笑顔で会えたなら
言葉はいらないね。

星なら空にある。
わたしは、ぼくは
ここにいる。







サクサクと白く染まった地面に僕の足跡が刻まれて行く。
一面真っ白に覆われた地面に刻み込んだ傷は、まるで僕が犯した証のような
そんな奇妙な錯覚を覚えて、少しだけ足取りが鈍る。
既に足の感覚は無くなって久しい。それでも足を進める、あの頂きを目指して。

サクッ、サクッ、サクッ、サクッ。

雪は音を吸い込む。
足音以外何も聞こえない。
重い空。
幾重にも重なる鉛色の雲。

サクッ…。

街を見下ろす小高い丘、その頂きに、ぽつり。

「ふぅっ」

足元は冷え切っているのに、コートの中に熱が篭る。
はぁっと大きく吐いた白い息が鉛色の空と白い野原に消えていく。

眼下に街がある。
僕らが生まれ育った街。そんなに大きな街じゃない。
街の外れに大きな研究所が昔っからあって、ここに暮らす人達は大体関係者らしい。
何を研究してるのなんかは知らない。別に知る必要なんか無い。
眼下に研究所。その先に街。山に囲まれた、今はただ静かに雪に沈む街。
きっと僕らは何だかんだでこの街の中でだらっと居座り続け、子供とか産み、消えていくんだ。
何となくそんな気がする。

ぼふっ。

雪野原に体を沈める。火照った体に心地よい冷気。

ゴォォォォ…。

見上げた雲の向こうから微かに音が聞こえた。多分飛行機かも知れない。
あの上には青空が広がっているんだろうか?

「行っちゃたかな?アスカ」

終業式が終わってから帰省するって彼女は言っていた。
いつもならきっと駅とか空港まで見送りにいったんだろう、幼馴染としては。

「新学期にはまた会える…か」

でも今日は、見送れなかった。
アスカと顔を合わせられなかった。
つまり僕は彼女から、逃げた。

「どんな顔して…会えばいいんだよ」


サクッ。


耳元で音。
はっはっはっ、と乱れた息づかい。
見上げると、微かに肩を揺らす赤いコート。


「やっぱりココだと思った」


居る筈の無い彼女が、居た。



































1.






「行ったんじゃ…なかったの?」
「何処かのバカのおかげで、ね」
「何だよ、それ」
「なんでもないわよ」

ぽふっ。
雪の中に赤いコートが沈む。

「あー、気持ちいい」

雪野原に赤と黒、大の字ふたつ。
重い雲がゆっくりと流れる。

「ねぇ、シンジ」
「…何?」
「なんで逃げたの」
「逃げて…なんか」
「嘘」

気がつくと傍らで僕を見つめるブルー。

「ねぇ、何で逃げたの?」
「…ごめん」

この瞳には、逆らえない。

「期末テスト?」
「…うん」



――シンジ!次の期末は絶対本気出しなさい!解かった!?
――はいはい。でも…いつも頑張ってるんだけどなぁ。
――甘すぎ!あんたの頑張りとあたしの頑張り、レヴェルが違うの!
――そりゃさ、アスカはいつも全力投球だけどさ。
――ああっもう!仕方ないわね!これから一ヶ月間あたしがみっちりシゴいてやる!
――ええっ!駄目だよ!アスカは自分の…
――うるさい!アンタくらい面倒見るのは朝飯前のお茶のこさいさいコイサンマンよ!
  それに口応えするのはあたしとタメ張るようになってからにしなさい。わかった!?
――…うわぁ、ひどっ。
――あーあー聞こえない、全っ然きこえんなぁー。


才色兼備。
そうよばれる事は多分、彼女にとって誇りなんだろう。
スポーツ万能。学力学年ナンバーワン。
あたりまえよ、そんなの余裕余裕。と彼女は何処吹く風でいつもこう答える。
アスカの言うとおり、僕は今迄何かに必死になろうとした事なんて無かったのかも知れない。
でも僕は知っている。それを維持する為にどれだけ彼女が影で頑張っているのか。
冷え込む夜中、参考書に顔を埋めて眠るアスカに毛布をかけながら想った。

始めてかも知れない。誰かの想いに応えたい、そう願ったのは。
そして僕は多分、アスカが言う所の“本気”になったんだと思う。

その結果が、これだ。

「そっか…だから逃げたんだ」
「…ごめん」
「別に怒ってなんかいないわよ」
「………」
「もしアンタが手抜いてコレだったら、もう口も利かなかったけどね」
「……うん」
「結果じゃないのよ。アンタがどれくらいやったか、一緒に見てたから、ね」
「……でも」
「まったく!次もコレ位やんなさいよ!そうすりゃあたしとタメ位張れるんだから!」
「…でもさ」
「ん?」
「その為に…アスカは」


今日、僕は見た。
通知表と一緒に渡された期末テスト、その順位表。
教室で散らばり各々集うクラスメイトの中にアスカを見た。
そして聞いた。

――どうしたのアスカ?珍しいじゃない、2番なんて…

その声に振り返る。

――あ…あはは、た、たまにはこんな時くらい、あるわよぉ!

彼女の瞳。鮮やかな筈のブルーがくすんだ。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ死んだ魚のように見えたのは、気のせいなんかじゃない。

「僕の…せいだ」

頭の中が白く弾けた。

「聞いてたの?」

ベルと同時に駆け出した。

「僕の、せいだ」

まともに顔が見れなかった。

「違うわ」

教室の中から遠い呼び声。

「僕に教えたりなんか」

アスカの声が遠ざかる。

「違う」

気がついたら丘の入り口に居た。

「僕の…僕のせいだ」
「黙れ」
「だってそうじゃないか」
「自惚れんじゃないわよっ!」

不意に起き上がったアスカが馬乗りに僕の襟を掴む。

「あんたのせいなんかじゃ無い!」
「僕と一緒に勉強なんかしなかったら…」
「違う!ちがうちがうちがう違う!」
「きっといつもみたいに一番だったんだ!」
「だまれ…黙れだまれだまれだまれ!」
「僕のせいだっ!」

勢い良く体を浮かすとアスカの体がぽん、と飛び跳ねる。
雪の中に跳ね飛ばされる紅いコート。
そして彼女を組み伏せる。

「僕を責めてよ!なんで責めないんだよ!」
「ふ…ふっざけんじゃ無いわよ!」

ガスッ!

後頭部から鈍い音。一瞬意識が飛ぶ。
多分あれはアスカのブーツのつま先。

ああ、しまった。そうだった。

ちっちゃな頃から取っ組み合いで
アスカに勝てた事なんか、無かった。

「馬鹿にするなぁ!」

ゴッ!

目の前に火花が散る。
ああ、駄目だ。本気のグーだ。
鼻に暖かい感触。
たぶん鼻水と、鼻血。

「同情なんか…するなぁ…」

ぽたり。
頬に暖かい感触。暖かく濡れる感触。

「アス…カ」

ぐしゃぐしゃになったアスカの瞳から零れ落ちた、涙。

「う…ぐううう…うううううううううう」

僕の襟を掴むアスカの腕。
僕の胸から聞こえるアスカの嗚咽。
雪に消えて行くその嗚咽を、僕はただ聞いていた。
何も出来ずに。






2.






くぐもる声が静かに消えて行く。
胸元に紅茶色の髪。
その向こうに鉛色の雲。
幾層にも重なるそれは、まるで手を伸ばせば届きそうな掴めそうな
そんな気がした。

胸元を掴む白い手から力が抜ける。
深く、深く息を吸い込む。

「アスカ、ほら」

コートのポケットからくしゃくしゃになったハンカチを取り出し
それ以上にくしゃくしゃな彼女の顔を拭く。

「…ん」

そのハンカチを掴み取り、自分で瞳と鼻を拭うアスカ。

「ん!」

拭いながら紅いコートのポケット、そこから彼女が差し出しすピンク色のハンカチ。

「いや、鼻血だと…染みが」
「んっ!」

言い終わる前、半ば強引にアスカが僕の鼻を拭く。
潤みが残る青い瞳。ほんの少しだけ取り戻した光。

「…そりゃぁ、ショックだったわよ」
「…うん」
「でもそれで、あんたに謝って欲しく…ない」
「そうだね」
「ねぇ、シンジ」
「ん?」
「精一杯、やった?」

深く、頷く。

「ならいいわ。それが聞きたかったの」
「でも…」
「でもじゃない!…あんたの精一杯でイーブンよ」

はらり。
紙片がはらり。
アスカの握る僕のハンカチからこぼれ落ちる。

「あれ?」
「あっ!?」

しまった。

「ちょっ!それ駄目」

それを拾おうと急いで手を伸ばす。

「甘いっ!」

拾った僕の手を掴む白い手。

「ちょ、ちょっと!」
「み・せ・な・さいっ!!」

腕ひしぎ!?いつのまにそんな技!

「ぎ、ギブギブ!タップ!タップだってアスカぁ!」
「な・ら・ば!見せなさいっ!」
「いやだぁぁ!」

雪の上で腕を力の限り伸ばされ、悶え掌から力が抜けたその瞬間を見逃さず
アスカの手がその紙片を奪い取る。その…期末テストの順位表を。

「あたしには見る義務があんのよ!今更隠さなくたって…」

言葉が止まる。
固まる時間。
雪の上に再び舞い降りた、沈黙。

「だから…見るなって、言ったんだよ」

そう、これが結果。
彼女を犠牲にして僕が手にしたもの。
記された数字。



“1/256”






3.






幼馴染だから意識しない。
そんなのは嘘だ。
この場所に来るたびに僕は強くそう思う。

ずっとずっと前。
アスカの泣き顔を初めて見た、あの日。

理由は注射。
痛かったらしい。
確か全市一斉予防接種の日だったと思う。

ぐずり続けるアスカの手を引きこの丘に登った。
街が見渡せるこの場所は僕のお気に入り。
嬉しい事や嫌な事、色々な事で頭が一杯になると僕はこの場所に来た。
研究所の裏手、抜け道からしか入ることが出来ないとっておきの場所。

――きれい…。
――でしょ?

そう。この場所はとっておきだ。
眼下の研究所、その先に街。
街が遠く彼方の山並みまで見渡せる場所。
空と街、僕だけのとっておき。

――もう、痛くない?

こくりと頷くアスカ。
繋いだ手から体温。
一緒に眺める景色。
気配を感じて横を向くと
潤むが眼が僕を見つめていた。

意識して覗き込む事の無かった瞳。
その青さに吸い込まれた。

その時から僕は、この瞳に囚われた。

家で、学校で、通学路で、公園で、そして秘密のこの場所で。
いつだって彼女のこの瞳をから目が離せなかった。
彼女の瞳に映る僕は、いつだって相変わらずの幼馴染なんだろう。
でも僕の目に映る彼女は、もうただの幼馴染なんかじゃなかった。

たぶんあの時、恋をしたんだと思う。
とっておきの場所で、とびっきりの女の子に。

目の色が変わる、という言葉がある。
医学的に言えば瞳孔の収縮、とかそんなものだろうか。
気のせい、思い込み、と片付けられるかも知れない。
難しい事は解らない。どうだっていい。僕だけが解ればいい。
くるくる変わるアスカの瞳。
僕を虜にしたその瞳。
鮮やかなブルー。潤んだ青。雨の日の蒼。
アスカの感情、その変化を僕はいつも瞳から読み続けた。
笑ったり、泣いたり、怒ったり。
彼女がどんな気持ちなのか、今では大体読める。

読める?

違う、自惚れるんじゃない。
そう思いこんでいただけだ。

「…シンジ」

ゆらり、とアスカが立ち上がる。

「シンジ」

読めない。

「シンジ…あんた」

見たことの無い、色。

「あんた…そうなんだ」

深い、深いブルー。

「あはっ…あははははは」



鉛色の重い雲は。いつの間にか遠く山並みの向うに消えた。
青空が広がるその下でゆらりと立ち上がり、僕を見下ろし笑う見た事の無い深い蒼。

例えるならば、夜の海。






4.






夕暮れの空が、雪をオレンジに染める。
遠く山並みに赤、その上に濃紺とゆっくり昇ってくる星たち。
空と雪の間、ゆらりと赤いコートが揺れる。

「あはははははははははは!」

赤いコートが笑う。
笑う、笑う、笑う。

「あははははははははっはははははっ!」

止まる笑い声。

「あんた、だから逃げたんだ」

見たことも無い色で、僕を見つめる瞳。

「だって、だって…そうだろ」

酷いじゃないか、酷すぎるじゃないか。

「あたしがまるで道化に見えた?」
「違う!」

そんなんじゃない!
立ち上がり、力の限り叫ぶ。

「僕が蹴落とした!アスカを蹴落とした!
 いつも一生懸命なアスカを、僕が蹴落としたんだ!」

その声さえも雪に吸い込まれる。

「あんたに何が解かるのよ」

胸倉を掴む白い手。

「解かるさ!」

その手を払いのける。

「悔しいだろ?憎いだろ…僕が」

深い蒼が僕を射抜く。

「憎い?」
「そうさ。自分の勉強時間を削って僕に教えたりなんかしなければ一番で居られた。
 なのに僕に時間を割いて、挙句の果てに…ああそうさ、僕がそれを利用して
 アスカを蹴落とした。好意を利用して僕は君を裏切った。憎いんだろう?僕が」
「そんな事…」
「あるさ!憎いなら僕を…責めろよ」
「ふざけんじゃ…」
「だったらなんでそんな眼をするんだよ!」

そんな見た事も無い色で。

「…眼?」
「そんな怖い眼、見た事…無い」
「怖い?」
「ああそうさ。僕はずっとアスカを見て来たからね」
「あんた…」
「でも僕はただ見ている事しか、出来なかった」

そんな自分が大嫌いだった。

「いつも余裕な振りして、でも人一倍負けず嫌いで。
 隠れて精一杯努力して頑張って。そんなアスカを僕はただ見ている事しか出来なかった」

だからいつまでたっても、ただの幼馴染。

「自分じゃ何も出来ない、いや、何もしない…もうそんなのは嫌だったんだ」

せめて君と並んで歩けるように。胸を張って。

「だから頑張った。それなのにこんな…こんな事に、なるなんて」

並んで歩くつもりが、追い越した。

「シンジ」
「僕がアスカを」

すぅ…と、深く息を吸い込む音。


「歯ぁ食いしばれ」


ごすっと鈍い音。
目の前に火花。

「やっぱりあんたは全然解かっちゃいない」

ゆらりと赤いコートが揺れる。

「今のあたしの気持ち、全っ然わかっちゃいない」

海の底の青が

「憎い?悔しい?馬鹿言ってんじゃないわよ」

まるで水面に上る魚の鱗のように

「やっと…やっと。
 もういいんだ、一番じゃなくて、いいんだ」

きらきら、きらきらと輝く。

「あんたが、シンジが、あたしのシンジが」

見たことも無い鮮やかなブルー。

「最高!もう最っ高な気分よ!!」

青い瞳の中に、僕。

「あはははははははははははははっ!」

白い雪の上をくるくると回る赤。

「このまま何処までも飛んで行けそうな、イっちゃいそうな気分」

彼女のブルーに写る僕の姿は、多分呆けているんだろう。

「何故あたしが頑張ってたか、解る?」

鼻血を拭う。

「それはアスカが人一倍負けず嫌い」
「あんたがいつも見ていたから」
「え?」

言葉が出ない。

「大好きなあんたが、見てたから」

呆ける僕の目の前で
青空のようなブルーが笑う。

「本当に…馬鹿、バカシンジ」





6.





夕暮れは山並みの向う、微かにオレンジの線を残して消えた。
かきん、と冷えてきた空気の中をきらり、と星々が瞬く。

「あの時からね」

瞬く星空の下で

「あたしもあんたをずっと見ていたの」

彼女が言葉を紡ぐ。

「あの日?」
「初めてココに連れて来てくれた、あの日よ」

小さな小さなアスカ。

「あの日、あんたが手を握ってくれなかったら」

そのままの眼で、少し潤んだ瞳で

「ずっと泣き虫のままだったかも知れない」

あの日初めて僕を虜にしたブルー。

「泣き…アスカが!?」

信じられない。

「悪かったわね」

泣き虫なアスカ。全然想像がつかない。

「あの頃、ママが入院した頃。独りの時はいっつも泣いてたわ」

僕は一体アスカの何を見ていたんだろう。

「不安で寂しくて悲しくて。部屋の中ベッドに潜り込んで声を殺して泣いていたの」

そう、思いこんでいただけだったんだ。
明るくて頑張り屋で強いアスカ、そのイメージをずっと。
あの日あの時泣いていたあの泣き顔。
それを些細なイレギュラーに置き換えて、記憶の片隅に押し込んで。
僕が理想とする型にアスカを当てはめていただけだったんだ。
本当は人一倍寂しがりやで泣き虫の女の子だったかも知れないのに。

「全然知らなかった」
「あったりまえでしょ!見せられるワケないじゃない」
「…え?」
「笑っていたかったの」
「それって」
「あんたの前じゃ、ね」

薄暗闇の中、雪で反射する光が照らすアスカの顔。
ほんの少しだけ赤く頬を染めるその頬。

「アスカ、あのさ」

僕の言葉に頷き、彼女が腕を伸ばす。

「シンジ。手、握って」

その手を、掴む。

「相変わらず冷たい手」

僕の冷えた手から伝わる彼女の体温。

「アスカの手が熱いんだよ」
「そう?」
「たぶん」

ふふっ、と微笑みながら見つめる瞳の中に僕が居る。

「わたしは、あんたに追いつきたかった」
「僕に?」
「そうよ。だから必死で頑張ったの」
「いやそんな、それは僕のほうが」
「わたしが追いつきたかったのは成績とか、そんなものよりもっと根っこの部分でよ」
「根っこ?」
「そう例えば、泣いている幼馴染の手を握ってくれる優しさ、とか」
「へ?」
「一番つらい時に、一番寂しくて悲しい時に、一番痛い注射を打たれて。
 そうやってぐずる女の子の手を引っ張り上げてくれる強さ、とか」

アスカがくすっ、と笑う。

「だって、泣いているアスカを放ってなんかおけないよ」

僕はただ、当たり前の事をしただけだ、それだけなのに。

「それがあの頃のわたしにとってどれだけ嬉しかったか、解かる?」

僕はただ、アスカの笑い顔が見たかった、それだけなんだ。

「わたしがナンバーワンにこだわったのは、今度はあんたをそこまで引っ張りあげたかったから」
「引っ張りあげる?」
「そうよ。あの日、あんたがわたしを救ってくれたように、わたしもあんたの手を引きたかったの。
 早くここまで来なさいよ、ぐずぐすしないで、ほら!…ってね」
「それじゃあアスカはその為に」

薄暗闇の中で輝くブルーが、きらきら、きらきらと輝く。

「だからもう一番じゃなくって、いーんだ!」

ぱっ、と手を離し、丘の上で廻るアスカ。

「あはははははははははははははは!」

雪の上で紅いコートが踊る。

「あはははははははははははははは!」

くるくる、くるくると踊る。

「あはははははははははははははは!」

くるくる、くるくる、くるくるくるくるくる……。

「あはははは……はははははははは……と、みーせーかーけーてー!」

呆気に取られ油断した瞬間。

「うおりゃあああああああああああああああああああああああああああああ!」
「うわぁっ!!」

ごすぅ!と頭の後ろあたりから嫌な音。
アスカの十八番、ローリングソバット炸裂。

「熱い!痛いよ後頭部!って何すんだよ、アスカ!」
「うっさい!心配させたおかえしよ!」
「こっちだってびっくりだったんだよ!まさか僕が一番だなんて!」
「ばーか!ばーか!ばーか!」
「馬鹿って言ったほうが馬鹿なんだよ、ばーか!ばーか!」
「ぬわんですってぇーい!」

紅いコートのボディスラム直撃。
雪の上でごろごろ、ごろごろと転がるアスカと僕。
さっきまでの些細で小さな小さな悩みを吹き飛ばし、笑いながら僕らは転がる。

ごろごろ、ごろごろ。
雪まみれで転がり、ぱたり、と止まる。
雪野原の上、大の字に埋もれる僕ら。

「…アスカ」
「…あによ」

息を整え、呟く。

「待たせて、ごめん」

透き通るようなブルーの中に、僕が居る。

「遅過ぎよ、ばーか」

再びアスカの手が、僕の手を握る。
その手を離さないように、しっかりと握り返す。

「星、綺麗だね」
「そうねぇ」

いつのまにか昇りきった星は、空の天井一杯に広がっていた。

「そういえば、さ」
「ん?」
「そんなに痛かったの?」
「注射?」
「うん」
「シンジはあの注射、何の為だったのか知ってる?」
「予防接種、だったっけ」
「子供から老人まで、一人残らず受けなければいけない注射なんて、あると思う?」

確かにそうだ。全市一斉なんてよほどの事が無い限り。

「ママが教えてくれたの」
「キョウコおばさんが?」
「この街がどういう街なのかって」

マバセ。僕らが生まれた街。
でもその名前は既に昔。
生まれ変わった街。
“第三新東京市”。

「実験都市ってママが言ってた」
「実験?」
「“物語の可能性を探る実験”って」
「…あ!」

思い出した。

「どうしたの?」
「関係あるかどうか解からないだけど」
「うん」
「昔、母さんが言ってた言葉を思い出したんだ」
「ユイおばさまが?」

“ヒトとヒトを繋ぐ紅い糸。それを見つけるのが私達の仕事”

「紅い糸、か」
「その為の“アルカ”と“タージエ”だって。
 母さんの言った意味、今も全然わからないんだけどね」
「アルカ…“アルカ・デ・ノエ”ね」
「確かラテン語で“方舟”って意味だよね。でもタージエって」
「中国語よ。“大姐(タージエ)”」
「大きなお姉さん…長女って意味?」
「“おばあさん”よ」

“方舟”と“おばあさん”。やっぱり全然解からない。

「仮想繁種実験“タージエ”。
 そのメインフレーム、“プロジェクト・アルカ”」

アスカが呟く。
夜の天井に昇りきった星達を見上げて。

「…え?」

彼女の握った手に篭る力。

「あの注射だけは、嫌だったの」






7.






星空の丘で座り込む僕ら。
星明り雪の上、繋いだ手から伝わる体温。

「はい」

アスカがおもむろに鞄を明け、中からマフラーを取り出す。
紅い毛糸のマフラー。

「これ…って?」
「ご褒美よ」
「ご褒美って」
「結果は予想以上だったけどね」

アスカが僕の首元にマフラーを掛ける。

「嬉しい…とても嬉しいよ」

手編みっぽい毛糸のマフラー。

「でも、長すぎない?」

その長さ、身長以上。

「こうするためよ」

言葉が終わる前にアスカが、ぐいっと僕を抱き寄せる。

「え」

ぐるりぐるりと紅いマフラーが巻かれて行く。
僕とアスカの首元をぴったりと繋ぎながら。

「ほら、あったかいでしょ?」

ふわりとシャンプーの香りが僕の鼻をくすぐる。

「いや、あったかいことはあったかい、けど」
「顔赤いわよ」
「アスカもね」
「あはは」

寄り添う頬から伝わる熱、そして吐息。

「あの注射はね」
「うん」
「サンプルを採取する為のものだったんだって」
「サンプル?」
「予防接種を隠れ蓑にしたDNAサンプル採取。この街に暮らす全てのヒトの」
「それが実験なの?」
「私達のサンプルを使って果てしなく続けられるもの。だから嫌だった。
 切り取られた欠片、そこから生まれるもう一人の自分が一体何に使われるのか。それを考えたら堪らなく嫌だった」
「僕らの欠片を使って、一体何を」

この街で暮らす人々全てのサンプル。
僕やアスカ、父さん、母さん、キョウコおばさん。
トウジやケンスケ、委員長に渚先輩。
ミサト先生、加持先生。
ご近所の青葉さん日向さん。
研究所の赤木さんや伊吹さん、そして冬月先生。

「ヒトのDNAには、生まれてから死ぬまでの情報が全て詰め込まれているらしいって話、知ってる?」
「確か生まれつきの病気とか、いつ怪我をするとか、調べると解かるらしいっていうやつ?」
「おとぎばなしみたいでしょ?」
「でもそれっておかしく無い?だって生まれつきの病気ならわかるけど風邪や怪我なんて事故みたいなものじゃないか。
 それがあらかじめ僕らを形作るDNAの中に入ってるなんて、そんな事あるわけないよ」
「もしそれが、あるとしたら?」
「そんな馬鹿な!僕らはみんな繋がっているとでも?」

見えない糸で。

「ヒトのDNAって大半が未だ解析出来てない部分が多いらしいの。それを“ジャンク(がらくた)”って言うんだって。
 でもねシンジ。個々のそれはジャンクに見えても、別の何かと繋ぎ合わせていくと、おぼろげに見える物があるとしたら」

糸は紅いらしい。

「例えば、一人分だけではただのジャンク。でも、もし周りにいる家族や友人、恋人とか関わりの深いヒトのDNAを
 一緒に並べながら調べていくと、まるでピースをはめ込んで行くように何かのパズルが完成するとしたら」
「それが、赤い糸?」

まるで血の色。

「もしくは神様が作った設計図。ママは“シナリオ”って言ってた」
「シナリオ?」
「物語の粗書き(シナリオ)」
「物語…って」
「ヒトとヒトが紡ぐ物語。この星の上で、ね」

僕らの眼下にまたたく街の灯。
僕らの暮らす小さな世界。
実験都市“第三新東京市”。

「それを調べれば全てが解かる、ヒト同士が紡ぎあって進む物語の未来、そして終末でさえも」
「終末って、そんな先の事」
「終わりの日が、案外近い将来だとしたら、どうする?」
「まさか…」
「それが物語の終着点、“オメガポイント”」
「世界が終わるって、そんな」
「それを回避する為にヒトは、神様が作り自分達に課した筈の“シナリオ”、その改変を試みるでしょうね」
「それが“アルカ”と“タージエ”って事?」

彼女は語る。
この街は、この星のヒト達が住む世界、そのテストモデルとして作られたのよ、と。

この街の人々全てのサンプルを解析しデータ上で再構築、それを擬似領域の世界“方舟”に流し込む。
“方舟”はひとつだけじゃない。何十、いや何千何万パターンのコピーを並行して展開。
無数に並べられる世界と言う名の横糸。そこに“イレギュラー”という名の縦糸を絡めて行く。
そこから編み出されて行く世界を検証し、干渉し、新たなるデータを抽出。それを繰り返し解析して行く。

アルカとタージエ。方舟と大姐。
“方舟”の中に詰った糸。紅い糸玉。その糸をほぐし巻き取り紡ぎ直す“おばあさん”。

仮想上のパラレルワールド。
その中で欠片から作り出された別の僕等は、笑い、泣き、愛し合い、憎しみ合い、共に戦い、殺し合う。

全ては、新しい世界の為に。

「シンジ、見て」

空一面に瞬く星々。

「あの沢山の星の中、もしもそれぞれにわたしとシンジが居るとしたら」

今にも降ってきそうだ。

「今、どんな物語を紡いでいるのかしら?」

雨の様に僕等に降り注ぐ星達の光。

「シンジの思った通り、本当にあんたを憎んだわたしが居るかも知れない」

満天の星空と対を成すように足元に広がる灯火。
研究所の灯り、その先に街の灯。山に囲まれた、静かに眠る街。

「嫌な世界、だね」

その地下でいくつもの物語が始まりそして、終わっているとしたら。

「ママからその話を聞いた時、泣いたわ」
「うん」
「もしも…今こうやって、ここで話しているこの世界も、実は“方舟”の中のひとつだったとしたら」

無数に散りばめられた世界。

「それを考えたらたまらなく、怖くなったの」

そのうちの一つだったとしたら。

「それでも、さ」
「それでも?」

降るような星の下で、アスカが僕に寄り添う。

「僕はアスカと繋がっていたい」

その肩を、僕は抱き寄せる。

「憎まれたっていい。泣いたっていい。それでも僕はアスカと関わっていたい」

一緒に居たいんだ。

「シンジを憎み、拒絶するわたしだったとしても?」
「つらいけど、悲しいけど、でもいいんだ」
「いいの?」
「いいよ」

僕は君と、ずっと。

「アスカは?」
「決まってるじゃない!」

言い放ってアスカがマフラーをぎゅ、っと締める。

「ぐえっ」
「我慢しなさい!」
「い、いきなり締めないでよ!」
「離さないから」
「え?」
「これはわたし達の紅い糸」

紅いマフラー。そこに込められた願い。

「離さないんだから」
「うん」
「あの日ここで握ってくれた手と、今、一緒に巻いたこのマフラーと」



耳元で、優しく囁く声。


ね…こっち向いて。


その声に頷き、振り向くと触れるお互いの鼻。

そして。
乾いた二つのくちびるを、重ねる。

冬の夜空の下、冷えた唇が重なる。
まるで小鳥が口ばしを合わせるように、何度も、何度も。
お互いの唇を、暖めあう。

「離さないんだから」
「離れないよ、絶対」

僕らはここに居る。
この丘に、この街に。
泣き笑いしながら廻る世界の上に、今日も星が降り注ぐ。
沢山の物語を抱いた星々が、まるで雨のように。

僕らを何処かで見つめる誰かの世界は
今何かが始まり、終わっているんだろうか。

笑ったり、泣いたり、憎んだり、愛したり。

世界は一つじゃないのかも知れない。
この世界自体、かりそめのものなのかも知れない。
誰かが見上げた星々の光、その一つなのかも知れない。

でも、いいんだ。

ぐるぐる巻きにされたマフラーから。
固くしっかり握り合った手のひらから。
お互いに暖めあった唇から。
僕らは体温を与え合った。
この温もりは、僕らだけのもの。

だから、いいんだ。

僕らは進む。今日から明日へ、明日から明後日へ。
曖昧な世界の、危ういリレーを繋いでいく。

例えまた、この握った手が離れたとしても
この体に刻んだぬくもりさえ忘れなければ
たぶん、大丈夫。

僕と君は、ここに居る。
この小さな世界の上で
また明日、笑顔で会えるさ。

きっとね。







“雨のように星は降りて”
-My god! it's full of the stars!-


Fin

























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あとがき劇場
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ずっと不思議に思っていた事があります。自分が書き手ではなく、読み手の一人だった頃。
例えば三只さまのお話を読ませて頂いて、シンジとアスカのいい感じな関係にほんわか心をあっためて。
そして次のサイトへ飛ぶと、何故かいい感じだった二人は正反対に憎みあってたり。
また、別のサイトへ飛ぶと、こんどはお互いの存在さえ知らず物語が進んでいたり。
次へ、別へ、次へ次へ別へ。リンクをどんどん進める毎に現れる違う世界。異なる関係。
面白い、ああなんて面白いんだろう。エヴァンゲリオンというお話、そのたったひとつの種から
世界がどんどん拡がっていく。作家さんの数だけ、無数に分岐して行く。
まるでホウセンカがその種を散らせていくように、タンポポが綿毛を飛ばすように。
ああ、なんて面白いんだろう。

三只さまをはじめ、この世界を作り続け、読み手を心から楽しませてくれる書き手の方々。
そして、一足先に世界を作り終えた方々。私にお話を紡ぐ喜びを教えてくださった全ての書き手の方々。
本当にありがとうございます。心から御礼申し上げます。
せめて精一杯のお返しが出来れば、と、このお話を作らせていただきました。ご賞味頂ければ幸いです。

まだまだ御礼足りませんが残念!
やはりシリアスモードは15行が限界のkazでした(。・ω・)ノ゙



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三只@管理人より


いやーこれは参りました。参った。降参です。
kaz神話の基幹に、kazさんのエヴァFFに対するスタンスがこれほど明確に記された本作、ウチなんかに頂いていいもんですかね?(笑)
まあ、尻込みしても失礼がすぎるので、サクッと解説をさせて頂きます。
事前に日記の1/9分、「kaz作品はカレー丼である!」を読んでいただければ、更に解釈は深まるかも。
(しかし、このエヴァFF考察も時間なくて書いてないなあ…)


さて、今作「夕凪」と似ているちょっとした異世界チックな始まりです。
そのまま背景設定が違うまま「普通にLAS」とも楽しめる作品なんですが、後半になるとややメタな展開に。
後書きでkazさんがおっしゃっているとおり今までのエヴァFF業界を、FFの変遷を言及されてます。
ええ、まさしく綺羅星の如く広大なネットという空にはたくさんのお話が光煌めいているわけで。
いつまでも中天に輝く星もあれば、やがて流れ落ちて姿を消す光もある。
また、わたしたちの手に届く光がリアルタイムでなくずっと過去に放たれた輝きであるかも知れません。
そして、超新星の誕生にも立ち会うことは可能です。(まさしくkazさんはこれに該当すると思いますが)
kazさんの心情と同じくして、わたしもこの「雨のように星が降っている世界」に生きていることを感謝します。


しかし、しかーし! この作品をkazさんが書かれている一連の「kaz神話」の一編と位置づけた場合、なかなかに興味深いものです。

・エヴァ本編を異世界として内包、そのうえで綴られた優しく悲しい物語「夕凪ナルコレプシー」

・正統AEOEの続編である「オールド・ファッションド・ラブソング」

・本編スーパーミキシング再構成「Kirke」& Kirkeアフター「崖っぷちカフェー」

・コメディチック時々ブラック混入Kirke風味「猫街慕情ハレ日和」

・世界を越えて神VS人間を描いた「E」

どれもネタに被りがないのはある意味凄すぎます。
また、上記作品と今作とは決定的な違いが。
それは、主役が、単一の異世界に想いを馳せることはあっても、今作のように複数の多重世界の存在を肯定することはなかったということです。
つまり位置づけるとすればプラットフォーム的な作品ですね、今作は。
既出の作品の根元であり基盤。または全てのkaz作品を結びつける一作です。
そしてなによりわたしが注目したのが次のくだりです。

「無数に並べられる世界と言う名の横糸。そこに“イレギュラー”という名の縦糸を絡めて行く。
 そこから編み出されて行く世界を検証し、干渉し、新たなるデータを抽出。それを繰り返し解析して行く」

もちろん、現在のエヴァFFのあり方を表現している文章ではあると思いますが、kaz神話においてはその「解析」の果てに何が生まれるのでしょうか?
これからも謹んで期待させて頂きます。


そういうわけで、kazさんに感想メールをお願いします。いや本当に。




(2006/3/30掲載)


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