HOUSE4:ちゅーちゅー
































元気よくリビングへと走り込んできた子供たちの手から、アスカは広告とダイレクトメールの束を受け取った。

「はい、ありがとう。えらいえらい」

ご褒美代わりに、子供たちの頭を撫でてクシャクシャにしてやった。

照れたような、嬉しいような笑みを浮かべてから、子供たちは部屋の隅で行っていたオモチャ遊びを再開する。

その光景を横目で眺めてから、アスカは広告とダイレクトメールを整理。

銀縁眼鏡をしているが、伊達だ。なにやら母親の威厳を出そうとしているらしいのだが…。

「ねえ、シンジ? どうして子供の受験やら私塾やらの広告メールがこう多いのかしらね?」

「そりゃあ、ウチは三人も子供がいるんだもの。仕方ないよ」

声をかけられた夫のシンジはというと、カップコーヒーの上に生クリームを注意深く絞りながら、そう答えたものである。

「そうじゃなくてさあ」

僅かにアスカはいらだったような声で、

「子供がいるのはそれは仕方ないわよ。
 
 あたしが問題にしているのは、なんでこんな小さな幼稚園のうちから塾や受験のことを考えなければならないってこと」

甘い湯気の立つコーヒーを妻の前において、シンジは答えた。

「うーん、日本ではね、お受験っていって幼稚園から一流大学付属のところに入れようとする親が多いんだって。
 
 でもこれはセカンドインパクト前のお話でね。最近になってまた子供も増えたから盛んになったらしいけど…」

とは言うものの、この発言も聞きかじりみたいなものだ。自信なさげな夫を意に介さず、アスカは更に疑問をぶつけてくる。

「子供の希望や適性なんか考えてないの? そんな小さいうちじゃ、何も選択しようがないと思うんだけど」

「この際、子供の希望なんか考えてないと思うよ。ようは安定した将来に対する保険みたいなもの…だと思う。

 いい大学を卒業すれば、いい企業へ就職できるみたいな」

「…それって、誰に対する保険よ?」

「子供と、親…かな?」

アスカは呆れたようにダイレクトメールを放り出し、コーヒーを一口啜った。

「まったく、歪んでるわね。いい大学入っても、子供のためになるとは限らないじゃない…」

その呟きは全面的に肯定だったけど、とりあえずシンジは別のことを指摘した。

「アスカ、口の上」

「え…?」

慌てて唇の上についた生クリームを拭うアスカに、シンジは苦笑する。

「とりあえず、僕はお受験とかには反対だよ。子供たちに合わせて、のんびり伸び伸びがいいと思う…」

なんとなく語尾が弱々しくなったのは、目前の妻の経歴を思い出してしまったからだ。

わずか4歳でセカンドチルドレンに選出された天才少女。

子供が自ら望めば13歳でも大学を卒業出来る、という生きた見本が目の前にいるのだ。

ところが、その元天才少女も熱心にうなずく。

「本当にそうよね……って、なによ、シンジ、その目は?」

「いやあ、はははは…」

笑って誤魔化そうとしたが、たちまち背後に回り込まれ、おまけに口の端に指を突っ込まれた。

「あたしが、何か可笑しいことでもいったかしら? ねえ?」

グイグイ口を引っ張りながらのアスカの尋問。

「いひゃあ、みゅひゃしのひみふぁ…(いやあ、昔の君は…)」

「え? 何いってるんだか、わかんなーい♪」

「いひゃいいひゃいひょ…(痛い痛いよ…)」

結局、散々口の端をもてあそばれてから解放された。

ヒリヒリする口元を押さえながら、シンジは改めて釈明する。

「だからさ、昔のアスカは、もうこの子たちの時くらいから、エリート教育を受けていたわけでしょ…?」

横目で子供たちを見ながらいえば、鼻で笑われた。

「ふん、そんなものと比べないでよ…」

腕を組み、不敵な表情をしているけど、なんとなく歯切れが悪い物言いだ。

不味いことをいっちゃったかな、とシンジは後悔したが、今更撤回してもしようがない。

黙って自分のぶんのコーヒーを啜って、常ならぬ苦さに閉口する。

そのままアスカを見つめてると、青い瞳と目があった。

続いて、その視線は一度子供たちに注がれ、そうしてから戻ってきたように思う。

「…あの時のあたしは、もちろん自分の将来を視野に入れていたわけじゃないわ。
 
 だからといって、ママに褒めてもらいたかったわけでもない。
 
 ただ、ママに見て欲しかったのよ…」

静かな独白に、シンジは息を飲む。そして、即座に、

「ごめん…」

謝罪の言葉を口にした。

「なんで謝るのよ?」

対してアスカは微笑む。

「だけど…」

シンジは項垂れた。

アスカの過去はそれなりに知っていたハズなのに。

だから、触れないようにしてきたつもりなのに。

ちょっと油断したらこれだ、自己嫌悪だ…。

つと、頬にひんやりとした手が添えられ、うつむいた顔を持ち上げられた。

「なんて顔するのよ。そんなつもりで口にしたわけじゃないのよ…?」

真っ直ぐ、優しい顔の妻。

「だいたい、あたしは後悔してないんだから。エヴァに乗ったことも、何もかも」

顔が近づいてくる。ふわっと柔らかい香りが鼻先をくすぐり、シンジの強張った何かを溶かす。

「だって、アンタと会えたんだから…」

「アスカ…」

更に顔を近づいてくる。

嬉しかった。

そこまで言ってもらえて、感無量だった。

だからこそシンジは意を決して言う。

「……子供たちが見てるよ?」

鼻先が触れるような距離で、顔の接近がピタリと止まる。

そしてものすごい勢いで、アスカの両眼が横に動いた。

青い瞳は、テーブルのすぐ側で、三つの頭を並べている子供たち映している。

いずれも興味津々といった表情を浮かべて両親たちを見上げていた。


ねえ、ちゅーするのかな?

ちゅーする?

ちゅー、ちゅー!!


三者三様の視線を浴び、しばらく硬直していたアスカだったが、弾かれたように八重歯剥きだしで叱りつけた。

「こらっ、子供が見るもんじゃないわよ!?」

どう考えても照れ隠しの攻勢に、子供たちは喜んで逃げ惑う。

キャッキャキャッキャ嬉声を上げ、長男次男は素早くテーブルや椅子の狭い隙間へと逃げ込む。

ムキになってアスカは追いかけた。

しかし、年々すばしっこくなる息子たちは、どうしてなかなか捕まえられなかったりする。

一方、末娘はとっとと絶対安全な父親の胸元へと退避していた。ある意味、一番ちゃっかりしているかもしれない。

ディズニーアニメ真っ青の追いかけっこの果て、リビングの入り口に達した長男は弟妹たちへと号令をかける。

「せんじゅつてきてーったい!!」

その声に、次男と末娘もリビングの入り口へと続いた。

珍しいことに息を切らしたアスカが、リビングを脱出していく子供たちに声を投げる。

「それをいうなら、戦略的撤退でしょーが!?」

苦笑を浮かべて眺めていたシンジの元へ戻ってきたアスカは、盛大に息を吐く。

「まったく、どこでああいう言葉を覚えてくるのかしら…?」

わざとらしく残ったコーヒーを飲み干す姿は、やっぱり照れ隠し以外の何ものでもない。

「コーヒー、お代わり淹れようか?」

「…じゃあ、お願いしよっかな」

乱暴に椅子に腰を下ろし、自慢の金髪をかき上げている妻を背に、シンジはとびっきりの一杯を淹れる。

「はい、どうぞ」

二杯目のウインナーコーヒーを押しやりながら、シンジはなんとなく述懐した。

「お受験はもちろん反対だけど、習い事も、子供が自主的にいうまではさせたくないんだ…」

末娘が産まれたばかりの頃にも同じことを話し合ったけど、互いに了解しているけれど、それでも話したいときがある。

「僕がチェロをなんとなく続けてたみたいな事は、させたくないんだよ」

両手でカップを包むようにしてコーヒーを啜っていたアスカは、にこやかに肯定する。

「そうね。それがいいわね、きっと」

湯気と共に口から出た声は、温かく、甘い。

微笑み返してから対面に腰を下ろし、シンジも淹れなおしたコーヒーを啜る。

それ以上言葉を重ねなくても、互いの気持ちがわかった。

だから、二人とも黙ってコーヒーを口に運ぶ。

隣の部屋で子供たちの遊ぶ声が聞こえる。

暖かな日差し。

満ち足りた空間。

静かで幸せな時間だった。

不意にアスカが口を開く。

「ねえ、シンジ? あたしって、親として正しいのかしら?」

「…え?」

「う、ううん、何でもない、何でもない」

慌てて手を振るアスカだったが、シンジにはとても聞き捨てできない台詞だった。

「それって、どういうこと? 僕たちはきちんとお父さんお母さん出来てるって、認め合ったじゃないか…」

「いや、だからそーゆーことじゃなくて…」

頭を抱えるアスカに、シンジは思わず詰め寄ってしまう。

腕の間から上目遣いで見上げていたアスカだけど、やがて絞り出すように声を出した。

「つまり…」

「つまり…?」

「あたしは、まともな両親から育てられてないってコト」

彼女の情けないような、悲しいような、泣きたいような表情のミックスに、シンジはなぜか安堵してしまう。

「それなら、僕だって、同じ条件だよ…」

そう。自分だって、三歳の時母を亡くし、その後は赤の他人に育てられた。

幼少期、父親が全然関わってくれなかったぶん、アスカより不幸かも知れない。

「…そう、だったわね」

幾分、バツの悪そうな表情でアスカは呟く。

そして、

「ごめんね…?」

との小声の謝罪を、シンジは柔らかく拒絶した。

「アスカも謝る必要はないよ」

深く息を吸い込み、シンジはゆっくりと長い言葉を口にする。

「確かに僕たちは、まともな子供時代を過ごしてないかも知れない。

 その頃の両親の温もりを全く知らないのかもしれない。

 だから、子供たちに正しく接せられないって判断は、早急だと思う。

 それに、僕たちにも、たった一つ確実に出来ることがあるんだよ、アスカ」

「それは…なによ?」

「つまり、僕たちが子供の頃に味わった寂しさを、子供たちに味わせないことさ…」

間もなく、アスカの両眼に理解の色が広がった。

それなら出来る。確かに出来る。確実に。間違いなく。

…ちょっと臭かったかな? と自身の台詞で赤面するシンジの顔を、アスカは真っ直ぐにのぞき込んできた。

「やっぱり、あたしたちって、根本的に似たもの同士なのかもね…」

そういってクスリと笑う仕草に、シンジは彼女の苦悩が跡形もなく消し飛んだことを確信する。

「そうかなあ? 少なくとも、容姿は完全にキミの方が上だと思うけど」

おどけて見せたら、人差し指で鼻を弾かれた。

「まったく、卑下するのは止めなさい、っていってるでしょ?」

「うん、ごめん」

すぐ素直に謝ってくる旦那に、アスカは花が咲くように笑った。

「だいたい、自分でそんなこといっちゃ、結婚してあげたあたしの立場がないじゃない…」

そのまま瞳を軽く閉じ、顔を近づけてくる。

胸の奥が温かくなった。

彼女の気持ちが有り難かった。

だからこそ、シンジは意を決していう。

「……子供たちが見てるよ?」

甘い吐息が触れる距離で、顔の接近がピタリと止まる。

そしてものすごい勢いで、アスカの両眼が横に動いた。

青い瞳は、リビングの扉の間で、三つの頭を縦に並べている子供たち映している。

いずれも興味津々といった表情を浮かべて両親たちを見上げていた。


ねえ、ちゅーするのかな?

ちゅーする?

ちゅー、ちゅー!!




「…かまうもんですか」

「え…? って、アスカ情操教育ってものがあるんだからちょっとまっ」




あー、ちゅーした!!

ちゅーだ、ちゅーだ!!

ちゅーちゅーちゅー!!































2004/12/13





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