カスタードクリーム・デイズ







































台所に立つ父の後ろ姿。

それが少年の原風景だった。

エプロンを着けた父は、まるで魔法使いに見えた。

包丁を操り、お玉を廻し、箸を振る。

一連の動きが、まるで流れるように淀みない。

ニンジンなんかは星の形に変えてしまうし、白い粉からふんわりパリパリの生地を作ってしまう。

子供の目にはそれは料理ではなく、まさしく魔法だった。

なかでもとびっきりの魔法、少年のお気に入りの魔法が一つ。

ミルクと卵をかき混ぜて、砂糖を加えてつくる甘い甘いカスタードクリーム。

もっと複雑な工程や材料があるんだろうけど、少年にとって、ありきたりの材料が姿を変えることこそが驚異だった。

子供ながらにこっそりに再現しようとしてみたこともある。

ミルクと卵を殻の欠片ごとかき回し、結局どうやっても出来なくて、苦笑混じりに両親に怒られた。


「いいかい? 鍋にかけて、温めながら作らなければならないんだよ?

でも、まだ火を使うと危ないから、自分で作るのはもっと大きくなってからね」


父親は、傍らに息子を据え、手ずからカスタードクリームを作る過程をみせてくれた。

目を輝かせる少年が、もっとも気に入ったのが、さや付きのバニラビーンズ。

馴染みのある甘い香りは、ちょっとカスタードクリームとは違う香りだけど。

あまりにいい匂いだったので、踏み台から飛び降り、さやのままのそれを母親の元まで送り届けた。


「おかーさん、アイスクリームの匂いだよ!」


幼い弟妹たちの様子を見ていた母は破顔する。


「ありがとう、アスマ。とってもいい匂いね」


頭を撫でてくれる綺麗な母に得意げに小さな胸を張り、少年は父の元へ舞い戻る。

ゆっくりと鍋をかき回しながら、父は優しい眼差しで小さな宅配人を待っていた。


「さあ、そろそろ出来るよ。鍋をかき回してみるかい?」


父の差し出したしゃもじを、少年はおっかなびっくり受け取る。


「ゆっくりと、鍋全体をかき回すように…」


アドバイスに従い、少年の小さな手は一生懸命鍋の中身をかき回す。

熱せられて立ち上る香りがたまらない。

今、カスタードクリームをつくっているんだ…!

少年の目は興奮に輝く。

やがて、黄色い液体は、もったりと粘度をもってきた。

ここまでくると、さすがに細腕では骨が折れる。

不安になって思わず父を見上げれば、満面の笑顔。

やさしく息子からしゃもじを受け取り、父は微笑む。


「結構力もいるんだよ?」


申しわけなさそうな表情になる少年の前で、また父が魔法を起こした。

かき回しているうちに、もったりとしていた黄色いクリームが、またサラサラになってきたのだ。

目を丸くする少年の前で、父は鍋の中身を角バッドへと移し、手早く氷水を張ったタライに入れた。

いわゆる荒熱を取っているわけだが、少年はバッドの中に水が入らないか冷や冷やする。

バッドを取り出し、丁寧に水滴を拭いて、ラップをかけて冷蔵庫にしまう。


「これで、一時間くらい冷やして、生クリームを混ぜて出来上がり」


コクコク頷く息子に、父親は笑いかける。


「さあ、カスタードクリームを使って何を作ろう? シュークリーム? エクレア? ミルフィーユもいいね」


どれも少年の大好物ばかり。どれがいいかなと指折り数え、歓声混じりのリクエスト。


「僕、シュークリームがいい!!」


笑顔で頷く父親は、じゃあ生地も作らなきゃね、と戸棚を漁って顔をしかめる。


「ありゃ、薄力粉切らしてたな…」


コートをひっつかみ、出て行こうとする父親のズボンの裾を、息子が掴んで不安そうに見上げる。


「大丈夫、すぐ帰ってくるから」


クシャクシャと頭を撫で、父は母へと声をかけた。


「アスカ、ちょっと買い物行ってくるよ」


「あ、じゃあついでにオレンジジュースも買ってきて。100パーセントのヤツ」


頷き、父は出かけてしまった。

少年は、しばらく冷蔵庫の前と、母と弟妹たちのいる部屋を行き来する。

一応、父がいないとき、母と弟たちを護るのは自分の役目だと任じていたから。

それにも飽きてきた少年は、ふと思いついた。

冷蔵庫の中の、カスタードクリームはどうなっているんだろう?

もう出来たんだろうか?

おそるおそる大きな冷蔵庫を開け、すぐ手前に長方形のバッドを発見できた。

湛えられた黄金の液体に、胸が高鳴る。

まだ出来上がっていない、みたいなこといっていたけど、どうみても立派なカスタードクリーム。

…食べてみたい。

つまみ食いしてみたい。

少年は思わず周囲を見回す。

つまみ食いは行儀が悪いでしょ!! と母に強く戒められてはいたけど、その母も今、ここにいない。

小さな震える指がラップをめくる。

丁度三角形に開いた隙間に指を突っ込もうとして、三回くらいためらう。

それでも意を決して、黄金色のそれを指ですくおうと近づけたとき。


「こら」


思わずおしっこを洩らしてしまいそうになったくらい、少年は驚いた。

文字通り飛び上がり、ラップをかけ直し、後ろでに冷蔵庫を閉めようとしてどれも失敗。

結局、怒られるの覚悟で背後にいる母の方へと向き直れば、決して母は怒っていなかった。

むしろ、自慢の長い金髪をそっとかきあげ、唇に右手の人差し指を当てる。

そして左手の方は、開きっぱなしの冷蔵庫の中へ。

母の白くて細い指が、金色の塊をひとすくいしたのに、少年は目を見張る。


「シンジには、お父さんには、ナイショよ?」


そうイタズラっぽく微笑んで、母は息子にねっとりしたそれを半分くらい分けてくれた。

少年は忘れていた。

母も、父のつくるカスタードクリームがこの上なく好きなことを。

シュークリームやタルトなど、カスタードクリームを使ったお菓子が出たとき。

いっつも父は、自分のぶんを半分こにして息子にくれる。

まだ小さな弟妹たちが食べきれなくて残してくれるのを待ちかまえている長男にとって、嬉しい限りだ。

ところが、母が自分のぶんを分けてくれたという記憶がない。

むしろ、父の残った半分の方を、ぶんどって無理矢理食べていたような…?

とにかく、母がとってくれたカスタードクリームは、少しもそもそしたけれど、柔らかくてとても美味しかった。

まだちょっと温かくて、トロリとした食感が舌を優しくくるむ。

幸せな表情になって母を見れば、同じくとても満ち足りた表情。

指を舐め舐め、母は小声で囁くようにいって、笑う。


「…もう少し、食べちゃおうか?」


目を輝かせ、少年が頷こうとしたとき。


「…なにやってるの、二人とも?」


聞き慣れた声に硬直、おそるおそる振り返れば、ビニール袋片手の父がいる。


「あちゃ〜…。えーと、これはねー…」


言い淀む母の前に、ずいっと少年は立ちふさがった。


「ボクが食べたの。あんまり美味しそうだったから、ボクがツマミ食いしたの。だからおかーさんは悪くないの」


実のところ、かばうとかそういうことまで意識していなかった。

でも、そもそもは、ボクがつまみ食いをしようとしたから。

おかーさんはその後に来たんだから。

怒られると思って待ちかまえていれば、なぜか両親は驚いた顔をしていた。

そして、どういうわけか母の方が正面に廻ってきて、次の瞬間、思いっきり抱きしめられていた。


「この子ったら…」


なんだか水っぽい声で母はそういったあと、ほっぺたに音を立ててキスをしてくれた。

跡がつきそうなほどのキスを顔中にしまくった挙げ句、小さな唇にもキスをしてくれた。

カスタードクリームの味がした。

だから、少年にとっての初めてのキスの味はカスタードクリーム味。

母親が、幼い息子が庇ってくれたことにとんでもなく感動していた、と知ったのもずっと後になってから。
























やがて月日が経ち、少年も成長していく。

恋を語り合える年頃になり、幼なじみの恋人とキスを交して、


「おまえのキスって、カスタードクリームの味しないんだな…」


などとポツリと洩らし、ホッペタを叩かれた上に詮索責めにあったり。

















思い出は懐かしく、カスタードクリームと同じ色をしている。

そして今の生活も、まるで原色のカスタードクリームの中にいるようだ。

この上なく優しく柔らかく。

年々甘さを増していく両親の生活に辟易しながらも、今でも父の作ってくれたそれを不意に食べたくなることがある。

父の作ってくれるそれは、昔の記憶と寸分変わらないもので。

…ああ、結局、何も変わっていなくて。

思い出も色あせることはなくて。

多分、そう思えることこそが、この上なく幸せな証なのだろう。

全て繋がっている。

紡がれている。

そんな日は続いていく。








































(2004/11/5)







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