「……ダメだ。カヲル君、僕はもう駄目だよ……」

碇シンジはうなだれ、膝をついた。
既に体力の限界だった。何よりもう精神力が続かない。これ以上続けるのは自殺行為だった。
それでもカヲルは容赦無くシンジを叱責し、急きたてる。

「駄目だ、シンジ君。まだまだだ。出来るはずだよ。ほら、立って!」

やり直しは既に20回目を数えていた。

「もう限界だっていうのに……」

正直、シンジは死にそうだった。
これは親友であるカヲルの頼みであっても、全力で拒否したかったことだ。
それをこうやって「する」のを許容するだけで、かなりの精神力が必要になる。
なのに、いずれはカヲルと共にこれを……
悪夢のようだった。

そもそもことの始めから、いくらなんでもこれは無いだろうというほどの無理強いだった。
それでも、最終的には拒否出来なかった。
甘いマスクで爽やかな笑顔を振りまきながらジリジリと攻めてくるカヲルに、シンジは抗しがたい圧迫感を感じたのだ。
逃げ出したかった。
逃げ出そうとした。
というか、逃げ出した。
なのに、皆がそれを「する」のを容認してシンジに圧力をかけたのだ。
アスカまでが。
まさか彼女がこんな事に加担するなど思ってもみなかったが、事実そうなった。
あの時、アスカは悪意に満ちた笑顔で言ったのだ。

『面白そう、ね……あんた、やんなさいよ』

当然、そんな言葉に丸め込まれるほどシンジもお人よしではなかった。
何を言われようがしたくない事には変わらない。だいたい、他の誰かであってもこんなここと、決してやりたいとは思わないはずだ。
それでも彼女らはあの手この手を使ってシンジを追いつめていった。
シンジは逃げた。
逃げて、逃げて、逃げまくった。
しかし、その努力もむなしく、すぐに捕まり、精神がすりきれるまで説得された。
カヲルもそうだった。女生徒に人気があるのを良い事に、彼女らを使ってシンジを追いつめた。
つまりはカヲルもアスカもやる気満々だった。やる気満々で「それ」をシンジに強要した。
無理だ、こんなのできっこない……!
何度も言ったが、聞き入れてもらえなかった。
彼らの執拗な脅迫はシンジに耐えきれない重圧を与え――彼はついに精神の限界に達した。
そして、屈した。

「シンジ君、腰振りが足らないよ!」

嫌だ! こんな事!

「もっと足を高く上げなきゃ!」

もう嫌だ! こんな事するくらいなら、死んだ方がマシだ!

「……もう駄目なのかい? でもね、まだまだだよ!」

そんな、まさか、自分がこんなことをするなんて……!

『第壱中学第10回新入生歓迎会男子絶唱祭
〜カヲシンサンバ 踊れ、未来のチルドレン!〜』

そう表紙に書かれた小冊子を横目に、シンジは強要された振り付けこなしながら頭を抱えた。

男子絶唱祭

前編

Writer AzusaYumi

咲き誇っていた桜も散って、五月に入った。
ここ、第3新東京市の中学に入学してきた新入生達もようやく学校生活に慣れてきた。
シンジ達も既に三年生。下級生に対し、良き先輩として色々な物事を教える立場になった。

シンジ達第壱中学3年B組は、かつての“2年A組”がそのまま持ち上がったクラスだ。
彼らは対使徒戦用に作られた汎用人型決戦兵器”エヴァンゲリオン”のパイロットである“チルドレン”の候補として、国連直属機関ネルフの監視下で平穏とは無縁の生活を強いられた。もっとも、元々第3新東京市自体、”使徒”と呼ばれる謎の巨大敵性体を迎撃する為に作られた街だったので、使徒がやって来る度に、やれシェルターへ行けだの、やれ疎開だの、戦時中よろしくの状況であり、この街に暮らす者達ほぼ全員が平穏とは無縁の生活を送っていたのだが。

だが、なかでもチルドレン候補どころか、まさにチルドレンだったシンジ、アスカ、レイ、トウジなどはそれはそれはもう、痛い目に遭いまくって散々だった。使徒が来て、召集がかかり、エヴァに乗っては使徒迎撃、の毎日。死ぬような思いをしたのも二度三度の話ではない。レイに至っては一回死んだ経験まである。
まだまだ子供の中学生に人類の明日の平和を守らせようとする大人の方もどうかしていると言えるだろうが、それはそれ。そもそもエヴァに乗れるのがよりによって「母親がエヴァに取り込まれたお子様限定」だったというのが最大の間違いだったのだ。
子供しか乗れないエヴァにダダをこねる中学生諸君を無理やり乗せるのに、大人達は大変苦労した。
ともかく大変だったのだ、色々。
そうしてすったもんだで使徒をあらかた倒した後に、最後の敵が現れた。人の形と大きさをした使徒。そう、我らが第十七使徒タブリスこと渚カヲルである。彼は“フィフス・チルドレン”として自分達が至上の神となる事を企んでいた悪の秘密結社、ゼーレより派遣された。後にゼーレは「我々は悪の秘密結社などでは断じてない。人類の明るい未来を目指して……」とかなんとか強く反発、主張を繰り返したのだが……それはさておき。
とにかくタブリスことカヲルはよく解らない経緯でゼーレより派遣され、よく解らない事情でエヴァと対峙する事となり、シンジの説得を通じてあっさりとネルフに寝返った。
と、これは余談だが、使徒戦役中のカヲルとシンジとのやり取りが後に「妖しい」などとネルフ職員に囁かれたことがあった事を付け加えておこう。もっともシンジは「僕は普通だ!」などと強く反発したが、カヲルの方が同様の話を耳にした際、否定するどころか肯定しているように見えた為、彼の全力の否定は虚しくも空振りに終わった。
ただ、シンジと同居していたセカンド・チルドレンの惣流・アスカ・ラングレーだけは彼を擁護していた。
「このナルシスホモ男っっ! 変なネタばら撒くんじゃないわよっ!」
そう言って、カヲルに抗議していた。ネルフの職員たちはそんな彼女を微笑ましく見ていたが、本人はあんまり人からからかわれるのが好きでないのか、笑っている職員たちに対して逆切れしていた。

とまあ、こうして色々あって、使徒と悪の秘密結社ゼーレは滅び(ゼーレのご老人達は「まだ滅びてない」と主張しているが)人類も第3新東京市も平和になった。
元チルドレン及び元使徒タブリスこと渚カヲル、そして第壱中学の二年B組のメンバーはようやく普通の学生生活を送ることができるようになったのである。

で、季節も変わり、学年も上がり、新入生が入学する時期がやってきた。
そして五月間近、花粉もまだまだ飛んでいるこの時期だが、最初は物怖じしていた新入生達もようやく第壱中学校の校風に慣れ、自らが慕う上級生に様々な質問ができるようになってきていた。
そろそろ新入生歓迎会を開くのに良い頃合だった。
上級生としてシンジ達も彼らをより学校生活に慣れ親しむように導きたいところであるし、なにより先輩としていかに自分達が一線を画しているのか主張しておきたいという気持ちもある。そのため、歓迎会は凝ったものにしたい……そんなこともあって、企画会議では実に色々な企画が飛び出てきた。

「やっぱ、お笑いや! お笑いに決まっとるやろ! 新喜劇やーー!」

これは、関西系であるトウジの意見。

「我々生徒による生徒のための自主制作映画に決まってるだろ!」

これは、カメラ小僧であり、こだわりのマニアであるケンスケの意見。

「んなもん、テキトーに歌でも歌っときゃいいじゃん、アホくさ」

これは、中学生の催し物などという子供っぽいものに参加したくないアスカの意見。

「……私、何でもいい」

これは、主体性に欠けるレイの意見になってない発言。

「……まぁ、その、適当とか何でもいいとかはよくないんじゃないかなぁ……なんて……」

これは、特に言いたい事も無いが、いい加減な意見というのもどうかと悩むシンジからの一応の忠告。

「みんなちゃんと真面目に考えなさいよっ!」

これは、クラスの委員長で皆のまとめ役である、人呼んで仕切り屋ヒカリの怒号。

「ふふふ。面白いねぇ……」

これは、てんでバラバラの意見をただただ笑顔で見ているカヲルの独り言。

……とまぁ、放課後に第壱中学三年生代表、新入生歓迎会企画立案実行委員会役委員として召集され、学校の会議室で行われた検討会議に参加した彼らではあったが、このようにいい加減な事ばかり言っていた。
これは人選そのものからして間違っていたのだが、他の生徒達は気づいていなかった。
この会議のそもそもはこうだ。シンジはエヴァ初号機パイロット、レイは零号機パイロット、アスカは弐号機パイロット、トウジは参号機パイロット、ケンスケとヒカリはそんな彼らの友人、カヲルに至っては使徒だったというコアなメンバーなだけに、彼らは第壱中学では目立つ生徒だった。おわり。当然だが、ネームバリューだけで集められたメンバーであって、彼らに企画立案の才覚があるかどうかは別問題だった。
つまり、面倒な事は目立つ奴に押し付けておけといういい加減な他生徒達の思案がこのような結果を招いているということなのだが、それをいちいち気にする者もいなかった。
結果としては、各々が適当かつ勝手な事ばかりを言っているのでまとまるものもまとまらず、企画立案はうんざりするほど長々と平行線をたどっていた。

「…………じゃあ……」

傍観を決め込んでいたカヲルが口を開いたのは、そんなタイミングでだった。

「みんなで歌って踊るっていうのはどうだい?」

みんなが「ハァ?」という顔になる。

「なんや? 歌って踊る言うんのどこらへんが目新しいっちゅうねんな」

トウジがこれまでと同様、すかさずツッコミを入れる。しかし、カヲルは気にした様子も無く、そのまま続ける。

「まぁ聞てよ。最初は僕らが歌って見せて、その後に新入生と一緒に歌って踊るのさ。
これなら互いの交流が図れるよ?」

もっともらしい意見である。身勝手全開でロクな意見も出してないメンバーは一同にうなずく。
カヲルはさらに続けた。

「新入生も最初は歓迎を受ける側だし、簡単に溶け込めないと思うんだ。
だから、僕らが最初に歌って踊って先導してあげるんだよ」

「おお!」

感嘆の声が上がる。皆、他の生徒とは一線を画したいとどこかで思いつつもこういう事を考えるのは面倒だったので、この提案は即決された。
一部まとめるなかで、「歌いながら秘蔵写真上映会だーー」だの「踊りながら第3新東京市新喜劇じゃあー」だの、自分の趣味全開で脚色を付けたがっていた者もいたが、それらは所詮一握りの者にしかウケない代物であり、真っ当な案に絞るべきだということであっさり却下された。

「……なんだか、決まったみたいだね」

メンバー中もっともやる気の無かったシンジが、話のまとまった様子を見て、胸をなでおろした。
……が、そのとき。

「……じゃ、シンジ君。一緒にがんばろうね」

と、カヲルがシンジに笑顔で声をかけてきた。
その瞬間、シンジの背筋に何か冷たいものが走った。
普段と変わらない笑顔と言葉だったのに、何故だか判らないがシンジは戦慄を感じていた。
……気にしすぎか。
シンジは思い直し、そのままうなずいた。

こうして話し合いは終了した。
だが、後にシンジはカヲルの発言を放置したことで心底後悔することになる。

「やあ。集まったようだね」

またも春うららかな数日後の放課後、カヲルが爽やかな笑顔で会議室にやってきた。新入生歓迎会を執り行うに際して、さらなる詰めの調整を行うべく再びメンバーが集められたのだ。
とはいえ全員が全員、カヲルに企画立案段取り等々をほとんど押し付けていたので、既にメンバーの一部には彼の考えついたものに乗りさえすれば良いといういい加減な考えと惰性が蔓延していた。
特に、自分の趣味の企画が追加されなかった者(トウジとケンスケだが)はもうどうでもいいという態度丸出しだった。

「さ、これが歓迎会で歌う歌と、踊りの振り付けだよ」

そう言ってカヲルは手に持ったコピー紙の束をそれぞれメンバーへ手渡した。
一同は興味無さそうに手渡された紙を手にとって見る。
そして書かれていた見出しに、全員が目を点にした。

『第壱中学新入生歓迎会用歌 〜カヲシンサンバ〜』

「な、なんや?“カヲシンサンバ”?」

思わずトウジが声を上げた。何かのパロディーを思い起こさせるタイトルに反応したのだ。
他のメンバーも開いた口が塞がらないという表情になっていた。
特にシンジは自分の名前っぽい語句が含まれているこの見出しに、猛烈に何か言いたそうな顔だ。
だが、カヲルはそんな彼らの事など気がついていないのか、説明を続ける。

「これはね、第3新東京市を、人類を守った初号機パイロット、碇シンジとその友人にして使徒であり最後のシ者である僕こと渚カヲルが死を分かつ戦いで芽生えた友愛を新入生に知ってもらう為の歌さ。
ほら、二枚目の紙に歌詞を書いてるよ?」

カヲルに促され、全員が二枚目の紙に書かれた歌詞を見る。

『カヲシンサンバ』 作詞:渚カヲル

シンジ リリン’s サンバ
シンジ タブリス サンバ
シンジ エンジェル サーンバ
シンジ エヴァパイロッツ サンバサンバ
熱く熱く萌えるハート
今日もあしたも歌う嗚呼!
胸を焦がす視線
赤い赤い瞳光る
シンジ リリン’s (カヲシンサンバ)
シンジ タブリス (カヲシンサンバ)
シンジ エンジェル サンバ
シンジ カヲシン ビバ サンバ!(ウー!)

妖しさ全開、語呂から趣味から悪いことこの上ない歌詞である。
しかし、カヲル自身はこの歌に大変自信があるらしく、誇らしげにすら見える笑顔を見せていた。
それに対し、周りのメンバーは歌詞の紙を見ながら固まっていた。歌詞の下には何枚も何枚も踊りの振り付けが詳細に書かれていたが、そんなものなど誰も見ていない。こんな歌を考えるカヲルのこと、見るまでもなくヤバい内容なのは目に見えていた。

「……渚君……これ、誰が歌うの?」

沈黙を保っていた(口もきけないほど固まっていた)ヒカリがなんとか声を絞り出して尋ねた。
カヲルはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに百万ドルの笑顔で答えた。

「それは当然、僕とシンジ君さ」

「い、嫌だ!」

シンジが速攻で拒否した。

「こんなの……こんなの、嫌だよっ! こんな歌、歌えっこないよっ!」

どこかで聞いた気もするセリフだが、ここでは当然の反応である。変わり者を地で行っているカヲルならまだしも、なるべく平穏な人生を送ろうとしているシンジにとって、こんな歌を歌う事は拷問に等しき行為だった。
しかし、カヲルはそんな彼の気持ちなどまったく判っていない様子で切々と語りだす。

「何故だい? 僕らは命がけの戦いを通じて判りあったはずだよ?
決して相容れぬはずだった使徒とリリンとの共存……僕らは共に生きていく事は出来ない存在だったんだ。
それでも僕は君たちリリンの生き様を見たくて、こうしてここに残ったんだ。それを……」

「ごめん……でも、こんなの……駄目だよ……歌えない……」

いかにも深刻そうに話すカヲルに、シンジはなお拒絶の姿勢を崩さなかった。
一応、「ごめん」と言ったあたりは、シンジなりに断るのは悪いという思いの表れではあるが、だからと言ってギャグネタやパロディーに乗って何かをする度胸などない。
だが、カヲルの方はそれをネタだとか悪ふざけだとは思ってないらしく、笑ってはいるが目が本気だった。

そこで唐突にトウジが口を開いた。

「……せやけど、これ……面白そやな……」

ケンスケも、顎に手を当てながら呟く。

「確かに。渚とシンジで歌って踊る……結構イケるかもな」

「何言ってんだよ、二人とも?!」

シンジは慌てて言った。
しかし、二人は悪巧みでもするかのように顔を見合わせ、いやらしい笑みを浮かべた。

「なんや、おもろいやんけ。シンジ、ちょいやってみぃ!」

「そうそう! 碇! 我々の代表として歌って踊るんだ!」

二人ともニヤニヤ笑ってシンジをけしかける。
元々面白ければ何でも良いこの二人、最初こそ固まってはいたが、面白い事には変わり無いとがぜん乗り気だった。
シンジはそんな二人を見限り、救いを求めてレイとアスカの方を向いた。
しかし。

「……何でもいい」

シンジの視線もむなしく、レイはそっけなく言い放つ。元々主義主張の無い彼女、他人の決めた事に乗ればもう後は全て良し、というレベルだった。
あまりに冷たいレイの言葉に失望しながら、シンジはアスカの方を見た。
こちらは下を向いて考え込んだような素振りを見せていた。
しばらくして突然顔を上げ、ニタァ〜っと、それはもう、シンジも見た事が無いほどの邪悪な笑みを浮かべて言った。

「面白そう、ね……あんた、やんなさいよ」

「あ、あ、アスカぁぁ!?」

「私、あんたとバカフィフスが歌って踊ってるの見てみたいわ。張り切ってやんなさいよ?」

乗る気満々である。アスカはなんだかんだ面倒臭がっていても悪乗りするのは大好きだった。
悪乗りはもちろん面白いが、それより何より、シンジの普段のイメージからはおおよそ似つかわしくない歌と踊り……
想像するだけで可笑しくて顔が綻ぶ……というより、歪む。

これじゃ駄目だ。

シンジは唯一真っ当そうなヒカリの方を見たが、彼女の方は鼻息をフン!と吹き出し、多数決だから当然だ!と言わんばかりの表情をしていた。シンジはこの時ようやく、ヒカリは仕切るのは上手いが、多数派意見が可決してしまえば何でも通しかねない危険人物だったのだと悟った。

誰も味方がいないことと同時に。

「と、とにかく、ごめんっ! 僕は駄目! 駄目だからっ! 他当たってよっ! じゃあ!」

結局シンジは逃げ出すように会議室を飛び出した。
だから当然その後に、シンジをこの狂宴、いや、共演に引きずり出すための作戦会議が行われたことを知るはずもなかった。

シンジが現在の住処である葛城邸に戻ってきたのは16時頃、同居人であるアスカが、しきりに異様で不気味な含み笑いをしながら帰ってきたのは18時頃だった。そのあまりの笑いと遅れに、シンジはアスカに一体二時間も何をしていたのかと少し聞いてみたくなった。
だが、会議室には彼女の友人であるヒカリがいたのだ。そのこともあって、もしかしたら遊んで帰ってきたのかと思い直し、問いただすのは止めにした。
まぁ何か企んでいても一切合財無視して拒否すればいいだけの話。気にしないでおけばいいのだ。

そして、翌日。アスカは朝早く出かけて行ってしまった。
少し気にはなったが、鞄が無かったのを見て学校へ行ったのだなと思い、シンジはのんきに登校していった。

「碇君! カヲル君と共演するんですって?!」

シンジは教室に入った途端にクラスメイトの女子から声を掛けられた。
……共演?
一瞬何の事だか判らなかったが、昨日の事を思い出し、ゾッと寒気を覚える。

「って、なんでそんなこと知ってるの? 僕は……出ないよ?」

「えー? でも、クラスの後ろの掲示板に、ほら……?」

その女子は教室の後ろを指差した。シンジがそちらに目を向ける。

『第壱中学弟10回新入生歓迎会男子絶唱祭
〜カヲシンサンバ 踊れ、未来のチルドレン!〜』

という大見出しが踊る巨大なポスターが掲示板に貼られていた。
背景写真はシンジとカヲルが銀のプラグスーツと金のプラグスーツを身に着け、手と手を取り合って踊る、なんとも言えないものだった。体にぴったりフィットしたスーツが男のボディーラインを強調しまくっている上に、メタリックな素材が嫌な具合に輝いていて妖しい事この上ない。クネクネっとポーズを決めている辺りもまた不気味だ。

「な、な、なんだコレ〜〜〜?!?!?!?!」

カヲルとシンジのツーショット写真。
シンジに取った覚えなどないのでこれが合成であるのは明らかだが、こんなものを作れるのは……

「ケンスケっ?!」

シンジは振り返ってケンスケの席の方を見た。
自分の席で趣味のデータをいじくり回していたケンスケが眼鏡を光らせ、ニヤリと笑う。

「ケンスケ〜〜!!!」

半泣きにシンジは叫んだが、ケンスケは何処吹く風。まったく気にしていない。
それどころかシンジに追い討ちをかけるようにさらりと言った。

「あ、今のポスター。トウジが校内中に張りに行ってるぜ?
委員長もビラを千枚くらい刷って新入生のクラスに配布しに行ってるし」

「えええええええっ?!?!?!?!」

衝撃の告白に、シンジが茫然自失となって立ち尽くす。
僅か一晩で合成写真ポスターを作ったケンスケもすごいが、ビラを千枚用意してくるヒカリもすごい。
シンジは口を開けたままポスターを眺めていたが、そこに通りがかった女子の話し声が耳に入って現実に戻される。

「惣流さんってばさぁ、シンジ君がカヲル君と共演したら、付き合うんだってぇ〜?」
「ウッソー?! あの二人、最初から付き合ってたんじゃないのっ!?」
「それがさぁ、結婚を前提にした付き合いだって!」
「過っ激〜! 中学生なのに婚約ぅ〜!!」

は? 僕とアスカが付き合う? 婚約??
そこだけ立ち聞きしてしまったシンジは何がなんだか判らない。
それも実はアスカが朝早くに学校に来てクラスの女子に片っ端から流した噂なのだが、シンジが知るはずもない。アスカの主張するには「自分を餌にすることでシンジを舞台の上に立たせられるから」らしいが、多分に彼女自身の願望も含まれているのは否めない。
しかしそれも、事情を知らないシンジにとっては当然判るはずがなかった。

「あっ……やだっ! あれ、噂の碇君じゃんっ!!」
「うわぁ〜ホントぉ〜!」

噂話をしていた少女達に自分がいる事を気づかれ、シンジは慌てて教室を飛び出した。

何だ、何なんだ?!
自分がうかがい知らないうちに、かなり追いつめられている。どうやら外堀を埋める事でいやがおうにも参加を余儀なくさせる魂胆だ。しかし、そんな脅迫如きに屈するシンジでも無い。いざとなれば彼には秘策がある。
そう、最強にして最低の秘策である、「三十六計逃げるに如(し)かず」だ。
何でも逃げさえすればまず自分は面倒事に巻き込まれずに済む。
卑怯かもしれない。臆病かもしれない。ずるいかもしれない。
しかし、何が哀しくてあんな歌と踊りに参加しなくてはいけない?
そう、彼の辞書に「背水の陣」なるものは無かった。ただ逃げる。とにかく逃げる。逃げて逃げて逃げまくるのみ!

「ぜぇぜぇぜぇ……」

シンジは生徒の間をかいくぐり、あちらこちらに張られていたポスターの横をすり抜け、校庭の片隅に植わっているポプラの木の下までやってきた。結構早めに学校に来たのに、もうすぐホームルームの時間になりそうだ。
でも、出られない。今出たらホームルームで逃げ場を一切ふさがれ、冷やかされながらあの歌と踊りをやらざるをえない展開になりそうな予感がしたのだ。

「もう嫌だ……もう嫌だ……もう嫌だ……」

シンジはポプラの木に寄りかかってブツブツと呟く。
そこへ、ザッザッと砂を踏みしめる音が聞こえてきた。
後ろに誰かが来ている。
慌てて振り向いた。

「碇君……」

「あ、綾波……?」

レイだった。シンジを赤い瞳で真っ直ぐ見すえて突っ立っている。
ただ、何か様子が違う。肩をいからせ睨む視線にはいかにも不機嫌そうな雰囲気が漂っている。
何事だ?

「碇君……あなた、セカンドの“初めて”を奪ったのね……?」

「はぁぁぁぁ?!?!?!?」

何の“初めて”なのか、シンジには訳が判らなかった。

「セカンドが言ってた。からかっただけで碇君に奪われたって。セカンドは、本当は嫌だったのに。碇君は彼女が未経験だったからという弱みにつけこんで……」

何か、おかしい。シンジがアスカに何かをしたことになっている。
実はこれもアスカの仕業だった。アスカは昨日、シンジが帰った後に会議室で隣に座っていたレイにヒソヒソ話で、シンジと自分がファーストキスを交わしあった時の話をしたのだ。実際はアスカがシンジを煽ってのキスだったが、レイに話す際には実際よりも誇張して話していた。もちろんこれには“シンジをレイに取らせない”という思惑もあったのだが、レイはまったく気づかなかった。それどころか単純なレイはすっかり真に受けてしまったのだ。
まさにモノは言いようというヤツである。
主体性も無く自分で物事を決めないレイだが、意外に責任感は強かった。あっという間に責任を取らなかった(と、思い込んでいる)シンジに対し、怒っている有様だった。

「それでもいいの? あなたは、セカンドの初めてを奪ったままでいいの?」

マジになって語るレイ。
“初めて”というのを何か別の事と履き違えているようだ。

「ち、ち、違うよっ?! 僕は何も……」

シンジもシンジでちゃんと事情を話せば良いものを、先に言い訳じみた事を口走った。
レイの赤い瞳がキラリと光る。

「そう。なら、セカンドに殺されれば?」

さらりと恐ろしい事を口走るレイ。シンジの背に冷たいものが走る。

「碇君が今度、新入生歓迎会で大勢の前で歌って踊って正式に交際を申し込めば、許してあげてもいいそうよ?」

とんでもない所からとんでもないオマケつきで歌と踊りを強要された。しかも、理由からして身に覚えがなさすぎた。

「……碇君」

レイはいつも以上に抑揚の無い声で名前を呼んだ。ものすごいプレッシャーだ。
気の弱いシンジはこの圧力に押されそうになる。
でも、あの歌は……あの歌は……あの歌は……!!!

「やあ、シンジ君」

その瞬間、後ろから誰かが自分を呼んだ。
シンジは生唾を飲みつつ、ゆっくり後ろを振り返る。

「カヲル君……? って、え?」

カヲルがいた。
いや、カヲルだけではなかった。女子の人だかりが後ろに続いている。

「碇君、探したのよ〜?」
「もう! どうしていなくなっちゃったのよ〜」
「ホント。渚君、ずっと碇君の事探してたのよ〜」

見覚えがある。クラスの女子だ。
その後ろに続く少女達。こちらは見覚えが無いが、校章の色からして二年の女子だ。

「カヲル様と共演するんですよねっ!!
「カヲル様と手をとりあって踊れるなんてうらやましい〜!!」
「私たち、後ろから精一杯応援しますっ!」
「カヲル様と一緒に頑張りましょうねっ!」

“カヲル様”………
シンジの顔が痙攣する。

「バックダンサーの女性達だよ。僕らの為に一緒に踊ってくれるんだ。シンジ君、がんばろうね」

カヲルが笑顔で言った。
シンジはポプラの木に手をついたまま、ずるずるとその場に崩れ落ち、地に膝をつく。

もう駄目だ。モウ駄目ダ。モウ駄目……。

カヲルの笑顔と後ろに控える女子達の黄色い声に、シンジは精神の限界を感じた。

「いいよ、やればいいんだろ?」

地面に手をつき、うなだれて了承の言葉を口走る。
とうとう屈した。シンジの負けは、決したのだ。全ての者達の思惑は、ここに成功した。

以降、シンジは新入生歓迎会の日まで放課後と休憩時間を踊りの為に費やす事となった。

初稿: 2006/05/03 Writer: AzusaYumi / Proofreader: Prof. North




後編