で抗議し始めた。

 

「な、なんだよそれぇ!

 ひどいよ、僕はイヤだって言ったのにこんな格好させてさ!

 せめてズボンにしてくれればいいのにスカートなんか!

 しかもお化粧まで……友達に見られたら、僕もう学校行けないよ!」

 

「だ、大丈夫よ、絶対バレないから。

 ていうか似合ってる似合ってる。すっごいカワイイわよ、シンちゃん♥」

 

「うれしくないよ!」

 

そりゃあそうだろう。

私も一介のオスとして、シンジの気持ちは非常に良く理解できる。

しかし、アスカは反省の色など微塵も見せず、むしろ楽しそうに笑いながら殺し文句を口した。

 

「はいはい、いいから早いとこ加持さんとミサト探すわよ。

 NERVと学校に今のあんたの写真バラ撒かれたくなかったら、おとなしく協力しなさい」

 

「う……」

 

シンジは絶句し、そしてアスカに押し切られたときにいつも見せるように、色々なものを諦めた溜息を吐いた。

そう。

今朝も、この場に同行することを最後まで反対していたシンジを屈従せしめたのは、アスカがさっき口にした言葉だったのである。

話を持ちかける前に腕ずくでシンジの着替えを敢行し、予め脅迫材料を用意しておいてから交渉に入る。

そのアスカの手口は巧妙にして周到、そして残虐非道としか言いようのないものであった。

アスカの鬼畜ぶりと成す術もなくその犠牲となるシンジの姿に、私も涙を禁じ得なかった程である。

無論、私とて親友の窮地を黙って看過していたつもりはない。

救いの手を差し伸べてやりたい気持ちは山々だったのだが、それでは単なる自己満足、上辺だけの友情に過ぎぬ。

シンジの自主的な成長を促すため、断腸の思いでアスカの蛮行を見逃してやったのだ。

私が本気を出せば如何にアスカの肉体能力が高かろうと物の数ではなかった筈だが、心の友であるシンジのためだから仕方がない。

時には友のため、敢えて友の苦境を助けず成長を見守る。

それが私の提唱する、真・友情パワーである。

シンジも今は私を恨むかもしれないが、いずれ馴れ合いではない真の友情の尊さに気が付くであろう。

フッ。

……念のために言っておくが、喜び勇んでシンジの服を剥ぎ取るアスカに恐れをなして、物陰から震えて見ているだけだったなどという事実はない。

ないったらないのである。

…………本当ですよ?

ともあれ、再びシンジを屈服させたアスカは、最早後顧の憂いなど何もないとばかりにミサトたちの捜索に集中し始めた。

そして、不意に会心の声を上げる。

 

「あ――いたいた、ミサトだわ。

 加持さんはまだ来てないみたいね」

 

すかさず植え込みの陰に隠れたアスカに倣い、私とシンジもアスカの横に体を滑り込ませた。

成程、我々から十メートルくらい離れたベンチに、腰掛けて加持を待つミサトの姿が見える。

家の中で見せる半裸同然のふしだらな格好や、出勤するときに羽織る上着ではなく、今日は無数の慎ましやかな花の図柄が織り込まれた服を身に着けていた。

その姿に、酒に溺れ牛のようにだらしなく眠る自宅での様を連想させるものは何もない。

落ち着いた色調で纏められた衣服に包まれた彼女は、普段のミサトを良く知る私の目にさえ、穏やかで知的な女性であると錯覚させる。

周囲の人間たちの中にも、ちらちらとミサトの方に好奇の視線を向ける者が少なくないようだった。

 

「うお、すげえイイ女……」

 

「なにあの人、モデルか何かかなあ?

 めちゃくちゃ美人〜」

 

「スタイルいいよね〜。髪も綺麗だし。憧れるわ〜」

 

漏れ聞こえてくる囁き声に、私は確信する。

……皆、騙されてる。

家の中ではあのメスがどれだけだらしのない姿を晒しているか、ここにいる人間たち全員に見せ付けてやりたいものだ。

 

「ちぇ〜っ……。

 なによミサトのヤツ、澄まし顔しちゃってさあ。

 そんなのあんたに似合わないっての」

 

「クェッ」

 

頬を膨らませて呟くアスカの言葉に、私は迷いもなく肯いた。

このメスと気が合うなどなるべくならば避けたいところだが、今回ばかりは同意せぬ訳にも行くまい。

 

「あんまり顔出すと見つかっちゃうよ」

 

「ちょっとぐらいなら大丈夫よ。

 だいたい、見つかってもわかんないようにこうやって変装してきたんじゃないの。

 今のあたしは男のコにしか見えないし、あんたは女のコにしか見えないわ。

 加持さんならともかく、ミサトになんかバレっこないわよ」

 

そう言って、アスカは今の自分の姿を誇示するように胸を張った。

確かに、アスカだけ、あるいはシンジだけであれば、どんな変装でも発見される恐れはあるだろう。

しかし、二人そろって性別を逆転させてしまえば、却って元の二人を連想される心配はあるまい。

アスカからその考えを聞かされたとき、私は彼女の奸智に舌を巻いたものである。

況してや、完全に正体を隠蔽したこの私まで同行しているのだから、カモフラージュとしては一層効果的であろう。

しかし、シンジの表情から不安が払拭されることはなかった。

 

「それはそうなんだけど、その――

 ペンペンが、ものすごく目立つっていうか……」

 

「……ま、まあ、ペンペンは確かにね……」

 

む!? な、何故二人ともそんな目で私を見下ろすのだ!?

これ程完璧な偽装を施した私の姿に、いったい何の不満があると言うのだ!

憤然として抗議する私の嘴を、アスカは無常にも上下から挟み込んで無理矢理閉ざさせた。

 

「はいはい、わかったから騒がないでね〜、ペンペン。

 それでなくてもあんたちょっと人目ひきまくりなんだから」

 

……むう。細腕に似合わぬ何たる剛力。

この私の怒りの叫びを、溜息交じりに容易く封じ込めてしまうとは。

やはりこのメス、ミサトに次ぐ要注意人物である。

それにしても――そうか、私は目立っているのか。

言われてみれば、確かに先刻から、ちらちらと私に熱い眼差しを向けながら通り過ぎて行く人々が多いように感じてはいたである。

タンテイとかケイジとやらいう職種の人間たちが、対象者に気付かれぬよう尾行するときの格好と良く似た服装をしているから、人混みの中に埋没し注目を浴びることもなかろうと思っていたのだが。

――おお、そうか。

たとえどれだけ外見を取り繕い、地味に無個性に振る舞おうとも、生態系の頂点に君臨する温泉ペンギンたる私の存在感を覆い隠すことなどできはしないということか。

うむ、それは流石の私も気付かなかった。

全く、生まれながらにして備わった風格というのも厄介なものだ。ははは。

 

「……なんか楽しそうだね、ペンペン」

 

「めずらしく外に出られたもんだからはしゃいでるんでしょ。

 無邪気なもんだわ、ほんと」

 

「……やっぱり目立つよね、ちょっと」

 

「しょーがないでしょ、何度言っても残ろうとしなかったんだから。

 ペンペンも、ミサトたちのことが気になってるのよ、きっと。

 ね、ペンペン?」

 

嘴から手を離し、私の頭に手を置きながら、アスカは優しく語り掛けてきた。

……まあ、否定のできぬところではある。

今日行われるミサトと加持の密会の結果次第では、ミサトとアスカの仲がこれまでになく不穏なものとなるのではないか。

そう考えると、自分でも理解のできぬ黒い靄のような不安と危惧が胸中に湧き起こり、家の中でじっとしていることなどできぬ心持ちとなっていたのである。。

アスカがシンジにメス用の服を着させている間、私も自分の準備を済ませ、半ば無理矢理に彼女たちと一緒にここまでやって来たのは、そうした仔細あって故のことであった。

私としては、あのミサトの発情期の邪魔をするなど命が幾つあっても足りぬことだし、アスカほど積極的に妨害工作に精を出そうとは思っていないのだが――

まあ、それはそれとして。

……アスカよ、まるで赤子か小動物を扱うように私の頭を撫でるのは止めなさい。

気高き温泉ペンギンたる私にそのような振る舞いを――あ、そこを撫でられては気持ち好すぎてうっとりしてしまうではないか。

 

「あはは、気持ちよさそうだね、ペンペン」

 

「ほれほれ、ど〜お、ペンペン。うりうり〜」

 

うりうり〜じゃない。

コラやめろ、ダメだとゆーのに。

体がふわふわして――こ、このままでは……。

クェックェッ、クァ〜〜〜〜〜〜ッ………………。 

 

「あ――来たわよ、加持さんが」

 

――ハッ!

愛撫が止み、耳を打ったアスカの声で、私は我に返った。

ぬ、ぬう、この私を片手で忘我の境地へ追い遣るとは……。

途中、一瞬だが完全に野生に戻ってしまったではないか。

……でも、もうちょっとだけ続けて欲しかった気も――

とと、いかんいかん、高貴気随たる温泉ペンギンのこの私が、凡百のペットのように愛玩をねだるなど。

ま、まあ、どうしても私の頭を撫でたいと、アスカの方から願い出てくることがあれば考えてやらないこともないがな。

我を取り戻すべく頭を振って視線を向けた先には、軽く手を振りながらミサトに近付く加持の姿があった。

ミサトとは対照的に、しばしば葛城家を訪れるときと大して変わらぬ服装のままだ。

着飾ったミサトの傍らに立つと、明らかにアンバランスな印象を受ける。

遠目からでも、ミサトが眉を吊り上げ何事かまくし立てている様子が判った。

距離があるのと周囲の喧騒に呑み込まれているのとで何を言っているかまでは聞き取れないが、叱責に近い調子であることは明らかだった。

 

「……なんかいきなり怒られてるね、加持さん……」

 

「そりゃあ、せっかくのデートなのにあの格好じゃあね……ヒゲも剃ってないっぽいし……。

 気合入れてるほうがバカみたいだもん、ミサトじゃなくても怒るわよ。

 まあ、それでも加持さんはカッコいいんだけど♥

 あたしだったらあの格好で来ても文句つけたりしないのにな〜」

 

両手を胸の前で組み合わせ、熱っぽい視線を加持に向けるアスカ。

とろんとした瞳を見るに、熱で頭がやられてしまったのかも知れぬ。哀れな……。

と、突然素に立ち返り、アスカはシンジにじろりと白い眼を向けた。

 

「そーいえば、あんたもオシャレとか全然気ィ使わないわよね。

 持ってる服も全部普段着ばっかりだし」

 

「え……」

 

いきなり矛先を向けられて、シンジは面食らったようだった。

戸惑ったように眉を曇らせ、首を傾げる。

 

「う〜ん……まあ、女の子じゃないんだし、男がオシャレとか、あんまりする必要ないんじゃないかな」

 

「はあ? なにソレ? 鈴原のバカの影響?」

 

「いや、そういうわけじゃないけど………」

 

「あんた、まさか加持さん路線狙ってわざとやってんじゃないでしょうね?

 加持さんはモトがカッコいいからオシャレしなくてもそれがオシャレに見えちゃうの。

 あんたみたいに冴えないヤツは、オシャレしないとカッコよく見えないのよ?」

 

「そんなつもりないったら。

 ていうか僕、そういうの考えたことないし、よくわかんないよ」

 

もごもごと呟くように抗弁し、シンジは落ち着かなさげに頬を掻いた。

うむ、さすがはシンジ、我が心の友である。

外見に拘るような輩に大人物はいない。やはり大事なのは中身、心である。

外側を取り繕うより内面を研鑽し己を高めることこそ、真の魅力を獲得するために必要なことなのだ。

そんなことも理解できないとは、やはりアスカは愚か者である。

アスカは冷めた視線でシンジを見つめ、ぽつりと口を開いた。

 

「ふ〜ん……ま、いいけどね、あたしは別に。

 そういうのって嫌われるわよ、女のコには」

 

え!? そ、そーなの!?

ふ、ふん――まあ、メスにオスの精神の有り様を説くという行為自体、虚しいと言うことだな。

ちゃらちゃらしたメス風情に、真のオスの気高き毅さなど理解できぬのだ。

…………。

……ま、まあ、やっぱりちょっとは必要かもな、外見も。

オスとしてメスに嫌われちゃうのは哀し――いやいや、種の存続に問題が生じるからな。

子孫繁栄のためには、己の信念を曲げてでもメスに媚を売ることも必要だ。うん。

自分を納得させながら肯く私の傍らで、アスカはシンジから視線を逸らすと、不満そうに呟いた。

 

「ったく、せっかく素材はいいのに無頓着なんだから……」

 

「え?」

 

「な、なんでもないわよ、バカシンジ。

 それよりほら、加持さんたち移動するみたいだから、あたしたちも行くわよ」

 

頬を薔薇色に染めながら、シンジに向かって思い切り舌を突き出し、妙に慌しい挙措でアスカは立ち上がる。

アスカの言葉通り、いつの間にかミサトの小言は終了していたらしく、既にミサトと加持は連れ立って歩き始めていた。

一人ですたすたと尾行を開始するアスカを、私とシンジは慌てて追いかける。

近付きすぎず離れすぎず、適当な距離を保ちながら二人を追い続け到着した場所は、繁華街のただ中に聳える巨大な建造物――デパートだった。

私も第3新東京市にいた頃は、何度かミサトやシンジに連れて来て貰ったことがある。

様々な種類の店が一つのビルの中に収められ、バラエティ豊かな品揃えに見て回っているだけでも心が浮き立つような思いに囚われたことを覚えている。

うむ、ミサトと加持も中々に趣味が良い。

我々も危険を冒してここまで付いて来た甲斐もあったというものである。

連れだって中へ入って行くミサトと加持の背中を見送りながら、シンジたちが冷めた目で呟いた。

 

「久しぶりのデートにデパート、か……」

 

「節約デート丸出しって感じよね……。

 ミサトは普段から無駄遣いしてるからしょうがないとしても、加持さんのお給料も実は厳しいのかしら」

 

「大人って、僕たちが考えてるよりずっと大変なのかもね……」

 

何だか同情が混じっている。

……う〜む、どうやらシンジとアスカにはこの場所は不評らしい。

まあ、シンジもアスカも、デパートと言う場所の素晴らしさを理解するにはまだまだ人生経験が足りぬのであろう。

我々鳥類に譬えれば、羽毛も生え揃っておらぬ雛鳥のような若輩者なのだから仕方あるまい。

ともあれ、ミサトたちに続いて我々もデパートの入口を潜る。

開店後、そう時間が経っていないにも関わらず、通路沿いに立ち並ぶ数多の店は既に買い物客で溢れ返っていた。

うむ、この活気に満ちた空間、陳列された豊富な商品、これぞデパートの醍醐味である。

口ではあのようなことを言っていたアスカも、店内に入った途端、前を進むミサトや加持などそっちのけで、目を輝かせて周囲を見回し始めている。

自分も買い物に興じたいと思っているのだろう、体のあちこちがうずうずとしているのが判った。

 

「ねえシンジ、せっかくだからさ――」

 

はにかむような笑顔を浮かべ、目元を仄かに赤くしながらアスカが期待に満ちた視線をシンジに向ける。

――そして、シンジの姿を見た瞬間、その顔から全ての表情が消え去った。

やたらと白い目で、自分が腕ずくで拵えたメス姿のシンジを見つめながら、アスカはぼそりと呟く。

 

「――なんであんた、女装なんかしてんのよ」

 

「はあ!?」「クェッ!?」

 

心底から驚愕した私は思わず声高く鳴いてしまった。

人間の言葉に訳するならば、「なっ、なんだってーっ!?」といったところである。

事の張本人がそんなことを言い出すとは……恐るべし、アスカ。

殺人犯が被害者に向かって「誰がお前を殺したんだ」と嘆くようなものではないか。

 

「……今のは本気で怒っていいところだよね、僕……」

 

いや、冷静にそんな突っ込み入れてる前にまず怒れ、シンジ。

 

「あ〜あ、なんかシラけちゃった。

 真面目にミサトの邪魔しよっと」

 

「なんだよそれぇ、もう……」

 

全く以て訳が解らん。

解らぬがしかし、アスカの気紛れは今に始まったことでもないので、気にするだけ無為であろう。

シンジも、不満を面に露わとしながらも、それ以上アスカに追求するつもりはないようだった。

と――

 

「あ〜、見て見て、ママ! ペンギン!」

 

「!!」

 

甲高い子供の声がフロア中に響き渡ったのと、ミサトたちがこちらを振り返ったのと、アスカとシンジが私を抱えて柱の陰に滑り込んだのは殆ど同時だった。

私を挟み込んで抱き合うような姿勢になりながら、シンジとアスカは硬直して息を潜めている。

いや……こ、これはちょっと、苦しいのだが、二人とも……ていうヤバイって、潰れちゃう潰れちゃうヘルプミー!

私の嘆願も空しく、二人の口から安堵の溜息が漏れ、私を抱きかかえる腕の力が抜けたのは、十秒程も経ってからのことだった。

 

「「セーフ……」」

 

「危なかった〜……。

 もう大丈夫だと思うよ、気づかないでエスカレーターに乗ったみたい」

 

「ヒヤヒヤさせないでよね、もう……」

 

弱々しく呻くシンジたちを余所に、私は呼吸困難の苦しみから解放されて、喘ぎながら酸素を肺に掻き入れた。

 

「あ、ごめんペンペン」

 

「とっさだったもんだからつい――」

 

全く、何を暢気なことを言っているのだこの二人は。

私は危うく窒息死か圧殺か、碌でもない二者択一で最期を迎えるところだったのだぞ!

猛然と抗議の声を上げようと私は嘴を開く。

しかし、それに割り込むようにして聞こえてきた会話があった。

 

「おかーさん、あのおにーちゃんとおねーちゃん、チューしてるー」

 

「こらっ、邪魔しちゃダメでしょ!」

 

「「――!?」」

 

その瞬間、私の体は突然支えを失って、床の上に転げ落ちた。

シンジとアスカが同時に揃って手を離し、物凄い勢いで飛び退いたのである。

 

「ご、ごごごごごめん!

 そーいうつもりじゃなかったんだほほほ本当に!」

 

「わわわわわかってるわよそんなこと!

 不可抗力よね、うん不可抗力! ミサトたちに見つかるよりはマシだもん!」

 

折角ミサトたちをやり過ごせたにも関らず、妙に上擦った大声で、不自然なほど明るく、シンジとアスカは言葉を交わし合う。

お前たちには隠密行動を取っているという自覚がないのか。

と言うか、お前たちが謝罪するべき相手はお互いではなく別にいるだろう。

具体的には、お前たちの間で哀れにも横たわっているこの私辺りが相手としては適任だと思うのだが、どうか。

しかし、二人は私に見向きもせず、白々しいやり取りをやめようとはしなかった。

 

「そ、そうそう、とっさだったもんだからつい!」

 

「そうよね、ついね、ちょっと――ち、近づきすぎちゃっただけで――」

 

「だ、抱き合ってたみたいに見えたかもしんないけど、ペンペン見えないように隠してただけだし――」

 

「あの子のただの見間違いだもんねっ。

 だいたい、今のあんた女装してるからあたしがそんな気になるはずないしっ。

 あ――べ、別に女装してなかったらどうこうってワケじゃなくて!」

 

「わ、わかってるから大丈夫! オーケーオーケー!

 ぼ、僕だって男の子みたいな格好したアスカにそんな気になんかならないから!」

 

「そ、そうよね!

 そりゃあ、か――顔は、思ったより、近かったかも……しんない、けど……」

 

「あはは……」

 

「はは……は……」

 

良く熟れたトマトのように真っ赤になりながら、二人はわざとらしく笑い合い――

そして、妙な緊張を孕んで沈黙した。

ああ――これは、昨日と同じ状況だ。

この二人に独特の――少なくとも私の知る限りに於いてだが――、見ていて背中がむず痒くなるような居心地の悪さ。

完全に二人だけの世界である。

……ていうか、お前たち、もしかして私のことなんかどーでもいいとか思ってないか……?

完全に忘れ去られてしまったらしい私は、床に倒れたまま無念の涙を零す。

 

「クェ〜ッ……」

 

思わず嘴から漏れた悲痛な呻きに、シンジたちはようやく私の存在を思い出したらしく、文字通り飛び上がった。

 

「あ――ご、ごめんねペンペン」

 

「べ、別に忘れてたワケじゃないのよ?」

 

嘘だ。絶対忘れてた。

全く、偉大なる人生の先達に対する尊崇の念というものがないのか、お前たちには!

両翼を振り上げ、地団太を踏んで怒り狂う私に、アスカとシンジは顔を見合わせて苦笑いした。

 

「ペンペンも怒ってるみたいだし、早く加持さんたち追っかけましょ」

 

「う……やっぱり本当にやるんだ?」

 

「トーゼン!

 ここまで来てジョーダンですませるはずがないでしょ。

 ――Gehen!」

 

かくして――

我々の作戦行動は、始まりを告げたのだった。

 

 

◆続く◇











香さんから待望の中編です。ペンペンの心理描写でもうめちゃくちゃ笑える上に二人の微妙な距離感まで演出してしまう筆力に脱帽です。

前後編だとばっかり思ってましたけど、こんなに面白いの増える分には一向に構いませんよ、ええ。

今から後編楽しみですね。そこのあなたも応援メールを出しましょ?


香さんへの感想はこちらから〜。





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