18歳になれば社会人。

免許も取れれば結婚も出来る。

だけど、年齢的にはまだ未成年。

20歳になるまでお酒もタバコもだめ。

大人なのか子供なのか。

エアポケットみたいな、18歳からの2年間。

その一年目を、あたしは相も変わらずあのバカと過ごしている―――。

























2020年のバースディ























もぞもぞと布団から這い出し、枕もとのカーテンを開ける。

外は明るく快晴。それでも太陽の光があたしを射ることがないのは、すでに真上まで昇っているからだ。

欠伸をしながら私室を出れば、案の定人気はない。

既に蒸し暑くなっているリビングへ到着するなりクーラーのスイッチを入れた。

ソファーに背中を預け、天井をぼんやり見つめる。

周囲が涼しくなってきてからようやく行動を起こす気になった。キッチンへいくと、テーブルの上に書き置き。


『お昼は冷凍庫にグラタンがあります。今日の夕飯は楽しみにしててね』


シンジの字。見慣れた書き置き。

もう一度チラシの裏に書かれた文字に目を落とす。

『今日の夕飯は楽しみにしててね』

このフレーズを三回くらい読んで、あたしは気がつくとチラシを握り潰していた。

そりゃあ楽しみだ。あたしも楽しみにしよう。

だけど、それならなおさら、今日くらい出かけず朝から一緒にいてくれてもいいじゃない…。

ブツブツいいながらグラタンをアナクロなタイマー式のオーブンに突っ込む。

焼き上がるまでぼーっとするのも芸がないからシャワーを浴びることにした。

間違って冷たい水を浴びてしまい身震いする。

シンジのヤツ、お風呂掃除してシャワー温度を水に設定したままだったのだ、あのおバカ。

改めて熱いシャワーを浴びて暖まると、不思議なことにようやく頭が冷えた。

…何をワガママいっているのだろう、あたしは。

そもそもがお昼も過ぎてから起きだしてくる夜行生物のクセに。

シンジに依存しないって決めたんじゃなかったの?

アイツを解放してやるって決めたじゃない。

もう一年も前に。

丁度一年前の12月4日。

あたしの誕生日に。







高校を卒業したシンジは、近場の大学へと進学した。

最近設立されたわりには、それなりに偏差値の高い国立大。

本人も周囲も妥当だという評価がピッタリ一致している。

つまりは、シンジは典型的な大学生になったということ。

対して、あたしが選んだ道は進学ではなかった。

だからといって就職と表現するのも少し無理があるかも知れない。

だけど、あたしが働いていることは事実。

あたしが選んだ仕事は、独語と英語の文献の翻訳。

自宅で出来るし、ドイツの大学にいた頃のコネを生かせば実入りもそこそこ。

三カ国語に精通したあたしにピッタリの職種かも知れない。

こういうのを日本語では『昔とった杵柄』とかっていうんだっけ?

杵柄ってなんなのか分からないけれど。

とにかく、シンジは大学生で、あたしは一応な社会人。

18歳の誕生日に、シンジのヤツを自由にしてやろう、なんて偉そうなことを考えた割には、未だにあたしたちは一緒に住んでいる。

妥協でも惰性でもない。理由はもっと現実的。

あたしたちには、政府やらなにやらからそれなりに、かなりの金額の恩給のようなものが出ている。

正確には恩給というより口止め料とでも形容したほうが相応しいかも知れない。

要は、エヴァとネルフに関することは忘れろ、口外にするなということ。

もうそんな昔のことに拘っても仕方ないと思うし、実際未練はないんだけれど、最近になってからある問題が発覚した。

てっきり高校卒業と同時にあたしたちの口座の封鎖は解かれると思っていた。

しかしそれは間違いで、本当に解放されるのは成人してからだという。

これには正直面食らってしまった。だって18歳になれば大丈夫だと思ってたんだから。

なのに卒業後も支給されるのは、相変わらずの学費と生活費だけ。

おかげで卒業旅行に計画していたヨーロッパ一周の旅も頓挫。

新しいマンションを買って引っ越す予定も中止して、シンジとの同居を継続中。

あたしの稼ぎで一人暮らしは出来なくもないけど、やっぱりアイツと一緒に暮らしている方が色々と楽だ。

それに、シンジのヤツもあたしの稼ぎで食材をたくさん買えてレパートリーも増やせるわけだし。

こういうのを、一石二鳥、相互補完というのだろう。他に意味はない。

意味は……ないはず。

無意味に浴室のタイルを殴りつける。シャワーを止めた。

右手がズキズキしたので、左手で頭をタオルで拭いながらキッチンへ戻る。

漂う匂いにオーブンを開ければ、当たり前のようにグラタンは焦げていた。







15時開始の古いドラマの再放送をダラダラ見ながら、グラタンの焦げてないところをちびちびと食べる。

ブレックファーストと称するには遅すぎるけど、あたしにとっては正真正銘の朝食だ。

TV画面では、スーツを着た男が和服の女性に迫っている。

『奥さん、ぼくは、ぼかぁもう…!!』

『ああ、いけません、いけないわ……!!』

…アホらしいのでスイッチを切る。

結果、聞こえるのはクーラーの稼働音だけという寂しい状況。

つまらないので乱暴にフォークをプレートに突き立てる。

焦げた場所の隙間からグリンピースが勢いよく飛び出した。

それを追いかけるようにフォークで突く。

さらに逃げる。

突く。

フォークがテーブルの表面を連打する音が響き、なんか殺伐とした気分になってきた。

何が悲しくてうら若い乙女が独り寂しく食事を摂らなければならないのだろう?

口元が吊り上がる。

あまり自分では好きではない表情で、笑う。

答えは分かり切っている。







シンジと同じ大学へ行けるのに、家に籠もることを選んだ自分。

外に働きに出かけられるのに、自宅で出来る仕事を選んだ自分。

ずいぶんと内向的になったものだ。これじゃあまるで昔のシンジみたい。

自嘲しても、誰も笑ってはくれない。そもそも他人なんてものを、あたしはあてにしちゃいない。

誰か一人だけでも、シンジだけでも見ていてくれれば十分。

悟ったのは、きっとここ数年のこと。

その副作用と称するにはあまりに無責任かもしれないけれど、あたしは他人との付き合いの一切が面倒になったのだ。

学生時代、ようやく肩の力も抜け、それなりに平凡になったあたし。

親しい友人を作らなかったけれど、それでも校舎という領域は心地よかった。

既に出来上がっているラベリング。カテゴライズ。

皆があたしをそういう風にみて、あたしも皆をそう見なす。

見知っているからこそ新たな距離を測る必要もない。

しかし、社会に出れば、そのフォーマットは殆ど意味を成さなくなる。

新たな人間関係を構築しなければならない。

それが…面倒くさい。



『ふん! 今さらあたしが大学へ行く必要あると思う?』

シンジの質問への答え。


『自宅で仕事でもいいでしょ? 何よ、もしかしてアンタ、あたしがどっか外国の研究所にでも行ったほうがいいワケ?』

もう一つの質問への答え。


えらく狼狽したシンジが、それでも力強く口走った台詞が耳に甦る。

『そ、そんなことないよ!』



―――あたしは、卑怯だ。

アイツの気持ちを知っていて、口を封じている。

自分の気持ちは隠したまま。

アイツを操作しておいて、望む答えを期待している。

それがシンジ自身の本心といえるのだろうか?

どっちにしろ、アンフェア極まりない。

シンジを自由にしてやると決めたクセに。

未だシンジを捕まえておこうとしている。

そう。

明確な決別を口に出さない限り、シンジは決してあたしから離れない。

そして。

口に出して別れを告げたとしても、きっとアイツは。







………と、まあ、この間まではそう思っていたんだけどな…。

食べかけのグラタンとフォークを放り出す。

だらしなくソファーにもたれ、ぼんやりと右腕を持ち上げる。

もうよっぽど注意して見ないと目立たないくらい、傷痕は回復している。

上体を起こして、テーブルの上に放置されていた手鏡を覗き込む。

見慣れた顔の青い瞳を見る。

両方ともちょっと充血していたけど、そっくり同じ色をしていると思う。

以前は左目の色が翳っていたらしいけど、もう自分でも変化は分からない。

人間の身体の回復力って、本当に凄い。

なのに、鏡の中のあたしの顔は、人体の神秘に感激している風ではなかった。

むしろ、不安そうな顔。

心配そうな顔。

焦っている顔。

多分、嫉妬も混じっている。

そんな表情を浮かべているのが何か情けなくて、またソファーに反り返る。

右腕を目の上に載せて天井を向く。







大学に通い始めたシンジと、自宅で仕事を始めたあたし。

昼夜逆転生活に突入したのは、夜の方が集中できるから。

偽装された一般論。

アイツの居ない昼間を独りで過ごすのは、少し寂しすぎる。だったら眠って過ごせばいい。

本当の理由はそれだけ。

夕方近くに起きて、まずは食事。

気が向いたら部屋の掃除。洗濯ものの取り込み。シンジがしてなかったらお風呂の準備もする。

頼まれれば買い物にいくのも稀じゃない。

家事や仕事絡みの雑事を片づけながらシンジの帰りを待つ。

シンジが帰ってきたらご飯が出来るまで一仕事。

遅い晩ご飯を一緒に食べて、TVなんか見て、シンジが眠った後があたしの仕事時間。

明け方近くまでPCと辞書とにらめっこをして、お風呂にゆっくり入る。

眠るのはいつも空が白みかけるころ。

運動不足とかも別に心配していない。

空き部屋の一つは、いまやスポーツ系通販番組の展示場みたいになっている。

でも、シンジが学生である以上、長い休暇がある。そう夏休みだ。

その時はもちろん生活時間を昼に戻そうとしたんだけど、結局実現しなかった。

理由はシンジのヤツが急にサークル活動なんか始めたこと。

そりゃあ日本の大学っていったらサークル活動が華らしいし、あたしが入部を制止する術はない。

シンジが大学生活を満喫するのは当然の権利だ。

なのに、日に日に帰りの遅くなるシンジに不満が募っていく。思わず不機嫌に接してしまったことも数えられないほど。

遅くに帰ってきて『ああ、ごめん! 今からいそいでご飯作るからね』は、まだいい。

携帯電話にメールで『遅くなるから、晩ご飯は先に食べていて』には、さすがに頭に来る。

しかもそういう時は決まって帰りは午前様。

帰ってきたと思ったら、玄関先でそのまま倒れるように眠ってしまうことさえある。

一体何のサークル活動なの? と訊ねたら、シンジは例のおどおどした態度で答えてくれた。

『えーっと、古武術研究会…かな?』

問いつめるほどあたしは野暮じゃない。もちろん、そんな権利もない。

遅くに帰ってくるたびに汗にまみれた身体を見ると、そう思えなくもなかったから。

でも、一緒に漂ってくるタバコとお酒の匂い。

シンジはタバコは吸わない。お酒だってそんなに強くない。

サークル内での飲み会ってのも結構あるとはいうけれども…。

その割には、全然逞しくなった様子もない。

あたしの不審を決定的にしたのは、土曜日に帰ってくるシンジの姿。

いつにも増して遅く帰ってくるシンジは、帰ってくるなりそそくさと浴室へ消える。

別に覗きの趣味はないけれど、アイツが通った廊下に残る香り。

香水だ。しかも女性ものの。

となれば導き出される結論は至ってシンプル。

自虐的に月に笑いかけた夜。

隣にあった姿見の鏡に、泣きそうな顔のあたしがいたので叩き割った。







ソファーから身を起こし、キッチンで冷蔵庫を開ける。

生憎お茶が切れていたので、勝手に缶チューハイの一本を開けた。

もう夕方だし。なによりあたしは19歳になるんだし。

自己弁護を終えてからリビングへとって返し、またソファーに横になる。

窓から差し込む夕日で半分だけ橙色に染まる蛍光灯を眺めた。







―――満たされた人間は、大別すると二種類になると思う。

新たなステップへと進むもの。

その場所で足踏みをするもの。

前者がシンジで後者があたし。

二人とも、満たされていなかった少年期を過ごした同類なのに、いつしか大きく道を違えていた。

明るくなったシンジ。満たされたことにより、過去の人物像と決別を果たしている。

満たされたと自覚してなお足踏みを繰り返すあたしの方は、きっと病んでいる。

それとも、これが本当のあたし?

だとしたら、なんてあたしは臆病なのだろう。

なんて卑怯なんだろう。

妬んでいる。

シンジが自分の道を進んでいることを。

憎んでいる。

アイツを解放しようと決めたのに、いまだ吹っ切れないあたし自身を。







今日はあたしの誕生日。

去年あのバカに届かなかった言葉は、まだ胸の奥に引っかけてある。

これを差し出したら、どうなるだろうか。

あたしの元を飛び立とうとするシンジの足枷になるだろうか。

望めば、あたしの元にアイツが留まり続けるという確信はある。

そのまま世間から隔絶された巣で朽ちていくのも悪くないかも知れない。

でも。

あたしの本質が、臆病で卑怯だとしても。

逃げるのだけはあたしは嫌だ。

その場に留まるのはいい。でも、背中を向けて逃げるのだけは二度としない。

あんなもの、一度経験すれば十分だ。

逃げた先には絶望しか待っていてくれないのだから。

倒れるなら前に倒れよう。

それだけが、きっとあたしに残された最後のプライド。

ずいぶん小さくすり減ったものだ。

苦笑をしながら立ち上がり、部屋の掃除をすることにする。

なにせこれから誕生パーティをするんだから。

せめて少しくらい部屋を飾り付けよう。







そんなことを決心していたものだから、日が落ちようとしたころ帰ってきたシンジの申し出に、咄嗟に反応出来なかった。

「うん、すぐ出かけられる格好だね。アスカ、来て」

いうなり、あたしの腕を掴んで外に飛び出すシンジ。

マンションの玄関には、すでにタクシーが待機してて、わけのわからないまま後部座席に放り込まれる。

「ちょっと! 何のマネよ、これ?」

シンジは笑って答えてくれない。

仕方ないので、秘蔵のワンピースを『すぐ出かけられる格好』なんて形容してくれたことに文句をいおうとしたら、タクシーは急停止。

またまたシンジに手を引かれておりた先は、なんとも高級そうなブティック。

「それじゃあよろしくお願いします」

混乱するあたしの前で、シンジが話しかけたのはそのブティックの女性店員。

「はい、確かに承っております。どうぞこちらに…」

今度はブティックの店員に手を引かれ、あたしが連れていかれたのは店の奥の試着室。

もちろんカーテンで仕切られたあの電話ボックスみたいなところじゃない。

ドアと壁で仕切られた完全な別室。広い室内には、煌びやかなドレスがたくさん並んでいた。

「素晴らしいプロポーションですこと! 御髪も綺麗ですね」

ぽんぽんとまくし立てるような口調の女性店員。他に既に室内に控えていたらしい二人の店員。

計三人がかりで弄くり回され、気がついたとき、あたしは結構露出の多いドレスを着せられていた。

なんか肩と胸元がすーすーする。

「出来ましたよ」

促され鏡を見ると、まるで別人みたいなあたしがいた。

素直に驚いてもいいところだけど、今日のあたしは少々日中にひねくれ過ぎている。

所詮、いくら着飾ったところで醜いアヒルはアヒルなのだ。アヒル本人が自覚しなければ空も飛べないのに。

複雑な心境のままブティックを出れば、そこにはタキシード姿の男性がいた。

いつの間にか道路のタクシーはリムジンに変わっていて、タキシードを着ているのはやはりシンジだった。

「…綺麗だよ、アスカ」

ドアに左手をかけたまま、照れたようにいってくれる。

「……ありがと」

短く礼をいって、あたしはシンジの差し出した右手に自分の手を重ねた。

わけがわからないままだけど、とりあえずそれは棚に上げておいて。せっかくだから付き合ってみよう。

エスコートされて乗り込んだリムジンは、音もなく走り出す。

本当に振動しないんだ…と感動したのも束の間、そこでようやくシンジに再度質問。

「ねえ、これは一体何のマネなのよ?」

「着けばわかるよ」

隣で、しかもちょっと離れて座った場所で微笑むシンジ。

なんとなく、それ以上重ねて質問できなかった。

なぜなら、妙に今日のシンジは格好良く見えたから。

そこであたしはブンブンと頭を振る。

きっと夕方に飲んだチューハイが残っているんだ。

だから、これは夢………?

シンジから顔を逸らすようにして視線は何気なく窓へ。そこから見えた景色に、あたしは絶句してしまう。

夜空にそびえ立つ絢爛たる建築物。

確か、ここいらでも最高級のホテルじゃなかったっけ…?

当たり前のようにそのホテルのエントランスにリムジンが滑り込んで唖然とした。

シンジからエスコートされ、降り立った前に数人だけど従業員が列を作って出迎えていてくれたのには、もっと驚いた。

「いらっしゃいませ、碇さま」

通された個室の豪華さに、もうあたしは口もきけない。

だって、今日目を覚ましてから、全然こんなのは予定外。想像外。

マンションの一室とは天と地ほども差のある豪華さ。

その激しすぎるギャップに、あたしはきっと酔っぱらったような状態になっていたと思う。

フワフワという浮遊感。伴う薄い現実感。

あたしがどうにか落ち着いたのは、給仕の人がワインを抜いて、それを二つのグラスに注いでくれた頃になってから。

まずワイングラスを前に、テーブルに並べられた食器を見回す。

銀製のフォーク、ナイフ、スプーン。

素人目にも高価なものだと分かった。

思わずそれらをシンジと見比べてしまう。

「一体これは…」

三回目の質問を言いかけて止める。いくらなんでもそれはバカすぎる。

ところが、あたしが言い淀んでいる間に、シンジはあっさりとその台詞を口にしていた。

ワイングラスを軽く持ち上げて。

「19歳の誕生日、おめでとうアスカ」

「…ありがとう」

あたしには、そう返す以外なにもできなかった。

近づいてくるシンジのグラスに、慌てて自分のグラスを持ち上げる。

澄んだ音を立て、グラスの中の赤い液体がゆっくりとうねった。

乾杯したんだから、とりあえずそれを飲まなきゃいけない。

香りだけで頭がクラクラするくらいのそれは、少し渋いのにとても美味しかった。

漠然と、これも凄く高いんだろうなと思う。…なんか現金なあたし。

味覚を通して、ようやく現実がこちらに近づいてきたみたい。

周囲を見回し、またシンジの顔を見て、もう四回目の質問はする必要はない。

ウェイターが一番目のお皿を運んで来てくれてから、あたしは言う。

「…これって、もしかしてあたしの誕生パーティなわけ?」

ワインを飲み干してシンジはニッコリ笑う。

「うん、そうだよ」

いってから、ちょっと迷って勝手に自分で二杯目のワインを注いでいる。給仕して貰えばいいのに。

「でも、アンタ、こんな豪華なホテルで、お金は……」

スプーンをスープ皿に入れながらあたし。一口啜ってみる。とんでもなく美味しい。

「お金は…その貯金があったからね。高校時代からすこしづつ貯めていたし」

シンジは答える。全部が全部嘘ではないだろうけど、もちろんあたしが納得できるはずもない。

あの頃出来た貯金なんかたかが知れている。一緒に暮らしていれば嫌でも分かる。

なにせ、散々あたしがタカっていたのだから。

じっとにらむと、シンジは視線を逸らす。

しばらくそうやってから、ため息を一つ。固く目を閉じてグラスを口にあてて。

「……バイトしたんだよ」

それが三杯目を飲み干したシンジの答えだった。

「バイトって……、いつ、どこで?」

「大学入ってしばらくしてからずっと。居酒屋とかで」

そこでようやく、本当にようやくあたしは全ての合点がいく。

ああ、なんてあたしはバカなんだろう。

シンジのがうつったわけじゃないだろうけど、本当に大バカだ。これじゃシンジを笑えない。

そもそもサークルに入ったなんてことから嘘だったのだ。

自由になるお金がないと知った時から、綿密にこの計画を考えていたのだろう。

いや、もしかしたら、卒業後預金が解放されることを見越して計画していたのかも知れないけど、そんなのはこの際どうでもいい。

あたしの誕生パーティをこの高級ホテルで催すため。

そのためだけに、シンジは毎日毎日バイトに明け暮れていた…?

そんな苦労をしてまで計画を立てたのは、きっと。

「高校卒業したら、綺麗で立派なホテルでアスカの誕生日をお祝いしてあげようって、ずっと考えていたんだ…」

と、またまたワインを注ぎながらシンジ。

ほら、ずっと家でばかりお祝いしてたでしょ? 思ったより予算足りなくて、バイトする羽目になったけどね、と早口で言う。

足りないどころの話じゃなかったろうに。

こんなに長い間バイトを続けるだけでも大変だったろうに。

そんなことを微塵も感じさせないような笑顔でシンジは続ける。

「アスカを驚かせようと思って……サークル入っただなんて嘘ついて、ごめん」

分かり切ったその台詞も、あたしの心の表面を滑り落ちていく。

内面は、ただただ加熱を続けていた。お腹の奥からじんわりと熱くなり、心臓がドキドキとうるさいくらい。

目の前に何かモヤのようなものがかかったので、慌てて拭った指先は濡れていた。

「アスカ……?」

訝しげなシンジの声。

あたしは、笑おうとして―――失敗する。

「………………ごめん、なさい」

どうにかそれだけを絞り出す。後はうつむくだけ。

「…え?」

意外そうなシンジの声にも、あたしはもう止められない。

純白のテーブルクロスの上に、幾つもの染みが出来るのを、どうしても止められなかった。







本当に、あたしは間抜けだ。

きっとシンジの気持ちを受け取るに値しない。

散々勝手に勘ぐって。

アイツの想いを信じようとせず、ただ邪推して悦に浸っていた。

まったくもって最悪だ。

だから全部話した。

シンジが他の女と付き合っているのかと思っていたことも含めて全部。

なのに。

脳天気なバカは、それでもあたしを許してくれる―――。

「…そういわれると、うん、そう見えなくもないかなあ。ごめん、誤解させちゃって」

訂正。真性バカだ。だけどそれこそがシンジ。

居酒屋のバイトがアルコール臭とタバコの臭いの正体。

香水の匂いは、土曜日だけプールバーでバーテンダーをしていたからだとのこと。

安心したらお腹が空いたので、遠慮なくメインの子羊のローストを突きながらあたしはその話を聞いた。

「まったく紛らわしいのよ、アンタは…」

オマケに悪態まで飛び出してしまったのは、きっと酔っていたからだろう、うん。

シンジは相変わらず陽気な顔と表情で、

「ははは…。でも、ちょっとだけ不本意かなあ。そもそも僕はアスカしか…」

そこまで言いかけて慌てて黙り込む。

「…アスカしか?」

あたしが上目遣いで訊ねると、誤魔化すようにシンジはまたワインを口に運んだ。あ、空にした。

気づけば、ワインの2/3以上なくなっている。ほとんどシンジが飲んだみたい。

「う、うん? えーと、何?」

こっちに向けた顔はなんか目が泳いでいる。まあ、ここは追求しないでおいて上げましょ。

デザートはラズベリーのポアゾンだった。

ご丁寧にケーキの上には金文字で<HAPPY BIRTHDAY ASUKA>。

食べるのがもったいないくらい綺麗だった。結局食べたけどね。

食後のコーヒーが出てきてもシンジはワインを飲み続け、結局フルボトルを空にした。

確かに高いワインだけど、そこまで飲むことないんじゃない? 

意地悪くそんなことを考えていたわたしは、次のシンジの態度と台詞に疑問が氷解する。

軽くうつむいたシンジ。

あたしの目を見て、逸らして、それでもしっかりあたしの目を見据えて。

「…アスカ、その」

震える声。心なしかシンジの肩あたりも震えているよう。

「今日は、このホテルに部屋をとってあるんだ。だから…泊まっていかないか?」

似合わない台詞を口にして、全身を緊張させて、シンジは真っ直ぐあたしを見つめてくる。

一気に酔いが吹き飛んだ。

…なるほど、確かにシンジの方は、酔っぱらいでもしなければこんな台詞を口にできないだろう。

頭の奥の一部分だけが冷静でそんな風に納得していたけれど、たちまち全体が熱くなる。

意味が分からないほど子供じゃない。

ちょっとだけ期待してなかったわけじゃない。

興味はあるけど、正直怖い。

でも、子犬のような、断られたらどうしようと訴えてくるようなシンジの視線に、あたしは。

―――ゆっくりと頷いた。

途端にシンジは脱力する。照れくさそうな表情は、嬉しそうというよりなんか安心しているみたい。

「……断られたらどうしようかと思っちゃった」

言葉に出さず、全身でそう告げてくるシンジに、

「バカね…ここまでされて断れるわけないじゃない」

この期に及んで嘘をつくあたし。

…あたしだって望んでいるのだ。去年から。ひょっとしたらもっと前から。

そして、今のあたしたちは19歳。まだ未成年ではあるけれど。世間的に、誰からも文句を言われる筋合いもない。

「アスカ、何かいった?」

嘘だけど口に出してしまっていたらしい。

訊いてくるシンジに笑って首を振った。

その後、あたしたちの間に会話はなかった。

















案内された部屋の内装も外見に準じて豪華なものだった。

広い室内の真ん中に大きなテーブル。ソファーセット。大型TV。

続きの隣室が寝室なのだろう、さっそく足を向けてみる。

これまた広いスペースの真ん中にはキングサイズのベッド。

壁一面が大きなガラスでレースのカーテン越しに夜の街が一望出来る。

綺麗な光景だったけれど、さすがに身体が強張る。

「うわ〜、広いね〜綺麗だね〜」

自分で予約しておいて脳天気な感想を漏らすシンジ。

それでもベッドを目の当たりにしたとたん硬直した。

「あ、はは…、そ、その、なんか飲み物でももってくるよ…」

そういって踵を返そうとしたシンジの前に、あたしは立ちふさがる。

続いて寝室の電気を消したのは、我ながら大胆な行動だったと思う。

でも、次の行動に比べれば、そんなのささやかなものだった。

茫然と立ちつくすシンジに、ほとんど飛びかかるように抱きつく。

あたしを受け止めたシンジだったけれど、たぶん飲み過ぎていたからだろう、足をもつれさせる。

それでも綺麗に反転して、あたしはベッドの上に投げ出されるような格好になった。

窓から差し込む月明かり。

それだけが互いを照らし出す天然の照明。

自分の剥きだしの肩や胸元を急に意識してしまう。

あたしに覆い被さるようなシンジの顔は、青い光の中でも赤く見えた。

そっとシンジの右手が髪に触れる感じがあったけれど、あくまで前を向いたまま。お互いに視線を逸らさない。

静かだ。心臓の音と互いの息づかいだけがBGM。

これからしようとすること。起こること。

伝聞の知識はあるけれど、実体験の前にどれほど効果があるものだろうか?

でも、どんなことになっても。

きっとあたしは後悔なんかしない。

なぜなら、あたしはコイツを―――。

シンジがゆっくりと口を開く。

「……アスカ。僕は、きっと、ずっとずっと前からキミのことを………」

心臓が破裂しそうな程うるさいのに、その声ははっきりと耳に届く。

うっとりと続きを待つあたしの目前で、シンジは口ごもり、その顔を真っ赤にしている。

照れているのだろうか?















シンジの顔は益々真っ赤になり―――


















―――――――――そして青く。















「うっぷ…」

「…え?」













正直に告白しよう。あたしは失念していた。シンジがお酒に弱いことを。

そして、気づいたときは手遅れだった。















「うぉおええええええええええええええええ………」


「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」




























……………………………もう最悪。




























「…ごめん」

「いいわよ、もう…」

うわごとのように謝り続けるシンジの額に濡れたタオルを置いてやる。

吐くだけ吐いても、気分は全然改善しないみたい。

原因はいうまでもなくワインの飲み過ぎだろう。悪酔い以外の何ものでもない。

…おかげで先ほどの気分なんか吹き飛んでしまった。

だからといってシンジのこの状態から再開は不可能。

ため息をつきながら、窓の景色を楽しむのが関の山というヤツだ。

せっかくこんないい部屋に泊まったのに。気づけば日付も変わっているし。

あたしの膝の上から寝息が聞こえてきた。

どうやらシンジも寝入ってしまった様子。

そっと髪を撫でながら、あたしは少しだけ微笑ましい気分になる。

もちろんこのサプライズパーティまでのコイツの色々な努力もあるけれど、全く別の新しい発見もあったから。

あたしの背中だけを見つめていたとばっかり思っていたのに。

あたしが怒鳴りつけなきゃ何も出来ないヤツだったのに。

いつの間にか、シンジがあたしの前にいて、手を引いてくれるようになるなんて。

成長したのだろう、コイツも。

ちょっとだけ羨ましい。

あたしは成長することを止めたのだから。

でも、シンジが手を引いてくれるなら、変われるかも知れない。

前に進めるのかも知れない―――。

あたしはシンジの頬にそっとキスをする。

お礼といえばささやか過ぎるけど。

込めた心は、意味は、決して小さなものじゃない。

こうして、二人だけのあたしの19歳の誕生日は終わった。




























18歳になれば社会人。

免許も取れれば結婚も出来る。

だけど、年齢的にはまだ未成年。

20歳になるまでお酒もタバコもだめ。

大人なのか子供なのか。

エアポケットみたいな、18歳からの2年間。

―――その一年目も終わりを告げ、あたしはこれからもあのバカと過ごす。







成人するまで、世間的に大人と呼称されるようになるまで後一年。

だけど、身も心も大人になる機会は来年の誕生日まで名実ともにお預けのようだ。

……やっぱり、ちょっと残念。























(2005/12/4)



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