つまりは、あれから丸4年の月日が経っていた。

保護者のいなくなったマンションは、ペットだったペンギンもいなくなり、ずいぶんと閑散としたように思える。

でも、そこにはアイツがいた。

世界を壊しかけた、はた迷惑なアイツの唯一の居場所。

そしてなぜか、あたしも其処にいたのだ。




































2019年のバースディ







































いつもどおりの時間に起きて、シャワーを浴びる。

差し向かいで摂る朝食のメニューは、オニオンコンソメスープにフランスパン。

エッグサラダにアメリカンコーヒー。至っていつものシンプルなメニュー。

食事中、会話らしき会話はない。

カリカリに焦げ目のついたパンの表面にバターを塗りながら、TVから流れる天気予報がBGM代わり。

太陽マークだらけの画面が切り替わる。


本日は12/4日。今日の運勢のコーナー♪

獅子座生まれの貴方、今日の運勢は中吉です。

クヨクヨしてないで頭を切り換えよう。

ラッキーカラーはゴールドです…。


無責任な占いを横目で見て、ちらりと対面の席も一瞥する。

あたしの視線に気づいたのか、シンジは少しはにかんだ。

それだけで、コイツの言いたいことは全部分かる。

あたしの言いたいことも全部分かっているはず。

だから、会話をする必要はない。

半分だけ残したコーヒーに牛乳を並々と注ぐ。

それを一気に飲み干してから洗面所で身だしなみのチェック。

髪を整え、歯も磨き、後かたづけを終えて来たシンジと入れ替わり。

玄関先で靴を履き、待つ。

小走りでやってくるシンジと一緒に肩を並べて登校。

学校までの間も、特に話すこともない。

しても、他愛のない話ばかり。

「そろそろ涼しくなってきたね…」

シンジの台詞に、あたしも相槌を打つ。

「そうね。でも、雪が降るようになるのは、あと何年先かしら?」

青い空を見上げる。まだまだ空が高い。

サードインパクトとやらで地軸が戻って来ているらしいけど、日本が四季を取り戻すのはずっと先だろう。

学校に着き、飾り気のないスチール製の下足箱を開ける。

昔みたいにラブレターが溢れている、なんてことはない。

「…アスカ、何笑ってるの?」

不思議そうなシンジの声から察するに、どうやら頬に苦笑を浮かべていたらしい。

白い上履きに履き替え、三階、三年生の教室まであがる。

クラスメートの三分の一がおしゃべりに没頭し、三分の一が私事をこなし、三分の一が挨拶を返してくれた。

受験も追い込みのこの時期、余裕があると評すべきか、単に暢気と評すべきか。

ホームルームが始まるまで、あたしは自席で頬杖をつき、窓の外へ視線を向けた。

校庭の一際大きな木が電飾で飾り立てられている。白い布は雪の替わりなのだろう。

絵本みたいなクリスマスツリーは、今の日本には一つも現存しないのに。

でも、気分だけでも味わいたい、という考えも分かってきた。

だから、微笑ましい気分になった。
















あたしは優しくなった、と皆がいう。

曰く、

以前より高飛車じゃなくなった。

鼻にかけなくなった。

雰囲気が柔らかくなった。

居丈高じゃなくなった。

言葉にトゲがなくなった。

意地悪じゃなくなった。

気遣いが出来るようになった。

…これの裏返しが過去のあたしだとすると、ちょっぴり自己嫌悪。



あたしは優しくなった、と皆がいう。

事実は、違う。

あたしは、疲れたのだ。










ドイツからの帰国要請も無視し、ただぼんやりと日本で過ごした数ヶ月。

甲斐甲斐しくシンジが世話を焼いてくれたので、生活上は不自由は感じなかったけど。

その時期を、あたしは虚しさを埋めることにだけ費やした。

何かをやろうとする意欲もなかった。

世界に認められたいという希望もなかった。

共感してみたいのなら、一度、死にかけた挙げ句、絶望的な状況に晒されることを勧める。

あたしの気持ちの30パーセントくらいは理解してもらえるだろう。

赤い巨人とともに、あたしの将来の展望の大半は死滅していた。

意識しないままに涙を流しながら、ずいぶんとそれに依存していた自分を悲しく思っていたあの頃。

自分を見つめ直す時間はいくらでもあった。

どうにか日常生活を送れるくらい回復したころには、あたしの目は醒めきっていた。

自分の限界を悟った、という言い方は適当かは分からない。

とにかく、あたしは自分の未来に見切りをつけたのだけは確かだ。

確かに昔は天才少女だったかも知れない。

でも、将来的には、よくて精々秀才だ。いや、むしろ凡才かもしれない。

幾度となく自問自答する。

あたしは天才でなければならなかった。

人類から選ばれたエリートでなければならなかった。

自分のために?

ううん、違う。

目的が無くなった今、努力は出来ない。

実らない努力は疲れるだけだ。



一度そう肯定してしまえば、後は楽だった。

あたしは、もう十分やった。

普通の人は10年もかかることを3年でやった。

もう全力疾走しなくてもいいよ。歩いてもいいじゃないか。

そう慰めてくれたのがシンジなのは皮肉かも知れない。

所詮他人事の意見だと一笑に付すのは簡単だったけど、結局あたしは受け入れた。

シンジに共感したわけじゃないけれど…やっぱり、あたしは疲れていたのだと思う。

楽な生き方に逃げた、と後ろ指をさされてもいいと開き直った。

開き直ってから、誰も後ろ指をさす人がいないことに気づくなんて、世の中結構よく出来ている。










授業ももう五時限目。

ぼんやりとした時間が過ぎていく。

誰も気にかけられないのは寂しいけど、気楽でもある。

優等生を演じなくてもいいから、授業に集中しているふりをしなくてもいい。

シャープペンを握った右腕を見つめ、伸ばした左前髪をいじる。

これが聖痕。

これがある限り、これを意識させる限り、シンジはどこにもいかない。

あたしの側から離れない。

だから髪を伸ばしている。

気づくと、左目の下を触っていた。

痛みなんか全然ない。でも、色が褪せているらしい。

前髪をいじくりながら、怒りを燃え立たせるだけの熱はとっくになくなっていた。

代わりに、相反する事実があたしの心に転がっている。

広くなったシンジの背中に視線を這わせ、思う。

あたしは、もう一生恋愛が出来ないかも知れない。

恋愛が、互いの全てをさらけ出し、許容するものだとすれば。

これほどあたしの全てをさらけ出していて、なおかつ理解してくれる異性が、シンジの他にいるだろうか?

それに、シンジのことをあたし以上に知っているヤツもいるとも思えない。

…今更気づいたなどとは言わない。

あたしがこの場所に留まり続ける理由の大半は、これが占めている。

シンジと居るときだけ、あたしは『恋愛』を意識できる。

ただ従順に、あたしにかしずくシンジと居るときだけ。

歪んでるとかいう一般論なんか、知らないし参考にもならない。

珍妙だろや奇態だろうが、これがあたしたちの関係だ。

あたしの強いた関係…だ。










許しをこうシンジに、はっきりと言い渡した。

一生かけて償え。

いくら間接的とはいえ、生涯消えない傷をあたしに負わせたのだから。

こんな傷があったら、誰もあたしを見てくれない。

誰も側にいてくれない。

一人寂しく死ぬなんていや。

あんたが責任とりなさいよ。


許しをこう前のシンジの情けない顔は覚えているのに。

その後の表情は思い出せない。


分かったよ。

君の気が済むまで、僕は君の側にいるよ。

許してくれるまでなんだってするよ。

アスカ以外、誰も見ないよ。

それが償いになるのなら。

例え、一生かかっても。




…もしかしたら、シンジは微笑んでいたのかもしれない。










目を覚ます。

どうやら、頬杖をついたまま、うつらうつらしてしまったようだ。

…どうして、こんな夢を見たのだろう?

分かっている。それはたぶん、今日が特別な日だから。










授業も終わり、そそくさと教室を出て行くシンジを見送る。

きっと、いや、確実にマンションに直帰しただろう。

ゆっくりと席を立ち、あたしも帰ることにする。

誰も一緒に帰ろう、なんて声をかけてこない。

伸ばした前髪のせいか、あたしは暗い女の子と目されているらしい。

『天才』や『超絶』の枕詞もつかない。ただの『美少女』にすら値しない。

まったく今のあたしに相応しい。

だって、そんなものに、何の価値もないことに気づいたのだから。

必要以上に、他人の視線を気にすることもないと知った。

誰か、たった一人だけでも見ていてくれれば十分。

それもこれも、シンジのおかげだ。

アイツは、完璧に誓約を守ってくれていた。

疲れ切ったあたしを癒してくれた。

正直、感謝している。

時間が経てば経つほど、感謝の気持ちは重みを増して。

反比例して、あたし自身のワガママが鼻につく。

甘えたい。

まだ甘えたりないの?

許さない。

許してあげたら?

夕暮れの河川敷。

土手に膝を抱えて座り込む。

未練だわね…。

そう呟いて、あたしは立ち上がる。

シンジがあたしを満たしてくれたほどに、シンジの事をあたしは満たしているのだろうか?

この命題に気づき、答えを否と判じたとき。

あたしは一つの結論を出していた。

裏切ったら、殺す。などと息巻いた自分も、もう過去のもの。

今は、ひたすら純粋に想ってくるアイツを、不憫にすら感じてきた。

もう、あたしだけ幸せじゃいけない。

それは罪。

罰を享受し続けた罪悪だ。

だから、もういいよ、といって上げなきゃ。




これを『思いやり』なんて形容したら、きっとあたしは生きるに値しないだろう。










「もう少し、待ってね?」

マンションに帰るなり、開口一番のシンジの台詞。

キッチンテーブルの上にはキャンドルやらなにやら飾り付け。

ぐつぐつ煮えるシチューの匂い。

逆らったり、からかったりする気はないので、微笑んであたしは自室へと戻る。

シンジのヤツ、ちゃんと覚えていてくれた。

まあ、忘れてるわけないか。三日前からシチューを煮込んでたみたいだし。

とりあえず着飾ったりするつもりは無いけれど、したいことはあった。

化粧台の前に古新聞を敷く。

面倒臭いから、引き出しにあったハサミをつかった。

長く伸ばした左前髪をちょきり。

これでよく見える。

鏡に映る左目は、やはり少し色が翳っていた。

でも気にする必要は、たぶんもうない。

これで、以前の髪型だ。14歳のころと同じ髪型。

シンジに呼ばれたのでキッチンへ。あたしの髪を見て、少し驚いていたよう。

慇懃に引かれた椅子に腰を下ろせば、目前にはワイングラス。

シャンペンの栓を抜き、泡立つ黄金の液体を注ぎながらシンジはちょっと笑う。

「今日は、特別だからね」

その言葉に、少しどきりとした。

料理の前にグラスを打ち鳴らし、シンジが言う。

「誕生日、おめでとう、アスカ」

「…ありがと」

シャンペンを一口含む。結構アルコールがきつい。

「ごめん、プレゼント、実はまだ用意してないんだ。…だから、何か欲しいものある? なんでもいいよ?」

シンジの笑顔。

今日はとびきりよく見える。

あたしの18回目の誕生日。

この国では、一人前に社会生活を営める歳と目されている。

だから今日は特別なのだ。

少年期の終わり。社会に羽ばたける日。

条件は、半年前に誕生日を迎えたシンジも同じ。

お互いのしがらみを捨て去るには、最高の日だ。

だから、髪も切った。

…もう、いいんだ。

もう解放してやろう。

シンジのプレゼントの問いに、答えを頭の中で組み立てる。

意外性だけが異様に突出しているのは、きっとアルコールのせい。

でも、悪くないようにも思えた。…こういう願望がないわけじゃないしね。

この言葉にあたしの想いをこめよう。

この言葉で許してやろう。

例え肯定の返事がこなくてもいい。

決別の台詞になっても構わない。

シンジが離れていこうとするなら、あたしはもう止めることはできない。

そう。

この三年あまりの月日で、十二分にお釣りが来る。

でも。

シンジが望んでくれるなら、新たな絆を更新しても、いい…。

それが、取りも直さずシンジを満たすことにも繋がるなら。

きっと、これ以上の幸せはないかも知れない。




口を開こうとして言葉が喉に引っかかる。

緊張して、たちまち喉が渇いた。

いいから言おう。

冗談で紛らわせるくらいの感じでもいいわよ。

高鳴る鼓動に合わせ、タイミングをはかる。

そうしてから、絞り出すように声を出した。少しだけ口ごもって、それでも言った。



「シンジの×××が欲しいな」




「…え? なに?」




「だからっ!! …アンタの×××が欲しいって言ったのよ……!」




どうしても、声が小さく震える。

真っ赤になった顔を見られないように顔を伏せた。

沈黙。

おそるおそる顔を上げ、上目使いで見れば、シンジの浮かべた表情は『意外』だった。

どれくらいそうしていただろう?

シンジの方から口を開いた。

「…別に構わないけど…」

心臓がタップダンスを踊り、口から飛び出しそうなあたしを置いて、シンジはなぜかキッチンを出ていってしまう。

すぐ戻ってきたアイツは、右手に携帯電話を乗せていた。

それをあたしに向かって差し出して、

「はい、僕のDocomo」

「……へ?」

「今アスカが使ってるのauだっけ?

 だから携帯買い換えるときお揃いにすれば良かったのに……って、痛いよアスカやめ死んじゃ」
















……やっぱり、当分許してやれそうにない。



















2004/12/04




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