あの人が好きだった銘柄

「あら、シンジくん。珍しいわね」
「はい?」
ネルフ内、自動販売機前。
コインを入れたシンジに横合いから声をかけてきたのは、リツコだった。
「貴方が煙草を買っているなんて…。私の記憶では一度もないから」
誰かに頼まれた?という質問に首を振り、
「ええ、ちょっと思うところがありまして」
「ああ、アスカに虐められたのかしら?」
喫煙の大きな理由の一つがストレス解消である以上、そういう推論も無理からぬ事ではあるが。
「いえ?そういう事はありませんよ」
「あらそう。…んー、それじゃ、何でかしらね…」
「はは…」











                                           by滑稽









咥え煙草でガーデニング。
それが彼の趣味だった。
「もう六年になるんだね…」
夕暮れ。
彼の墓前で妻と二人手を合わせ、その記憶を辿る。
実際に同じ場所に居たのは一年にも満たない。
そういう意味では妻の方が彼との記憶は濃いだろう。
「長い、わよね」
「うん。…長いよね」
「忘れない、って。そう心に決めた事も、少しずつ色褪せて行くのよ」
「ん…」
手を下ろし、空を見上げてふうと溜息をつく妻。
「今じゃ写真でもない限りあの人の顔を綺麗に思い出せないのよね」
「うん」
自分達には挨拶もしないで消えてしまった憧れの男性。
「でも、それはアンタと一緒の今が、あの頃よりずっと幸せだからなのよ」
「僕もだよ」
六年。
故人を思い出にするには、十分な時間だ。
そして素直ではない少女を素直な大人の女性に変えるのにも、内罰的な少年を物静かだが実直な青年に変えるのにも。
寄り添ってくる妻の腰を抱き、墓前に報告する。
「…僕達、この間籍を入れました」
「結婚しました、でいいじゃない」
「それもそうだね」
「アタシ達、幸せよ。これからも幸せだって言えるわ、間違いなく」
「僕も、幸せです。やっぱりいつも一緒だからですかね」
当然でしょ、と言う視線を向けてくる彼女に視線で返しつつ、
「僕達は、この幸せを護りたい。いえ、護ります」
「…見守っていてね」
彼が何故亡くなったのか、詳しくは二人とも知らない。突きつけられたのは結果だけ。
何かを成し遂げて死んだのか、それとも何も成し遂げられなかったのか。それすら判らない。
「知っているかしら?ミサトは日向さんと結婚したのよ」
「料理も出来るようになったんですよ。驚くでしょう?」
「女は男で変わるものなのよね。…アタシもそうだっていうのに、忘れてたわ」
柔らかく微笑む妻。
そういえば当時、彼女は明るく笑う事はあったが、こうやって微笑んだ事などあっただろうか。
聞いてみると、
「…覚えてないわねえ。あったとしても数える程だったんじゃないかしら?」
少なくともこんな平和な笑い方出来るほど満ち足りてなかったわよ、と。
どうよ、とばかりに胸を張る妻に、こちらも柔和な笑みで返した。
と。
「あら?アンタ煙草なんて吸ったっけ?」
「ああ、これ?」
胸ポケットに仕舞っていた箱に気づいたらしく、彼女が眉根を寄せた。
「いや、今日が初めてだよ」
「そうよねえ。…ヤニ臭いのは嫌いだし」
それは遠まわしに吸うな、という意思表示なのだろうが。
「今日だけだよ」
それも一本だけ。取り出して、火を点ける。
「…加持さんが好きだった銘柄でね」
そう言えば吸い方も彼に教わったのだ。
記憶にあるままに、口の中に煙を溜めて、ふうと吹き出す。
初心者が肺に溜めると咳き込むから気をつけろよ、と。
思い出そうとすれば、そんな注意事項まで鮮明に覚えている。
「なんとなく、ね。きっともっと覚えていなくちゃいけないような事があったんだと思うけれど」
こういうどうでもいい事だけは覚えているものだよ、と苦笑を漏らす。
「アタシにも一本頂戴」
応とも否とも返事するより先に、彼女がす、っと煙草を抜いた。
こちらの煙草から火を受け取り、大きく吸って、
「げっほ、ごほっ!」
噎せた。
「大丈夫?」
苦笑しながら聞くと、
「だ、だいじょぶ。…たしかこうやって火を点けるのが格好いいんだ、って」
けふけふと咳き込みながらも律儀に答えてくれた。
「アンタにしちゃ洒落たお供えよね。こうやって…二人して煙吹かすのも悪くないかもしれないわ」
そう、彼の命日くらいは。
「ふぅ…」
「はぁ…」
二人が一本ずつを吸い終わった頃。
少しだけ冷えた風が頬を撫でた。
「…そろそろ行きましょ、シンジ」
「また来年来ます、加持さん」
「もしかしたら一人増えてるかもしれないけどね」
「アスカ…」
「あら、ベビーの顔を見せるのは弟妹の義務だと思うわよ?」
くすくすと笑いながら歩き出す妻について、歩き出す。
「あ、だけど他の日の喫煙は禁止だからね?」
「君もね」
「とーぜん。キスが不味くなるじゃない」
「あのね…」



手向けられた花ひとつない墓石の前には。
二本だけ中身が抜かれた煙草の箱が一つ、そっと立てかけられていた。














滑稽さんから当サイトへ初投稿をいただきました。

全てが終わってから六年。戻ってきたものもあれば、戻ってこないものもある。
墓前に捧げるタバコを前に、二人が思い出すのは全て優しい記憶。
僕たちは決して忘れない。
受け継がれるもの。
新たに産まれるもの。
つまりは、これも幸せな結末ということでしょう。

滑稽さんご自身は超SSと仰ってますが、その見本みたいなSSですね。
どうもありがとうございました。みなさんも滑稽さんに感想をお願いします。







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