別に頼んだわけじゃない。

もしかしたら早く帰るかも知れないから、と電話で軽く告げただけだ。

某ホテルの抽選招待の、女性向けのカクテルパーティー。

唐突にミサトがチケットをくれた。

そんなにお酒は好きじゃないから、なにぶん急な話だから、長居する予定はなかったんだけど。

結構バーテンダーのパフォーマンスや美味しい銘柄も見つけて、気がついたらだいぶ遅くなってしまった次第。

なのに、このバカは…。

不思議と安らいだ気持ちで、アスカはテーブルに突っ伏して眠る同居人の姿を見やる。

灯りの落とされたリビングのテーブルの上には、童顔の穏やかな寝顔。それと、布巾を掛けられた夕食の皿が一組。

どうやら、夕食を用意した挙げ句、待ちくたびれて寝てしまったらしい。

ご飯つくってあたしの帰りを待っているなんて、まるでどっかの新婚夫婦みたいだわね。

普段は当たり前の光景を偉く新鮮に感じた。

青い瞳がこの上なく柔和な光を湛えている。

ドレス姿のまま、はしたなくシンジの顔の隣、テーブルの上に腰を降ろす。

さわさわとシンジの前髪あたりを撫でる手つきは、まるで壊れ物に触れるかのごとく優しい。

こちらに向けてさらけ出される彼の片頬が、大きな窓から差し込む月明かりに照らされてやけに白く見えた。

ふとアスカは、その白地に何かを記したい欲求に駆られた。

白には赤が似合うだろう。…ふむ、今日の口紅は、ちょっと赤がきついヤツだっけ?

だったら、つけて見るのが一番よろしい。

フワフワとした思考のまま、実践すべくアスカの顔がシンジの片頬へ近づいて…。

………ひょっとして、あたしって今、お酒臭くない?

嗅覚が、彼女の酔いで高揚した感覚に急ブレーキをかけた。

お酒臭いキスをされたら、さすがにシンジも不快に思うかも知れない。

だいたい、酔っぱらってされたものだとすれば、嬉しさも半減しちゃうんじゃないの?

ややあって、アスカは上体を起こし、シンジから顔を遠ざけた。

結局、キスはおあずけにする。

いや、そもそも、コイツにキスなんてもったいない。

そんな安くばらまいていいものじゃないのだ、あたしの唇は。

ああ、酔っぱらってとんでもない暴挙に出るところだったわ、危ない危ない。

胸をなで下ろし、ワザと悪態をついてみせる。

一連の述懐は、乙女のプライドなのか、思わず本心を剥きだしにしてしまったことへの照れ隠しなのか、微妙なところだ。

それにしても、やけに心臓がドキドキとうるさい。

テーブルから立ち上がったアスカは、リビングの大窓を開け、ベランダへと出た。

冷たい夜風が酔いで火照った身体に心地よい。

青い月明かりは、不思議と心を落ち着かせてくれた。

なんとなくアスカは、ドレスの薄い飾り布の一枚を外し、後ろ髪に被る。

そうすることによって、より多くの月光を孕めるような気がしたから。

深い意味はない。ただ、そうしたいと思ったから、そうした。

夜風にそよぐそれは、きっとヴェールみたいに見えるんだろうな。別に何も隠しちゃいないけど。

クスリと笑うアスカの耳に、声が響く。


「……………アスカ?」


声のする方向、つまりはリビングを振り返れば、いつの間にか目を覚ましたシンジがこちらを見ていた。






































ああ、アスカ、綺麗だよ。まるで、花嫁さんみたいだ。



ありがと。………なんなら、本当に、アンタのお嫁さんにしてくれる?



…うん、僕でよければ、喜んで。










月の光が演出した寸劇。或いは短すぎる妄想。

つまりはそれが月の魔力の催した成果、ルナティック、狂的ということだろう。

それでも、その強力な酩酊感は何ものにも逆らいがたい至福の一瞬だった。

なのに―――――。







現実は、極めて散文的なシンジの台詞が、アスカの夢見心地を粉砕している。










「…そんな薄着のままでそこにいると、風邪引くよ…?」







「……うっさいわよ、分かってるわよ、バーカ!!」









酔いとともに、月の魔力も霧散していくのをアスカは感じる。

怒りがそれらのリリカルな感情を駆逐していく。

まったく、これだから、こんな鈍感バカだから、あたしはつくづく苦労するのだ!

足音も高くリビングへ舞い戻り、アスカは声高く命令した。

「ほら、さっさとお風呂わかしなさい!!」

「…お酒飲んで来たんでしょ? 酔っぱらったままお風呂入るのは不味いとおもうんだけど…」

「つくづく真面目でゆーずーがきかないわね、アンタは。……なんなら、アンタも一緒に入って、あたしを監視したら?」

ケケケと笑うアスカの声に面くらい頬を染めたシンジだけれども、一転真面目な顔つきで断言する。

「やっぱりアスカ、酔ってるよ。もう今日は寝て、明日の朝にお風呂に入ったほうがいいよ」

「だああぁぁら、あたしは酔ってないつーの!!」





ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあと灯りの落とされたままのリビングは非常に騒がしい。 

その二人の姿すら、優しく青白く染め上げて、月はそこにある。

きっと騒ぎ疲れた二人をも、穏やかに見守っていることだろう。

満天の星空に月は高く、夜はまだまだ長い。












イラスト:azusayumiさん 

文責:三只


(2005/11/10掲載)
  




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