夫婦誕生
  



第二話 『愛に渦巻くいんぼー』
































葛城ミサトは、愛車であるルノーのドアを閉じながら溜め息をつく。

「はあ、疲れた〜。ぼちぼち徹夜もきついわね〜、この歳になる…」

自分の歳のことを言いさして慌てて口をつむぐ。けっこう微妙なお年頃なのだ。

ミサトは空を見上げる。既に高く昇った太陽は、ジリジリと強い光を送ってくる。

4月だというのに暑い。サードインパクトによって地軸は元に戻ったというのに。

ミサトは額の汗を拭いつつ伸びをして、コンフォートマンションの入り口をくぐる。

こんな日は、ビールを飲んで寝るに限る。冷えたエビチュはさぞ美味しいことだろう。

彼女がエレベーターに乗り込もうとすると、入れ違いで段ボールを抱えた男たちが出てきた。

男たちは白い帽子とジャンパーという統一された服装をしている。

ジャンパーの背中には『嫌みなまでに迅速に!! 白トカゲ引っ越しセンター』というロゴが書いてあった。

「ご苦労様です」

ミサトはにっこりと微笑みながらエレベーターへと乗り込む。

メガネのオペレーターを惑わせた美貌は健在で、男たちは愛想抜きで微笑み返してくる。

笑みを浮かべたままエレベーターのドアを閉じるミサト。

一人っきりになった密室で、自らの頬のあたりをさすってみる。

「どうも、最近突っ張るのよねぇ〜。歳なのかしら? 」

口にして憮然とする。自分で言ってて不機嫌になってりゃ世話はない。

ミサトは首を振りつつ気分を変えようと試みた。

そうだ、昨日のことを思い出してみよう。

先日、退勤際の彼女に、執務室から呼び出しがかかった。

何か重大なミスでもしたかしら?

おっかなびっくり執務室のドアを叩く。

しかし、彼女の予想は大きく覆された。

なんと、ゲンドウ直々に仕事を頼まれたのである。

「きみにしか出来ない仕事だ。すまないが、明日の午前中までに頼む」

そして、ゲンドウは頭まで下げたのだ。

仕事の内容自体は、データの整理、修正とたいしたものではなく、ミサトにしか出来ない仕事というわけでもなかったのだが、量が尋常ではなく徹夜となってしまった次第であった。

何故緊急にこのような仕事を頼むのか? と疑問に思わなかったわけでもないが、あの陰険司令が頭を下げた、という驚愕のほうが彼女に衝撃を与え、疑問を忘却の彼方へと追いやってしまったのである。

その光景を思い浮かべてはニンマリとするミサト。

いやー、あの奥さんにだって頭を下げたことがなさそうな司令が、あたしにねー。

呑気に思い出しながら、エレベーターを降りる。

鼻歌混じりに、自宅へと向かったミサトだが、いざ入ろうとして玄関のドアに正面衝突した。

玄関の自動ドアがロックされていて開かないのだ。

「いたたたたた…まだ寝てるの、あの二人は? 」

ミサトはぶつけた鼻を押さえる。

今日は休日ではある。

しかしアスカはともかく、小学生向けの夏休みの過ごし方を実践して生きているようなシンジが、こんな時間まで寝ているということは考えにくい。

「自動ドアだからって、停電なはずもないし…。ひょっとして二人して出かけちゃったのかな? 」

日曜日であるならば、むしろその可能性のほうが大である。寝ているとか停電などより、こちらの発想に思い至るべきだろう。

誰が見ているわけでもないのに照れ隠しの笑みを浮かべ、ミサトは懐からカードキーを取り出した。

カードキーをチェッカーに通して―――ドアは開かない。

「あれ?」

もう一度。

やはり開かない。

表札と部屋番号を確かめてみる。間違いなく自宅だ。

今度はゆっくり丁寧にカードキーをチェッカーに通す。

やっぱり開かない。

「…? おっかしーなー? 」

どうにもドアが開かないので、ミサトはチャイムを押してみた。

アスカだけでもいればいいけど…。

しばらく待ったが、ドアは開かない。

苛立ちを覚えたミサトはチャイムを連射。

故障だっての? 冗談じゃないわよ、こちとら疲れてんだからさ!!

そんな彼女の思いが通じたのか、軽い機械音を響かせてドアは開いた。

開いた先に立っているアスカ。

その見慣れたはずの姿を見て、安堵よりも違和感がミサトを襲った。

アスカ…どこか雰囲気が違う…?

未だ保護者を自認しているミサトの考えをよそに、アスカは不機嫌な声を出す。

「…朝っぱらから五月蝿いわねぇ」

「なによ、いるなら鍵開けといてよね」
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急な徒労感が再噴出してきたミサトは、アスカの脇を抜けて室内へ入ろうとした。

ところがアスカは入り口に仁王立ちとなって、頑として動こうとしない。

「…なんで邪魔するのよ、アスカ?」

ミサトの問いに、アスカは胸を反らす。

「それは当然でしょ。ここは今日からあたしとシンジの家になったんだから」

「はあ?」

ミサトは被保護者の宣言に首を捻る。

「あ、そういえば取るの忘れてたわ」

アスカは腕を表札に伸ばすと、そこから「葛城ミサト」のプレートを抜き取る。

「はい」

「はい、ってどういうことよ、これ…」

放られたプレートを受け止めてミサト。

「だーかーらー、二度も説明させないでよ。ここは、あたしとシンジの二人だけの家になったっての!!」

「じゃ、あたしはどーなるのよ?」

「さっき引っ越しセンターの人とすれ違わなかった?」

「まさか…」

「そ。ミサトの荷物は全部持ってってもらったとこよ。あ、これ荷物の発送先だから」

アスカは一枚のメモをミサトに投げてよこす。

すかさずキャッチしたミサトは金切声をあげた。

「なによここ、加持の住所じゃない!!」

「じゃ、加持さんとお幸せに〜」

絶叫するミサトを横目にアスカはドアを閉めようとして、閉まらなかった。

「そんな生半可な説明で、納得できるくわぁ〜〜〜!! 」

ミサトの指が殆ど閉じかけたドアをこじ開けていく。さながらATフィールドをこじ開ける初号機のよう。

「…意外とやるわね、三十路女のくせに」

アスカの呟きに、鈍い音を立ててミサトが握っている部分の扉がメキョリと凹む。

「歳の話はするなぁ〜〜〜〜〜〜!! 」

鼻息も荒く目を怒らせるミサトに対して、アスカの余裕のある態度は変わらない。

「実力行使ってこと? だったら、こっちもそうするわ」

アスカの白く細い指が動き、渇いた音を立てる。

その合図とともに、どこからともなくワラワラと出てくる黒服の男たち。

ご存じネルフの保安諜報部の皆さんである。

「なによ、あんたたちは!! ちょっと離しなさいよ!! 」 

たちまちミサトは屈強な男たちに両腕を押さえられてしまう。

「すみません、今の最高命令権はセカンドチルドレンにあるんです…」

ミサトの腕を抱えたまま、すまなさそうに言う諜報員A。

驚きがミサトの顔を掠めたが、抵抗が無駄だと悟ると質問に切り替える。

「では、作戦本部長として状況の説明を求めます!! 」

「最重要機密事項のため、口外できません」

と返答はにべもない。

「じゃ、作戦本部長殿を加持一尉のお宅へと送ってあげてちょうだい」

「了解しました」

アスカの勝ち誇った声に恭しく返答する諜報員たち。

「くううう…、アスカ、憶えてなさいよぉぉぉぉぉぉぉぉ!! 」

「何を憶えていりゃいいのかわかんないから、無理ねー!! 」

ミサトの遠吠えを聞き流して、得意満面のアスカ。はっきりいって完勝である。

黒服に連行されるミサトの姿を眺めていた彼女に、別の黒服の一人が携帯電話を差し出した。

「はい」

喜びも露わに電話にでるアスカ。

そして―――――。













場面は変わってここはネルフの執務室。

別名『司令と副司令の愛の巣』と一般職員に陰口を叩かれている、ネルフの鬼門中の鬼門である。

その部屋の主は電話の真っ最中であった。

「それで、問題はないかね? 」

『ええ。まったくありません。完璧ですね』

アスカの喜色に溢れた声にゲンドウはまったくそっけない声で応じた。しかしよく見ると、頬がほんの微かに弛んでたりする。

「そうか。では、シンジをよろしく頼む」

『はい、お義父さま』

そこで通話は終わった。

「ふふふ、これで『碇家保管計画』の第一段階は成功したも同然だな」

横から冬月が声をかけてくる。

「ええ。MAGIの試算でも、彼女の受胎率は90パーセント以上です」

と赤木リツコ。

ゲンドウは受話器を置くと表情を改めた。

「では、加持一尉と葛城三佐に関する件は? 」

「はい、間もなくこちらに加持一尉が来るはずです」

「そうか」

いつもの通り手を組んで肘をついたポーズを取るゲンドウ。

こころなしかその雰囲気がいつもより柔らいで見えるのは、決してリツコの贔屓目ではあるまい。

「しかし碇、お前の孫を抱く日がこようとはな…」

感慨深げな冬月。その瞳にはうっすらと涙が光る。

しかしゲンドウはそんな冬月を一瞥して、

「早まるな。まだ出来たと決まったわけではない」

「それはそうだが…」

「それに、わたしの孫であって、おまえの孫ではない。シンジにしてみても、おまえに対する認識は、単なる小うるさいジジイ以外のなにものでもないだろう」

そっけなくいってのけるゲンドウ。

「うう…そんな」

対してポケットから絹のハンカチを取り出して、よよよと涙を拭う冬月。

更にゲンドウは冷たく言い放った。

「まあ仮に産まれたとしても、元々おまえにわたしの孫を抱く権利なぞ一片もないがな」

「うううううううっ……、ゲンちゃんのいけずっ!! 」

「副司令…」

リツコの冷ややかな視線に気づくと、冬月は噛んでいたハンカチをしまい服装をただした。

「コ、コホン。ま、まあ目出度いことに変わりはないだろう…?」

今さら体裁を取り繕ったところで、リツコの冬月株はブラックマンデー真っ青に大暴落である。

「加持一尉、参りました」

折良く室外から声が流れてきた。

「おお、来たか。まあ入りたまえ」

冬月がゲンドウそっちのけで室内へ加持を招き入れてしまう。

「で、用件なんだがね…」

更に先走ろうとした冬月だが、ゲンドウの一睨みで沈黙する。

「君に命令を与える」

冬月を封殺しておいて、ゲンドウは卓上の資料をちらつかせた。

いつもの軽い調子でそれを受け取った加持だったが、何気なく一瞥して表情を引きつらせる。

「あの、司令、これはどういう冗談です?」

「冗談などではない」

ゲンドウはギラリとサングラスを光らせて、

「対価として、君の前歴および敵対行動の一切の不問、抹消。完全にネルフの庇護下に置くことも確約する」

「いや、そうはいいますがね…」

助けを求めるように加持は視線を巡らすと、リツコの視線とかち合う。

「そろそろけじめをつけてあげて。彼女もずっと待っているんだから」

「…………」

加持はしばらくゲンドウを見つめた。

サングラス越しの表情は相変わらず読めない。本気か冗談かまるで区別出来ない鉄面皮。

そんな彼らが現在進行形で画策している計画は、加持も知っていた。

正直、冗談かと思っていたが、ことここに及んで、否が応にも信憑性を疑うことを放棄せざるを得ない。

アスカとシンジくんをね…。

いわば妹分と弟分のことだ。常識を度外視しても祝福するのはやぶさかじゃあない。

しかしそれがまさか自分にまで飛び火してくるとは、想定外もいいところだ。

「…一応お尋ねしますが、拒否権はありますかね?」

「これは命令だ。拒否は認めん」

加持は天井を仰ぐ。

まあ、パーター取引としては妥当なとこかな?

「やれやれ。オレも年貢の納めどきってヤツですか」

「解釈は君の自由だ」

あくまでそっけないゲンドウの言葉には苦笑するしかない。

わざとらしく敬礼をして、加持は言った。

「了解しました。加持一尉、これより命令を遂行してきます」


「幸せになってね、加持くん」

部屋を立ち去ろうとする加持の背中にリツコの言葉がかけられる。

「君も、な」

加持はリツコにだけ聞こえるような声でそういうと、指先の紙を振って見せた。

その紙片には、『婚姻届け』と印されていた…。







なお、帰宅した加持が、ビールの空き缶と開封されてない段ボールの山に埋もれて眠りこけているミサトの姿を見て、命令違反の実行を検討したのは余談である。













「どうしたの? なんか玄関が騒がしかったけど…」

キッチンの食卓でアスカを迎えるシンジ。

彼の脳裏では昨夜のことがちらきっぱなしで、ために照れくさくて目を合わせることができなかったりする。

「んー、何でもないよー?」

妙に上機嫌なアスカは、シンジの首っ玉にかじりついた。

今朝になって、アスカは露骨に感情をぶつけるようになった。ついでに行動も、より直截的になっている。

たちまち顔を真っ赤にしてしまうシンジの頬をアスカがつつく。

「うふ、こんなんで赤くなるなんて、アンタってば、可愛いー♪」

「ちょっと止めてよ、アスカ…」

シンジもアスカをもぎ離そうとするが、その腕には全然力が籠もっていないていたらく。

傍目には、まんまバカップルに見える二人。

「さあて、ブランチの続きをしましょ! はい、あ〜んして」

シンジの膝に横座りしたアスカが、卓上のトマトを口元へと運んでくる。

取りあえずトマトを頬張ってしまうシンジ。

「美味しい? 」

「う、うん。美味しいよ…」

「じゃあ次ー、こっちの目玉焼きも」

「わあっ、お願いだから、ちょっと席に戻ってよ、アスカ!!」

シンジが懇願してきたので、アスカは渋々対面の自分の席へと腰を降ろす。

「まず…えーと、ミサトさんは本当に家を出るって? 」

「そうよ。加持さんと結婚するって。はい、これミサトからのメッセージ」

封筒を渡すアスカ。

『とうとう加持くんがプロポーズしてくれました。というわけで、家を出て彼と一緒に暮らします。シンちゃんとアスカも二人で仲良くね〜ん』

封筒の中の手紙には、こう書いてあった。筆跡こそミサトのものだが、むろん真っ赤な偽物である。これもゲンドウらが用意した小道具の一つであることは言うまでもない。

「そうなんだ…。なんか突然だね」

本当にその通りで大いに疑問に思うべきタイミングなのだが、当のシンジは昨夜の初体験のショックが抜けきらず、そこまて頭を巡らせる余裕がなかった。

「当面の家賃や生活費はネルフの方が支給してくれるから心配ないって」

「うん…」

これまた素直に納得してしまうシンジであった。

シンジは俯いたまましばらく目玉焼きなんぞをフォークでつついていたが、意を決して顔を上げる。

「アスカ、夕べのことなんだけど…・」
「な〜に? 」

アスカはニコニコした笑みを浮かべたまま応じた。

「キミの身体の具合とか、どうかな? 僕は男だから、その…」

思い出して恥ずかしくなったのか、語尾はごにょごにょという感じで小さくなって消えていく。

「シンジ〜!! 」

アスカは叫ぶなり食卓越しにシンジへとダイビング。

「どわぁ!?」 

アスカを受け止めたものの、勢い余って椅子ごと後ろへひっくり返るシンジ。

「あたしの身体を心配してくれるなんて、優しいわね、もう」

後頭部を痛打しているシンジの胸の上に、指でのの字なんぞを書いたりするアスカ。

「でも、出来たら、もうちょっと優しくしてもらいたかったなーなんて……きゃ!! 」

続けて頬を赤らめると、バンバンとシンジの胸を叩く。

「げふっ、げふっ」

ぶたれる度にシンジの身体が痙攣する。

更にアスカは、人差し指を自らの唇に押し当て、妙に艶っぽいポーズでシンジへ言った。

「だから、今晩は、優しくしてね? 」

「う、うん…」

まだ頭をぶった衝撃が抜けきらないシンジは、混濁する意識の中で返答する。

「それとも…今からしちゃおうか?」

悪魔的というか、妖艶な笑みを浮かべ提案するアスカ。

「う、うん……って、えええええ!? 」

うっかり同意してしまってからシンジは抗議の声をあげたが、もう遅い。

「りょーかい。じゃあ、さっそく」

「そ、そんな、こんな真っ昼間からっ…!」

「うふふ、愛し合う二人に時間なんて関係ないのよ?」

哀れ襟首を引っ掴まれたシンジは、ずるずるとアスカに引きずられていく。

途中で廊下の壁や襖を掴んで抵抗を試みるも、無駄な努力に終わった。

シンジを飲み込んだ寝室のドアが音高く閉じる様子は、さながらホラー映画のようであったとか。




続く