HOUSE7:ねむねむ




















馬鹿でかい家の二階には、これまた大きい部屋が三つあった。

広々とした間取りは、いまだ何も物が置かれていないため、余計広く見えた。

絨毯と白い壁紙だけのこの部屋は、いずれは三人の子供達に割り振られるだろうけど、今は使用されていない。

それでも、空気の入れ換えくらいはしなければならない。

ある晴れた日曜日の昼下がり、アスカは一念発起し、子供たちを引き連れ二階へと進軍した。

総司令官を標榜する金髪の母親の号令一過、子供たちは次々と窓を開け放していく。

続きのベランダからは爽やかな風が吹き込み、差し込む暖かな光の下で陽気な笑い声が響く。

それを確認したアスカは、一人二階の納戸へと向かった。

どういうわけか他人が外泊するケースが多い碇家である。納戸には客用の掛け布団や敷き布団が幾組も積まれていた。

腕まくりをし、アスカはそれらの運搬にかかった。

開け放たれたドアと窓から、部屋を横切りベランダまで突き抜ける。

ベランダの手すりに、次々と布団を広げて干していく。

幼稚園年長組の長男が、半ば布団をかぶるように運んできてくれたことを褒めてやる。

この際、非効率的だろうがなんだろうが、手伝おうとする姿勢が素直に嬉しかった。

まだ小さい次男と長女も手伝おうと奮戦した挙げ句、雪崩れた掛け布団の山に埋もれてたのには、ひやっとするやら呆れるやら。

それでもどうにか全ての布団を干し終える。

長いベランダに布団がずらりと並ぶ光景は、それなりに壮観だった。

「はい、あんたたちも、ありがとね…」

毛足の長い絨毯に身体を沈め、アスカは子供たちの頭を撫でてやる。

くすぐったそうに、照れくさそうに身をよじる子供たちに目を細め、アスカは頬に風と光を受け止めた。

気持ちのよい風に、柔らかな日差し。じっとしているだけで眠気を催す好天気。

…じゃあ下にいってお昼寝でもしましょうか、と視線を戻したアスカの口元は一瞬呆気にとられ、たちまち綻ぶ。

いつの間にやら、子供たちは三人そろって夢の中。

無邪気な寝顔に、長い睫毛がさわさわと揺れている。

口元の綻びはそのままに、アスカ自身も肩肘をついてゆっくりと身体を横にした。

等分に三人の寝顔を眺める。

丸い頬。

小さな鼻。

光に微かに揺れる産毛。

ゆっくりと指を伸ばし、ちょっと頬をくすぐってみる。

軽く身じろぎして長男は寝返りを打つ。

次男は眉をしかめ、末っ子は口元を吊り上げた。

穏やかに微笑みながらも、アスカの思考は分離していた。

まるで精神だけが空洞の中を落ちていくよう。見ている世界はそのままに。

やがて最奥に達し、気づく。対峙する。

うずくまり、膝を抱えた少女。もしくは、猿のぬいぐるみを抱え佇む幼女。

彼女は、どちらでもありどちらでもない。

それは昔の自分にして、彼女のなかでも最も用心深い人格。

浸食が始まる。

指の感覚は遮断され、視覚情報も、まるでVTR画像を見ているかのように切り離され、薄まっていく。

一番深いところにいる自分が問い掛けてくる。



ねえ、これは現実?

夢じゃないの?

これは、本当にあたしの子供たち?



たちまち、周囲にいた何人かが声を上げた。

複数の自分が口々に否定する。



これは現実よ。

みんな、あたしが産んだのよ。

あたしの子供よ。



一番深い自分が、皮肉げに唇を吊り上げる。



本当なの?

これが夢じゃないなんて、断言できる?

これが、あたしの望んだ幸せ?

子供なんかいらないって言ってたでしょ?



押し黙る。

自分の中の全てが押し黙り、やがて弱々しく反論を口にした。



…それは、昔の話よ。

今は違うわ。

そんなこと、知らないわ。



チリチリと焼け付くような感覚の中心に嘲弄が響く。



ううん、あたしは確かに言った。

一人で生きていけるって。

他人なんかいらないって。

自分自身にも嘘をつくの?

いい加減、認めなさいよ。

こんな幸せ、続かない。

だから、夢なのよ、きっと。




押し黙る。

静まり返る。

幾人もの自分が顔を見合わせる。

そしてとうとうその主張を『是』としかけたとき。






頭の中で、突如鳴り響くファンファーレ。

金と銀の紙吹雪と、ついでに棒付きキャンディーとチョコレートまでまき散らしながら、自分自身が降臨した。





なーにバカなこといってんのよ、あたしは!?




プラチナのトランペットを抱え、陽気な声で決めつける。

バックを七色の光を引きずって飛んでいったのは、きっとヒヨコだ。



あたしはサイコーにハッピーじゃない。

毎日が神様みたいに楽しいわよ。

これ以上、何を望むってーの!!




高らかにトランペットを吹き鳴らし、周囲を圧倒する。

眩しいばかりの光が溢れ、内面世界を照らし出す。

これが、彼女の中の最強の人格。

陽気で愉快で、他人にも惜しみなく、むしろ無理矢理分けたくウズウズしている、とんでもなくハイな自分自身。




傍若無人な自分は、次々と他の自分を塗りつぶしていく。

他の自分も笑い、光に同化していく。

最後に残った、一番深い自分に手を伸ばす。





さあ、そんなとこにいてもつまらないわよ。

でてらっしゃいな。



あくまで頑な自分、耳を塞いでいる自分に笑いかける。



これは現実よ。幸せな現実。

だから、あんたも触れてみなさい。

間違いなく本物だから。



持ち上がる暗い顔。濁った自分の目。

それにすら微笑みかけられる自分が誇らしい。

おそるおそる伸ばされてきた手を優しく握る。

手を携え、重なりあうことを願う。

重なりあった手が、まるで重ね撮りの映像取りみたいにダブって見えた。

そして、触れた。

ダブった手は一つになる。




目を開けると、そこには、幼い子供の頬があった。




















もう一度軽く目をつむり、アスカは深呼吸した。

軽く心拍数が上がっている。可笑しくて、頬にはイタズラっぽい笑みが浮かぶ。

まったく、往生際が悪いわね、あたしは。

青い瞳は遠くを見る。

誰の中にでも存在する、現状を否定したがる自分自身。

自分の存在意義を見失い、なんでも否定したがる昔のあたし…。

全く長い付き合いだ。しばらく出てこなかったと思っていたら。

でも、そろそろ終わりにしましょうよ。

子供たちの寝顔を眺めながら、アスカは誰ともなしに呟く。

あたしは、ここにいる。

この子たちを産んで、ここにいるのよ…。

そこに至るまでのマイナスな記憶が圧縮されて脳に雪崩れ込んでくる。

その全てを、アスカは受け止めて、処理していた。

切り捨てず、受け止める。

逃げずに、飲み下す。

苦い思いも。

悲しい後悔も。

それが出来るのは、今の幸せがあるから。

そう結論づけたとき、プラスへと転じた想い出が、冷えた全身を温かく満たしていく。

時間にして僅か数秒の沈思。

幸せは、瞼を開ければ即座に肯定された。

満足げな笑みを浮かべ、アスカは子供たちの顔を眺める。一つ一つのパーツを検分する。

ああ、この子は鼻の形がシンジそっくりだ。

この子は、目元があたしに似ていて…。

間違いなく、この子はあたしたちの子供で。

そんな当たり前のことが、涙がこぼれるほど嬉しい。

幼い額に手をあてる。

滑らかな頬を撫でる。

小さな唇をくすぐる。

アスカはそうやっていた。

ずっと。

飽きることなく。




























軽く身じろぎして、碇家長男坊は目を覚ました。

目をこすりながら周囲を見回す。

上質の絨毯に埋もれるようにして、すぐに弟妹たちを発見できた。

更に、その傍らで眠る母親の姿も。

年齢相応な小さな身体を起こすと、連鎖的に弟妹たちも目を覚ました。

声を上げたそうな弟とまだ寝ぼけ眼の妹に、唇の前に指をやって静かにするよう合図。

きょとんとして見返してくる弟たちと視線を交わし合っていると、傍らでは小さなくしゃみ。

金髪を広げたまま眠り、未だ目を覚まさない母のものだった。

幼い子供たちは顔を見合わせる。

少し風は冷たくなってきているよう。

このままじゃ、おかーさん、カゼひいちゃうよ?

不安そうな顔をする弟に向かって長男は胸を叩く。

自身満々に彼が向かっていったのは、ベランダに干してある大量の掛け布団。

手すりにあるそれを、半ば引きずり落とすようにして降ろし、室内へと運び入れる。

そして弟に手伝わせ、細心の注意を払い、それを母親の身体の上にかけてあげた。

声を出さずに作業成功を讃え合う長男坊と次男坊。

なにせ、子供たちは知っている。

夜、ふと目を覚ますと、両親がそっと布団をかけ直してくれることを。

カゼをひくといけないよ? という父親の優しい声。

アンタたち、みんな寝相が悪いのよねー、なんて母親はいってはいたけど、小さな子供たちには今ひとつピンとこない。

確かに分かるのは、そうやって布団をかけてもらうのが、とても気持ちのいいことだということ。

満足げに笑いあう兄二人に、よく分からないながらも妹も同調して笑みを浮かべている。





そして、幼い彼らは、単純に思った。



布団をもっと掛けてあげれば、もっと気持ちいいんじゃないかなあ? 






そう悟るが否や、行動は早かった。

この決断から実行に移す早さは、間違いなく母親譲りだろう。

足を忍ばせ兄弟三人そろってベランダへと向かい、次々と布団を引きずり降ろす。

末の妹に至っては、完全に引きずる形になってはいたけれど、小さな身体で手伝おうとするその姿はいじらしい。

結果、室内へ運ばれた布団は、全て母親へと掛けられた。

小山のように積まれた布団を前に、兄弟そろって微笑みあう。

よかった、これでおかーさんはカゼひかないよ、と。

未だ目覚めない母は、なにやら眉をひそめ唸り声を上げているみたいな感じがするけど、きっと気のせいだろう、たぶん。

一仕事を終えた幼い子供たちも、布団へと寄りかかる。

ふかふかになった布団は、仄かに温かくて心地よい。

お日様の匂いは、彼らの眠気を再び催すには十分だった。

碇家の子供達は、そのあまりにも健康的な誘惑に、あっさりと身を委ねた。
























夕刻、所用から帰宅した碇シンジは、玄関先で首を捻ることになる。

いつもなら先を争うように出迎えてくれる家族の姿がないからだ。

…電気もついてないし、みんなしてどこかに出かけちゃったのかな?

そう考えたけれど、何の連絡もなしに出かけるのはあまりにも不自然である。

他に考えられるのは、アスカのイタズラだ。

思わずシンジはそこだけ明るい玄関の天井を見上げた。

驚かす為だけに、天井に張り付くくらいはやりかねない妻である。

「ただいま〜」

もう一度、邸内へと声をかける。

やっぱり返事はない。

リビングに書き置きでもあるかなあ…。

あえて不安なことを考えないように努め、シンジが靴ひもをほどき始めたとき。

遠くから、微かに響いてくる声。

か細く自分を呼ぶ声。

聞き慣れた声。

そう認識するや否や、シンジは靴を脱ぐのももどかしく、邸内に上がり込んでいた。

じっと耳を澄ます。

…何も聞こえない。

空耳だったのか? と首を捻ったとき、確かに声が聞こえた。

今度は断続的に響いてくる声は、どうやら二階から聞こえてくるよう。

案の定、階段を駆け上がれば、声はよりはっきりと聞こえてくる。

夜の匂いを帯びた風が流れる部屋へとシンジは躍り込んだ。

薄暗い室内の窓辺から、か細い声が流れ続けている。

「…アスカ?」

短く小声で誰何の声を出し、同時にシンジは部屋の電灯のスイッチを入れた。

一気に照らし出された室内の光景に、シンジの目は点になる。

窓辺に小山のように積み重なった布団。その上に折り重なるように、半ば埋もれるように爆睡している子供たち。

そして、その最下層から、か細い声を上げ続けている身動きが取れないらしい妻の姿。

「シンジぃ〜…助けて〜…」










…丁寧に子供たちをどかしてもらい、上の布団を除けてもらって、ようやくアスカは自由を取り戻した。

「まったく、大変な目にあったわ。子供たちが上に載っているから危なくて全然身動かせないし。

 しかたないから、ずっとアンタが帰ってくるの待ってたのよ…?」

そうごちり、身体を解すアスカに、シンジは少し呆気にとられ、続いて笑いが堪えられない。

「どうして、僕が帰ってくるの待つ必要があったわけ?」

「どうしてって…。だから、子供達が上に載っていたから身動き取れなかった、って言ってるでしょ!?」

「じゃあ、子供達に声をかけて、起きて貰えば良かったんじゃ?」

「……え、えーと、子供達が良く眠っていたから、起こすのが可哀想だったのよ!!」

真っ赤な顔をするアスカに、シンジは笑いをかみ殺して応じる。

「うんうん、アスカは本当に素敵なお母さんだよ」

「……アンタ、バカにしてるでしょ!?」

子供達が目を覚ましたのは、ちょうど母が父に踊りかかったところ。

現状を把握できず、ぼーっとする子供らの目前で、ドタンバタンと音を立て、干した布団が盛大に宙を舞う。

どうしてこうなったのか、二人とも何をやっているのか、一生懸命に考える兄たちの横で、妹が手を打ち鳴らす。

喜びの拍手に続き、無邪気な声が、元気いっぱいの感想を形にした。

「たのしそう!!」




































2005/2/17




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