ヒラヒラと舞い落ちる枯れ葉。

地面に散らばるそれを竹箒でかき集め、アスカは空を見上げた。

青い空には鱗雲。上天気である。

箒を小脇に抱え込み、アスカはセーターの襟首を寄せ合わせる。

照りつける日差しは熱いくらいなのに、枯れ木を振るわせる風は冷たいのだ。

秋なんだなあ…。

しみじみとアスカは呟いた。

水色の空の下、山々が紅葉していた。

ここ、碇邸の庭にも、落葉樹は葉っぱをぼとぼと落としてくれる。

赤トンボが空を飛び、朝晩はびっくりするくらい気温が下がるのだ。

このような季節を指して『秋』という。

どことなく冷たくほろ苦い空気に、アスカはすんと鼻を鳴らす。

なんか胸の奥が微かに締め付けられるよう。

そういえば、昔読んだ詩集だか哲学書だかに、秋は人を感傷的にさせるとあった。乙女なら尚更だとも。

ふむ、あたしもまだまだ立派なオトメなのね♪

ご満悦の笑みを浮かべるアスカであったが、途端にお腹がきゅーっとなった。

たちまち赤面、しかめっ面になるアスカ。

秋と言えば『食欲の秋』。

もともと気温が下がるため、身体が通常より多く熱を発し、体内のカロリーを消費させるのだ。

だから、これは自然現象よ、うん!

自分自身を納得させるように、力強く断言する。

晴れやかな空を見上げるアスカの背後で歓声があがった。

駆け寄ってくる人の気配に、もうしかめっ面じゃいられない。

振り返った彼女の先には、三つの小柄な影。

お揃いのセーターと髪を枯れ葉まみれにし、まるで三つ子の森の妖精のように愛らしい。

「はい、おかーさん、ドングリだよう!」

膝を折り、元気いっぱいの声に微笑み返しながら、アスカは思う。

…やっぱり、三人もの子持ちじゃあ、乙女はちょっと辛いかな…?





















            50万ヒット記念SS




























常夏だった日本が四季の変化を受け入れ始めて10年。

つまりは、あの最終決戦から10年。

サードインパクトは避けられたけど、なんかとんでもないエネルギーが発生して、それが地軸になんとも難しく作用したらしい。

薄紙を重ねるような微々たる気候の変化は、ようやく体感できるほどの輪郭を示してきていた。

この感覚は、セカンドインパクト以前生まれの世代はそれほど違和感を覚えないかもしれない。

2000年以前に気候が戻っただけである。

また、最近生まれた子供たちも同様だろう。物心つくまえに、四季が戻ってきているのだから。

アスカの青い瞳は、腰のあたりのまとわりつく息子たちを優しく映している。

とすれば、やっぱりあの季節を生きたあたしたちは、四季の新鮮さに戸惑うあたしたちは、人類全体から見れば少数派なのだ。

別段マイノリティであることを厭うわけではない。

そのおかげで、その年代に生まれたことで、色々な人と出会えたから。

あの短くも暑い時代に出会ったアイツ。

まさか最愛の人になるなんて想像もしてなかったけれど。

でも、今は胸を張って宣言できる。そして、ここに幸福の証は結実している。

勢いよく差し出された小学一年生の長男坊の手の上には、ドングリの実が三つ。

その後に続く5歳の次男、4歳の長女の紅葉のような手にも、それぞれ一個ずつ乗っていた。

「はい、ありがとうね…」

長男の髪とセーターにひっついた落ち葉をつまみながら、アスカは破顔してみせる。

馬鹿丁寧に一つ一つを検分してから、若い母親は幼い子供たちの背後を指し示した。

「ほら、おじいちゃんたちにも見せてきてあげなさい」

「はーい!」

元気良く駆け出し、勢いよく転ぶ。もっとも、庭の芝生に加えたくさんの落ち葉もクッションになってくるので、怪我をする心配はない。

歓声と喜声を上げながら転がる子供たちを、アスカは呆れ半分、微笑半分で眺めたものである。

さてと箒を持ち直した彼女は、落ち葉の散乱する庭にやや辟易した表情を浮かべた。

今現在、彼女ら一世帯が住む碇邸。

アスカにとっては義父、子供たちにとっては祖父である碇ゲンドウ氏のプレゼントである。

7LDKもの豪邸に準じて、庭もとにかく広いのだ。掃除するのも一苦労。

まあ、今回は別に掃除しているわけじゃないけどね。

落ち葉の小山を作り、アスカは一息をつく。

微かに木の燃える香ばしい匂いを圧倒して、美味しそうな匂いが風に乗って流れてきた。

匂いのもとは、庭の中心で火にかけられた大きな鍋。

その鍋をかき回している人影も視界に収め、アスカの顔が弛んだ。

童顔の額に汗を浮かべ、鍋をかき回している夫、シンジ。

ふつふつと鍋の中で煮えているのは、彼手製の芋煮汁。

本日は、知り合い一同を集めての盛大な食事会。

碇家では、頻繁にこの手のイベントが催され、広くて持て余し気味の邸内や庭が会場として提供される。

今日は天気もいいから屋外で、というわけだ。

もちろん、理由はそれだけに留まらない。

秋の味覚を堪能するには、屋外であることがうってつけなのだ。

一つに、アスカが掃き集めている落ち葉。先ほど独語したとおり、何も掃除しているわけではない。

この枯れ葉は燃料である。出来上がる予定なのは、秋の味覚にして乙女の永遠の大好物、焼き芋だ。

…葉っぱはこれくらいで大丈夫かな? さて、次の準備でもしなきゃ。

箒を放り出し、アスカがシンジのもとへと赴こうとしたとき。

彼女の背中の落ち葉の小山が爆発した。

四方八方に飛び散る落ち葉。そしてその中心には。

「ふふふ、ある時は5つ、ある時は1つ、実体を見せずに忍び寄る白いかぐぇえぇっ!?」

「どこから飛び出してきてんのよ、あんたわ!?」

物理法則を無視して出現した不審者の顔面に、すかさず箒の柄を叩きこんでアスカは激昂する。

「アタタ、相変わらず乱暴だなあ、キミは…」

痛打された鼻を押さえ、端正な顔を歪ませる不届きモノ。

その正体は、本日の招待客で、永遠のシンジの 愛人 親友を自称する、渚カヲルその人であった。

「せめて決め台詞くらい言わせてくれてもいいじゃないか、ははははぐふうっ!?」

老若男女あらゆる人種を魅了する笑顔も、こと碇夫人アスカには通用しない。即座にみぞおちに二撃目を喰らわせている。

うずくまるカヲルに、アスカの声は1グラムの容赦もない。

「せっかく集めた落ち葉が全部散らばっちゃったじゃないのよ!!」

「それは、いわば演出に伴う必要経費みたいなもんで…。とゆーか、ボケ殺しのスキルまで体得したみたいだね、キミは♪」

悪びれた様子も見せず感心するカヲル。

「わけわかんないこと言わないで、散らかした分さっさと掃き集めなさいよね!! あ、ついでにこの庭全部もよ!」

一喝して、アスカは箒を押しつける。

「庭全部って……この庭の全て?」

広い庭を前に茫然とするカヲルに、もはやアスカは一瞥もしなかった。

彼女の興味は、すでに他の来客へと向けられている。

今まさに敷地内へと足を踏み入れた二つの影。

片方の影が極端に小さいのは、子供だからだろう。

影はゆるゆるとアスカへと歩み寄り、抑揚の少ない声で挨拶をした。

「…こんにちは」

渚カヲルの連れ合い、渚夫人レイである。

「こんにちは、なのです」

ぴょこりと頭を下げたのは、その娘でミレイという。

「はい、いらっしゃい」

笑顔でアスカは歓迎の意を示す。

特に、渚家の娘に対する笑顔は、自分の子供たちへと向けるものと遜色ないほどのにこやかさだ。

一転、その母親には、ややトゲの混じった視線を向けるアスカ。

彼女は、背後を親指でさして、苦言のようなものを呈してみせる。

「…あのさ、アイツの奇行はどうにかなんないの? アンタの旦那でしょ?」

対して、アイツ呼ばわりされた渚カヲルのその夫人の返答はこう。

「しょうがないわ。あれが仕様なのだから」

涼しい顔で断言されてしまい、さすがのアスカも二の句が継げない。

「そ、それはともかくさ、アンタんちの差し入れは、何?」

不利を悟ったのか、やや強引に話題を変える。今日の会食は、参加者が一家単位で持ち込みするのが原則なのだ。

一つ頷いて、レイは両手にぶら下げたものを地面に下ろす。

それは二つの炊飯器で、結構な容量がありそう。

アンタ、よくこんなのぶら下げてきたわねえ…と半ば呆れながらアスカは蓋を開ける。

すると、たちまち馥郁たる香りが立ち上り始めた。

「うわあ…!」

アスカが歓声を上げるのは無理もない。炊飯器の中身は、それぞれが混ぜご飯で満たされている。

向かって右は栗ご飯。左は松茸おこわ。

菜食原理主義で通ってる渚家ならではのチョイスといえよう。

両手を打ち鳴らし、アスカははしゃぐ。

「あっちにシンジいるから準備を手伝ってちょうだい。あ、レイ、アンタたちも焼き芋食べるでしょ?」

無言で頷く渚夫人へ頷き返し、アスカは次の来客に向けて駆け出す。

今度やってきたのは加持夫妻である。

「いらっしゃい、ミサト! …また盛大に持ってきたわねえ」

皮肉っぽいアスカの視線は、ミサトが押しているカートに釘付け。

重そうなカートの上には、ビールケースがダース単位で積載されている。銘柄は記すまでもない。

「うふふ、今日は全力で飲むからね♪」

そう断言する四十路ラインギリギリの加持夫人ミサトは、冗談抜きでブッシェル単位でビールを消費してのける。

独身時代のあだ名『ガロン葛城』より更に研鑽を重ねたといえよう。

「いっつも全力で飲んでいくじゃない…」

そういうアスカの声も、呆れを通り越してもはや諦観の境地。

型どおりに加持リョウジへと挨拶をして、アスカの興味はその娘へとスライドを開始。

自分の長男と同日に産まれた加持家の娘だ。

「こんにちは、サトミちゃん」

「こんにちは」

にぱっと笑う母親譲りの青みがかった髪を撫でてやる。

続いてのど元をくすぐる手つきは、まるでネコをあやすよう。

コロコロと加持家の一粒種サトミ嬢を笑わせておいて、アスカはその両親も促した。

「さあ、全員そろったし、そろそろ始めましょうか」

庭の中央には既にテーブルと椅子が設えてあった。

そこへ向けて歩み始めた姿に、背後から声をかけたものがいる。

「…あの〜、僕もいっていいかな?」

律儀に落ち葉をかき集める渚カヲルの声は、完璧なまでに無視された。

一人、喧噪の輪の外で佇むカヲル。

さて、どうしたものか?

彼は思案する。

もういい加減庭掃除などほっぽといて、宴会に混ざりに行くのが正解かと思われた。

しかし、碇夫人の命令は絶対である。途中で依頼を放り出したときの怖さは、想像力を上回ってあまりある。

厚顔無恥で無敵と思われるカヲルにも、苦手なものがあるのだ。

結論。

ようは、言われた通り庭を全部掃除すればいいわけだね♪

なんとも陽気かつ前向きな姿勢で、彼はまだ3割ほどしか終わっていない落ち葉集めを再開した。

はてさて、どれくらいでこの広大な庭全てを掃き清められるのだろうか。

答えは、庭先を掠め去る秋風しか知らない。

また、彼の無駄にリズム感に溢れる呟きを聞いたのも、また秋風しか存在しなかった。

「お出かけですか、レレレのレ〜…………」


















グツグツと煮える芋煮汁のかまどの隣。

そこに並べられた七輪。

パチパチと炭火が弾け、サンマの脂が落ちるたび、なんとも食欲をそそる匂いが周囲に漂う。

二つの七輪には二つの団扇。

そして、当然、仰ぎ手も二人。

片方は、そろそろ老年の域に差し掛かりつつある碇ゲンドウである。

もう片方は、老年期絶頂の冬月コウゾウ73歳であった。

「ほら、碇。もっとしっかり仰げ。…いやいや違う、火勢を増すためではなく、煙を吹き飛ばすために仰ぐのだ」

炭火から立ち上る煙をそのままにしておいてはいけない。

なぜなら、煙で燻されるとサンマは嫌な匂いがついて不味くなるのである。

ゆえに、サンマを焼いている間中、団扇で仰ぎ続け煙を散らさねばならない。

別に炭火を煽っているわけではないのだ。

嬉々としていう冬月に、ゲンドウは憮然と団扇を操る手に力を込める。

どだいこの手のものを扱う手練も知識もない男だ。ネルフ総司令の肩書きもこのようなレベルでは何の意味もなさない。

対して、生涯独身の冬月とて家事がこなせるというわけでもない。

ただ、この場では冬月のみが、リアルタイムで七輪を活用した世代なのである。

いわば独壇場であった。

「…そろそろ、ひっくり返してもいいか?」

内心ではどう思っていようと、ゲンドウは素直に訊ねた。

こと冬月を頼りにしてしまうのは、今も昔も変わらない。

「ああ、いかんいかん! 碇、いいか、サンマは殿様に焼けといってなあ…」

語尾は尻切れトンボになり、団扇を仰ぐ手が止まる。

それはゲンドウも同様で、彼らの老眼も進んだ双眸は、こちらに駆け寄ってくる三つの小さな姿を映している。

「おじいちゃん、フユじいちゃん、どんぐりだよ!」

可愛い孫たちの姿に、思わずゲンドウは相好を崩す。

冬月にいたっては老いさらばえた骨格が崩壊する勢いだ。

団扇を放り出し、無言で初孫の頭を撫でるゲンドウに対し、冬月は二番目の孫からドングリを受け取る。

「ほうほう。これはいいドングリだ。ではちょっと待ってなさい」

別にドングリにいいも悪いもないだろうが、孫バカと化した冬月は頓着しない。

そんな彼が手に持ったのは二本の竹串である。これは、芋煮汁を作るシンジが、里芋の煮え具合を確かめるために準備したもの。

それと大きなドングリと小さな二つのどんぐりとを組み合わせることしばし。

「ほら、出来たぞ」

そういって冬月が孫たちに差し出したのはやじろべえだった。

大きなドングリの左右に竹串を刺し、その両端に小さなドングリを差し込んでバランスを取る。

微妙に竹串の長さを調節しているあたり、なかなか芸が細かい。

「わあ、ありがとう、フユじいちゃん!」

子供らの歓声に、もはや冬月は夢見心地である。当然、傍らから突き刺さるゲンドウの恨めしげな視線にも気づかない。

「フユじいちゃん!」

そう呼ばれるのが涙が出るほど嬉しい。

元々は冬月じいちゃんなのであるが、とかく幼い子供にはフユツキの発音は難しいらしい。

舌っ足らずでフユッキと連呼していたが、それも言いにくいのかフユじいちゃんで定着してしまった。

以前、長男孫に間違えて「フユちゃん」と呼ばれた冬月は、年甲斐もなくその尖った皺だらけの鼻から盛大に放血したそうな。

ああ、孫かわいや。

元気よくお礼をいって、やじろべえを他の客に見せるため走り去った孫たちの姿を見送る。

皺だらけの顔には笑みが浮かび、綻ばすという表現を体現していた。従って、冬月の表情は不定形生物に酷似したものになる。

隣で一人面白くなさそうな顔付きのゲンドウが、珍しく嫌みたらしいことを口にした。


「…いっておくが冬月、わたしの孫だぞ?」

       ・・
「ああ、わたしたちの孫だな」


「………………」


ますます不機嫌そうに顔を歪め、ゲンドウは邸宅を振り仰ぐ。

リビングへと通じる大窓が開け放たれ、そこから甲斐甲斐しく食器やなにやらを運搬している妻と息子の姿が見えた。

今の彼の妻は後妻である。

旧姓赤木リツコとの間に、結局子供はもうけていない。

従って、息子シンジとリツコの間には、なんら血縁的なものは存在しない。当然孫ともだ。

その点を言えば、冬月など赤の他人もいいところである。

なのに、これらの他人同士が渾然一体となり家族を作り上げている不思議。

それがこの上なく温かいコミュニティであることの奇跡。

束の間の満たされた沈思は、鼻面を掠める焦げ臭い匂いで砕かれた。

「おお、燃えとる、燃えとるぞ、碇!」

サンマが激しく燃えていた。

同様に気づいた冬月も騒ぐが、脂の乗りきったサンマはひたすら火勢を強めるばかり。

どうにか消火に成功するも、網上のサンマはほとんど黒炭の親戚と化していた。

「…食えると思うか?」

「無理だろう…」

孫バカ爺二人は、顔を見合わせうなずくと、そろって焼き網を交換する。


















碇シンジはキッチンとリビングを往復していた。

メインの一つ芋煮汁はほぼ完成したので、もう一つのメイン、サンマの刺身を載せた大皿を冷蔵庫から引っ張り出す。

それにともなう小皿、醤油、生姜のすり下ろしも用意。

さらに、小鉢やドンブリ、割り箸、グラスなども一通りそろえ、すべて庭先まで運搬しなければならない。

レイとその娘が手伝ってくれるのはありがたかった。

なのに自分の子供たちが遊びほうけているのがちょっと恥ずかしい。

更に、もう一人手伝ってくれている人物がいる。

「あ、シンジくん、こっちも持っていたっほうがいいかしら?」

義母であるリツコ。

彼女と二人きりになると、なんとなく気恥ずかしくなるシンジである。

「はい、お願いします」

自分でもよそよそしいと思う返事をしながら、シンジは、今は黒くなったリツコの後ろ髪を視線で追ってしまう。

全然見知らぬ関係ではない。知り合いが義母になったといっても過言ではない。

そして16歳という年齢差。

これが、形容不能な壁となっていると思う。

一面、気楽なことも否定できないけれど、いっそ全く知らない人のほうが、うんと年上のほうが、素直に呼べたかも知れない。

「義母さん」と。

もちろん、母と聞いて脳裏浮かぶのは、亡母の碇ユイだ。

同時に、ほとんど思い出がないことにも気づく。物心つくまえに母は初号機に飲み込まれたから当然だ。

だからというわけではないけれど。

母親に対して、漠然と甘えてみたいという憧れがある。

声に出して呼んでみたいと思う。

しかし、劇的な変化を期待するわけでもない。ほとんど自己満足の世界だ。

母性を妻であるアスカに求めてもいいはずだけど、それは彼女のキャラでないし。

だいたい産まれてきた子供たちにこそ、それが必要だろう。

20も半ばになっておかしいよね…。

頬に苦笑を浮かべるシンジであったが、不意に実行する機会に恵まれていることに気づく。

折しも、レイは食器を抱えて庭先に出たところ。

広いキッチンだけど、声をかけられる距離。

そして、いるのはリツコと自分の二人だけ。

だから、シンジは包丁を操る手を止めて、声をかけようと試みた。

「あの、リツコさん! 」

「え、なに? どうかしたのシンジくん?」

「…ええと、その、リツコさん、か、か…!!」

いうんだ。呼ぶんだ。かあさんって。

「?」

「か、か、か、柿も食べますぅ!?」

ちょっとだけ訝しげな表情になったリツコだったが、結局笑顔を閃かせた。

「そうね、お願いするわ」

「…はい」

大皿を運ぶリツコを見送ってからまな板に向き直り、シンジはフルーツ皿の作成を再開。

そんな彼の両頬は赤く染まり、口元から自嘲するような呟きが小さく零れる。

…まったく、ダメだな僕は、臆病もので…。

二個目の柿を剥きにかかった時だった。

不意に背後から伸びてきた腕が、首筋に絡みついてくる。

「…ほんと不器用ね、アンタって」

悪戯っぽく耳朶をくすぐる声。

吐息が甘いのは、柿をつまみ食いしたからだろう。

「アスカ、いつのまに…?」

横目で妻の青い瞳を見返し、シンジは更に頬を染めた。

この彼女の態度から察して、先ほどの光景の一部始終を見られたのは想像に難くない。

それにしても、どこに隠れていたのやら。

「んー? 作業台の下よ?」

訊いてもいないのに質問に答えてくれるあたり、つくづく勘が鋭いというかなんというか。

「素直に甘えりゃいいのにね…」

ぎゅっと回す腕に力を込めて、アスカが言ってくる。

そりゃあ、君ほど素直になれればいいんだけどね。

声に出さず呟くシンジの声も、またアスカの予測範囲内だったのだろう。

艶っぽい笑みを湛え、アスカは夫の耳朶に噛みついた。

「ふん…シンジは夜は甘えん坊さんなのにねえ…」

「アスカ!?」

思わず大声を出してしまうシンジに、驚いた視線を向けたのは、食器を往復運搬中の渚母子だ。

「あ、ちょっ、違うんだよこれは…!!」

赤い四つの瞳に見つめられ、狼狽してしまうシンジである。

対して、その妻は、何喰わぬ顔でその背中にへばり付いておんぶ状態。

必死で言い訳を口にするシンジの首に回す手に、ますます力を込める籠めるアスカ。

「止めてよ、アスカ、苦しいって…!」

「アンタこそ、包丁持ったまま、危ないわよ?」

じゃれ合う碇夫妻を横目に、渚母子は食器の搬送を再開する。

レイの赤い瞳には、微かに妬心に似た色が閃いていたけれど、結局、彼女は何も言わなかった。





















ようやく宴の支度は調った。

主催者、参加者一同が揃い、皆の囲む巨大なテーブルの上は、盛大なまでの秋の味覚で彩られてる。

芋煮汁、サンマの塩焼き、サンマの刺身、松茸おこわ、栗ご飯。

柿、葡萄、梨も豪勢に盛りつけられ、アルコール類もふんだんに用意されていた。

席につくのは、シンジアスカの碇夫妻とその子供から時計回りに、加持一家、渚一家、碇ゲンドウ夫妻と冬月といった順序だ。

「さ、乾杯しましょ!」

グラスを配り、アスカが音頭を取る。

ごく自然に彼女が仕切り役をこなし、誰も文句はいわない。

大人たちは、とりあえず一杯目はビールが配られ、子供たちにはオレンジジュース。

乾杯の声に飲み干せば、皆、さっそく熱々の芋煮汁を啜りこむ。

風が涼しいので、とりあえず身体を温めなくて、飲むことすら覚束ない。

転じて、このような気候では、芋煮汁は至高のご馳走といえる。

「サンマも焼きたてのうちに食べたほうが旨いぞ? ああ、どんどん焼くのでな」

ビールもそこそこ、冬月は七輪に新たなサンマを乗せた。

そんな彼の傍らには持ち込みのクーラーボックス。中身は三陸産直送の逸品ばかりだ。

孫たちが旨そうに頬張る姿を見れば、団扇で仰ぐことなど苦にもならぬ。

結果、次々と焼きたてのサンマが食卓に供され、ミサトのビールを大いに進ませることになる。

もちろん、シンジアスカ夫妻も存分に堪能してはいたが、妻の方は難しい表情を浮かべていた。

「なんか、骨ばっかでメンドウくさいのよね、サンマって…」

子供たち用の皿の上で丹念に骨を取り除き、脂にまみれた指先を舐めながらそう愚痴った次第である。

なら鰯とかはどうするんだろう? と首を捻る加持夫妻の目前で、アスカは乱暴にサンマの骨を取り、バリバリと咀嚼を開始。

自分が食べる分には、適当で一行に構わないのだ。

グラスを掲げ反り返り、細い喉が上下して、グビグビとビールを飲み干す。

ところが、グラスと共に下ろされた顔には、満足げな表情は浮かんでいなかった。むしろ怪訝そうに眉をひそめている。

「…どうしたの、アスカ?」

しきりに喉のあたりをさすり、口を開いたり閉じたりしている妻の異変に気づいたのは、シンジだった。

「けほっ、なんか、喉に骨が刺さっちゃったみたい、けほっ!」

涙目になりながらアスカは言う。

立ち上がり、妻の背中をさすったりするシンジに、

「おかーさん、だいじょうぶ!?」

子供たちも食事の手を止め、心配そうな視線で見上げてくる。

「…ご飯を、丸飲みすると、いいらしいわ」

そういって、レイが差し出してきた栗ご飯をドンブリごと受け取るアスカ。

さっそく一欠片を放り込んで飲み下す。

「どう?」

「…ダメみたい」

喉をさすりながら、アスカは首を傾げてみる。

「やっぱり、ビールのイッキ飲みよ!」

ミサトが差し出したビール缶を受け取り、アスカは実行。

「げふっ……やっぱダメよ、げほほほっ!」

炭酸のせいでむせかえり、逆に痛みが倍加する。

「ううう、なんか切ないわよ、けほっ!!」

どうにも収まらない様子に、みんなが顔を見合わせる。一体どうしたらよいものか。

心配そうなシンジの顔を、アスカの苦しそうで、それでも艶っぽい色を乗せた瞳が見返した。

「…仕方ないわね、シンジ、お願い。けほっ!」

「……え?」

「だって、どうしようもないでしょ? だいたいあたしが苦しんでいるんだから…けほっ!」

「そ、そんな、いくらなんでも、ここじゃあ…!!」

夫の言い訳を、もはやアスカは聞いていなかった。

全員が見守る中、ほとんど襲いかかる勢いで、アスカはシンジの唇に、自分のそれを重ねていたのである。

「あ、ちゅーしてる!」

子供たちがはやし立てる中、地べたに押し倒される形になった二人は、重ね合わせた唇の間から表記不可能な水っぽい音を響かせる。

「んー! んーー!?」

シンジが悲鳴を上げているように聞こえるのは、きっと気のせいだろう。

ほとんどちゅぽん! という吸盤が剥がれるような音を立て、唇が離される。

果たして、満足げな表情で顔を上げたアスカは、悪戯っぽい表情を浮かべて舌を出した。

「…とれた♪」

彼女の桃色の舌先の上にはサンマの骨。

「…うう、いきなりは酷いよ、アスカ…」

地面に寝っ転がったまま、シンジは呻く。頬を上気させ恥じらっている姿は、おそろしいことになんとも色っぽい。

このパフォーマンスに度肝を抜かれたのは、冬月、ゲンドウ夫妻らの良識派で、一様に目を丸くし二の句が継げない。

加持リョウジは苦笑を押さえられず、その妻はニヤニヤしながら冷やかす。

「なにデタラメなことやってんの? まったく、アンタたちは真っ昼間から…」

渚夫人レイは全く動じた様子を見せず、無言。かわりとばかりに彼女の握っていたグラスにぴしりとヒビが入る。

完全に無表情な母親の影に隠れるようにしてその娘が頬を染めているのは、他の子供たちが全員はしゃぎ廻っているのと、非常に対照的であった。

そんな中での渚カヲルの行動こそ、特筆されるべきであろう。

なんと彼は、卓の中央にあったサンマの骨捨ての皿を掴むと、ザララと中身を自らの口へ放り込んだのである。

「ひんひふん、う゛ぉくのふぉねふぉふぉっふぇ〜♪(シンジくん、僕の骨もとって〜♪)」

シンジの唇めがけて吶喊しようとしたカヲルは、アスカ必殺のジェットアッパーを食らい、足を交錯させ身をよじりながら吹っ飛ぶ。

「真っ昼間からの会食なのに、なに考えてんのよ、アンタは!?」

自分自身を棚にあげて、これほど説得力のない台詞を豪語する人物も珍しい。

一方、宙で一回転して着地したカヲルもさすがだが、口腔内が骨だらけで喋るのはおぼつかない状態。

しばらくフガフガして口の中から骨を取り除き、ようやく口を開く。

「全く容赦ないなあ。単なるアメリカンジョークじゃないか、ははは」

爽やかな笑みの前には、吐き出した骨。

バラバラだったそれらが丸々一匹の形に組み上がっているあたり、やはり彼は人ならざる存在なのかも知れない。

「それよか、アンタ、ちゃんと落ち葉集めたの?」

腰に手を当て睨んでくるアスカに、カヲルはにこやかに微笑み返す。

大仰な身振りで、慇懃に背後を指し示すカヲルに、アスカは目を剥いた。

うずたかく積まれた落ち葉の山。

そのまま燃やせば盛大なキャンプファイヤー。少なくとも100個単位で焼き芋は作れそう。

これだけの落ち葉を集めれば当然なのかも知れないが、庭一面綺麗なものだ。

「…本当に、全部掃くなんて…」

これにはアスカも文句はいえない。替わりに生のサツマイモと長い竹串を投げつける。

「それ、全部焼いてちょうだい! ちゃんと中身が黄金色になるようにするのよ?」

「またボクに押しつけるのかい?」

珍しく不平のような口調を作るカヲルに、アスカは断言する。

「適材適所ってヤツよ! おわかり?」

勝手極まりない言い草なのではあるが、また一面の説得力も持つ。

カヲル自身は適当にやっているらしいのだが、彼の勘というか判断力が絶妙なのだ。

実際、シンジの料理作りを手伝ったとき、玄人はだしの味付けを披露したことがある。

傍目に見ていたシンジが証言するには、ろくに味見もせずに全て目分量で調味料を投入していたという。

また、料理に限らず、一度失敗したことは二度と失敗しない。

例えていうなら、一回目はいわば試射のようなもので外しもするが、次回から必殺必中。

物事の本質を捉え、コントロールする術に、渚カヲルは長けていた。

それが本人の持つ天与の才か、無知ゆえの奇跡なのか、判断は付きかねるけど。

「…わかったよ」

僅かの間をおいて、カヲルは提案を受け入れた。彼は渋々という態度は選択しえない。

それに、甘い甘い焼き芋は子供たちの大好物でもある。子供たちも喜ぶのであれば、笑顔を絶やす理由もない。

そういうわけで、表面上は穏やかに落ち葉の山に向き合うカヲルを尻目に、宴会は再開。

もっとも、大人たちは皆、そろそろアルコールは日本酒や焼酎、ウイスキーに移行を始めている。

そんな中で、ミサト一人だけが芋煮汁をがばがば食べ、ビールもがばがば摂取していた。

もはや水ッ腹というレベルを超越している。

よく汁ものだけ…とアスカが冷たい視線を送っても、ミサトは全然意に介した様子はない。

むしろ、ふんぞり返って、シンジにビールのお代わりを所望したものである。

こんな中年女にはなるまい、と心に固く誓いつつ、アスカはレイ親子に声をかけた。

「美味しい、ミレイちゃん?」

母親譲りの幼い顔が笑顔で頷いた。

小さな手が小さな箸を操り、里芋を囓ってハフハフと息を漏らす。

お椀の中身は里芋、キノコ、豆腐に葱。

どうやら菜食主義の母親に準じて、娘も菜食を好む様子。

芋煮汁といえば、メインは里芋と牛肉。

一般的には牛肉の方が好まれ、この場では里芋を始めとした野菜類は渚家が一手に引き受けてくれる。

非常に需要と供給のバランスは取れているといえよう。

黙々と食べるレイから視線を転じれば、自分の子供たちはメインの料理は食べ飽きたらしく、梨やぶどうといったフルーツに手を伸ばしている。

「ああ、シンジくん、すっかり忘れていたんだがこれも切ってくれるか?」

「…わあ! この時期にスイカですか!」

「ハウスもので小玉だけどな。結構いけるぞ」

加持からスイカを受け取り、シンジは嬉々としてキッチンへ。

そういえば、今日の料理の野菜の大半は、加持さん家から貰ったのよね。

呟きつつ、アスカは梨を一切れ口に放り込む。

ついでに、子供たちが梨と柿を組み合わせ、なにやら動物の形を作ろうとしていたのを目に留め一喝。

「こら! 食べ物で遊んじゃダメでしょ!?」

若くてすこぶるつきの美人でも、子供たちにとっては怖い母親だ。

たちまち敬礼しそうな勢いで動物作りを止め、フルーツは全て口の中へ。一緒に遊んでいた加持家の娘もそれに習うのが面白い。

遊ぶのはもちろんだが、食べ物を無駄にしてもいけないことも、しっかり教え込まれているのだ。

フルーツで口をいっぱいにしながらもかしこまる子供たちの姿を、なんとも感心した表情で見守るのがリツコである。

幼児教育をしたこともなければこれからする予定もないリツコであるが、しっかりと碇家の子供たちの躾が出来ていることに感嘆する。

二人とも、若いのに大したものね。

つぶやきは、微かな羨望と自嘲を乗せて秋風に舞う。

泣きぼくろも色っぽい頬から目だけを動かし、彼女は隣席の夫、ゲンドウを見た。

相も変わらぬ仏頂面で手酌酒を飲んでいるように見える姿は、その実上機嫌なのである。

冬月にいたってはゲンなりと椅子にもたれているが、これは年甲斐もなくはしゃぎすぎた結果だ。

それでも、孫たちが話かけてくると、背筋をしゃんと伸ばし相好を崩すのは、現金を通り越して健気さまで伝わってくるよう。

ゲンドウも孫への対応は冬月に準ずるのだが、こちらは一抹の羞恥心が拭いきれていない。

存分に微笑みかけたいのに、どうにも躊躇してしまう。

かといって、あまりに仏頂面では、孫に怖がられてしまう。ジレンマだ。

結果、なんとも珍妙な表情が、サングラスをかけた顔の下に完成するのだ。

どうにも、他人の目があるときは、全力でデレデレするのは忌避してしまう。

それが自分のキャラでないとでも思いこんでいるのだろか。

またそのような過去の自分に縛られているあたりが、碇ゲンドウという男のいまだ救われない部分かもしれない。

「スイカ、切れましたよ!」

シンジがお盆を抱えて戻ってくれば、若い父親めがけてたちまち子供たちが殺到していく。

手を離れていく孫たちの後ろ姿を、哀愁を漂わせる双眸で眺め、ゲンドウと冬月は酒を酌み交わした。

秋晴れの昼下がり。

このような時間を持てることの僥倖。また、この瞬間の連なりこそが人生の醍醐味ではないか。

緩やかに過ぎゆく温かな流れ。

この余韻を引き継いで、今夜はぐっすり眠れるだろう。

宴もたけなわ。

参加者の誰もがそう思ったとき。

笑劇の、もう一つの舞台が幕を開ける。


















パチパチと落ち葉が焼き爆ぜる音に続き、なんとも香ばしくも甘い匂いが漂い始めた。

水気が飛び、皮に焦げ目の付きはじめた焼き芋から発せられる匂いである。

「ほら、あまり近づくと危ないよ」

慣れた手つきで串を刺した焼き芋を回転させながら、カヲルはたき火に近づいてくる子供たちを制した。

促され、全員大人しく、たき火から離れて膝を抱えたものである。

なかなかに盛大なたき火は、子供たちの期待に溢れた顔を橙色に照らし出す。

あれ? もうそんなに暗くなったかな?

カヲルが首を捻って空を見上げようとした矢先、アスカまでもがやってきて、無造作に焼き芋の一つを指さした。

「それ、そろそろ食べられるんじゃない?」

「ああ、もう大丈夫かな?」

竹串ごとカヲルは焼き芋を手渡してやった。

熱い熱いいいながらも、アスカはこんがり焼けた芋を両断。

中はみごとな黄金色で、甘い匂いがより一層溢れる。

子供たちが歓声を上げたのはいうまでもなく、さっそくアスカは解体、分配を開始。

ふーふー息をかけて冷ました欠片を、一番下の娘から順番に手渡してやる。

クリクリの黒目を丸くして、碇家長女は半分叫ぶように声を上げた。

「おいしいぃ!」

たちまち平らげ、手についた分もペロペロ舐める末っ子を優しくみやり、アスカは次男坊へも配る。

配っている間も、長男坊に加え加持家の娘、さらに平らげた末っ子がお代わりをおねだりしてくるので、まことに忙しい。

気分は、生まれたてのひな鳥にエサをやる親鳥である。

「はいはい、ちょっと待ってね…」

その合間に、カヲルも次々と芋を焼き上げて、紙皿へと積み上げている。

子供たちもそっちへと手を伸ばせばいいものなのに、なぜかアスカにまとわりついているのだ。

一人、渚家の娘だけが、喧噪の外で丸々一本の焼き芋を頬張っているのは、将来の何かを暗示しているように思われた。

どうにか子供たちの食欲を満足させ、アスカもようやく自分で食べる分の焼き芋へと手を伸ばす。

一口囓って、

「…さすがにやるわね」

呻くように言う。これが、彼女のカヲルに対する最大の賞賛の言葉なのだ。

カヲルも心得たもので、優雅に腕を前に回し、馬鹿丁寧に腰を折ったものである。

「お褒め頂き感謝の極み」

もっとも、一歩間違えれば慇懃無礼と取られても仕方のない態度ではあるが。

いくら犬猿の仲といえど、子供たちが喜んでいる姿の前では、さすがに争う気も起きない。

焼き芋を頬張る子供たちを横目に、静かにたき火を見つめる。

踊るように姿を変える炎は、温めるだけでなく人を惹きつける要素もあるらしい。

気づけば、全員がたき火を囲むように集まってきていた。

大人たちも思い思いに焼き芋に手を伸ばす。熱々の手触り、素朴な甘さは、どこか少年時代を思い起こさせる。

「んー。焼き芋もなかなかビールにあうわね♪」

不純なオトナが一人紛れ込んでいるようだが、あえて言及しない。

さすがに子供たちもお腹が一杯になったのだろう。幼い顔を炙りながら、うつらうつらと舟をこぎ出した。

小さな寝顔を微笑ましく眺める大人たち。なかでも、ゲンドウは膝に長男孫を寄りかからせ、冬月にいたっては膝上に末孫を乗せて、今にも昇天しそうな表情だ。

冷たい風が背中を掠める。前面のたき火の温かさとのギャップが心地よい。

でも、そろそろ家の中に戻ろうか。そのような雰囲気が漂い始めるのと同時に、カヲルは口を開いた。

「ああ、そういえば、栗も焼いていたんだった。食べるかい?」

「栗って、焼き栗? でも、もうお腹一杯よ…」

そうアスカが片方だけ眉をひそめたとき。

ぱちん! と一際大きな爆ぜる音を響かせ、彼女の鼻先を掠め去っていったものがある。

「………栗だ」

たき火から遠く離れた場所に転がるそれを指先で突き、シンジは言う。よく焼けて、持てないほど熱い。

ぱちん。

また一つ、かなりの勢いで栗が弾け、飛んでいく。

「………………アンタ、たき火の中に直接栗を放り込んだわけ?」

「うん? ああ、100個ほどね」

のんびりと答えるカヲルを除いて、大人たちは一斉に腰を浮かす。当然、寝こけている子供たちを抱えるのも忘れない。

「?」

なのに、呑気に首を傾げるカヲル。

それが合図になったわけでもないのだろうけど、たき火の中から一斉に何かの弾ける音が連発した。

そして、全方位に射出される焼き栗。

「あちちちちち!?」

これには、さすがのカヲルもたまったものではない。慌てて射程圏外に退避する。

「ダメだよ、カヲルくん。栗を焼くときは、切れ目を入れないと爆ぜるんだ」

「へえ〜、それは知らなかったよ、シンジくん」

「アンタたち、そんなのどうでもいいから、こっち手伝いなさい!」

箒を回転させて焼き栗を弾き返しつつ、アスカは怒鳴る。

ほとんど無差別に巻き散らかされる焼き栗は、危険なことこの上ない。はやく消火しないと…!

ところが、アスカの危惧は見事に的中してしまう。すぐ近くに別の落ち葉の山があったのも仇になった。

炎をまとった栗の一つが、そこに飛び込んだものだから、たまらない。

延焼である。

箒の穂先でバサバサたき火を打ち据えながらアスカは叫んだ。

「水! 誰か水もってきて!」

弾かれたようにシンジは芋煮汁の鍋に走り寄る。しかし、巨大な鍋の中身はすっからかん。

気まずそうな表情になるミサト。それも無理のないことで、彼女が手にしているビールが最後の一缶だ。

「やむをえん!」

冬月は、手近にあった日本酒の瓶を振りかざす。久保田の万寿でまだ半分ほど中身はあったが、背に腹は替えられない。

ほとんど打ち据える要領で、一升瓶がたき火に投じられた。瓶が割れて中身がまき散らされ、とりあえず火勢は弱まる。

「ああ、もう、消せるならお酒でもなんでもいいわ!」 

アスカの更なる叫びに、レイが手近にあった洋酒の瓶を手渡す。

受け取ったアスカは片手の親指で瓶の口を捻り、中身をたき火に撒いて消火を試みる。

ところが、火は弱まるどころか、爆発的に燃焼した。

すさまじい火勢にたじろぎながら、アスカは手元の瓶のラベルを見て悲鳴に近い声を上げる。

「誰よ、スピリッツなんて持ってきたの!?」

犯人を詮索する暇は与えられなかった。

強まった火は落ち葉を全て燃やす勢い。

加えて、吹き付ける秋風に燃えさかる葉っぱが飛ばされでもしたら…!!

最悪の光景が、誰もの脳裏に描かれる。それが今まさに現実に切り替わろうとしたとき。

一際冷たい風が、周囲に吹き付ける。

続いて、地面に幾つもの小さな黒い染みが穿たれた。

まもなく全身をつつくような感触が、断続的に空から落ちてくる。

「……雨?」

レイは空を振り仰ぐ。

いつの間にか空は真っ黒に曇り果てていたのだ。

見上げる瞬間も、落ちてくる雨の数が増している。

細い雨が連なり厚いカーテンの様な形を呈したのも束の間、あとはまるで滝のよう。

当然、叩きつけるような雨足に、たき火も燃えてはいられない。

既に子供たちはゲンドウと冬月に抱えられて邸内に戻っていたが、大人たちは完全に鎮火したのを確認してから邸内へと駆け戻った。


















「いやあ、『女心と秋の空』とはよくいったもんですなあ」

髪の毛をタオルで拭きながら、バスローブ姿で加持はそう評した。

秋の天気は変わりやすいという俗説である。

俗説であろうがなんだろうが、大火事になってたかもしれないのが未然に防がれたのだ。

快晴を秋雨に変えてくれた気まぐれな空の神様とやらに感謝すべきだろう。どうりで日が落ちていないのに暗かったわけである。

加持の言葉に大真面目に頷いたのはゲンドウと冬月で、こちらもバスローブ姿だ。着替えがないのだからしようがない。

全員がずぶぬれという惨々たる姿で碇家邸内へ駆け込んだ一同は、まず子供と女性陣が入浴することとなった。

このときばかりは24時間入れる巨大な浴室もありがたい。

入れ違いで男性陣がさきほど入浴をすませ、ようやくリビングでくつろいでいる次第であった。

今、この場に女性陣はいない。それぞれが髪を乾かしたり洗濯に奔走している。

男性陣の中で、シンジが服を着替えているのはもちろんだが、シンジの服を借りているカヲルが今ひとつ精彩を欠いていた。

彼なりに、自分の失敗を悔いているのは間違いない。

糾弾されて然るべきのところを、子供たちに救われた。

『だれにだって失敗はあるよぉ!』

生意気にもそう主張する長男坊の姿に、アスカも苦笑せざるを得ない。

それに、大人が大人を叱るという光景は、本来あまり子供には見せたくないもの。

少なくとも、叱られたほうの権威は失墜するだろうから。

「全く、今度から気をつけなさいよね? わかんないことがあったら、とりあえずシンジにでも訊きなさい!」

アスカはそういってカヲルを解放した。彼女自身、焼き芋係を押しつけた後ろめたさがあったのかも知れない。

粛々とカヲルは頷いた。一応許されたものの、彼は考える。

明日の朝、晴れたら早起きして、一人で後かたづけくらいしなければならないだろう。

というわけで、平素のテンションの高さが嘘のような神妙さで、カヲルはお座敷のスペースに佇んでいるのだった。

珍しく項垂れるような感じの彼の視線の先には、救い主たちの姿があった。

もともと疲れていたのだろう。そしてお風呂に入ったものだから、完全に力尽きたらしい。

全員がパジャマ姿で眠りこけている。

「カヲルくん、こっちへおいでよ」

シンジの声に、名残惜しげにカヲルは子供たちへと別れを告げる。

「父さんたちも、どうぞ」

そういってシンジが卓上に乗せたお盆の上には、熱湯を満たしたポットにウイスキー、それとクラッカーやナッツなどのつまみ。

「…いただこう」

さっそくゲンドウが熱いグラスへと手を伸ばす。

しばらく無言でホットウイスキーを啜り込む男たちの耳に、家屋を雨が叩く音が響いた。

まったく、こんな夜は、熱い酒こそが相応しい。

そんな彼らの耳に、バタバタと廊下を走る音。

飛び込んできたのはアスカで、彼女を先頭に、続々と女性陣が続いている。

「あ、アンタたちだけ、ずーるーいー!」

シンジの首っ玉に飛びつき、さっそく不平の声を上げてくれた。

「アスカも飲むでしょ?」

苦笑しながら新たなグラスを作ろうとしたシンジへ、アスカはリクエスト。

「うーん、温かいのなら、ホットパンチがいいな♪」

「はいはい」

立ち上がり、キッチンへ行こうとするシンジはレイにも訊ねた。

「綾波もホットパンチでいい?」

コクンと頷く青い髪から、リツコへと視線を転じる。

「あ、私はホットウイスキーを頂くわ」

訊ねる前に答えてくれた義母から、今度は元保護者へと視線を向ければ、

「あ、あたしはビールなら、なんでも♪」

「…まだビール飲むんですか」

半ば引きつった笑いを浮かべたシンジは、リクエスト一式を抱えてからリビングへと戻ってくる。

ふと気づき、彼はいった。

「もっと、なんかオツマミ作りましょうか?」

ところが、示し合わせたように、リビングへいた全員が首を振ってくれた。

代表するように、アスカは戸惑う夫へと答える。

「ツマミはこれで十分だわよ…」

そんな彼女が顎をしゃくった先にあるのは、幸せそうな子供たちの寝顔。

笑って頷き、シンジも酒宴の輪へと加わっていく。











さて、最後に、秋にまつわる松尾芭蕉の有名な俳句を紹介しよう。

『秋深し隣はなにをする人ぞ』



少なくともここ碇家では、いまだ団欒が続けられている。



















〜終わり

















(2005/10/25)





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