自分が嫌いだった。
もし何かが違ったら――低い鼻でも、そばかすでも、なんでもいい。
何か一つでも違ってたら、どんなによかっただろう?
ずっとそう思っていた。





Written by 旅人






1.
サードインパクトは、結局何も変えはしなかった。
ヒトは他人がいてこそ『人間』になれる。
紅いLCLの海に残ったのはごく少数で、ほとんどの人間はまた個人の姿に戻ったのだ。
そして、普段通りの生活が始まった。



あれから数ヶ月。
疎開先から――というより、例の海から――戻ってきた子供たちにより、
第壱中学校は活気を取り戻していた。


 「ちょっとスズハラ! 週番どうしたのよ!」


派手な声が教室に響く。
また始まったか、と他の生徒はうんざり顔。
その一般大衆に混じろうとした少年が、耳を引っ張り上げられて悲鳴をあげる。


 「アイタタタ! なにすんねん、この凶暴女!」
 「うるさい! 簡単な仕事なんだから、さっさとやりなさいよ!」
 「おい、ワイは片足もげてんねんぞ? そんなヤツに仕事させようっちゅうんかい?」


ジャージ姿の少年、鈴原トウジが哀れっぽい声を出して脚を抱える。
だが、それを見下ろす少女に容赦はなかった。
委員長、洞木ヒカリ。
泣く子も黙る、とは主に男子の間での評判だ。


 「何言ってるの、昼休みには真っ先に飛び出していくじゃない。
  サッカーができてゴミ箱が運べないなんてことがある?」
 「……そ、それは別モンやろ? ほら、ご飯とケーキは……」
 「はいはい、分かったから行くの!」


ぽんっとトウジを叩いて、ヒカリは席に戻った。
観念したか、ぶつぶつ文句を言いながらゴミ箱に手をかけるトウジ。


 「まったく……怪我人をいたわろうっちゅう気もないんやからな……」
 「大変だな、トウジ」


そう声を掛けたのは、眼鏡をかけた少年。
トウジがぱっと顔を輝かせた。


 「おぉ、心の友よ! ケンスケ、代わってくれるんか!?」
 「『それは別モンやろ?』」
 「……お前に期待したワイがアホやったわ」


にやにや笑うケンスケを軽く蹴り飛ばして、トウジは教室を出て行った。


 「……相変わらずね、ヒカリ」


それを何とはなしに目 で追っていたヒカリは、突然掛けられた言葉に少し慌てた。
その様子を呆れたように見る、隣の席のクラスメート。


 「まるっきし小学生よ、ヒカリは」
 「な、なによ」
 「好きな子に意地悪、なんて小学生のやることじゃない。
  だいたい、それって普通は男の子がやることよ?」
 「な……なに言ってるの! 私はただ、クラス委員として――」
 「他の男子には、あそこまで言わないわよね」


今度は後ろの席からの乱入だ。
その声は、少し笑いを含んでいる。


 「わかりやすいわよね、カワイイ♪」
 「違うってば! だ、だいたい、なんで私が鈴原なんか……」
 「あらなに? いまさら隠すの?」
 「鈴原のリハビリ、つきっきりで手伝ってたの有名なんだよ?」
 「そ、それは……」
 「病院でも有名だったんでしょ? 噂は聞いてるんだから♪」


ワイワイと騒ぐ女子グループ。
いつも通り……中学、いや、小学校の高学年からあまり変わらない光景だ。
からかう役とからかわれる役を交代しながら、同じような話で盛り上がる。
そしてそれに決して飽きないのが、この年代の女の子の不思議なところだ。


 「ほらほら〜」
 「水臭いよヒカリ」


この勝負、圧倒的にオフェンスが強い。
ディフェンス側のヒカリは、圧倒的な火力を前に白旗寸前。
落ち着きなく目 を泳がせる彼女に、友人たちは面白がって追及を重ねていた。


 「あーもう! みんないいかげんに――」


言いかけたヒカリの声が止まった。
泳いでいた視線が、吸い寄せられるように一点に注がれている。
遠い目 。気の抜けた、白っちゃけた顔。
友人たちは訝しげにヒカリの顔を覗き込んだ。


 「どしたの?」
 「……うぅん、なんでもない」


小さな声で呟くと、ヒカリは静かに席を立った。


 「先生に教材運ぶように言われてたの、ちょっと行ってくるね」
 「う、うん……」


気勢を削がれた一同が見守る中、ヒカリは心もち肩を落として教室を出て行った。
ドアが閉まると、女子たちはそろそろと顔を見合わせる。


 「……どうしちゃったの?」
 「うまく逃げた――ってわけでもないかな」
 「最近、よくあんな顔してるよね」
 「うーん……」


頭をひねる女子たち。
それを離れた席で横目 に見ながら、ケンスケは焼きそばパンを口に押し込んだ。


 (委員長、気になってるんだな)


紙パックから突き出たストローをずずっと吸い、口の中のパンを流し込むと、
ケンスケはヒカリが見つめていた先に目 をやった。

誰も座ってない机がひとつ、午後の光を鈍く反射している。
かってはうるさいほど賑やかだったその席にも、今は誰も寄り付かない。
昼休みの騒がしい空気の中で、その机はただひっそりとそこに佇んでいた。


 (ドイツに帰った……ワケないよな。『アレ』以来、一般人が外国に行くのは禁止されてる。
  ネルフもないんだ、絶対帰れない。間違いない。そうだとしたら――)


そこでケンスケは頭を振って考えるのを止め、紙パックをくしゃっと握りつぶした。







『アスカはいいなぁ』

『な、なによヒカリ……急に』

『綺麗だし、頭もいいし、運動神経もいいし……完璧じゃない?』

『そ、そうかしら?』

『あーあ、私がどれか一つでも持ってたらな――』










2.
いつもと変わらない日々。
帰ってきた日々。

エヴァはもう動かない。
使徒も来ない。避難も、疎開もない。
ネルフもパイロットもいない。
……思い出すことさえ、稀になっていく。

学校があって、授業があって、昼休みがある。
何事もなく過ぎていく毎日。
平凡だけど、安らぎに満ちた日々――。





そんな時間が過ぎるのは速かった。





 「あっと言う間だったね」
 「うん、ぜんぜん実感沸かない」
 「こーこーせー?だよ? マジで?ってかんじ」


いつもより華やかな装飾が施 された教室で、そんな言葉が交わされる。
前の黒板には派手なリボ ンの飾りと、後輩たちが書いてくれた『卒業おめでとう!』の文字。
ノリを効かせたブラウスにはリボ ンが付けられ、その手には漆仕立ての筒が握られている。


 「だいたい、卒業って感じがないのよ。いつも通り暑いし、夏服だし」
 「漫画なら桜とかなんとか、もうちょっと演出あるのにね」
 「いつの話してるのよ? セカンドインパクト世代じゃないんだから、そんなの流行らないってば。
  だいたい、卒業式なんて単なるイベントじゃない」
 「へー」
 「……なによ?」
 「そんなこと言って、式んときに鼻すすってたのは誰かな〜」


卒業証書も貰い、担任からのお説教も終わって、今はもう放課後。
男子はいち早く学校からすっ飛んで行って、今はもう遊び回っているのだろう。
がらんとした教室の中で今日の予定を話し合っているのは、数組の女子のグループだけだった。


 「ま、まぁいいじゃない、そんなこと! それより今日の予定! 3時集合でいいよね?」
 「んー、ファミレスでごはん食べて、カラオケ?」
 「それでいいっしょ。いつもと同じだけどね〜」
 「いいじゃん。今夜はオールだ!」


そう言って、拳を突き上げた子がふと動きを止めた。


 「……そういえば、ヒカリ大丈夫?」
 「あ、そうだ! 大丈夫なの、今日」
 「大丈夫……じゃないよね?」


全員がヒカリを覗き込む。
どことなく期待……というか、好奇に満ちた視線。
それに対して、ヒカリは白い歯を覗かせながらVサインを作った。


 「ううん、大丈夫! 家のほうはお姉ちゃんがやってくれるって」
 「……」


ヒカリのその声に、ため息が吹き荒れる。
皆が顔を見合わせて首を振り、キッとばかりにヒカリに向き直った!


 「……あーた、そんなこと聞いてんじゃないのよっ!」
 「そう! 命短したすきに長し! いけいけ押せ押せ恋せよ乙女!」
 「今日は当然鈴原と二人っきり! そうなんでしょ?」


どどっ、と押し寄せるクラスメート。
それを両手を上げて阻みながら、ヒカリが情けない声を上げる。


 「な、なに馬鹿なこと言ってるのよ〜」
 「馬鹿なことじゃない!」
 「って、え? なに? 違うの?」
 「そ、そんなの……だいたい、私たち付き合ってなんかないし……」
 「「「「はぁ?」」」」


信じられない、といった様子でのけぞる。
それをよそに、ヒカリは頬を赤らめて呟いた。


 「そりゃ、一緒に帰ったりしたけど……それはたまたまで……
  高校も同じなんだし、私は別に今のままでも……」


尻すぼ みに小さくなっていく声。
心なしか体まで小さくなっていくようだ。
処置なし。
彼女を囲んだ友人たちの頭の中で、そんな言葉が点滅する。


 「……まったく、ヒカリったら成長しないんだから」
 「ここまで変わらないってのもある意味凄いわ。うん」
 「ま、いいんじゃない? 今晩じーーーっくり教育してあげようよ♪」
 「よし! それじゃ、とりあえず解散しますか!」


グループ一同、バタバタと帰り支度を始めた。
とりあえず追求をかわしたヒカリはほっと息をつき、一足先に教室のドアをくぐる。


 「それじゃ、また後でね!」
 「うん、バイバ〜イ」
 「別に来なくったっていいんだからね! そのぶん後で埋め合わせてもらうから!」
 「そそ、むしろ来てくれない方が後の楽しみが増える!」
 「……な、なに言ってるのよ! じゃ!」


ガシャン、とドアを閉めた後から、笑い声が追いかけてくる。
それを振り払うように、ヒカリは早足でずんずんと歩いていった。


 「まったく、好き勝手言ってくれちゃって!」


そんなことを呟いても、顔の火照りは収まらない。
下駄箱に着いたところで歩調をゆるめ、怒 りよりも照れで熱くなった頬をそっと抑える。


 「……そりゃ、考えなくもないけど」


卒業式。
トウジの方を、ずっと意識していた。
ホームルームの時だって、記念写真の時だって、ずっと。
……本 人はそれに気付かないで、終わった瞬間に教室を飛び出して行ったけれど。


 (期待、してたのかな)


自分に問い掛けて、ヒカリは一人頷いた。
別に第二ボ タンが欲しいとか、そんなことじゃない。
卒業式、特別な日に、トウジが自分に向けて一歩踏み出してくれる。
そんなことを、自分は確かに期待していたと思う。

切り出すのは男から。
卑 怯かもしれないけど、そうであって欲しいと思う。
そして、トウジはきっとそれに応えてくれる、そんな――。


 『伝えたい気持ちがあるなら、ちゃんと伝えとかなきゃ!』


ヒカリはふっと立ち止まった。
無意識のうちに、頭の中に甦ってきた声。
そう、あれは昔、屋上で――アスカに言われた言葉だった。
懐かしい言葉をゆっくりと反芻しながら、ヒカリはゆっくりと首を振った。


 「……ダメよ。私はアスカみたいになれないもの」


自分のことはよく知っているつもりだ。
外見は十人並み。小さい胸にそばかすは大きなマイナス・ポイント。
そのうえカタブツで真面目 すぎる性格は、とても好かれるようなものじゃない。
……トウジが自分を好きでいてくれてる、なんて希望的観測に過ぎない。

アスカは違う。
強くて、太陽みたいに明るかった。
学校中の人気を集めるくらい、綺麗だった。
転校してきて、仲良くなってからもずっと、ヒカリの憧れだった。
……でも、そんなアスカも……。


 「いいんちょ」
 「!!!」


後ろから掛けられた声に、ヒカリは文字通り飛び上がった。
突然のことに心臓がバクバクと音を立てている。
まさか。そんな。


 「遅かったんやな。待ちくたびれてしもうたで」
 「か、帰ったんじゃなかったの?」
 「……え、ええやないか」


トウジは決まり悪げに下を向いた。
ヒカリもまともにトウジを見ることが出来ず、赤らめた顔を横に向けている。
しばらく沈黙が続いた後、トウジが口を開いた。


 「帰らんのか?」
 「え、あ」
 「友達と、予定でもあるんか?」
 「いや、それは一回帰ってから……3時に……」
 「ほな、帰るで」


そう言って、トウジは背を向けた。
下駄箱からスニーカーを取り出し、放り出して足を突っ込む。
ヒカリはそれをただぼ んやりと眺めていた。


 「……帰らんのか?」
 「いや、帰る、けど――」
 「ほな、さっさと靴はけや」
 「う、うん!」


ヒカリは弾かれたように下駄箱に飛びついた。
何百回となく繰り返してきた動作なのに、うまく行かない。
蓋で突き指しそうになりながら革靴を取り出し、つっかえつっかえ、転びそうになりながら足を通す。


 「できたか?」
 「うん」


小さく頷いたヒカリに、怒 ったような顔のまま背を向けるトウジ。
いつもより角張ったジャージの背中が、少し震えている。

まさか。
でも、やっぱり。

早鐘のように鳴り続ける心臓。
ヒカリは懸命に呼吸を整えながら、ふらふらとその後に続いていった。








3.
ちょっとだけ寄り道した、その帰り道。
黒いジャージの少年は、もう傍にいない。
家に帰る道をふらふらと歩きながら、ヒカリは信じられない気分だった。


 (本 当に……本 当……?)


間違えるはずがない。夢であるはずがない。
そう分かっていても、ほんの数分前の出来事が、ヒカリにはまるで現実のこととは思えなかった。


 『今日、言おうと思っとった。言わなあかんって』
 『いいんちょ』
 『ワイ……おまえのこと、好きやから』


赤い顔をして、まじめな顔でそう言ったトウジ。
そんな彼を、自分はどんな顔で見ていたのだろう。
きっと魂の抜けたような顔だったんじゃないだろうか。
そんなヒカリに、トウジはじれったそうに言葉を叩きつけた。


 『おまえは、どうなんや。聞かせてくれ。ワイのことどう思う?』
 『……すき、よ』
 『……ほ、ほんまか?』
 『うん。だって……鈴原は、気付かなかったかもしれないけど……私は、ずっと、好きだったから』
 『……そうか。そんなら……よかった』


そう言って、照れくさそうに笑ったトウジ。
すごい勢いで走っていった後姿。
そんな彼がまだ、目 の前に残っている。


 (鈴原が、私のこと……好き、って……)


嫌われてはない、と知ってはいた。
リハビリを手伝うことで親密になれたし、病院にいた頃は弁当だって差し入れた。
学校が始まってからは、以前より話す機会が増えたし、たまには一緒に帰ったりしたこともあった。
親友――は無理でも、友達にはなれた。その自信はあった。

でも、今日のトウジの言葉は、女友達に向けたものじゃない。


 「……好きって……」


ずっと言って欲しかった言葉。
半分諦めながら、それでも捨て切れなかった希望。
それが叶った?

嘘だ。
信じられない。
こんな――まるで、おとぎ話みたいに出来すぎている。


 (だって、私みたいにカタブツで、面白くなくて、口うるさくて、そばかすで――)


混乱した頭の中で、いつもの自虐を繰り返す。
その間にも、トウジの笑顔が、言葉が、自分の言葉が――ごちゃ混ぜになってヒカリをかき回す。
通学路の見慣れた景色も目 に入らないまま、ヒカリは惰性で家への道を歩いていった。





だが、家の前にまでたどり着いた時。
そんな彼女の混乱しきった意識は断ち切られた。

門の前、白く灼けた夏の日差しの下。
ヒカリの耳をくすぐった、懐かしい声で。


 『馬鹿ね』


俯いていたお下げ髪が、ぱっと持ち上がった。
思わず左右を見回す。誰もいない。


 (うそ、今、たしかに)


一瞬、ヒカリは呆然とその場に立ちすくんだ。
そして、おそるおそる、後ろを振り返ってみる。


 「……ぁ」


果てしなく青く晴れ上がった空。
白く盛り上がった雲。
そして、まっすぐに伸びていく道。

見飽きた光景……じゃない。
その光景は、耳に響いた声は、ヒカリに一つの記憶を鮮やかに甦らせたのだ。
もう二年近くも前のこと。
彼女の憧れだった少女との思い出。

……ヒカリは思い出した。
あの時のアスカを――その言葉を。




そう。
あの時、アスカはヒカリの家に転がり込んでいた。

一日中ゲームばかり繰り返す。学校にも行かない。
そんなアスカに、ヒカリは戸惑いを隠せなかった。
だが、ヒカリは何も言わず、アスカのしたいようにさせていた。

そしてあの日。
もう何日も鳴らなかったアスカの携帯が、鳴ったのだった。


   『!』


アスカの体が強張るのが、ヒカリにも見て取れた。
震える手で携帯を取り上げるアスカの眼は、どんよりと濁っていた。


 『うん……わかってるわよ……すぐ行くわ』


吐き捨てるようにそう言って電話を切ると、アスカは立ち上がった。


 『ごめんヒカリ。呼び出しだから、行ってくるわ』
 『……ネルフなの?』
 『うん』


口の端だけで笑って、アスカは玄関に向かった。
ちょっとの間にずいぶんと痩せて、肩のラインが角張ってしまっている。
それを、ヒカリは痛々しい気分で後ろから眺めていた。


 『アスカ……調子、悪いんじゃない?』
 『ううん、別に』
 『悪いわよ。だいたい、ろくにご飯も食べてないじゃない』
 『いいダイエットになったわよ。最近、ちょっと太ってたから』


アハハ、と笑ったその声の響きも、どこか虚しい。
こらえきれなくなって、ヒカリはアスカの腕を掴んだ。


 『待って』
 『なに?』
 『ダメよアスカ。なにも、そんなになるまで――』


その言葉が終わる前に、アスカはゆっくりとヒカリの手を振りほどいた。
そして、あらぬ方を眺めながら、こう呟いた。


 『アタシには、EVAしかないのよ』


そして、ドアを開けて出て行った。


 『……』


一人残ったヒカリは、しばらくの間じっと立ち尽くし――
突然、サンダルを突っかけてドアから飛び出した。

途端に溢れ出す眩しい日光と、熱い大気。
真っ青な空。白く盛り上がった雲。
そして、門から出たばかりのアスカの後姿が見えた。


 『アスカッ!』


ヒカリの叫び声に、アスカが驚いた顔で振り返る。
そんな彼女に向かって、ヒカリは金切り声で後を続けた。


 『なによ! なによそれ!
  EVAしかないなんて――なんなのよッ!』


辺りに人影はない。
静まり返った住宅地に、ヒカリの声が響いていく。


 『アスカはなんでも持ってるじゃない!
  そんなに綺麗で、可愛くて!
  成績だっていいし、運動だって出来る!
  男子にだって、女子にだって好かれてるじゃない!
  それが……なによ!!』


目 頭が熱い。涙が視界をぼ やけさせる。
それでも、ヒカリは構わず叫び続けた。


 『本 当に、なにもない、って気持ちが分かる?!
  絶対に分からないわよ! アスカみたいに恵まれてる子には!
  私みたいに本 当に何もない子の気持ちなんて、分かるわけない!
  それなのに――なにもないなんて――そんなこと、言わないで!!!』


ヒカリにとって、アスカは憧れだった。
自分にない、すべてを兼ね備えた少女。少なくともヒカリの眼にはそう映っていた。
だから、アスカの言葉がヒカリには受け入れられなかったし、腹立たしかったのだ。


 『教えてよ、どうすればいいの?!
  頑張っても頑張っても、そんな風になれない、私はどうすればいいのよ?!』





いつにない、激しいヒカリの言葉に、アスカは面食らった顔で立ちすくんでいた。
そこにぶつけられる、激しい言葉の数々。
いつものアスカなら、一言二言、すぐにでも言い返していたかもしれない。

だけど、あの時のアスカは違っていた。


 『……』


荒い息をつくヒカリを、アスカは黙ったままじっと眺めていた。
ヒカリの目 から、一粒、涙がこぼ れ落ちる。
それを見て、アスカはふっと微笑んだ。


 『馬鹿ね』


本 当に久々のアスカの笑顔。
やっぱり、それは綺麗だった。
思わず見とれたヒカリの前で、アスカはゆっくりと背を向けた。


 『そのままでいいのに』


独り言のような呟き声をぽつりと漏らす。
そして彼女はもう、二度と振り返らなかった。





果てしなく青く晴れ上がった空。
白く盛り上がった雲。
そして、まっすぐに伸びていく道。

その真ん中で、ヒカリは身じろぎもせずに立っていた。


 (……)


なにも持っていないと思っていた自分。
そんな自分にも、友達がいる。
男子の話題で盛り上がり、卒業式の後で遊びに行く友達。
そんな自分にも、トウジがいる。
『お前のこと、好きやから』、そう言ってくれた男の子。


 (……アスカ)


なにもかも持っている、そう思っていた憧れの少女。
そのアスカはもういない。
……あの頃彼女を褒めそやしていた男子も、もう彼女の話をしない。
……羨望の目 を向けていた女子も、アスカのアの字も忘れてしまった。

アスカは知っていたのだろうか。
こうなることを。





『そのままでいいのに』



透明のアスカが笑っている。
二年後のヒカリの前で、あの頃のままのアスカが笑っている。


 『ほら、そう言ったでしょ?』


あの頃の濁った眼じゃない、青く澄んだ瞳が笑っている。


 「アスカっ!!!」


思わずヒカリは手を伸ばした――けれど、もちろんアスカはいない。
いつも通りの光景が、がらんとした道の先に広がっているだけ。
ヒカリは呆然と立ち尽くした。

そこに、後ろから声が掛けられる。


 「ヒカリおねえちゃん、どしたの?」


振り返ると、ノゾミが門から出てくるところだった。


 「お昼、出来てるよ。はやく食べようよ」


そう言って、無邪気に笑う妹。
その頭に手をやる。
柔らかい髪と甘い匂い、温かい体温――。


 「……っく……」


自分は幸せになった――違う、自分はずっと幸せだった。
アスカは……全てを備えていた彼女は……幸せじゃなかった。
今のヒカリには、それが痛いほど分かった。


 「え…どうしたの?!」
 「ぅ……ひっく……」
 「ヒカリおねえちゃん! おねえちゃんっ!」


通学カバンを下げたまま、ヒカリはしゃくりあげた。
おろおろする妹の頭に手をやったまま、すすり泣いた。
熱いアスファルトに、次々と涙の粒が弾けて消えていった。









4.
その日、ヒカリはファミレスにも、カラオケにも行かなかった。
トウジに電話も、メールもしなかった。

ただ、自分の部屋のベッドに寝転んで、昔の曲ばかり聞いた。
そしてときどき、泣いた。



――泣き疲れた彼女が眠りに落ちたのは、瞼をほの赤く腫らせた頃。

きちんと片付けられた部屋。
そこにぽつんと転がる、漆仕立ての黒い筒。
暗い部屋の中で、『祝 卒業』という金文字が寂しげに光っていた。




The End.















全てが終わり、そして無事再開された世界。

ヒカリは親友を幻視し、皆はその存在を忘れていく。

彼女の中に残留する蟠りは、いったい何に起因するものなのか。

幸せなのに。幸せだからこそ。

過去に親友に放った言葉が心をえぐる。

後悔に苛まされる彼女はそんな日常を享受しきれずとうとう幻影に叫ぶ。

「教えてアスカ!」と。

さわやかな親友の笑顔とともに、永遠の最後の答えを得たヒカリはむせび泣く。

その涙は謝罪の涙か憐憫の涙か。

…それでも、わたしは、そんな彼女にしなやかに立ち上がってもらいたいと思います。
マジョリティーなのは決して悪いことではないんだよ、と。



素晴らしい作品を送ってくださった旅人さんに、あなたも感想を。








戻る