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決戦! 第三新東京デパート

































その日、第三新東京市の郊外に、一軒の巨大デパートがオープンした。

広大な敷地に駐車場を完備したこの建物は、ただのチェーン展開ではなく各種ブランドのテナントを内包した所謂高級デパートに分類されるだろう。

言わずもがな初日から大混雑が予想されるハズの駐車場は、混雑と無縁だった。

理由は店内は覗いてみれば一目瞭然。

ひたすら広いフロアーと相反するように人影が少ないのである。

これは、オープンといってもグランドオープンではないことに起因する。

第三新東京市の、いわばセレブと呼ばれる階層を招待した先行オープンだからだ。

更に、このような表現は失礼かもしれないが、一般階層の家族も抽選で招待されていた。

いくらオープン記念だからといっても元の値段が元の値段だから、購買意欲が沸くかどうかは別にしても。

だからせめてウインドウショッピングだけでも…と奔走するおかーさん方を横目に、おとーさん方は一階のホールでたむろすることになる。

そして、そこに彼らもいたりしたのだ。




















「はあ…。まだまだ増えるな、この分じゃ…」

碇アスマはため息をつきながらベンチにふんぞり返る。

彼の周辺を取り囲むように、幾つもの袋が積み上げられていた。

これは全て母親の買い物だったりする。

その金髪碧眼の母は今ここにいない。まだ買い物の真っ最中だ。

つまり、彼は荷物番なのである。

またぞろ周囲に聞こえるようなため息を漏らし、アスマは吹き抜けの天井を仰ぐ。

何が悲しくて日曜日に家族でゾロゾロと買い物に来なきゃならないのかねえ?

別段、家族と過ごすのが嫌なわけでもない。

だからといって大量の荷物の番だけなんて退屈すぎる。そんなことなら悪友たちとどっか遊びにいったほうがマシだ。

今年高校一年生になった彼にとって、不本意極まりない日曜日の午後であった。

さらにもう一つ、彼の気分が微妙な理由がある。

アスマはもう一回派手にあくびをしてから、母親譲りの鋭い目で腰を下ろしたベンチの隣を見る。

そこに座る、色素の薄い赤目の少女。

彼女の名前は渚ミレイという。

今年14歳になる彼女とアスマは、いわば従兄妹といった関係だった。

しかし実際の関係は、もっと密接で親密な意味を伴う。

幼い頃から顔見知りで、一緒に遊んだことは数知れず。

いわば家族同然、兄妹同然の幼年期を過ごしていた。

お互いに進学してからも、ほとんど休日のたびに顔を合わせている。

なのになぜアスマの表情が浮かないのかといえば、自分の弟にミレイの両親、つまり彼にとっての叔父叔母の存在がある。

物心ついたときからの叔父叔母への苦手意識もあるのだが、なにより自分の弟と彼女が許嫁という関係もあるのだ。

アスマ自身は半分冗談だと思っているし、母は戯れ言だと公言して憚らない。

しかしながら叔父は大真面目だし、滅多に冗談を言わない叔母も熱心なのだ。

当人である少女に聞けば「ええ」と可愛らしく頷き頬を染めるし、もう一人の当事者弟のリュウジに至っては「…そうなったみたい」と力無く微笑むだけだ。

何か自分にも分からない裏事情が存在するらしいと見当をつけた碇家長男坊であるが、深入りするのは避けている。

まったく、触らぬ神に祟りなしというやつだ。

とまあ以上のような事情もあり、碇アスマとしては、渚ミレイと二人きりという状態はいささかの気まずさを覚えるのだった。

二人きりだからどうこういうわけではないのだけど、仮にも相手は弟の「婚約者」みたいなものである。正直、どう接したらいいのやら。

母親の攻勢以外ほとんど物怖じしない彼にとっても多感な時期は存在した。

目下この時期がそうであり、いわば微妙なお年頃というヤツだった。

対してミレイは、困惑気味の従兄に全く気づいた様子もなくにこやかに笑う。

「どうかしましたか、お義兄さま…?」

あくまで上品な微笑み。白磁の頬の滑らかな陰影を仄かなライトの光が引き立てる。

「い、いや、どうもしないけど…」

この少年にしては珍しく歯切れの悪い口調で、

「その…おにーさまってのは、やめてくんない?」

赤い瞳がきょとんと見返して来る。それも束の間、やっぱりにこやかに笑ったミレイは穏やかに断言する。

「そんなこと申されましても……お義兄さまはお義兄さまですわ」

「……」

またぞろ何か言いかけて、アスマは結局口を閉じる。

多分に将来的な関係を表す呼び方をされるより、この娘個人の純粋な笑みに彼はひたすら弱かった。

母の笑みが地獄の大悪魔の笑いだとすれば、こちらはまさしく菩薩の笑みだ。

両極端の笑みに晒されるのはとにかく疲れるので、アスマは視線を逸らす。

そして、場を保たせるため、本日三回目の台詞を口にした。

「…ミレイちゃん、もう一つアイス食べる?」

「はい♪」

「じゃ、ちょっと待ってて」

身体のバネを使い跳ねるようにベンチから飛び起きたアスマは、ノコノコとホールの一角に向かう。

一階ホールは食料品エリアに隣接しているわけだが、先行オープンということで現在は閉鎖されている。

代わりとばかりにホールの隅に幾つもの出店のようなコーナーが設けられている。

家族連れの多い今日、アイスやホットドッグやらジュースやらが無料で配られているのだ。

結構な数の子供をかき分け、アスマは店員にラムレーズンとレモンシャーベットのダブルを注文する。

まだ若いアルバイトの女の子が、赤い顔をして手渡してくれたアイスはトリプルくらいの量に思えたけど、きっと気のせいだろう。

ベンチに戻ってアイスを渡し、自分で貰ってきておいたくせにどうにも不思議な視線で彼女を見てしまう。

…よくアイスを立て続けに三個も食べられるよなあ。

視線に気づいたのだろう。可愛らしい舌を引っ込めて、ミレイは首を傾げる。

「どうしました? お義兄さまも食べます?」

ごく自然に差し出されたアイスを、アスマは慌てて制する。

「いや、いいよ、オレも食べるときは貰ってくるから…」

そうしてから、美味しそうにアイスを舐める従妹の横顔を盗み見た。

無邪気というか茫洋としているというか。なーんか不思議な感性してんだよな、この子…。

そのとき、襟足あたりにピリピリとした刺激を感じ、思わず首をすくめるアスマ。

恐る恐る背後を振り返る彼だったが、そこには予想した母親の姿がなかった。

「…? おかしいなあ?」

首筋を撫でながらアスマは一人ごちる。

身体に及ぶ危機感が首筋の刺激となって報せてくる。

後天的に獲得した防衛本能で、もっぱら対母親用に特化されたものだ。

だのに、母親の姿はない。

「お義母さま方が帰ってこられました?」

茫洋としても勘の良いミレイが問いただしてくる。

「…いいや。まだみたいだ」

納得いかないながらも首を振り、アスマは周囲を見渡した。

家族連れ、とくに子供達で賑わっているホール。

特に不審なところは見あたらない……?

立ち上がり、走りだそうとして彼は断念した。

どう考えても間に合わない。それに、まだ騒ぎ立てるには早急かも知れない。

咄嗟にそう判断しもとのベンチに腰を下ろしたのは、彼の大物ぶりの証左たり得るか。

しかし、ベンチの彼らに遅れること15秒後、ホールの数少ない大人達も気づいた。

いつの間にか外界へ繋がる通路全てにシャッターが下ろされていることに。




















「ほら、こっちも着てみなさいよ!」

喜色満面のアスカに新たな服を押しつけられたレイは、困惑気味に自分の腕の中を見下ろした。

両手から溢れそうな量は、もう五枚目だろうか。

値段はよく分からないけどどれも高級そうな物なのは分かる。

一番上に追加されたジャケットの正札を見る。

D&G? ダンジョン・アンド……なにかしら?

首を捻るレイに頓着せず、アスカは更に物色を続けている。

さすがに持ちきれないので、ようやくレイも拒否するように首を振って見せた。

「とりあえず、もういいわ…」

「そお? じゃあ着て来なさい。試着室はあっちだから」

シャツを両手にぶら下げたままアスカは顎をしゃくる。

いわれるままにレイはきびすを返した。

足を動かしながら考える。

デパートの先行オープンのチケットを夫であるカヲルが貰ってきてくれたのは、まあいい。

ただ、自分一人では買い物に来ることはなかっただろう。

なにせ、とんとブランド品や洋服の見立てなどには無縁な生活を送っている渚一家である。

例外的に夫であるカヲルは自分でスーツを見立ててくるが、どれもキワモノばかり。

だからこうやって碇一家と一緒に買い物に行くことになったのは、正直嬉しいくらいだ。

少なくとも娘へはいい物を着せてやりたい。レイは自分を差し置いてそう思う。

その要求に碇夫人アスカは存分に応えてくれたのだが、娘の買い物を終えて帰ろうとするレイを呼び止めて一言。

『アンタの分は?』

というわけで荷物番に碇家長男と渚家の長女を一階に置いて、アスカは自分の娘とレイを伴って再出撃したわけだ。

試着室への扉へ手をかけながら、レイの頬が微かに歪む。

色々と世話を焼いてくれる彼女など、学生の頃からは想像もつかない。

ずいぶん変わったものだ……お互いに。

「レイさん〜、ちょっと待って〜」

パタパタと背後から迫ってくる足音に、レイは振り返る。

駆け寄ってくる小柄な影は、碇家の長女ミコトであった。

今年中学生に上がった彼女はそれは愛らしく、同時に母親の格好のオモチャである。

その証拠は、小さな身体を埋めるように抱えた服の山。とにかく、何を着せても可愛い年頃なのだ。

「一緒に着替えましょ?」

別に同じ試着室へ入るわけでもない他愛もない発言なのだが、レイは微笑んで応じる。

同様ににぱっと笑い返してくる姿は本当に愛らしい。その笑みに両親の面影が完璧なまでに同居している。

愛する人との結晶。

微かな羨ましさにも似た感情を押しとどめ、レイは試着室のドアを開けた。

上着を脱いで肌着だけの姿になる。

出産を経験していても、あまり体型に変化はない彼女の腰はきゅっとくびれたままだ。

反面、胸が大きくならなかったのは、少しだけ悔しい。

…悔しく思うのも、きっと碇夫人の影響だろう。

頬に苦笑を刻んだまま、レイは一枚目のトップスに手を伸ばす。

薄い紫色でシルク製の、チャイナドレスをもじったようなデザインは、結構似合っている…のかしら?

「うん、思った通り似合ってるじゃない」

試着室の上から目だけを覗かせて、アスカの声が降ってきた。

「…そう?」

慌てず騒がずレイが応じる。彼女がそういうなら、きっと似合っているのだろう。

じゃあ、買おうかな…。

「…アンタが自分で気に入ったものを買えばいいのよー?」

そんなレイの心情を見透かしたように告げると、手をヒラヒラさせてアスカは行ってしまった。

一見、無責任にも思える発言を、レイは有り難く拝聴した。

欲しいものを買う。欲求があるから人は行動する。

至極もっともな意見だ。人間の行動基盤。

この年齢になっても、いちいち頷いてしまうようなことを彼女は口にする。

世間的には当たり前なのかも知れない。でも、私には縁遠い物がまだまだ多すぎる。

だからこうやって、私は社会の平均的な感覚を獲得していく…。

面向かって口にしたことはないが、彼女に対しレイなりに感謝はしているのだ。

五枚もの服の試着を終え、レイは元の服を着直す。

結局、全部買うことにした。

お金がないわけではないし、これくらいの無駄遣いも問題ないだろう。

『そんなもん必要経費よ!』なんて彼女はいうだろうけど。

試着室を出ると、ほぼ同時に碇家の長女も出てくるところだった。

「あ、レイさん、全部買うんですか?」

「…ええ」

「全部とても似合ってますよ。ママの見立てに間違いないから…」

「そう…ありがとう」

とりあえず礼を述べ、叔母と姪二人連れだってレジに向かうことにする。

レジには上品そうに微笑む店員が…いない。

ついでにアスカの姿もなかった。

お互い顔を見合わせ首を捻っていると背後から声をかけられた。

「おい」

野太く、およそこの店舗の高級感にそぐわないような声。

振り返った二人の目前に、銃口が鈍い光を放っていた。




















デパートの駐車場にゆっくりと入ってくるワンボックスカーがある。

運転しているのは碇シンジで、後部座席に同乗しているのは彼の二番目の息子だ。

本日は碇家渚家総出での買い物なのであるが、次男坊が学校指定の体操服を破ってしまったので、先に妻子を降ろしてから近所のスポーツ用品店に買いにいってきた次第だ。

シンジとその少年時代に酷似した容姿を持つ次男坊の買い物に、自分の妻子そっちのけで渚カヲルが同乗したのはごく自然の成り行きと言えよう。

だだっ広い駐車場の一角に停めた車から降り立ったシンジは、違和感に襲われた。

何の違和感か判然としないままデパートを見上げていると、助手席から降りてきたカヲルに声をかけられる。

「シンジくん、どうかしたのかい?」

年齢不詳の美少年フェイスは、場所が場所なら客を沸かせて止まないが、今は車の後部座席から降りてきた碇家次男坊を怯えさせたに留まる。

「う…ん、なんかデパートが変じゃない…?」

その台詞に、カヲルもシンジと同じ視線を辿った。

いわれて見れば、妙な違和感がある。閑散としているというか、なんというか…。

「あれ? お父さん、入り口のシャッターが閉まっていない?」

めざとく発見し、そう指摘したのは碇家次男リュウジ。

「本当だ…?」

首を捻りつつ建物に近づこうとしたシンジらを、スピーカーから飛び出した大音声が釘付けにした。

『我々は武装グループ<黒き月>である! たった今、このデパートは我々が占拠したっ!!』

「!!?」



















所変わって、こちらはネルフ本部発令所。

巨大ディスプレイはそのままではあるが、以前のようにな威圧感に欠けるのは司令塔が低くなったからに他ならない。

規模縮小、予算削減などの外部的要因の猛威から身を縮こまらせたわけではなく、司令自らの発案だとか。

鯨幕のような、ともあれば灰色と化してきたヒゲをもつ総司令は、一般職員との隔意を無くしたいらしいが成功しているとは思い難い。

大部分の職員に、単に年寄りの日和と思われているのは、いわゆる積悪の報いというヤツだろう。

司令も副司令も孫バカだから…などと好意的な陰口が交わされる現状こそ、現在のネルフの体制を端的に表していると言えなくもない。

対外的にはエヴァとオーバーテクノロジーの管理と研究。

内的にはジオフロント内の地下都市のモデルケースの開発、研鑽。

そして内密には、幾多の会社を設立し、旧組織のコネも存分に使い一般企業を経営する顔も持つ。

ネルフの存続に、決して日本政府を始め各国政府、国連もいい顔をせず、ともあれば組織解体の機を狙っている。

ゆえに、施す援助や予算を締め付け、当初は新制ネルフが根をあげるのを待っていたはずなのだが、現在はあまりにもその独立採算性が高いため、手をこまねいている状態である。

実際に、ほんの10年ほど前、予算不足で組織解体の憂き目にもあったのだが、とある民間人の女性の協力で事なきを得ている。

その恩人ともいわれる女性が元セカンドチルドレンであり、彼女が持ち込んだ企画一切についても極秘扱いとなっているが。

要は順風満帆なのだ。

だからもはや名誉職と化した副司令の冬月など、司令塔に堂々と畳を敷き日がな一日中茶などを楽しんでいる。

「…碇、おまえも羊羹を食わんか?」

ほうじ茶を啜り、御歳82歳となる彼の表情は好々爺という表現そのものだ。

鋭さと強かさは目尻の皺と消え、血のつながりの無い孫たちの来訪を静かに待ちこがれる現在である。

「…いらん」

以前のように顔の前で手を組み、突き放すように口にするゲンドウであるが、ちゃぶ台に着いてのそのポーズは威厳が欠けまくっている。

「あら、あなた、カボチャの煮物とゼンマイの煮物、お食べになりません?」

茶請けとばかりにテーブルに新たなタッパーを出してきたのは碇リツコ博士。旧姓赤木リツコだ。

黒く染め直された髪に泣きぼくろは健在で、知命を越えているにも関わらず得も言えぬ艶がある。

幸せな結婚をしているからだろう。

多くの職員の共通見解は、その伴侶たるゲンドウを見てため息に変わるのが常である。

もっともリツコ自身はそれに頓着したことはない。

今も、無言で突きだして来た夫の箸にタッパーの中身を喜々として差し出している。

「平和だねぇ…」

オペレーター席を統括する首席の椅子でそう小声で呟いたのは青葉シゲルだ。

旧ネルフから在籍する職員で、妻はかつての同僚の伊吹マヤで結婚退職。

もう一人の同僚であり朋友の日向マコトは、別の部署に転属、責任者となって辣腕を振るっている。

貫禄のついてきたお腹をせり出すようにシゲルはコーヒーを口に運ぶ。

インスタントではない芳醇な香りが、発令所の中をゆっくりと回遊していく………。

このように、緊張とは無縁のノンビリとした職場であった。

もちろん、他の部署では忙しいことは忙しい。裏を返せば、それぞれのセクションのみで十分稼働していける、ということだ。

ゲンドウ自身は未だ言明しないが、彼の代でネルフを消滅させる気かも知れない。

少なくとも、ネルフという名前の組織は無くなるだろう。

それでいいと思うし、それがいいと思う。

そして、記憶だけが微かに残れば、おそらくそれが最良だろう…。

司令塔の歓談を仰ぎ見て、シゲルは微笑を浮かべた。

「…すみません、青葉部長」

いつにも増して真剣なオペレーターの声に、シゲルは即座に居住まいをただす。

「どうした? 詳細に報告せよ」

「はっ。実は…」

その30秒後、ほうじ茶を啜っていたゲンドウは、シゲルより報告を受けていた。

「つい先刻、第三新×○デパートが<黒き月>と名乗る武装グループに占拠されました」

同席していた冬月とリツコもその報告に凍り付く。

ある単語が、戦慄とともに居合わせた三人の脳髄を滑り落ちた。

黒き月。リリスの卵を意味する忌むべき言葉。

「…MAGIにて検索しましたが、同名のテロリストのグループの前歴はありません。しかしながら、ゼーレの残党という可能性も皆無かと思われます。ご安心ください」

サングラスの奥でゲンドウはその言葉を額面通りに受け取らなかった。

いや、正確にいうならば、より不吉な報告が続くことを看破したというべきか。

「続けたまえ」

動じないゲンドウの声にシゲルは一旦息を呑み……結局、後ろで束ねた髪を揺らすように首を振り、恐る恐る口を開いた。

「…シンジくんら碇夫妻と渚夫妻が、家族ぐるみでそのデパートへ買い物に出かけています…」

リツコは口元を覆い、冬月の両眼がカッと見開かれる。

しかし、あくまでゲンドウは冷静だった。少なくともシゲルにはそう見えた。

「その情報に誤りはないのかね?」

「目下、調査中です…」

力無く応じるシゲルを尻目に、リツコは殊更明るい声を出した。

「だ、大丈夫ですよ。あの子たちはみんな要領がいいから…」

しかし、一縷の望みを打ち砕くように鳴り響いたのは、直通回線の着信音。

即座に受話器と取ったゲンドウは、シンジからの報告であることに安堵を覚える一方、驚愕すべき事実を突きつけられる事になる。

デパートの中に、レイにアスカ、その子供たち三人が閉じこめられていることに。




















一階のホールの中心に集められ、直に床の上に座らされる。

その人波の中に、碇アスマも大人しく鎮座していた。

顔をふせうつむくようにしながらも、鋭く周囲を観察している。

シャッターを降ろし外部への出入り口を封鎖したホールに、銃で武装した男達がやってきた。

衣服を様々だが、同じ銃を構え顔の半分をハンカチやらスカーフで覆ってサングラス。

計画的な犯行。

立てこもり。人質。

テロリズム? だとしても目的はなんだ…?

この少年、母親に似て、相手の出方を待つという気質ではない。

だからといって、迂闊な行動を起こすのは躊躇われた。

もちろん、これを命じたのは遺伝的な血ではなく、後天的に学んだ良識だ。

周囲を銃を持った男達に囲まれ何が出来る? しかも人質の大半が小さな子供たちだ。

何をするにしてもリスクが大きすぎる。外部への連絡も、状況の確認も。

今のところは大人しくしているしかないか。

アスマは心の中で嘆息し、ひたすら目立たないよう努める。

とりあえず大きな不安材料が二つ。

一つは、いまだ状況が飲み込めているのかどうなのか、泰然自若としている従妹。

丈の長いスカートをフワリと広げ床に座り込んでいる姿は、平常な雰囲気では空気のように目立たないのに、異常事態のこの状況では逆に目立つ。

もう一つは、上の階層にいるはずの母と妹、それに叔母。

無茶をしてないといいんだけどな…。

母が、このような状況を甘んじて受け入れるはずがない。

だけど、相手は街のチンピラではないし、銃を持っている。

そこいらを弁えて欲しいところなのだが。

いっそ、何も抵抗できずに拘束されてくれるほうを願って止まない。

それに外には、買い物に出て行った父たちもいるはずだ。

すぐに何かの行動は起こしているはず。

行動派の彼にしては、非常に不本意だったが、しばらく事態を静観することに決めた。

リアクションを確認してから対処するほうが賢明だと開き直る。

が、周囲に群がる子供たちにそのお父さん方も、彼ほど神経は太くなかったのである。

日曜日の楽しい買い物から、事態が急転直下で神経が麻痺していたうちはいい。

しかし、落ち着いて現状を把握し始めたこと自体が、新たなパニックの温床となった。

父親が大人が不安そうな様子を見せることに、子供たちは敏感である。

そして一人がぐずり始めると、それはたちまち伝播した。

こうなれば男親ではとても収拾がつかなくなる。

むろんこのような事情を武装グループは頓着しない。

静かにしろと銃をちらつかせ、父親を怒鳴る始末だ。

結果、ホール中に響く泣き叫び声。

武装グループの一人の伺えない表情を伺った父親の一人が暴走する。より弱い相手に責任転嫁する形で。

「おい、キミ! 女の子だろ? 店の人間だろ? なんとかしてくれ!!」

哀れなバイトの小娘は、大いに困惑した。

「そんなこといわれても…」

半泣きになる娘に、容赦なく子供と押しつけようとする父親。

「いいから! 店に責任もあるんだからっ!!」

もはや理由にすらなっていない。

そのあまりに醜悪な様子に、碇アスマもさすがに腹に据えかねた。

今はそんな状況じゃないだろ!? 女の子を精神的リンチにかけてどうするんだ、まったく!!

怒りつつも、武装グループの連中への警戒も怠っていない。

あまりに収拾がつかないと、銃器が火を噴きかねない。

血が流れるとか以前に、子供たちの精神上、癒しがたい傷痕を残すだろう。

意を決して、すくっと細身の身体を起こし立ち上がろうとしたときだった。

透き通った穏やかな歌声がホールへ溢れた。

ゆっくりと吹き抜けの中空を流れる歌は、まるで水のように人々の焼け付いた心に染み入っていく。







金の糸がそよぐ 



やさし やさし調べ



月の夜は密やかな夢と歩いてる…







ただ唖然と、アスマは隣の従妹の姿を見ていた。

信じられないくらい優しい歌声は、彼女の口から紡がれていたのだから。

ホールにいた誰もが彼女の歌声に耳を傾けた。誰もが彼女に注視した。

誰もが彼女の歌に聴き惚れた。武装グループさえも。

やがて歌は終わる。

殺伐とした空間を即席の独演場と変えた少女は、静まりかえる聴衆たちを悠然と見渡した。

「みなさん、大丈夫です。大人しくしていれば、きっとお家に帰れます。もう少しの辛抱です」

そういって渚ミレイは微笑んだ。例の菩薩の笑みである。

彼女の笑顔をよぎった後、先ほどの恐慌の卵と殻は残らず掃き清められていた。

それだけに留まらず、武装グループがまるで毒気を抜かれたみたいに彼女の言葉を引き取ったではないか。

「そ、そうだ。我々の目的が達成されるまで諸君らは人質だが、抵抗さえしなければ決して危害を加えたりしない…」

あからさまに弛む空気。子供たちは泣くのを止め、みなポカーンと口を開けている。

先ほどのバイトの女の子に至ってはその場にへたり込んでしまう始末だ。

同じく碇アスマもその場にへなへなと崩れ落ちる。

片手で顔を覆いながら、それでも内心で安堵していた。

全く、大した従妹どのだ。これでしばらくはパニックを回避できるだろう。

しかしまさかいきなり歌い出すとは。

同時に彼は頬に苦笑を刻む。

確かにいい歌なんだけどねえ…。




















無礼極まりない男たちに銃口で背中を突かれながら、レイはフロアの一角まで誘導された。

「レイさん…」

寄り添って歩きながら、ぎゅっと手を握ってくる碇家の長女に、レイは穏やかな笑顔を見せる。

「大丈夫よ…」

彼女らが誘導された場所には、既に客と従業員が集められて、数人と数丁の銃の監視下にあった。

「これで全員か?」

見張りのリーダーらしき男が訊ねる。

「おそらく」

レイの背中に銃を突きつけている男が答えた。

思いがけず若そうな声に、レイは違和感を覚える。

その違和感が払拭されないうちに、座れと銃でしゃくられ、レイとミコトも監視下グループの中へ押し込まれる。

先ほどの一斉放送からも察するに、自分たちは武装グループの人質になったらしい。

レイは冷静にそう判断すると、落ち着いて周囲を見回した。

ブランド品のフロアだけあって、ちょっと裕福そうな着飾ったオバサマ方も結構多い。

密集するとクラクラしてきそうな香水臭さの中、叔母と姪は意外そうに顔を見合わせた。

いないのだ。

どんなに人がいようと悪目立ちしてしまう豪奢な金髪の持ち主が。

「ママ…?」

思わず呟くミコトを、レイは抱きしめた。

その続きを口に出させるわけにはいかない。

先ほど人質は全員集めたと犯人グループは話していた。

ここで迂闊に聞きとがめられるわけにはいかない。今は毛色の違う親子とでも振る舞うしかない。

咄嗟にそう判断したレイのファインプレーを、ミコトも瞬間的に理解していた。

互いにヒシと抱き合いながら、耳元で小声の会話を交わす。

「この人たち、なんなのかしら…」

「分からない。でも、今は迂闊に行動しちゃ、ダメ」

「…はい」

「大丈夫。碇くんたちがなんとかしてくれる」

自分でも信じるように、回す腕に力を込めるレイ。

「うん、パパやおじいちゃんたちがきっと助けに来てくれるよ。それにママも」

「…そうね」

頷いてから励ますように、レイにしては珍しく冗談を口にした。

「貴女のお母さんなら、一人でこれくらい殲滅出来るかもね…?」

その台詞にミコトもクスっと笑って、

「それじゃあ怪獣だよぉ」




















狭い通気口の中に、小さなクシャミがこだました。

クシャミの主は、慌てて口元を押さえる。隠密行動中だ、静かにしないと。

「…誰か、噂でもしてるのかしら?」

口中でブツブツいいながらアスカは通気口を進む。

彼女がこんな場所に潜り込む羽目になったのは、トイレに行って出てきた直後、銃を構えた妖しい男を目撃したことによる。

反射的に身を隠し様子を窺っていると、複数の男がワラワラと現れ、次々と人を連行していく。

一人だけ難を逃れた絶妙のタイミングは生来の悪運か幸運かは判然としないが、その後の彼女の判断の素早さこそ賞賛されるべきだろう。

TV撮影などではないと悟るやすぐさまトイレ内にとって返し、天井の通気口へ潜り込んだ次第である。

それから通気口内をはいずり回ることしばし、現状を把握しつつ、人質の集められたすぐ側にまで達している。

人質の中に、レイと娘の姿を見つけ、胸をなで下ろす。

まさかその娘に怪獣と称されているなどとは夢にも思っていない。

もう少し待ってなさいよ。きっと助けてあげるからね。

ここでいきなり飛び出すほど無謀ではない。

歯がみしながらアスカは方向転換。もと来た通路を戻り始める。

自分一人だけでどうこうできるなんて驕っちゃいない。

あたしは退役コック長でも間抜けなNY市警の刑事でもないんだから。

とりあえずは外部との連絡。巧く連携できれば、獅子身中の虫たり得るだろう。

しかし、ここも新築でよかった、としみじみアスカは思う。非常事態とはいえ、ホコリで汚れきっていたらさすがに突入は躊躇ってしまう。

同時に、奇妙な懐かしさもあった。

そう、20年ほど前、ネルフ本部内でもこんなことしたっけ…。

でも、あの時と違って、二人はいない。

一人は囚われの身で、もう一人は…外にいるだろうか?

シンジのヤツ、結構間が悪いから…。

束の間自分の状況を忘れ、アスカは伴侶の心配をする。

そして一階へ荷物番に置いてきた息子へも想いを馳せた。

…まあ、あの子の場合、一人でなんとかするでしょ。

夫と息子への信頼と愛情の微妙なバランスを示しつつ、アスカは狭い通路を這う。

とりあえず、動けるあたしが何かしなきゃ。



















駐車場からデパートを遠巻きにするパトカーが、事態の異常さを決定づけていた。

更にパトカーだけに留まらず、幾つもの装甲車などの特殊車両が今なお駆け込んでくる。

出来るだけ近くにいたいけれど警官に制され、離れた場所からシンジたちはデパートに心配そうな視線を注いでいた。

先ほど出された犯行グループの要求は、現金で60億円の身代金と、長距離移動用のヘリコプター数台。

なんら劇的な声明も出さず思想犯の解放なども訴えない俗物的な欲求が、かえって対策本部を混乱させていた。

一体、彼らの目的はなんだ!?

頭を抱えるお偉方を尻目に、即席の対策本部のテントから出たシンジたちだった。

警官らから事情を窺われる前に、ネルフ本部へ連絡はしたんだけど…。

右手の中の自分の携帯電話にシンジは視線を落とす。

父さんはどう動いてくれるのだろう?

過剰な期待をしていない、といえば嘘になる。

でも、今のネルフは以前のような超法規的な行動を取れないだろうことも予測している。

つまり身内に対する緊急連絡みたいなものだ。

そう、最悪の事態に備える意味での…。

…最悪の事態?

それが愛する人の喪失を意味すると悟ったとき、シンジは全身が震えるのを自覚した。

優しい妻の笑顔。愛おしい息子と娘の姿。

いやだ。

死んでも失いたくない。

「…シンジくん?」

傍らからの声に、シンジは我を取り戻す。

いつの間にか強張ってしまっていた首を巡らすと、心配そうに覗きこんでくるカヲルの赤い瞳と目があった。

「今、もの凄く怖そうな顔をしてたよ、キミは」

指摘されたシンジは、かいてもない汗を拭うフリをして、額の強張りを解す。

「お父さん…」

更に、心配そうな表情で見上げてくる次男坊にシンジは軽く微笑んで見せた。

そう、この子まで不安にさせちゃダメじゃないか…。

ぽんとシンジの肩に手を置きながら、カヲルも落ち着いた声をかけてくる。

「キミの奥さんの事だから、きっと大丈夫だよ。それに、いざとなったらレイも…」





















「…これが、犯人グループの要求です」

報告しつつ、青葉シゲルは訝しさに首をかしげざるをえない。

理由は、警察の対策本部と同様のものである。

要求が稚拙すぎる。本当の目的があるのか、それとも…?

すぐ離れた場所ではリツコが実に久しぶりにコンソールの上で指を踊らせていた。

めまぐるしく展開を変える数式は、あまりのスピードに理解が追いつかない。

しばらく、リツコがキーボードを叩く音だけが発令所に響く。

シゲルが一挙手一投足を注視するなか、ゲンドウは深い皺を刻んだ口を動かした。

濃いサングラス越しのその表情は窺えない。

……ゲンドウの指示を聞き終えた青葉シゲルは、思わず出そうになった言葉を飲み込む。

『本当に宜しいんですね?』

愚問だ。確認するまでもない。

いわば、それが今のゲンドウにとってのネルフの存在意義に他ならない。

副司令も当然心情を同じくしているらしく、不意に立ち上がったかと思うと、先ほどからホットラインで私的な電話をかけまくっている。

その姿は、背筋が伸び、まるで20歳以上若返ったように鬼気迫るものがあった。

「…了解しました。指示を復唱します」

シゲルは司令席についたゲンドウを仰ぐ。昔のポーズそのままに、不動の構えを見せる威容。

頷いた様子は見えなかったが、シゲルは躊躇うことなく指示を復唱した。

「一つ。ネルフが所持し運用可能な資源の可及的速やかな現金化」

息を殺していたオペレーター達が軽く息を呑む気配。

「一つ。日本政府に通達。本日発生した第三新×○デパート武装グループ立て籠もり事件へのネルフの無制限の介入」

誰も身じろぎ一つせず、次の言葉を待つ。

「一つ。本事件に対する、ネルフ全能力の傾注…」

発令所の全てがざわめいた。それの意味するところが余りに明白だったからだ。

すなわち総力戦だ。ただし、その行動の根拠は…。

「ネルフ総司令碇ゲンドウの名において、全職員に命ずる。指示を反復、可能な限り遵守せよ。

 同時に、碇ゲンドウの名において諸君らに懇願する。今回の指示は、完全なる私事だ。

 内外の批判は甘んじて受ける。従えないと思うものに強制はしない。責任は私が全て負う。

 だから…どうか諸君らの力を貸して欲しい。この通りだ」

起立し、司令塔から深々と頭を下げるゲンドウに、どの職員も声を失う。

大半の職員は、ゲンドウの息子夫婦とその孫への愛情の深さを理解はしていたつもりだった。

しかし、それか苛烈という形容さえ生温かったことも知ることになる。

いわば、文字通り全てをなげうって、身命を賭してゲンドウは行動しようとしている。

彼らを救うために。

…それは、果たして総司令なりの贖罪なのだろうか?

そんなシゲルの疑念を、オペレーターの一人の声が切り裂いた。

「了解しました。総務部へ連絡。資産の確認を指示します!」

「保安部へ! 総員招集! 第八発着場にて待機せよ!」

「日本政府への通達を行います。文面の確認と了承を!」

活気づく若い職員らは、新しいネルフになってから採用された者ばかりだ。

過去の確執を知っているとは思えない。彼らは、ただ純粋にゲンドウの想いにうたれたのである。

いくらゲンドウが責任を持つといっても私兵集団と化すに抵抗があるのではないか、というシゲルの不安は完全に払拭された。

むしろ思いがけぬほどの反応に戸惑いながら背後を振り返れば、ゲンドウの表情はサングラスで隠され、やはり窺い知ることはできなかった。 

「…碇。各種マスコミの介入を12時間停止できる。12時間だけだ。ただし、その間、アリの一匹も通さんよ」

ようやく受話器をおいた冬月が静かに断言した。

個人的なコネクションを使ったのか、どのような手管を用いたのか、シゲルには皆目見当がつかない。

加えて、老体から迸る裂帛の気が、迂闊な質問を許さない空間を作り上げている。

「×○デパートのメイン管理コンピュータに侵入。全カテゴリを把握しました」

こちらはリツコ。

二人を等分に眺め、今度こそ鷹揚に頷くと、ゲンドウは実に20年ぶりに静かに宣言した。

「……総員、第一種戦闘配置」




















通気口から這いだしたアスカは、ブティックの一角に身を潜める。

このフロアの人質は全て対角線上の隅に集められている。

こちらのエリア見張りは二人。先ほど物陰からこっそり監視し、移動パターンを把握している。

しかし、どうにも画一的な行動パターンよね。まるでゲームのキャラみたい…。

彼女の感想も無理もない。

武装した男たちは通路の角で決められたように左右を見渡す。

そして思い出したように銃を構えてみせたりして元来た道を引き返す。

そんなことを繰り返しているのだ。

どうにも真剣さが欠けているように思える。

考えながらも、アスカは素早く衣服を脱ぐ。

下着姿の上に、手早くホットパンツとキャミソールを羽織ると、その上に赤いゴスロリのワンピースを着込む。

シルク生地が勿体ない気もしたけど、ためらうことなくスカートの裾を破く。

太ももの付け根が見えそうで見えないくらいにするのは、ちょっとコツがいるのだ。ついでに袖や肩口も少し破く。

履き物も拝借。

どういうわけか一緒のコーナーに置いてあったエミリオプッチのピンヒールをゲット。サイズもピッタリだ。

目をつぶり、呼吸を落ち着ける。

ここからが肝心。失敗は許されない。

とりあえず、このエリアの二人をのして、脱出するか外部との連絡を図る。

頭の中でゆっくり五秒まで数えて、ミッションスタート。

アスカはピンヒールで走り出す。

足首を捻らないよう注意して走れば、ちょうどよろめいているように演出できて都合が良い。

疾駆する先には例の見回りの男が一人。

ここで決して甲高い悲鳴を上げてはならない。遠くの他の見張りに聞こえては元も子もない。

「た…助けて……っ!!」

息も絶え絶えという風に装おう。

相手に自分がどのように見えているか。それが今作戦の最大のポイントだ。

助けを求めてくるボロボロの衣服をまとった金髪の美女。

どうみても訳ありなその格好に、いきなり発砲してこないだけの理性が相手にあることを願う。

もっとも、アスカ自身、自分の実年齢に反した美貌を自覚しているから、決して分の悪い賭ではないのだが。

とりあえず懐に飛び込めば…。

予想通り、相手は茫然と立ちすくんでいる。

こうなればしめたもので、アスカは非常に不本意ながらも男の胸元に飛び込んだ。

夫相手に培った演技力を総動員する。

全身でしゃくり上げながら震える声で、

「ひっく、そこの、ひっく、女子トイレで、ひっく、男の人が無理矢理…」

「あ、ああ…」

男は戸惑うばかり。

そこへもう一人の見張りもやってくる。

「おい、どうした?」

「いや、この子が、そっちの女子トイレで…」

もう一人も、アスカの顔を覗きこむように近づいてくる。

一メートル足らずの接近。

それは、彼女にとっての攻撃圏内だった。

結果、男達は股間を押さえ悶絶して床でのたうち廻ることになる。

雷撃のような一撃を見舞ったアスカは、ピンヒールで念入りにトドメを刺してから、男たちのマスクとサングラスを剥ぎ取る。

青い瞳と端正な唇が、驚愕の円を描いた。

ついで銃器の確認。こちらも予想を裏付けている。

更に男たちの胸元を漁ったアスカは、財布らしきものの中から確信を見つけ出す。

彼女に油断があったとしたらこのときだった。滅多に履かないピンヒールで機動力が殺がれていたこともある。

その他モロモロの偶然が重なった結果が、あり得るべきでない状況を演出した。

首筋にチクリとした感触で、アスカは素早く振り返る。

しかし振り返り切る直前に首筋に新たに伝わった衝撃が、彼女の意識を漂白した。

全てが真っ白に染まりきる寸前、アスカは叫ぶ。

「こいつらは…!!」

言葉は空気を震わせず、意識と一緒にどこか深いところに落ちていった。




















「それじゃあそろそろ屋上に…」

監視してくる男たちの会話に、レイは耳をそばだてる。

屋上で?

確かにかなり広いスペースがあったと思う。

ヘリコプターくらいなら楽に発着できるだろう。

そして、当初から予定されていた脱出経路に違いない。

リーダーらしき男が視線を巡らしてくる。

皆が顔を伏せる中、レイは顔を上げていてしまった。

気づき伏せようとするも遅かった。相手にとって赤い瞳のその容貌は極めて印象的だったらしい。

「そこのおまえ、立て」

横柄な物言いに微動だにせず、レイはすっと立ちあがる。

非常に素直な反応に、むしろ言った方が動揺しているようにすら思われる。

他の人質連中が我関せずとうつむきそっぽを向く中、心配そうに見上げる一人。

言わずもがなミコトだ。

「レイさん…」

心配そうな視線に、レイは微笑で答える。

「大丈夫よ、ここにいなさい」

しかし、男にしてみれば、この少女の容姿も決して無視できる類でもなかったのである。

サングラスとマスクの奥で、打算と下心がうごめく。

その変化を仮に視覚化できたとしたら、レイもミコトも嫌悪を禁じ得なかっただろう。

「そこのガキも立ちな。おまえにも一緒に来て貰う」

「この子は関係ないわ…」

立ちふさがるようにレイ。四方から構えられた銃に無駄な抵抗だとは分かっている。

彼女の献身を男は鼻で笑った。

「いいから二人してついてこい。あんたたちは、最後の最後までの人質だ」

ぎゅっと縋り付いてくる手を握り返し、レイは思う。

この子は絶対私が護って見せる。

停止したエスカレーターを歩き、屋上まで連行される。

開けられた扉から吹き込む爽やかな風。

昼下がりの外の空は、人工の明かりに慣れた身には眩しかった。

目を細めて、それでも屋上を見回せば、銃をぶら下げた連中が駐車場を見下ろしていた。

給水塔の上にいる一人が叫ぶ。

「ははは、みろ、人がゴミのようだ!」

たちまち下卑た笑いが続いた。

「ふざけんな、おおげさだってーの…」

…なんだろう、この雰囲気は?

レイが首を傾げていると、背後から誰か走り寄ってくる気配。

思わず碇家の長女を抱きしめたまま身をかわせば、息をせき切らした二人の男たちが勢いよく屋上へなだれ込んできた。

二人組が投げ出したものにこそ、レイは目を剥いた。当然ミコトも準ずる。

まるで蓑虫のようにガムテープで両手両足をぐるぐる巻きにされたそれは、二人のごく身近な人間だったのだから。

「…ママ!?」

小柄な少女の悲鳴にも似た声は、折しも吹き込んでいた風に乗る。

ガムテープ巻きされたアスカに駆け寄ったミコトの姿に、一瞬奇異の視線を集中させた犯人グループたちだったが、賢明にも聞き間違いだと思うことにしたらしい。

「おい、コラ、離れろ!」

乱暴に少女を突き飛ばしておいて、運んできた男の二人の片割れがリーダーに報告する。

「この女のせいで二人ヤられちまったよ。しかも顔も見られちまったし。どうする?」

リーダーが、気絶してぐったりしたアスカの顔を持ち上げた。

「…悪くないな。人質として一緒にヘリに乗せちまえ」

ぐったりと長い睫毛を伏せて気を失っている姿は、口元にガムテープを貼られていてもそそるものがあったらしい。

「私たちを、どうする気?」

突き飛ばされてへたり込む碇家長女を助けあげながら、レイは訊ねる。

完璧なまでに抑揚のない口調は、彼女が怒っている証しだ。

「だからアンタ方三人は、俺たちがヘリで逃げて安全が保証されるまでの人質なわけだよ」

リーダーが踊るようにステップを踏む。

不真面目極まりない態度に、赤い瞳が静かに燃える。

と、不意にリーダーがよろめいた。

足下に視線を送れば、意識を取り戻したらしいアスカがじたばた暴れている。縛られたまま、彼女が蹴飛ばしたに違いない。

もがくアスカの金髪を、リーダーが乱暴に掴みあげた。

青い瞳の射殺すような視線を、サングラスが平然とはじき返す。

「大人しくしてな。…あとでたっぷりと、クククク」

そのまま乱暴に地面へと投げ捨て、行ってしまう。

当然アスカは猛抗議とばりに暴れるが、縛られたままではどうしようもない。

反面、その元気っぷりに喜んだのは娘のほうだ。

「良かった…」

父親譲りの黒い目には涙が浮かんでいる。死んでいるようにも見えたのだから、安心して当然だろう。

母親の方も、ようやく娘とレイに気づいたらしい。

顔を上げ、喜んだのも束の間何事かをしゃべっているらしいのだが、口をガムテープで塞がれているので聞こえない。

必然的に唇の動きだって読めない。

すると今度は盛大に身をよじって見せる。ボディランゲージらしいのだが、どう見ても陸に打ち上げられた魚だ。

近づいて、せめて口元のガムテープだけでも外してやりたいところなのだが、間に見張りの男がいるのでそれもままならない。

結局、数メートル先で金髪が汚れるのも構わず暴れるアスカを眺めるしか出来ないのだ。

『あー、君たちは完全に包囲されている。無駄な抵抗は止めて、人質を解放しなさい。お母さんが泣いているぞ!!』

スピーカーで拡大されたえらくアナクロな台詞が駐車場から響いてきた。

犯人たちは一斉にゲラゲラ笑い、リーダーが持っていたマイクに覆面を近づける。

『要求したものはまだなのか? 日没までに用意できないようなら、人質の無事は保証できないぞ』

どうやら、デパートの一斉放送に直結しているらしく、屋外どころか屋内までにその声は響く。

『目下、最速の努力を重ねている!! 人質は無事なんだろうな!?』

その声に、リーダーが顎をしゃくった。

男の一人がレイを押すように連行し、屋上のフェンスの上に立たせる。

こうして彼女はデパートの上から眼下を見下ろすことが出来たのであるが、それほど感動的な光景ではなかった。

何十台と雑多に停められた車。物陰に身を潜める制服姿の影。

対を成すように、空は青く晴れ上がって綺麗だった。

『時間までに我々の要求がかなえられない場合、この女から酷い目にあわせるぞ?』

『わ、分かったから、そこの女性を早く屋内にもど……あ、おい、何だキミは?! やめ…っ』

何かしらの混乱が生じたらしい。その混乱が起きている場所を見つけることで、レイも目的の人物たちを見つける事が出来た。

『あー、あー、良かった、レイ、無事だね?』

静まりかえった周囲に響く玲瓏たる声。青空に無駄にこだまするそれは、夫である渚カヲルの声だった。

しかし、この状況を見て、どう無事だと判断したのだろうか。

自然に眉を寄せる表情になってしまうレイに、カヲルの声は続いている。

『シンジくんの奥さんにも伝えてくれ。もしキミになにかあったら、僕が二人のことを責任もって引き受けるから…』

との台詞に、レイが背後を振り返れば、アスカが力一杯もがいている。

不思議なことに、レイには今度は彼女が何をいっているのか理解できた。

<今回の件が無事片づいたら、アンタの旦那をぶっ殺すからね!?>

「ご随意に…」

そう口中で呟いてレイがまた正面を見下ろせば、カヲルが羽交い締めにされスピーカーを取り上げられるところ。

彼のすぐ側にシンジの姿も認めて、レイは胸をなで下ろす。

娘の姿が見えないのは不安だった。きっとまだデパート内にいるのだろう。

でも、そこにはアスマくんもいるはずだし…。

『というわけだ。諸君らの健闘を期待する!』

全く巫山戯た物言いで、武装グループとリーダーは会話を打ち切った。

促されるままにフェンス内へ戻されたレイは嘆息して空を見上げる。

このように拘禁され、身の回りの人間が危険に晒されているのがひたすら不快だった。

そしてそれを不快と思う自分に少し驚く。

全く、小憎らしいほど空は平然と青い。




















無断でマイクで呼びかけたことでこってりと絞られたが、人質の身内であるとのことで無事解放はされた。

「いや〜、良かったね、シンジくん」

小一時間の説教に全く応えた様子もなく、カヲルはシンジに笑いかけてきた。

「どういうことだよ、カヲルくん…」

シンジにしてみれば、文句の一つもいいたいところである。少なくとも、自分も何か呼びかけたかった。

スマイルはそのままにカヲルは答える。

「キミの奥さんも娘さんも無事だよ。いくらレイでも、彼女らに危害が及んでいれば、あそこまで冷静でいられないからね」

一理ある意見である。もっともシンジはレイが狼狽しているシーンは一度しか見たことがないが。

「それに、多分、奥さんも屋上にいるよ。あの時、レイは後ろを振り返っていたろ?」

思い出す。確かにカヲルが話しかけたとき、彼女は背後を一回振り返っていた。

「で、でも…」

ならば、アスカはどうして出てこない? 彼女のことだから、率先してでもフェンスの上に出てくるはず。

「それは多分拘束されているんだと思う。キミの奥さんのことだから、グループの二、三人伸しちゃったと思うし、野放しじゃ危険だからね」

大当たりである。

真実は分からねど反論出来ないでいるシンジに対し、カヲルは殊更陽気に断言した。

「今、僕たちが気を揉んでもどうしようもないよ。むしろこれからさ。チャンスは必ずあると思う。デパートに飛び込む機会とかね。

 …シンジくん、僕はキミとなら地獄へだって付き合うさ」

口調と裏腹に、内容は過激極まりない。

ようは、警官らをさしおいての突入も辞さないということだろう。その結果までは考慮していない。

しかし、気持ちはシンジに準じていると彼はいっているのだ。いざとなれば家族の為、キミの為に、命を投げ出してもいいと。

「…そうだね、ありがとうカヲルくん」

うなずき、シンジは少し離れた場所にいる次男坊を手招きする。

「疲れてないかい? なんなら車で休んでいてもいいよ?」

その表情と口調になにかを感じたのだろうか。次男坊は激しく首を振った。

「いやだ。父さんたちに一緒について行く」

「えっと、リュウジ…?」

「父さんたち、何かしようとしているんでしょ? だったら僕も手伝うよ」

断言する息子の目をシンジは覗きこんだ。

14歳になる息子は、昔の自分の生き写しだと周囲の人間は言う。

決意に燃えた目。

…自分はこの頃、こんな真剣な目をしていただろうか?

無限の回想を打ち切り、シンジは更に見つめた。

色は違えど、そこにあったのは妻であるアスカと同じ瞳だった。

「…わかった」

シンジはうなずく。

自分自身を納得させるかのように強くうなずく。

「何かするときは一緒だ。僕たち家族は、何をするのも一緒だよ」

ところが、シンジらの覚悟と裏腹に、膠着状態は続いた。

時間は無慈悲に刻まれ続けていく。

「夕暮れだ…」

誰ともなしに呟かれた言葉が周囲をざわめかせる。

タイムリミットまで、もう時間が残されていない。

とうとう対策本部から怒声が響くようになった。

「どういうことです!? そのまま待機を続けろですって!? 身代金とヘリの準備はまだなんですかっ!?」

つまりはそういう状況だった。

歯がみし、喉の奥に苦さを感じながらも、シンジは今更ながら違和感に気づく。

周囲に報道関係者がいない。TVカメラどころか、野次馬だっていない。

こんな大事件なのに…?

むしろ大事件だからこそ?

どちらにしても、駐車場に警官隊と人質の身内しかいない現状況は不自然すぎる。

報道管制にしたって大げさだ。

「シンジくん?」

カヲルに指摘され、初めてシンジは携帯電話が振動していたことに気づく。

「あ、ああ、ありがとうカヲルくん」

改めて液晶画面を確認すれば、そこのは碇ゲンドウの名前。

「…もしもし? 父さん?」

急いで耳に当てた携帯から、重々しい声が響いてきた。

「…またせたな、シンジ」

どういうこと?と問い返す間もなかった。

凄まじい突風が吹き付けてきて、前髪を散らばす。

片目をつぶり空を見上げたシンジは、驚愕することになる。

それは、バックにワルキューレ騎行が流れてもおかしくない壮観。

夕暮れを背景に、まるで郊外の森から沸き立つように舞い上がるVTOL航空機。

そこに輝くNERVのロゴの頼もしさ。

複数の航空機は、四方八方からライトを放射し、デパートを白昼の如く照らし出す。

駐車場の警官たちが唖然とするなか、その中心を切り裂くようにやってくる一台の指揮車両。

ドリフトで半回転し停止した車両の上に飛び出す影。

「父さん!?」

「お祖父ちゃん!!」

むろんゲンドウばかりではない。

冬月とリツコも続いて飛び出してくる。

車両の足下に駆け寄ってくる息子と二番目の孫を軽く一瞥し、ゲンドウはやおらマイクを握った。

『犯人に告ぐ! たったいま、こちらに身代金を用意した!』

ゲンドウの声に反応するように、アタッシュケースを構え先頭に飛び出る完全武装のネルフ保安部の面々たち。

次々と開けられるアタッシュケースの中身は、全てまごうことなき日本銀行券だ。

開かれたケースを屋上に向けて、ゲンドウは更に続ける。

『ここに現金で百億用意した!』

その発言に、対策本部の面々は愕然とする。なんせ犯人の要求額は60億だ。

『逃亡用のヘリも、スーパー・ピューマを三台手配している!』

こちらも要人運搬用のスーパーヘリである。

『全て、一部の狂いもなく完璧に提供しよう。従って、速やかに人質を全員解放することを希望する!』

その演説に駐車場の誰もが呆気にとられる中、一人シンジだけが感動に打ち震えていた。

父さんが…父さんが…。

不意にマイクに雑音が混じる。

次に拡大されたのは、感情的な老人の声だった。

『無理なら人質の交換で構わん! せめてどうかワシを屋上の人質と交換してくれい!』

雑音ととも被さる冷静な声。

『ふざけるな冬月。貴様の老体など一片の価値もない。行くなら私だ』

『なにをっ!? 碇、貴様にこそそんな価値はないわっ!!』

急転直下、笑劇になりかけた事態を収拾したのは女性の声だった。

いまだ醜くも崇高な争いを続ける老人二人からマイクを取り上げたリツコは、冷たい声を出す。

『こちらは、そちらの要求以上のものを用意しました。人道的で誠意ある対応を求めます』

ああやっぱりリツコさんは冷静で論理的だ、と安心するシンジらだったが、一瞬で認識を改めさせられる羽目に陥った。

ゆっくりと伊達眼鏡を外した彼女は、この日最も過激な発言をしたことで碇史に名を残すことになる。

『だから、いい? そこの人質に毛一筋ほどでも傷をつけてごらんなさい!

例え世界のどこに逃げようとも捕獲して、ミクロン単位で生きたまま爪先からトランスアキシャル面切断してあげるわ!!』




















何も呆気にとられていたのは地面にいた人間ばかりではなかった。

屋上にいた犯人グループもほぼ全員が度肝を抜かれている。

100おく…?

とらんすあきしゃる…なんだって?

みな興奮し、つかのま見張りのことを忘れた。

その間隙をついてミコトが母親のもとへ忍び寄ったのは、やはり血のなせる業だろう。

とりあえず母の口元を覆ったガムテープを剥がした途端、

「ガキっ!? 何してやがる!?」

見張りの男が気づいて少女の髪を乱暴に引っ張った。

報復は速やかだった。縛られたままのアスカが絶妙のバランスを発揮、まるでスプリングのように身をかがめ、全力で男の股間に頭突きを喰らわした。

崩れ落ちる男の陰でアスカは叫ぶ。

「レイ! マイクをこっちに!!」

その声が響き渡ると同時に、レイの身体がまるで急流の花びらのようにスッと動く。

滑らかで気配を感じさせない移動に、見張りの男たちも妨害しようと動いたが間に合わない。

掬い上げるような手の動きが放置されたマイクを掴み続いてスイッチをON、そして投擲。

綺麗な弧を描いてアスカの顔の目前に転がった。

それに向かい、力一杯アスカは叫んだ。

『犯人を気取っているコイツらは全員ガキよっ!! みんな未成年で、もっている銃はモデルガンで、武器はスタンガンだけよっ!!』



















館内放送とも直結していたその叫びは、階下にいた碇家長男坊の耳にも確かに聞こえた。

そうと分かれば行動が早い。母の言葉を疑うなど思いも寄らぬ。

明らかに動揺している見張りの男にツカツカと近づくと、顔面に右ストレートを一閃。

砕けたサングラスの向こうで鼻血をまき散らし昏倒する男の顔は、なるほど若い。

数歩隣にいた男が銃を構える。

アスマは躊躇なく近づく。

発砲。

予想していた火薬の音は響かず、胸あたりに軽い衝撃。足下に転がるBB弾。

近づく勢いをそのままに、アスマは顔面に蹴りを放つ。

もう一人も吹っ飛ばしてから周囲を見回せば、項垂れていたお父さん方が俄然活気づくところ。

殺気立った目を向けられ、犯人グループも銃を捨て次々と逃亡し始めている。

そんな中で、なおスタンガンを振り回し抵抗する一人がいた。

「ち、近づくなっ!! 近づくんじゃないっ!!」

確かに振り回せば、一定の範囲から近づけない。

となれば、どこからかお父さんの一人が木製の棒を調達してきた。これならば間合いの問題はなくなる。

追いつめられた男の目は、非人道的な突破法を発見する。

スタンガンを持っていないほうの手が、近くの逃げ遅れた子供を捕まえた。

保護者がこの場に居合わせないため誰も庇ってくれなかった小さな子供。

アスマは恐れていた最悪の事態に舌打ちした。

かといって、どうにも手が出せない。

子供の顔の近くでスタンガンの火花を散らす男。

もはやマスクとサングラスも外れて、意外なほど若い顔を引きつらせ甲高い声をあげている。

「こ、この子の顔に傷がつくぞぉっ! み、道をあけろうっ!!」

オレと同い年くらいかよ、などと観察しつつ、卑劣な手口にアスマは歯噛みする。

可哀想に子供は泣き出した。無理もない。

仕方なく大人たちが道を譲ろうとしたときだった。

「犯人さん?」

場違いなまでの穏やかな声。

犯人が思わず、

「はい?」

と返事をしてしまったのもむべなるかな。

その若々しい横っつらに、フルスイングのベンチが打ち付けられていた。

数メートルは吹っ飛ぶ犯人。そのまま綺麗に磨かれた床を滑り壁に激突、ピクリともしなくなる。

ゆっくりと傍らに5人がけ用のベンチを降ろし、解放された子供を抱き留めながら、穏やかな加害者は菩薩の笑みを浮かべてみせた。

 



















アスカの発言は、最終兵器的なまでの破壊力を発揮した。

いわば犯人グループを覆っていた甲冑を破壊したに等しい。

甲冑の下は素っ裸なものだから尚更である。

「このアマ…!!」

茫然とした後に沸いてきた正当性のない怒りに身を任せ、男の一人が拳を振り上げた。

少なくとも、女子供の一人や二人リンチに出来るとでも思ったのだろう。

理不尽な暴力の発動は、その一歩目で中断を余儀なくされた。

舞い上がるコンクリートの破片に男は足を止めた。顔が青ざめている。

VTOL航空機からの機銃掃射が、屋上の犯人グループを全てその場に釘付けにした。

間髪おかず、屋上の入り口と非常口からワラワラと侵入してくる兵士たち。みながNERVのロゴマークを付けている。

マイクからの声を聞いた直後、リツコがデパートのコンピュータにクラック。シャッターを含め全てのセキリュティを解除したのだ。

待ちかまえていた突撃班によってたちまち各階は制圧された。

既に一階ホールが人質の手によって制圧されていたのは、まあ余談である。

たちまち屋上にいた面子も制圧された。

もともとオモチャの重火器の武装が本物に太刀打ちできるはずがない。

ようやくレイも違和感の源に気づく。

犯人グループは真剣さに欠けていた。あくまで『遊び』のつもりだったのだ。

リーダーも拘束され、サングラスとマスクを剥ぎ取られた。

精一杯の強がりなのか薄ら笑いを浮かべたまま連行されてく。

「ちょっと待って」

夫の手でようやくガムテープから解放されたアスカが呼び止めた。

酷い目に遭わされたのは一目瞭然なだけに、報復するのではないかとヒヤヒヤするシンジたちの目前でアスカはリーダーの胸元に突っ込む。

取り出した分厚い財布の中から免許証を抜き取る。名前はともかく、年齢は19歳。

「…ずいぶんとふざけたお遊びね」

アスカは手首をさすりながら青い瞳を光らせる。

冷ややかな視線は相手を萎縮させるに足りたが、この主犯である未成年は饒舌だった。

理性が麻痺しているのか、もともとがそうなのか。

「お遊び? もう少しで成功しかけたぜ? 成功すれば偽物も本物になるさ。世界の歴史はそうやって綴られている。

 オレは、歴史に新たな一歩を記そうとしたんだぜ?」

「ふん、未成年って保険をかけてやってる時点でお遊びよ! だいたいね…」

一蹴し、更に言い募ろうとするアスカの目前に割って入る影。

間髪おかず、小気味よい音が響く。

「遊ぶなら、他の人に迷惑をかけずにしなさい」

凛然とレイは言い放った。

なにか根本的に違う気はしたけれど、静かな迫力に誰も口を挟めない。アスカでもさえだ。

何か反論しかけて男は顔を伏せた。

地面に向かって「本物だ、本物だったんだ、偽物だったけど本物だったんだ…」とブツブツ呟き続ける男を、ネルフの保安部が連行していく。

そんな男の足下に、カランと落ちたものがある。

コロコロとみんなの足下を転がったソレを拾い上げたのは、碇家の長女だった。

「なにこれ?」

持ち上げて可愛らしくミコトが首を捻ったのと、男がはっきりと呟いたのはほぼ同時だった。

「…それは本物♪」

碇家と渚家全員の視線が集中したそれは手榴弾。

このようなとき、群を抜いた反射神経を見せるのはもっぱらアスカである。

しかし今の彼女はスタンガンの影響が抜け切っていない。当然反応は遅れる。

代わりとばかりに動いたのはレイだった。

ミコトの手から手榴弾をむしり取り…ダメだ、振りかぶって投げては間に合わない!

シンジは咄嗟に妻子の上に身体をかぶせる。

カヲルだけが仁王立ちのまま絶叫した。

「レイーーーーーッ!!」

手榴弾は破裂した。









…次の瞬間、目前に展開した光景は、ほとんどの人に漫画かアニメのワンシーンのように見えたことだろう。

手榴弾を持っていた手をかざしているレイ。

まるでそこから見えない力が放出されたように屋上の端にある給水塔が半壊している。

確かに破裂音はしたし、本物だったよな? でも爆風もなにも飛んでこなくて…。

居合わせた全員が顔を見合わせている。

持ち主だった男だって愕然としている。

ただ一人カヲルだけが胸をなで下ろしつつ理解していた。

レイが手榴弾を覆うようにATフィールドを発生させたことを。
































以下は後日談ということになる。







犯行グループは、アスカが看破したとおり全員未成年で、リーダーの男の発案にインターネットサイトで集った同士だという。

自供した全員、現実生活の閉塞感をトツトツと訴えるだけで計画そのものは綿密だったとは言い難い。

なにせ、身代金を得たあとの逃亡先に海を越えた半島を考えていたらしいし、半ば成功しかけたのは、デパート側の警備体制のヒューマンミスが重なった間隙を縫った、それこそ奇跡のような確率だ。

しかもグループ名<黒き月>も、ただカッコよかったらからつけた、というお粗末さ。

どこまでも遊びだったのだ。いざとなったら全員が未成年だから実名報道は避けられる。すぐ辞められる。

それを証明するため、各々で身分証明書を持参していたのだから、なんとも情けない話である。

ただ、手榴弾はリーダーがアングラサイト経由で一個だけ手に入れていたとのことで、これの捜査は本格的に行われるという。

この非常にふざけていて深刻な事件は、結局どこにも報道されなかった。

未成年のみによるデパート占拠事件というあまりにもセンセーショナルな実体もあるが、なんでもグループにメンバーに地元の名士や有力者の子弟やらが結構な数で含まれていたらしい。

付随してネルフもなんらお咎めなし。逆に立場が強化されたとか。

さすがに犯行に及んだ全メンバーの放免は行われなかったと聞く。

だからといって重罪も問えないらしい。

一人憤然とするアスカであったが、それを宥めるようにリツコがこっそりと犯人グループの監視追跡プログラムを作成、起動させている。

仮に報復などを彼らが考えた場合、今度こそ非合法的な裁きが下ると思われる。もちろん下すのはアスカ本人に他ならない。

結局、デパートの被害だけで済み、死傷者が出なかったことを喜ぶべきだろう。







一件が落着した後、碇家と渚家のネルフ本部の訪問率が明らかに高くなった。その逆もしかり。

孫たちにとって、日没直前に整然と引き上げていった祖父率いるネルフの姿が、この上なくかっこよく見えたらしい。

後日、孫たちでお礼のプレゼントを贈ったりして、非常に微笑ましい光景が本部に展開されたりした。

シンジにとっても今回のゲンドウの尽力は、心臓の血を温かくするに足りた。

アスカも同意し、二人で礼を述べようとたびたび本部を訪れるが、どういうわけかそのときに限りゲンドウは不在で未だ果たせないでいる。

シンジはともかく、アスカに丁重な礼を言われるのは、さすがに気恥ずかしいのだろうというのが妻であるリツコの弁。

また、この事件でよりレイと親密になった碇家長女が、単独で渚家を訪問するようになって母親を悩ませたとか。





そして今日も冬月は司令塔で茶を啜っている。そこには過日の面影は微塵もない。

ゲンドウだってサングラスで表情を隠し微動だにしない。ただ、孫や息子の来訪を報せられたときだけ明らかに雰囲気が弛む。




彼らはそれで十分報われているのかも知れない。





























〜了








2005/3/7




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