西暦2025年12月
日本
相模湾沖 新東京洋上国際空港 国際線発着場 11:00AM







新東京国際空港からマッカラン国際空港行きは、あと2時間ほどで予定通り出発というアナウンスが館内を何度か流れている。

アジア最大の巨大な空港のロビー。

多くの人々が行き交う中に少女は立っていた。


アリスのロングの金髪は今日はざっくりと編まれた濃紺のニットの帽子にすっきりと収められている。

薄い色のサングラスの下の目は落ち着きなく辺りを見回し、何度か腕時計に目をやる彼女は明らかに人待ち顔。


身に点けている大人っぽい芳香の香水は、先日3時間も懸けてあーでもない、こーでもない、と17種類もの香水を試着して思案した挙げ句、やっと決めて買ったエリザベスアーデン。

通りすがりの乗客が、ときどきくんくんと鼻を鳴らしていくのは、その匂いが強すぎるからであろう。

さっきから数えて3人目が鼻を鳴らしてちらりとこちらを見て通り過ぎて行くと、さすがのアリスも気づいた。

その乗客を横目で追いながら、冷や汗がタラリのアリス。

(ヤダ…さっきからみんなこっち見てるし…ちょっと香水点けすぎちゃったかなあ…くんくん。…そんなことないよねっ?)

…明らかに点けすぎである。彼女くらいの年頃ではよくあることだ。


しばらく後、群衆の中に見慣れたヒゲ面と濃い色のサングラスをかけた男の姿を見つけると少女の表情は、ぱっと明るくなった。

彼女はサングラスを顔から外して大きく手を振った。


「ケーン! こっち、こっち!」







































「ごめん、ごめん。ずいぶん遅くなっちまった。」

努めて大人っぽい微笑みを浮かべて男を迎える少女。

「ありがとうございます。わざわざ見送りに来ていただいて。」

駆け寄ってきた男は落ち着いたダークブラウンの色調で統一された彼女のレザーのジャケットとツイードのスカートを見ると、ほおっと溜め息をつきながら言った。

「今日は随分と大人っぽい格好だなあ。とても15歳には見えないよ。」

男は褒めことばを言ったつもりだったが、それを聞くとにこやかな少女の顔はたちまち不機嫌なものになった。

「ケン! わたしは16歳になりました。おぼえてなかったんですか!?」

「あ・・そうだったっけ?」

男の顔に明らかに『しまった』という狼狽の色が浮かんだ。

「 What are you STUPID!? 4日のクランクアップの打ち上げパーティの時にわたしの誕生日も兼ねてみんなでお祝いしてくれたじゃないですか!!」

「ああ‥そういやそうだったよな。」

ばつの悪そうな顔でことばを返す男。

「 Scheisse!! ケンは女性に対する態度を改めなくちゃならないと思うわ! いつまでも子ども扱いして!」

滑らかに口をついて出る罵詈雑言はこの1年の間というもの、1日も欠かさなかった彼女の真剣な役作りの成果といえた。


少女は年相応なふくれっ面で男をにらんだ。

スウェードの編み上げブーツが落ち着きなく揺れ、つまさきがロビーの床をぱたぱたと叩いている。

「う゛ーっ…」

よほど悔しかったのだろう、少し涙目になりながら不満そうに低い声で唸るアリス。

さっきまでの大人っぽかったおすまし顔はどこへやら、思案して買った香水の魅惑の芳香も全て台無しである。


(こういうところがまだまだ子どもなんだよなあ。そんなこと…とても言えないけど。)


「ああ…悪かった、悪かったよ。この太平洋よりも深ーく反省するよ。ごめん、ごめん。機嫌直してくれよ。…ところで。」

男は周囲を見回して、不思議そうな表情で少女に尋ねた。

「ところで、今日の見送りはオレだけなのかい?」


少しだけ機嫌を直した少女は、腕を組んでそっぽを向くと事務的な言い方でこう返した。


「ええ、みんな忙しそうだったから。もういいですよって言っちゃいました。クランクアップの時に十分お祝いしていただきましたから。それでいっちばんヒマそうなケンに代表をお願いしたんです。nice idea でしょっ!?」

「おいおい。酷いなあ。オレだってこれから編集が本格化するのに‥遅くとも5ヶ月後には最終版をあげなくちゃならないんだぞ。頭が痛いよ。」

「あーら、それはタイヘンですねー。ケンが日本で苦しんでいる間、わたしは一度、家に帰ってそれからのんびりバカンスを楽しみます。がんばってくださいねー。」

顔の横で小さく手を振りながら、天使のような微笑みを男に向ける少女。

「天使みたいな顔して悪魔みたいなセリフを言うねえ…そんな演技指導したっけ?」

「さっきのお返しですよ。 Are you beaten?」

「ああ、参ったよ。」


ひとしきり笑いあった後、男は静かに少女に話しかけた。

「故郷のマムに会うのはどれぐらいぶりなんだい。」

「半年ぶり…ぐらいかな。」

彼女は6歳になったばかりの頃から義理の母親に育てられた。実の娘以上に愛情を込めて育ててくれた女性のことをアリスはマムと呼んでいた。


彼女の実の両親はかつて、ともにアメリカのNERV支部に勤めていた。

エヴァ4号機を開発していたアメリカ第2支部に。

そして、あの日ふたりとも天に召された。


「アリス、初めて会ってからどれぐらい経つんだったっけ?」

「実は今日でちょうど1年です。早いですね…ふふっ。」

「んっ? 何かおかしいかい。」

「あのね、ケン。わたしオーディションで最初にケンを見たときのイメージは実はあまり良くなかったんです。」

「おいおい、酷いなあ。」

「なんか、monomaniacっていうか日本でいうとOTAKUっぽい人だなあって思って。ヒゲなんか生やしているからずっと年上かと思ったら、後で年齢を聞いたらビックリ!」

「これはなあ…‥監督をするにはやっぱり貫禄ってものが必要なんだよ。ただでさえスタッフのほとんどがオレより年上なんだから。この2年間はすごいプレッシャーだった。」

「ケンのがんばりはこの1年間で十分見させてもらいました。今では、そのヒゲ、ちょっと似合ってるかなあって思ってますよ。」

「こいつ、大人をからかうなよ。」

照れる男をアリスはうれしそうな顔で見ていた。

「あのオーディションからもう1年か。オレは今でもはっきりおぼえているよ。最終選考には君も含めて7人残ったんだったよな。」

「はい、7人でした。無我夢中であそこまでたどり着いたけど、正直自信はなかったです。他の子たちの方がずっと綺麗に思えたし、それに、いいところのお嬢さんみたいな人が多くて気後れしてました。神様にお祈りするぐらいに。今、思っても信じられないなあ・・なんでわたしを選んでくれたんですか?」

「君の瞳だよ。」

「瞳? わたしの?」

「ああ、君の瞳は誰にも負けるもんかってガッツがあったんだ。」

「いろいろと苦労してますからね。ガッツはお嬢さんたちには負けませんよ。えへんっ。」


彼女は得意そうに胸を張った。

「でも、それだけじゃなかった。」

「えっ?」

「最終選考のときに見えたガッツの裏にある、自分を見て欲しいという真剣でどこか哀愁を感じる瞳の色。その深い色にオレは惹かれたんだ。そして、今だから言えるがその選択は正解だった。君を選んで正解だった。」

「じゃあ、この瞳をわたしに授けてくれた天国の両親に感謝しなくちゃいけませんね。」


笑顔でそう答えた彼女の瞳はみるみる涙でいっぱいになった。

堪えきれなくなり目を閉じ、俯いた彼女の口が小さく動き、微かな呟きが漏れた。


「…パパ…ママ」


彼女は顔を伏せたまま太平洋の見える窓の前へ駆け寄り、そっとガラスに手を当て空を見上げた。

その先には両親が眠る祖国アメリカがあるはずだ。

アリスは、滲む視線の遥か先に浮かぶ雲を見つめた。

そこには優しかった両親が仲良く寄り添って微笑んでくれている…そんな気がした。

少女は小さく肩を震わせながら愛する両親に祈りを捧げた。


男はその背中を優しく見つめていた。

(ご両親も立派に成長した今の君の姿を見て喜んでくれているよ…きっと。)


今まで見守っていてくれていたことを両親に感謝した後、アリスは願った。

(パパ、ママ、お願いがあるの…今、わたしに少しだけ…勇気を与えて。)

アリスは窓の方を向いたまま、男に話しかけた。

「ケン、お願い。そのまま聞いてください。」

「何だい。」

「わたしの両親は使徒大戦の最中にこの世を去りました。だから、両親の仇ともいえる使徒を倒し世界を救ったエヴァのチルドレンはわたしの憧れです。中でもわたしの祖国アメリカの血を引くあの人は。」

「ああ。そうだったな。」

「幼い頃、両親を亡くしたわたしはエヴァ−チルドレン基金のおかげで学校へ行くことができました。だからこの1年間は、憧れの人の役を演じることとE−C 基金に恩返しをするという2つの目的を果た
せて本当にうれしかった。それは、わたしの人生の目標だったから‥」

アリスはゆっくりと振り返り、男の目を見つめた。

「撮影の時、ケンは彼女についていろいろと教えてくれました。そのひとつひとつをわたしは忘れずにおぼえています。」

「ああ…いろいろな話をしたよな。オレも昔に帰ったみたいですごく楽しかったよ。」


男は何か眩しいものでも見るような表情をした。


アリスは思った。

この人は彼女の話をするとき、いつもこの顔をする。

それはアリスにとってこれまでは演技の支えになっていた。

でも、今は…

「ケン…」

少し改まった口調になったせいだろうか。男は怪訝な顔をした。

「ん?何だい。」

アリスは両親の顔を思い浮かべながら、勇気をふりしぼった。

「今のわたしって…あの人と比べて…どうですか?」

自分の胸に手を当てながら、男に問いかけるアリス。

「何だよ、急に。」

男は笑い飛ばそうとしたが、彼女の真剣な瞳は彼をまっすぐに見つめていた。

それに気圧されるかのように歯切れの悪いことばを返す男。

「君と彼女を比べてって言われてもなあ…」

「お願いです。答えてください。」

男は困ったような顔をしたが、やがて笑顔でこう言った。

「君は立派に彼女の役をこなしたと思う。これ以上の演技は無理っていうぐらいに。感謝しているよ。」

アリスの顔に落胆の色が浮かんだ。

(わたしが聞きたいのはそんなことじゃないのに…。たぶん今のケンは編集のことで頭がいっぱいなのね。真剣に取り組んでいることを邪魔してまでケンに無理強いするのはフェアじゃないのかな? でも、今を逃したら、しばらくはケンに会えない…)


そのとき、マッカラン便の最終搭乗案内のアナウンスがロビーに響いた。

少し思案した彼女は名残惜しそうに男に話しかけた。


「じゃあ、わたしそろそろ行かないと…見送りはここまでで結構です。」

「気をつけてな。家に帰ったら、マムにしっかりと甘えろよ。」

「メールしますから返事はちゃんとしてください。」

「ああ。」

「忙しいと思いますが、毎回ちゃんとした食事を摂らないとダメですよ。」

「ああ。わかってるよ。」

「それから…ヘンな女性にひっかからないように気をつけて。」

「へっ?」


少女は男に駆け寄り抱きつくと、男の背中をぽんぽんと優しく叩きながら唇がヒゲ面の頬に微かに触れるか触れないかの仄かなキスをした。

男もその彼女らしい別れの挨拶に、少女の背中を優しく叩いて応えた。


身体をそっと離した少女は少し上気した顔を上げ、すっきりとした笑顔で男に言った。



「また会える日を楽しみにしています。」

「オレもだよ。元気でな。」


イミグレーションの前でアリスはもう一度振り返り、男の姿を記憶に残しておこうとするかのように見つめた。

(彼女はわたしにとってずっと憧れの人だった…でも、今のわたしはあの人に負けたくない。いつからこんな気持ちになったの? アリス…)


男は少女を見送りながら、感慨に浸っていた。

「小娘だと思っていたのに…いつのまにあんなに眩しくなったのかなあ…あいつ。」

どこか懐かしむような口調だった。


去りゆくアリスの後ろ姿には、彼にとって忘れる筈もない想い出の少女の姿が重なって見えていた。

「ああいういい女は昔も今もオレには眩しすぎるよなあ。」


少女が去った後、男は自分を鼓舞するかのように声を上げた。

「さあ、帰って編集、編集!これからキツイよなー。でも、世界中の子どもたちのためだ!がんばらなくっちゃな!!」








つづく









(2006/10/24掲載)


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