西暦2025年4月
オーストラリア
ティアドロップ・マイルストーン(旧キングス・キャニオン付近)
深夜 1:00 AM






目に見える光景すべてが満月の青白い光に照らし出されている。

周りには、民家は疎か、人工的な光を出すものとてひとつない。

幻想的といってもいいほど広大な平野が広がっている。


その中にひとつだけ人工的な建造物があった。

そこで、寝泊まりしている人々はすっかり寝静まっているのだろう。

灯りも落ち、物音も聞こえない。


そこからひとりの少女がそっと出てきて、空を見上げた。

幻想的な風景の似合う美しい少女であった。


腰までかかろうかという艶々した金髪。

美しく整った顔の少し灰色がかった碧い眼は理知的なイメージを、形のいい鼻と引き締まった口元は強い意志を感じさせる。

Tシャツとショートパンツというラフな格好が、肢体の優美さを際だたせていた。

ショートパンツからは、引き締まった形のいい脚が伸びており瑞々しい若さを主張している。

体つきはまだ少女らしさを残してはいるが、15歳とは思えない胸のふくらみとしなやかに細いウエストはもう十分に女性を感じさせる。

少女の可憐さと成熟した大人の魅力を併せ持っているのは思春期の女性の特権であろうか。


群衆の中でもまちがいなく人目を引くであろう容姿を持つ少女。

しかし、彼女の表情は憂いに満ちていた。







































少女は少し落としかけた肩を無理矢理引き上げるように大きく背伸びをして夜空を見上げた。

「わあっ。 綺麗な月。」思わず声が出た。

まわりに人工的な明かりのない澄んだ空にそれはあった。

どこも欠けていない真円。絶対の美。今の少女の目にはそう映った。

それは同時に自分には決して手の届かない存在。見上げていると吸い込まれそうになるが、その実、接近を許さない孤高の存在。


絶対的な美に対する憧憬。

そして、今日の自分の失敗に対する感傷。

両方の想いを抱く少女の瞳から、いつしか一筋の涙がこぼれ落ちた。

それを拭おうともせずに少女は月を眺めていた。

(みんなの前では涙を見せたくない。泣きたいことがあっても絶対泣かないって決めて今までがんばってきた。でも今はお月様しか見ていないから…泣いてもいいよね…)


彼女は近くの木箱をイス代わりにして自分だけの特等席を作った。

すらりと形のいい脚を行儀悪く組んでそれに座り込む。


時折、月に向かって手を伸ばしその手に掴むような仕草をしてみるが月をその手にできるはずもなく、彼女は気高く、そして少し無慈悲に見下ろしているかのようであった。


(そうだ…失敗したときのことばかり考えているから、気分が重くなるんだ。成功したときのこと、うれしかったときのことを思い出してみよう。)


彼女はこの地に来て一番うれしかったことを思い出していた。

それは半月ほど前のことだった。

月のない満天の星空の下で行われた撮影で、彼女の演技を監督以下、スタッフ全員が褒めてくれたのだ。


彼女はそのときのことを思い出しながら手を頭の後ろに組んでごろりと木箱の上に寝転がった。

冷ややかな笑みを浮かべながら目を閉じる。


「てっつがくうー」


演技と同時にセリフを言ってみる。

少しちがったかな?


監督のことばを思い出した。

(そうじゃない。からかうような中にも、仲間への優しさや共感の気持ちを込めて欲しいんだ。そういう表情を今オレは欲しいんだ。)

彼の真剣な顔がはっきりと思い出された。

もう一度、表情にいろいろな感情を込めて表現してみる。


「てっつがくうー」


自分なりのTAKE−2

まだまだ、あのときの演技にもおよばない。


彼女が深呼吸をして、TAKE−3をはじめようとしたとき背後から声がした。


「アリス。こんなところで何してるんだい。」


どきっ!!


『アリス』と呼ばれた少女はあわてて涙の跡をぬぐった。

脚をきちんと揃えて、座っている姿勢を行儀良く直す。


「何でもありません!ただ…月がすごく綺麗だなあと思って。」


口ヒゲとあごヒゲを蓄えたメガネの男が建物を出て笑顔でこちらに近づいてきた。

よれよれのTシャツ、短パンに素足のサンダル履きというその男は、近づいたときに少女の顔の涙の跡に気づいたが、敢えてそのことにはふれまいと考えた。


男は彼女の横に座った。

「よいしょっと。オレも月を見させてもらおうかな…おおっ!本当に綺麗な月だなあ。」


撮影のときは妥協を許さずオニのように厳しい彼の口調は今はウソのように優しかった。



5分ほどだろうか。ふたりは同じ月を飽きることなく眺めていた。

少女はときおりチラチラと男の横顔を見ていたが、ついに意を決したかのように話し出した。


「本当はわたし思ってたんです。」

「何を?」

「お月様になりたいって。」

「……」

「あんなふうに綺麗になれたらなって。」

「アリス、だれも月にはなれないよ。」

「でも、監督…」

「今は、ケンでいいよ。」

「あっ…はい、ケン。」


彼女は自分の思いをどうことばにしたらいいか迷っているかのように、少し俯いたまま話しを続けた。

「『伝説のヒロイン』って…どんな人なんでしょうか?だれもが見上げて綺麗だな、すごいなって思うけれども決してその手が触れることはできない遠い存在。まるであのお月様のように…今のわたしにはどうしてもそう思えて仕方ないんです。」

そう言うと彼女は膝に顔を埋めた。

男は少しの間考えてからことばを返した。

「…オレはそうは思わないな。人間だれしも同じ地面に足をつけて立っている。伝説のヒロインだって同じじゃないかな?普通の人と同じように泣いたり、笑ったり。少なくともオレの知っている彼女はそうだったな。ただし、アリスのように月のような存在になりたいと思って努力している人はいるかもしれないね。」

ことばを返した少女の身体は震えていた。

「…わたしだっていつも自分のベストをつくしてがんばっているつもりなんです。それなのに毎日毎日共演の方やスタッフのみなさんに迷惑ばかりかけて…最初からわたしにはあの人の役なんて無理だったんです…」

次第にことばとともに、感情が溢れだした。

「今日の撮影だってあれだけみなさんに助けてもらっているのに撮り直しだなんて。みんなわたしのせいなんです…怖かった…すべて忘れて逃げ出してしまいたかった。この役がもらえたときにはあんなにうれしかったのに…今はそれが重荷なんです。あの月の完璧な美しさを見てたらそんな自分が情けなくて、悔しくて…わたしは…」

後は頬を伝う涙でことばにならなかった。

ふだんはそんな悩みを微塵も感じさせないように笑顔を絶やさない少女。

どんな試練にもヘコまずに頑張る元気なアメリカ人らしい娘とだれもが思っていた。

しかし、その心の奥底には深い悩みがあった。

15歳という年頃にしてはしっかりしているとはいえ、彼女はこのメンバーの最年少のクルーなのだ。


男は、そこまで深刻に思い詰めていた少女の気持ちをわかってやれなかった自分を恥じた。

(何やってんだよ…オレは…)

撮影が始まってからの出来事が走馬燈のように男の頭をよぎった。

(いい画を撮ろうとそればっかり考えて、この娘の気持ちに気づいてやれなかったなんて…監督失格だ…)

思わず夜空に浮かぶ月を見上げた。

『アンタ、バカぁ?』

そんな声が月から聞こえてきたような気がした。

男は内なる声でそれに応えた。

『ああ、オレはやっぱりバカだよ。大バカだ。おまえのいうとおりさ‥あの頃から何一つ変わっちゃいない。

自分のことに手一杯で他人の気持ちをちっとも考えてやしないダメなヤツだ。

でもな!今のオレはバカなりに、この娘の力になってやらなくちゃならないんだよ!それが大人ってもんだろ!』


男は少女の肩に手を置いて優しく言った。

「アリス、オレはね。だれかのものまねに君を選んだつもりはない。君にならできる、君にしかできない演技をやって欲しいんだ。撮影の時のオレの言い方はきついかもしれない。要求していることも難しいかもしれない。でも、君ならできる。オレが保証する。」

そして、声に力を込めた。

「自信を持て!君は10万人の中から選ばれたんだぞ。それは10万人の少女の想いを引き継いだということでもある。これからもつらいことがあるかもしれない。でも、みんなで最後までがんばろう。君があきらめさえしなければ、オレもスタッフも月でもどこでも君についていくよ。」


「……」少女は顔を膝に埋めたたまま、ことばにならない声を出しながら頷いた。


木箱の上の二人の姿を月だけが眺める時間がしばらく続いた。


少女の涙が乾いた頃、彼女は顔を上げて小さな、しかし、しっかりした声で言った。

「ケンにそう言われると、なんだかホントに月まで飛ばせてくれそうな気分になっちゃいました。」

そんな少女のことばに男は優しく頷いた。


彼女は木箱の上からちょこんと男の前に降り立ち、天使のように微笑んだ。

「ありがとうございました…明日からもがんばります。」

男は両手の人差し指と親指でフレームをつくり、その中に彼女の顔をおさめた。

「最高の笑顔だ。それ、次の撮影までとっといてくれよ。」

「はい!まかせてください。」

男は親指を立てて彼女に笑いかけた。

「また、困ったことがあれば何でもオレに相談しろよ。」

小首を傾げて戯けたように言う少女。

「それは…相談内容をよく考えてからにしまぁす。」

彼女は小さく舌を出して、子どものように無邪気な顔をした。


「おやすみなさい。」

「ああ、ゆっくり寝ろよ。」


少女は仔鹿が跳ねるように宿舎の中に入っていった。


彼女が去った後、男は安堵の溜め息をついた。

「これでよかったのかな…少しはあの娘にとって力になってやれたんだろうか。オレも少しは人間として成長できたのかな。」


男は、再び両手の人差し指と親指でフレームをつくり、今度はそれをさっきまで見つめていた月に向けた。

知らず知らずのうちに男はつぶやいていた。

「惣流・アスカ・ラングレー……か。」

しばらく月をながめた後、男は想いを振り払うように頭を振ると、木箱を降りて宿舎の中へと入っていった。


全員、明朝も起床は早いのだ。








つづく









(2006/10/24掲載)


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