月曜朝7時。

『バカ親父』はソファーに鎮座する妻の支度に余念がない。
まだ暗い内から料理に洗濯にとコマネズミのように走り回っているのに疲れを知らない人だ。

TVを見ながら悠然と自慢の御髪をブラッシングして貰ってるのは自称『天才美女』。
もっとも彼女の友人達によると「てんさい」の字が違うらしい。

で、一々妻の耳元で『綺麗だよ』とか『愛してるよ』なーんて囁いてるから暑苦しいなんてもんじゃない。
設定温度を目一杯下げて最強にしてるエアコンが全く効いてないよ。

大体、そんなのは自分たちの部屋でやってくれってえの。
美容院にすらないどでかいドレッサーやら姿見があるんだから。

つーかさ、早く準備しないと遅刻するんじゃないの?
上司がそんな調子だから他の職員がしっかりしてるんだろうけどさ。



結婚して16年。
ほぼそれと同じ年月を経ている娘までいるのに、この夫婦は毎日ベッタベッタしている。
よくまああんなにくっついてて飽きないものだ。
30分ほど前に終わった朝食だってそう。

「ママ、あーん」
「パパ、あーん」
「もう毎日毎日…。いい加減やめんか、鬱陶しい!」

迸る魂の叫びと共に握りしめた拳をプルプルさせてると不思議そうな表情で見つめられた。

「何?
 ああ、ミクちゃんもして欲しいんだ!
 ゴメンゴメン。
 はい、あーん」

思っても見なかった仕打ちに一瞬たじろいだが、何事もなかったように黙殺してやった。
哀れ行き場をなくした完熟トマトの8つ切りは、隣に密着している天災美女の同じ色をした唇に飲み込まれた。

この家の主は絶対変だ!
いい年した娘に「あーん」なんてやるか?
そして、その妻。
朝ご飯前にどうしてルージュなんか塗るかなあ?
剥げるだろう!
お椀にもつくだろう!
洗うのは誰だと思ってるんだか、全く…。
どうせ出勤途中に車内で塗り直すんだろうけど、それって女として恥ずかしくないのだろうか。
『シンジのために何時も綺麗でいたいから』ってほざくのが火を見るより明らかだから、聞きゃしないけどさ。



悲しいことだが、これほど非常識な人間達でも親なわけで、子供に選択の自由はない。
今思えば、アレが拙かったんだろう。

 ♪うちのパパとママとは、いつも甘い夫婦
  ママはパパが大好き、パパもママが好きさ
  ママ微笑む パパ微笑む♪

ずいぶんとフザけた詞だが、こんな歌を堂々と幼稚園で教える教師もどうかしてる。
が、子供というのは刷り込まれた事象を現実にするが仕事だ。
だから舌っ足らずの言葉で日々言い続けていた。

「パパとママは、すごーっくラブラブじゃないとダメなんだよ!」

あれが元々砂糖漬けだった両親を深淵へと誘う直接要因。
結局、自分で自分の首を絞めてたんだね。
でも、仕方がないじゃない。
アレが普通だと思ってたんだもの。あの時までは…。



そう、確かあれは『つ離れ』する前、登校途中にトモエを迎えに行ったときのこと。
加持のおじさんが登庁するのに出くわした。
颯爽と玄関を出る彼の背後に人影はない。
それどころか、視界に入った家屋の内側にすら誰もいなかった。
子供心に浮かんだ疑問。

「おばちゃんはお見送りしないの?」

想像もしなかった問いに、彼に為し得たことは強ばった笑みを浮かべるのみ。
見る人が見れば男臭いとでも表現するのだろうが、子供心にも困惑しているのが分かる微笑だった。
それもそのはず、愛妻は見送るどころか未だベッドで惰眠を貪っていたのだから。

『パパとママなら3分は重なって離れないのに…』

洗い立てのシーツの如き純白な心を持った天使は、常に正直な気持ちを口にする。
例えそれが他人にとって邪だったとしても。

加持家(おじさんち)は『違う』の?」

NERV幹部職員の家庭だから普通でないのは間違いない。
が、一般的現状を理解していない不用意な発言は、男の苦笑を渋面に変えただけ。
『目は口ほどに…』というが、目前で苦虫を噛みつぶしていれば、誰だって不穏当な発言だと気づく。
年端もいかぬ子供だったとしても同じ事
『特殊』のは碇家(うち)なんだと朧気に認識した最初だった。



いつの間にかブラッシングが、朝のディープなキスに変わっていた。
あれ、絶対舌が入ってるよ。クチュクチュ音がしてるもの。

「はぁ…」

両親の痴態を眺める度に必ず溜息が出る。
『良くやる』というか『良く続く』。
どこの家も子供が大きくなると同時に止めるのに。

脱力しながら落とした視野に納めた腕時計の短長針が、洒落にならない時刻を伝えていた。
ヤバイ、ボーっと眺めてる暇なんてない。
さっさと出かけないと遅刻してしまう。
大声で「行ってきま〜す」と叫び、玄関を飛び出した。
悲しいかな「いってらっしゃ〜い」は今日も聴けず終いだった。



   



「はあ…」

終業のチャイムと同時に出る溜息。
休みの翌日は前日繰り広げられた家庭環境から生じるストレスで胃がキリキリ痛む。
その上、正課に組み込まれた無意味な補習が更なる倦怠感を生じさせる。
必須じゃなかったらさっさと帰ってるよ。
自慢じゃないが載っけて歩いてる脳味噌と身体能力は母譲り。
『インヴィンシブル・アルマダ』って渾名は伊達じゃない。

見慣れた放課後の教室は、苦行の終焉を喜ぶ安堵と、これからに期待する声に満ちている。
おー、みんな楽しそうねえ。羨ましいよ。
望んだ訳ではないけど、見栄えは良いので男女を問わずお誘いをよく受ける。
母譲りのボディラインのお陰で男からの誘いの方が多いんだけどさ。
でも、多い少ないはあまり関係がない。間違いなくお断りするから。

正直、仲のいい友達と連んでパーラー巡りやら、ウインドウショッピングと洒落こみたいの。
もっと欲を言えば格好イイ男とデートしたい。そりゃ相手はいないよ。
要するに、今この時しか存在しない『青春』というものを味わってみたいだけ。
心ゆくまで遊びたいのよ、マジでさ。

でも、現実はそうじゃない。
見えないレールが水平線の彼方までしっかり敷かれてる。
受験なんて無関係だけど、だからってそんなの嬉しい訳ないじゃん。
他人に人生を決められてるんだから。

ホントは逃げたいのよ。
でも、父譲りの従順な性格が周囲の期待を裏切れない。
あ〜、自己嫌悪。
『優等生』なんて看板、叔母様以外には似合わないのにねぇ。



左手首を返し小振りなピゲを見ると長針が78度、短針が186度。
この腕時計には数字がない。0時の位置に0.25カラットほどのダイヤがぽつんとあるだけ。
これでどうやって正確な時を知れと?
欲しかったのは計時装置であって400万円もするブレスレッドじゃない。

工芸品を学校にしていくのはどうかと思うけど、色々仕込んであるから外すと母から怒られる。
しかも叱責されるのはガードの浅川さん。
両親とは違い、他人に迷惑をかける行為は本意ではないから渋々愛用している。

つまるところ、あの人に頼んだのがそもそもの間違い。
『幼稚園の送迎用に車が欲しい』との義娘の言に、メルセデスのリムジンを運転手付きで寄越す爺さんが、
ただの腕時計を渡すわけがない。
次は自分の小遣いで買ったものをベースにしてくれるようリツコさんにお願いしよう。
ベルトが傷んだだけで修理代150万、修理期間半年を費やすような特注品は小娘に釣り合わないよ。



あっと、急がないと遅れちゃう。
結果、帰宅時間が倍の遅さになって帰ってくる。
そんなのは真っ平ゴメン。

あたふたとリニアの改札を小走りに抜けると、ずらりと両側に並ぶ異様な列。
駅員が一斉に2時30分の角度に腰を折り微動だにしない姿が視界に入る。
あっちゃー、またか…。

いわゆる『最敬礼』。
毎度のことだが、通行人の何事かという視線が胸に痛い。
律儀に肱を張って答礼する浅川さんの隣で、軽い会釈でお茶を濁しながら走り抜ける。
だって構っている暇なんてないもの。
ダッシュで誰もいない車両に乗り込み、やっと落ち着くことができた。



駅に関わらず、どこでもあの手の歓待を受ける。
VIP待遇は望まないが、存在自体が『特別』だから我慢している。
小学校から優に6年はこの生活を続けてるけど、全く慣れない。
『そのうち何とも思わなくなる』というセリフは精神的不感症なママだから使えるの。
それをバカ夫婦に言ったら、あろうことか

 「ママはとっても敏感なんだよ〜」
 「いやーん、パパったらぁ…」

と即座に独自の世界を展開され、開いた口が閉じられなかった。
以後、その話題は二度としてない。



15分ほどして終点に着くと、改札兼用のゲートでIDカードと声紋チェック。

"Center Control,EVA06. Request to admission."
"Cleared. You can enter No.26."
"Roger."

あー、面倒くさ。日本だよ、ここ。
いくら国連の一機関だからって、英語の必要ないじゃん。
庁内(なか)じゃみんな日本語なんだから。
どうせ見た目が格好良いからって理由で爺さんが決めたんだろうけど、迷惑だよ。

ブツブツ言ってると浅川さんが苦笑いしてた。
この人も災難だよね〜。
一所懸命な対象が16の小娘だなんて。
せめて憂い顔の美少年だったら彼女も張り合いがあったろう。
ショタじゃなくても男の方がいいに決まってるし。



指定された入口からNERVご自慢の超高速エレベーターで目的地へ。
三半規管の弱い人なら立っていられないくらいの速度で、文字通り『落下』する。
あのミサトさんでさえ『最初に乗ったときは腰が抜けた』らしい。
漏らしそうになったとも聞いた。
それくらい怖いんだ、これ。

30秒ほどでブレーキが掛かり、静止すると同時に音もなくドアが開く。
そこは『天国』。いや墜ちてきたんだから『地獄』か。
見て、見て!
角を2本生やした鬼が怖い顔して立ってるよ。

「碇ミク、到着しました」
「遅かったじゃない」
「補習です。抗議は教師にしてください」

直立不動で申告すると、やれやれという顔で頷かれ、顎で軽くあしらわれた。
そこら辺にいろってことね。



彼女専用にカスタマイズされた深紅の第2種軍装。
娑婆とは180度、いや540度くらい異なる態度。
副司令兼作戦本部長碇アスカ一佐は今日も凛々しいお姿でマップルームに君臨している。

一方、司令塔で表情を殺しつつ階下を睥睨するのは、父。
どっしりと椅子に座り、口の前で両手を組むポーズは爺さん譲り。
♪会社のパパは漢だぜ♪
という歌があったけど、娘の前で醜態を晒しているバカ親父と同一人物とは到底信じられない。

家庭で『異質』、会社では『特殊』な両親。
尤もかく言う自分も、世間では『希有』な人間の一人に分類されるんだけどね。

『適格者』

厳めしい単語は、世界で7人のみ許される尊称。
実体はプライバシーというベールに包まれて、余り公表されていないけど、後6人いるわけだ。
そのうち5人が親族というのは、かなり作為的なものを感じる。
他にも前司令、現司令、上級職員の殆どが碇家に何らかの関わりがある。

国際連合直属の特務機関が、実は同族経営だなんて世間様に知れたら何と言い訳するんだろう?
ああ、だから秘密なんだ。ばれたら何言われるかわかんないもんね。
守秘義務というのは有り難いもんだ。



本部長席すぐ側の端末の前で肘をつきながらうたた寝してると、画面に白衣姿の金髪がぬっとポップアップしてきた。

「EVA06、技術二課長室に出頭しなさい」

モニター越しの額に浮かんだ青筋が怖い。
そういや、真っ先にそこに行くように先週言われてた。
ハハハ、行きたくないからすっかり忘れてましたよ。
仕方なしに生返事を返し嫌々牛のように進んでいると、さっさと歩けとばかりに鬼が睨んだ。



鳴らしたインターフォンに「どうぞ」と答えるのは、技術顧問の若かりし頃を彷彿とさせる美人。
染めた頭と白衣は瓜二つなんだけど、違いは眉まできっちり染めていることか。
この人には小さい頃よく遊んで貰ったんだけど、苦手なんだよね〜。
一々言うことが細かいし、小言も多いんで煩わしいんだ。

「遅かったわね。道にでも迷ったのかしら?」

口を開けば出る悪態に苦笑いしつつ、憎まれ口で切り返す。

「申し訳ありません。リョウコおば様」

額の青筋を一気に倍にして怒りを顕わにしているのがこの部屋の主。
16でNERVに入庁した才媛は、20歳の身空で既に母親以上と噂されている。
爺さんの次女なんだけど、長男長女同様、遺伝子が露見していないのが救いだよね。
ただ、本人もその母親も碇の籍に断固として入ろうとしない。
入籍した途端に傍迷惑な血族・姻族が一気に増加するとなれば誰だって嫌だろう。

でも、その無駄な足掻きもあと20年もすれば終わりが来る。
苦労をかけた内縁の妻とその娘をあの爺さんが放っておく訳がない。
死亡直後、5分前に遡って婚姻届と養子縁組届けが受理されるようにMAGIに仕込んである。
組んだのは叔母様だから赤木母娘は当然知らない。
その時が来たら速攻で「おばあさま、おばさま」って呼んでやる!

『クケケケケケ』

腹黒い忍び笑いが聞こえたのか、遺伝子の半分が誰だかをよく示す気味の悪い笑みが目の前に展開された。

「まあ、いいわ。シンクロテストするから着替えてらっしゃい」

「ふっ、覚えているが良いわ」という呟きは聞こえなかったことにしておこう。
じゃないと精神的に悪そうだ。



「今日はここまでにしておいてあげる♪」

勝ち誇った高笑いと筋者の捨て台詞を残し、意地悪な魔女は実験室を後にした。
参った…。
あの(アマ)、通常より5度も深度を下げやがった!
底意地の悪さはとうに母親を超えてるね。
うー、最悪。
今晩は魘されるな。あー、気持ちわる…。
さて、帰ろうと思い、シートに手をつき、立ち上がろうとするが、足が動かない。
仕方なくインカムで控室にいる浅川さんを呼んだ。

女性にしてはがっちりとした肩を借りながらロッカールームに向かう。
とっとと歩きたいが、体が言うことを聞いてくれない。
ふと、嫌な予感が頭を過ぎった。
今まで脳裏からすっぱり消し去っていたニヤケ顔が瞼の奥に鮮やかに浮かび上がる。
そうだ、早くここから出ないと…。
考えた途端、鼻歌が聞こえてきた。無茶無茶ヤバい。
調子が良くないときにこそ、悪いことが重なるものだが、この体調ではもはや逃げることも叶わない。
代わりに放った殺しかねないほどの剣を含んだ眼差しは、満面に浮かべた爽やかな笑顔で返された。

「お疲れさまです、浅川さん。赤木課長から頼まれました」

あんの、アマ、余計なことを…。

「よかったら代わりましょうか?」

え?

「そうね、お願いするわ!」

ええええぇ?

背中と膝に手を触れられたかと思ったら、アッという間に全身が宙に浮いた。
お、『お姫様抱っこ』?!
振り解こうと身をよじるが、がっちり押さえられてる。
側で狼藉者から適格者を守るはずのガードは、忍び笑いと共に手を振っていた。

「貴様、年下の癖に生意気だぞ!
 離せ、馬鹿者!離さんか〜!」
「あまり煩くすると、その口塞ぐよ?」

塞ぐ?
両手使ってるのに?
一体何で?
どうやって?

考えただけで冷たいものが背中を駆け抜ける。
勝ち誇ったように口の端を上げている顔がむかつくから、前を向いて視界から追い出した。
そうこうしている間も奴はずんずん前に進む。
時折すれ違う職員のかみ殺す笑いが怒りと羞恥心を増幅させる。
抱きかかえられた真っ赤なプラグスーツ姿の女の顔は服と同色に違いない。

辛うじてフリーな左手と膝から下をバタバタさせるが、それ以上は全く動けない。
声を上げ助けを求めるか?
いや、マジで手を使わずに塞いでくるだろう。
こんなところで、しかも『お姫様だっこ』状態のキスシーンなど他人に晒したくない。
だからと言って、そこかしこから興味津々な視線を浴びたくもない。

明晰な頭脳で瞬時にあらゆるパターンを解析したが、得られた結果は絶望だけ。
あぁ、それしかないのか…。
渋々目を閉じ頭を奴の胸に預ける。
くぅ〜、はめられたよ…。
きっと満面の笑みを貼り付けてるんだろうなあ。
考えただけで情けなくって涙が出てきた。



5分ほど移動させられた後に、奴が立ち止まった。
シュッという音と共にドアが開く。
ちょっと、ここ女子ロッカールームだよね?男子禁制に決まってるじゃない!
怒鳴りつけようと顔を上げると、壁にセフィロトが見えた。
ここ…、司令室だ。

直感に基づき不埒者の手から跳ね下りて部屋の真ん中を凝視すると、案の定ソファーで抱き合ってキスしてるバカがつがいでいた。
他人の目がないとすぐこれだ。いーや、あっても関係ないね。
まるで射殺さんばかりに氷の視線をぶつけている叔母様が、彼らの背後で怒りのオーラを揺らせていたから。
予期せぬ内に役者が揃ったわけか。いや、これも爺さんが言うシナリオのうちなのかな。

『いつから?』

目配せに返ってきた反応は開いた両手のひら。
10分もやってるのか…。
頭痛くなってきた…。

「母さんが着いてからだろ。ってことはその前からさ」

耳元で吐息と共にボソボソやられたから背筋が無意識にピンと伸びる。
お礼に足の甲を勢い良く踏みつけ、そのまま縫いつけんばかりに2〜3回グリグリ擦り付けた。
飛んでくる涙声の抗議は意図的に無視。
未だソファーで第一次接触を継続する二人に制裁を加えた。

「こんなところで何やってるのよ!叔母様が呆れてるわよ!」
「やあ、ミクちゃん。早かったね」

拳と怒声に怯むことなく顔を綻ばすバカ親父。
連れ合いはキスで酔ったのか、溶けたような表情で口からつっと唾液の橋を架けていた。

「君のご両親は尊敬に値するねえ」

隣で嘲笑を隠そうともしない従弟の鳩尾に蹴りを入れる。

「帰るわ。送りなさい、変態」
「仰せの通りに。従姉殿」

痛みに顔を歪ませるバカを突き飛ばし、僅かに怒気を見せる叔母の手を取って出口に向い踵を返した。



ガードが運転する叔母専用リムジンは運転席とは隔絶され、しかもシートは対面式となっている。
前に叔母、隣に色魔(従弟)
嫌な奴の顔を見ないでいいのは結構なことだが、色々ちょっかいを出されるのには閉口する。
今も、太股を触ろうとした罰当たりな右手を撃退したところだ。

ところで、叔母はあまり話題に富んでいるとは言えない人だ。
結構な頻度で一緒に帰ることがあるけれど、決まって会話は同じ。
今日もいつも通りの言葉から始まった。

「どう?」

叔母の言葉は主語と脈絡がない。昔から変わらないが、慣れない人間には何のことだか判断しかねることが多い。
付き合いが長いから一応理解できるが、車窓を見ながらボーっとしていたので面食らってしまった。

「わ、悪くないと言うか、普通です」

外に出る度に帰りたくなくなる我が家。
周囲の温度を5度近く上昇させ、地球温暖化を推進する両親。
嘲笑と共に実験動物扱いを繰り返す金髪の叔母に、人生を舐めてかかっているとしか思えないその親友。
アルカイックスマイルの下に邪心を隠し持つ従弟と、天使のような爛漫さで周囲を翻弄する従妹。
唯一の救いがあるとすれば、赤子の頃から常に慈愛を持って接してくれる叔母だけだ。
取り巻く環境は、現状では改善の余地がないから問われる毎に同じ答えを繰り返す。

ところが期待した返答ではなかったらしい。
彼女の視線を辿ると自分の息子を示していた。

ああ、なるほど。そういうことか。
頬を掻きながらぽつりと吐き出した。

「期待されるようなことは何もないです…」

そう、特に叔母夫婦が期待していることなど何もない。

「お姫様抱っこ」

あっ、そういや見られてたんだ。
隣でニヤけている奴はシカトした。

「でも、あれは…」

必死で弁明しようとしたが、笑みで返され、下を向いてしまった。
奥底にある疚しい部分を見透かす菩薩の如き微笑。
射すくめられているようで、何も言えなくなる。



世間が望むべくもない、さも幸福そうな人生。
敷かれたレールの先には、自分の力ではなく、意志でもない、栄光と繁栄が約束されている。
学歴も、仕事も、おそらく伴侶さえも。
それが果たして真に望んでいるものなのかなんて、彼女にはとうの昔にお見通しなのだ。
だから、時折こうした問答という形を取る。
流れに抗おうとしない愚かな姪の翻意を促すように。

「あの二人は勝ち取ったわ」

やや力がこもった一言。
バカ夫婦は今の地位を望んで手に入れたと言うことだ。
多分叔母夫婦もそうなんだろう。
解っている。

でも、『じゃあどうすれば?』までは理解できていない。
これまで故意に避けてきた問題だから。
父と同じ、逃げていた。流されて来た。
故に、未だ答えは持ち得ていない。
智慧の化身ではないから獅子など持っていないのだ。
叔母はそんな姪に更に微笑を投げかける。
まるで『仕方がないわねえ』と語りかけるように。

ええ、そうですね。仕方のない娘です。
16にもなって自分のことが分からないんですから。
でもそれは今日に限ったことではないでしょう?

自嘲気味に口の端を下げる。いつもならそれで会話は終わるはずだった。
ところが、叔母は口の端を軽く上げると、彼女の正面を指し示した。

「使いなさい。これも望んでいるわ」

車窓越しに、街灯の灯りがミツルの上に黄色い帯を描く。
その下の表情は、叔父そっくりの古拙の微笑。
そっか。覚悟が出来ていないのは自分だけなのだ。
気恥ずかしさを隠すように、車外に流れるトンネルの灯りを見つめる。
車窓に写った従弟の目に促されるように言葉を紡いだ。

「やるわよ。ミチルにも伝えて」
「仰せのままに」

繋がれたくないのなら、戦うしかない。
車を降り際に見えた叔母の表情は、満足そうだった。

いつも通りの様で、まるで違った一日の終わり。
机の上で日記を開きながらふと思った。

本当に勝てるのだろうか?
いや、何とかするしかない。
3人いればなんとか妙案も出せるだろう。

ただ、ミチルはまだしも、ミツルと一緒ってのがねぇ。
まあいいや、立ってる者は親でも使えと言うし…。
ああ、文殊を気取るのなら従者を踏みつけにするのは当然のことよね。
叔母様の許可も出てるしさ。



もしかしたら、勝っても得るものなどないのかもしれない。
それでも、何もしないより足掻いた方がいいに決まってる。

自分の道は自分で手に入れる。

それが碇ミクの望みなのだから。


- To be continued ?









みどりさんから素晴らしい次世代ものを頂きました。

いわずもがなの碇夫妻の一人娘ミクを中心に、戦線に加わるは綾波レイと渚カヲルの夫妻の二人の息子娘。
さらにゲンドウ、リツコの娘に加持とミサトの子供も加わって、展開されるは四次元殺法的身内固めの図。
一癖も二癖もある人物たちが織りなす愛憎悲喜こもごも(?)のお話は面白くないわけがない!
果たして、ミクは水より濃いしがらみを突破し、自らの道を切り開けるか?
少なくとも、遺伝子提供者の片割れは、そんな反抗を許可するわけはないでしょうが(笑)

是非、続きを書いて頂きたい、まことに当サイトに相応しい逸品でした。


続きを読みたい貴方は、是非メールを出しましょう!みどりさんへのメールはこちらから!


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