アルピーヌ・ルノーのアクセルは重い。昨日の深酒が抜けてない今は、尚更。痛む頭を抱えて車庫から出すとフロントガラスから直に光が氾濫して、一瞬気が遠くなった。思わずハンドルにもたれかかり、息を整える。顔を上げると、ぶーたれた顔の同居人がドアの外で僕を睨んでいた。

「遅い!」

「…大声出さないでよ…」

彼女は青い顔の僕を一瞥して鼻を鳴らすと、乱暴にトランクを開けて荷物を詰め込み始めた。

「さっさと車出しなさいよ。午前中には出ようって言った癖に、もう昼じゃない」

「自分が寝過ごしたんじゃないか。僕は起きて待ってたのに」

「男の癖に言い訳するんじゃないの!」

何と言うか…理不尽だ。勘弁して欲しい、ホント。彼女と知り合って十年近い歳月が経つけど、その間僕の立場が少しでも向上した例がないというのは一体どういう事なんだろうか。

「花は?」

「買ってある」

「ビールは?」

「昨日の残りが」

「ま、いいでしょ。飲めりゃいいのよあの女は」

相変わらず口も悪い。日本に帰化してから、それに一層拍車がかかった。僕の喋るスピードが農道を走るトラクターなら、彼女のそれはアウトバーンをぶっ飛ばすフェラーリだ。…あれ、フェラーリってドイツの車だっけ?

「アンタ、今アタシの悪口考えてなかった?」

「…別に」

すかさず飛び出す平手打ち。訂正、口も早いが手も早い。顔に紅葉の痕をつけた僕とそっぽを向いた彼女を乗せて、青いルノーはガタガタと走り出した。





















三原色の鎮魂歌





by  whoops!さん
















市街を抜け三十分程国道を走ると、海岸線が見えてくる。昔見た映画のようだ。タイトルは…ええと…。

「なにボーっとしてるのよ?」

「いや、こういうのって映画であったような気がして」

「映画?」

「何の映画だか思い出せないんだ」

「ふーん。あ、BGM欲しい」

アスカはフロントケースをがさがさと漁り始めた。

「アンタ、何聴きたい?」

「うーん、何でもいいよ。眠気が覚めるようなやつ」

「眠気、ねえ」

アスカが選曲したのは、出所もジャンルもさっぱりわからないナンバー。よくわからない声でよくわからない歌をぎいぎいとがなりたてるような。それは、この閑静な風景に全くマッチしてなかった。

「何これ」

「眠気、覚めるでしょ?」

「確かに」

サビらしいパートをスピーカーと一緒に調子外れの音程で歌うアスカ。今日のアスカは、微妙にハイだ。一体何が原因なんだか。そのうち、騒ぎ疲れたのか急に座席を倒すと、百年の恋も冷めそうな勢いで眠り始めた。子供だ、二十歳過ぎても。

…昨日は飲みすぎた。アスカが飲もうというから付き合ったけど、少しセーブすれば良かった。おかげでハンドルの取り回しの重い事…。しかし、なぜ急にまた平日に飲もうなんて言い出したんだろうか、アスカは。もっとも、お互い気楽な年金生活者だから、休日も平日も関係ないと言えば関係ないんだが。

とりあえず、風邪を引かないように上着をかけてあげた。…肌寒い。12月の空気は乾いていて、油断すると身体ごと持っていかれる気がする。四季は、厄介なものだ。常夏の頃とどちらが良かったか、と問われると正直困るけど。何にせよ昼間に出たのは案外正解かもしれない。とりあえず、陽射しは暖かい。BGMを止め、運転に集中。

幾つかトンネルを抜けると、なだらかな斜面に差し掛かる。適当な側道にルノーを停め、僕はアスカの肩を揺さぶった。

「着いたよ、アスカ」

「…」

さっきまで豪快に鼾をかいてたのに、今は静かだ。よく見ると、瞼が震えてる。…狸寝入り?

「起きてよ、アスカ」

「起こしてよ」

「どうやって」

「自分で考えなさいよ」

少し考えた後、目を閉じて唇を近づけてみた。カウンターでデコピンを貰った。

「芸がないわねー。つまんないオトコ」

「ひどいや…」


てくてくと斜面を歩く。土の感触。程無くして、目的地に辿り着いた。

稜線の果てに見える、小さな岩。海の方を向いている面だけ少し削られていて、そこに碑銘が彫られている。


MISATO KATSURAGI、RYOUJI KAJI


二人の遺体は見つからなかった。だから、このお墓も僕たちの自己満足に過ぎない。それでも、僕たちは月に一度ここにやってくる。少なくとも、ネルフ職員の慰霊塔なんかよりこっちの方がずっと感情移入しやすいし。

「毎度の事だけどさ」

倒れた牛乳瓶に花を生けながら、アスカが呟いた。

「何でこんなに辺鄙な場所な訳?」

「あれ、言わなかったっけ?」

「聞いてない」

アスカは花を手向けると、缶ビールのプルタブに手を掛けた。しばらく悪戦苦闘していたが、

「ん」

結局僕に突き出した。

「不器用だなあ」

「爪が割れるの、嫌なだけよ」

こういうのを可愛いって言うんだろうか。普段が普段だけに判別つけがたい。プルタブを開けてあげると、アスカは僕の手から缶をひったくり、喉を鳴らして飲み始めた。

「…アスカ。それ、お供えするんじゃ…」

「…あ。つい条件反射で」

ぽりぽりと頭を掻くアスカの手からビールを奪い返し、僕はそれを墓前に供え直した。

「…ミサトさん、ごめんなさい。アスカはこんな娘になっちゃいました」

「ちょっと、なによそれ!自分だけいい子ぶっちゃって」

「いい子って…あのねえ」

「アタシに言わせりゃ、アンタは永遠にオコチャマよ」

そういう自分の物言いこそ、オコチャマだと気付かないんだろうか。全く。

「それに、加持さんなら却って喜んでくれるかも。なんたって間接キッスだしー」

「…不謹慎」

僕の呟きを、アスカは聞き逃さなかった。さっきまでの能天気さが表情から消え、軽い怒りが代わりに現れた。

「シンジ。アンタ勘違いしてる」

「…」

「辛気臭い顔でこんな所にやって来て、ミサトと加持さんが喜ぶと思ってんの?」

「そりゃあ…そうかもしれないけどさ」

「そうに決まってるじゃない。だから、ここでは陽気にやるの。ほら」

アスカが放り投げたのは、新しいビールの缶2本。

「僕が飲むのは、ちょっとまずいよ。車運転してるんだし」

「いいから。命令よ、命令」

…迎え酒だと思おうか。お墓の横に座り込み、僕はビールをやっつけることにした。泣く子とアスカにはかなわないし。





地面に座り、ビールを飲む。海と空の境界線が限りなく曖昧な景色。ミサトさんが愛した色。

色々煮詰まった時、ミサトさんは昼夜を問わず決まってこの海岸へ車を飛ばした。僕も何度かつき合わされたが、普段通りのお喋りで快活なミサトさんは運転席にはいなくて、家に帰るまでずっとお互い無言というのも珍しくなかった。

一度、聞いてみた事がある。ミサトさん。ここ、気に入ってるんですか?

「…うーん、かもね。ここは、たまたま出張帰りに見つけただけなんだけど、妙に気になって」

その後、少しだけやさしい顔になり、

「私も逃げたいのかもね、みんな捨てちゃって。海を越えて、空を飛んで、ここじゃないどこかへ」

それは、僕が初めて聞いたミサトさんの弱音だった。その時僕がなんて答えたのか、もう覚えてない。きっと適当な事を言って誤魔化そうとしたか、黙ってやり過ごそうとしたのに違いない。

「でも、逃げられない。だからこうやって車をぶっ飛ばすって訳。せめて、あの海と空に近い場所をね」

よくわからないけど、間違ってると思います。逃げたっていいじゃないですか。こう言ったのは覚えてる。あの頃の僕は、逃げ道を探すために生きてたようなものだから。逃げるという行為を否定されて、面白くなかったんだろう。

「ううん。シンジ君にもいずれ分るわ。人間はそんな風に都合よく出来てないの」

都合いい、ですか?

「うん」

軽く頷くと、ミサトさんはそれきり黙ってしまった。僕もそれ以上言葉を続けられず、ボンヤリと窓の外の景色を眺めた。

「この色、綺麗ね。この世のものじゃないみたい」

ミサトさんがそう言って指差したのは、霞む水平線。見つめていると、どこか心の奥の方が静かになるような。

「桜のもとにて春死なむ、か。私なら…」


結局、ミサトさんが選んだ場所は、桜の木の下でもなければ水平線の向こうでもなかった。冷たい床の上で、ミサトさんは一人血を流して死んだ。

いつの間にか、僕はミサトさんの背丈を越えた。事実だ。そして、それだけだ。

ミサトさんの手は大きかった。大きくて、暖かかった。わかってる、これは事実じゃない。生き残った者の身勝手な感傷に過ぎない。それでも、身長の割に矮小で冷たく干からびた自分の掌を見る度、あの時の血で濡れた手を思い出す。あの掌は暖かく大きく、何より美しかった。

僕は、残酷な人間だ。





「ミサトはさ」

黙って飲んでいたアスカが、口を開いた。

「ずっと29歳のままなのよね」

「ん」

「後数年で、アタシもそうなるのかあ。実感ないよ」

「僕だってそうさ」

「いや、アンタは充分オジンくさいって」

「…ひどいや」



雲が流れる。風が吹き抜ける。草が揺れ、土は香る。深呼吸をすると、身体の底から眠気がじわりと湧いてきた。

「ゴメン、少し寝ていい?」

「なーに、あの位で酔っ払っちゃったの?」

「うん…三十分したら起こして」

アスカの視線を感じながら、僕はとろとろと眠りに落ちた。どことなく赤みがかったその表情が靄のかかった頭の隅にちょっとだけ引っかかった。





「葛城らしいな」

加持さんは僕の話を聞くと、土をいじる手を止めてぽつりと呟いた。ジオフロントの人工光特有の濃い陰翳が、表情を隠す。

「まあ、たまにはそういう気分にもなるだろうさ。鬼の現場指揮官もね」

振り向いた顔と声色は、いつもの飄々とした加持リョウジのものだった。年上の余裕と紙一重の韜晦。

この時僕は何故か激しく苛立ったのを覚えている。珍しく、食ってかかった。そういう言い方はないですよ、昔は恋人同士だったのに。加持さんは口元に苦笑いを浮かべ、黙ってまた手を動かし始めた。

きっと僕は加持さんにミサトさんを支えてもらいたかったのだろう。僕は無力だったし、そんな余裕もなかった。責任転嫁と言われれば返す言葉もないけど、それだけ不安だったと思ってほしい。加持さんは僕の知る限りでは最も分別を弁えた大人の男性だったし、何より昔ミサトさんと付き合っていた実績もある。

けど、本当のところはどうだったのだろうか?この頃、僕はひょっとしたら、ミサトさんに淡い慕情のようなものを抱いていたのかもしれない。だとすれば、我ながら随分屈折した愛情表現だった。加持さんはそこまで見抜いた上で、あえて何も語らなかったのかもしれない。無論、僕の心理も含め、全ては推論に過ぎないけど。

やがて加持さんはおもむろに立ち上がり、大きく伸びをした。僕に振り返り、一瞬まだいたのかといった表情を浮かべる。僕は睨み返す、加持さんは頭をかいて真面目な顔で僕に語りかける。

「やる事がないなら、手伝って行かないか?」

嫌です。

「そうとんがらない。こういうのも、悪くないよ」

加持さんは、真面目になる事がないんですか?

「俺はいつだって真面目だよ。でもな、シンジ君」

…。

「男と女は、同じ様に生きられないんだ。それと、もう一つ」

もう一つ…なんですか?

「離れていったのは、葛城の方さ。いや、変わったのは、と言うべきだろうな。そして俺はそれを見るのが辛かった」

ふと、気付く。加持さんの顔が見えない。いつのまにか、僕らの周りをのっぺりとした闇が取り囲んでいる。

「いつだって、取り残されるのは男の方だよ。だから、気付かない振りをして生きていくしかない」

ああ、影が濃さを増した。いまや目の前にいるのは影法師のようだ。その足元で、これだけは色鮮やかな西瓜の玉。

「結局、俺はこの世界が好きなんだろうな。ここで根を張って生きていければ、それに越した事はないとすら最近思うようになった。だが、葛城は…」

そんなの嘘っぱちだ。貴方は何の痕跡も残さずにこの世界から姿を消した。貴方は卑怯者だ。僕と同じ卑怯者だ。

「シンジ君、いつか君にもわかるのかもしれないな。どうか、その時は」

僕にどうしろって言うんだ。いつだって貴方の言葉は結論を持たない、投げっぱなしだ。ずるい、汚い。畜生、何か言い返してみろ。

影法師は、最後にチェシャ猫のような笑みを残して、消えた。





生臭い匂い。鉄錆の味。…あれ?目を覚ますと、アスカの顔が目の前にあった。

キス。いや、それだけじゃない…アスカが僕の唇に歯を突き立てていた。首筋に手がかかる。指先、震えてる。

「うん」

僕は目を閉じた。

「…バカ」

アスカは僕の首から手を離し、そのまま僕に抱きついた。

「少しは抵抗しなさいよ…酔いが醒めちゃったじゃない」


アスカは、時々こんな風に僕の肉体を傷つける。中学の頃は、これが毎日続いた。唇、耳、舌、爪、指…。歳を重ねるにつれ回数は減っていったが、それでも完全になくなるまでにはまだ至ってない。

自傷行為のようなもの、なのだろう。その程度には、僕らは似ている。実際、直後のあの頃のように、アスカが自殺を試みることもなくなった。それはいいことだ。そして、それでいいとも思う。だが、アスカは。

「もう、いいのに。…今更」

そう呟いて、僕の傷口に向かって詫びるのだ。僕は、そんな事を望んでないのに。傷、絆。一文字しか違わないし、どの道大して変わりはない。



「夢に、加持さんが出てきた」

「加持さんが?」

「うん、ミサトさんも」

「そっか、だからアンタ泣いてたんだ」

慌てて目の端を擦った。一粒ほどの涙が、人差し指の上をなぞって消えた。

「アンタ、バカよね」

「うん」

「泣いたって、ねえ」

「うん」

「…」

「…アスカ」

「…なんでもない」

どことなく悔しげにそっぽを向くアスカ。赤い唇。僕の血で濡れた唇。僕は、アスカの背中に腕を回した。

「やだ…二人が見てる」

「構わない」

「構わない、ってアンタ」

「ゴメン」



「不謹慎ね、アタシたち」

「ゴメン」

アスカがシャツに袖を通している。ボンヤリ眺めながら、自分の行いに苦笑する。

「アンタは唐突よね、いつも」

「うん」

「ま、今回は判らないでもないけどさ」

「どうして」

「好きだったんでしょ、ミサトの事」

アスカの口調は、優しかった。それが、ちくちくと刺さって。

「…わからないよ」

「アタシなら気にしてないけど。…アタシだって」

「そうじゃないんだ」

ふと思う。この罪悪感はどこから来てるのだろう。わかる気もするし、それを認めたくないとも思う。とりあえず、アスカに尋ねた。

「アスカ。大人のキスって、何だかわかる?」

「何それ」

「…えっと」

正直、返答に困った。言えないよな…。

突然、アスカが僕の唇を奪った。歯の裏を、口腔の上を、アスカの舌が侵食する。粘液の混ざり合う音が、脊髄に響く。

「…!」

「…。」

これは…。また流されそうになる、正直。くらくらするのを耐えて言った。

「いや、そうじゃなくて」

「違うの?」

「物理的には確かにその通りなんだけど…もうちょっとメンタルな部分っていうか…」

「…何それ」

「うーん…」

僕は何を求めてるんだろうか。アスカが正解だ、それはわかってるつもりだけど。



日が西に傾いてる。風も冷たさを増してる。

「そろそろいこっか」

碑に向き直る。お別れの言葉でもと思ったけど、何だかそんな気分じゃない。

「ん」

アスカが僕に拳を突き出す。掌の中には、少しひしゃげた銀の十字架。

「僕が渡すの?」

「そ」

「…わかった」

墓標の前にそっと置くと、それはすぐに風に飛ばされて斜面を転げ落ちた。

「あーあ」

アスカは特別残念そうな口振りでもなくその様を見つめてた。

「あーあ、って…いいの?」

「いいの」

風に、アスカの長い髪がなびく。

「やっと返せたんだから。後は、ミサトと加持さんに任せる」



夕暮れの中をルノーが走る。一面の赤。この道から見える景色は、いつもどこか過剰だ。

バックミラー越しにアスカの横顔を覗く。頬も髪も瞳も赤。赤、赤、赤、赤…。

「…シンジ、前!」

ガードレール数十センチ手前で、ブレーキが利いてくれた。助かった。

「…アンタ」

「ゴメン。大丈夫だから」

「大丈夫な訳ないでしょ!運転替わるから、どいて」

「…大丈夫、だから」

胸に手を当てる。動悸はほとんどない、むしろ平静な心音。それが、まずい。

「…まだ治らないの?」

「大丈夫」

深呼吸、一回。世界が陰翳を取り戻す。僕はアスカに聞こえないように、小さく溜息をついた。

赤い色は、苦手だ。何かの拍子でトリガーが入ると、心が丸ごと吹っ飛ばされる。頻度は少なくなったものの、こういう時にこうなる事もある。参ったな。自分一人ならともかく、アスカまで道連れというのは流石にいただけない。

それにしても。棺桶に片足突っ込んで生きていた頃、僕は死ぬのが怖くて仕方なかった。命の危険もなくただ漫然と生きてる今は、死に恐怖を感じない。代わりに、息苦しさだけを感じる。濡れた毛布を身体中に巻きつけられるような。

結局、慣れてしまったということだろう。一年足らずの良くも悪くも濃密な時間。それが、否応なく僕を変えた。今こうしている間にも、僕の心はあの赤い海辺に立ち尽くしているのだ。

何物か見当もつかない何かを、僕は待ち続けている。それが必ず来るという保証はない。それどころか、一生何もなく人生を終える可能性のほうが高い。それでも、僕は待つ。かつて加持さんがそうしたようにこの街に根を張り、ミサトさんやアスカの嘆きに耳を塞いで。

きっと、僕は壊れているのに違いない。



カーステレオは、もう鳴ってない。低い振動音と風鳴りの音だけが車内に響く。濡れた埃の香りが、遠くに微かに匂う。ひょっとしたら一雨来るかもしれない。

「ねえ」

開けっ放しの窓枠に凭れたアスカが僕に話し掛けた。

「うん?」

「雨、降るかな」

「そうだね…降るかもね」

「そしたらさ」

アスカが僕の方を向いた。

「車捨てて、歩こうよ」

「え?」

「だって、気持ち良さそうじゃない」

「……」

僕の顔を見ると、アスカはすぐに残念そうな顔をして。

「冗談よ」

と言った。



アスカの父親と名乗る人から手紙が届いたのは、この間のアスカの誕生日の翌日だった。

「今更、何を話せって言うのかしらね」

宛名をしげしげと眺めながら、アスカは呟いた。

「たかだか遺伝子提供者ってだけの男じゃない。それとも、今になって親心でも目覚めたとでもいうつもり?」

悪態をつきながら器用にペーパーナイフを操るアスカ。しばらくそのまま短い文面を眺めていたが、突然びりびりとそれを細かく破り捨てた。

「……」

その顔は全く無表情で、その背中は他人を完璧に拒絶してた。だから僕はお茶を淹れる手を止め、アスカに話し掛けた。

「何が書いてあったの?」

「別に」

その話は、結局それで終わった。



アスカは、近いうちにこの街を出る。予感じゃない、事実だ。おそらくアスカはアメリカに赴き、色々とケリをつけるつもりなのだろう。

この街には、二度と戻ってこないかもしれない。僕の事も忘れ、誠実な伴侶を見つけ、子を産み、育て、どこにでもいるような老人になればいい。それは素敵に幸せな事だ。誰にも否定する権利はない。僕の爛れた傷口やミサトさんの十字架のペンダントにアスカが縛られる必要なんて、どこにもないのだ。

僕は、ここに残る。この場所から動く気にはなれない。僕はルノーを捨てられないし、十字架のペンダントを置いて去る事も、加持さんの問いに答えを用意する事も出来ない。赤い海を夢見ながら、酸素の足りない水槽の中の金魚のように生きていく。それが僕の望みだ。

アスカの青い瞳は、明日を見つめようとしてる。その瞳を曇らせたくない。わかってる、奇麗事だ。



ルノーを走らせる。僕の家へ、僕たちの家だった場所へ。

「今日の夕飯、何にするの?」

「カレー」

「げ」

アスカは、カレーが苦手だ。というより、辛いもの全般が苦手なのだ。

「あまりスパイス効かせないでよ」

「はいはい」

重いハンドルを、ゆっくりと取り回す。夕闇が、もうすぐ僕たちを包む。ふと気付く。ミサトさんの抱えてた気持ちは、こんな感じだったのかもしれない。

「明日は、焼き魚が食べたい」

「鮭でいい?」

「うん」

こんな会話を積み重ねて、一日が終わる。こんな一日を積み重ねて、僕とアスカが終わる。

「ねえ」

「ん?」

「アンタ、アタシの事、好き?」

「ああ、好きだよ」

投げっぱなしの言葉。薄れていく様々な感情。ピリオドもないまま、僕らはただ流されるように車を走らせる。



愛してるなんて、とても言えない。













FIN

















後書き


書いといてなんだが、この二人っつうかシンジをグーで殴りたくて仕方ないWhoops!です。みなさんこんばんは、生まれてすいません。

この駄作は2002年に一旦書き上げ、なんか駄目臭いなあと思って3年近く放置した代物です。それがこうして紆余曲折の末、人様の目に触れる事になるとは。世の中っておっかないですねと他人事のようにしみじみ思います。

しかし、他人様のサイトにこういったもんを送っちゃっていいんだろうか。まあいいか。次があるとすれば、もうちっとマシなもんになると思います。三只さん許してください、そしていつか俺をロハでWWE公演に連れてってください。ではまた。










放課後の教室に響いてくる、青臭くも熱を持った物語を真摯に書き上げるスタイルもwhoops!さんのものなら、夕暮れの湿った風にのって流れる傷ついたバラードを描くのも、またwhoops!さんの魅力なのです。

駄作と評されましょうがなんと申されましょうが、わたしには十分守備範囲です。是非またストライクゾーンへ球を放ってきてください。大歓迎です。

WWE公演ですか、みちのくプロレス公演なら、即座に連行して差し上げるところですが。まあWWEみちのく公演の暁にはエブリタイムご招待しますよビバ・ラ・ラッサ!


…こほん。素敵な作品をくださった whoops!さんに、みなさんも感想メールを出しましょう!






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