「キミの子供が欲しいんだよ」





大真面目な表情で言ってのけた渚カヲルの顔面に、アスカは脊髄反射で右拳をたたき込んでいた。

ほぼ同時に、その妻であるレイも、夫の延髄に手刀を喰らわせている。

前後からのインパクトの破壊力は二乗され、カヲルは椅子から真横の床に緩やかに昏倒した。

それも束の間、むくりと上半身だけ起きあがり蘇生してのけたのは、さすが元使徒、伊達じゃない。

その元第17使徒タブリスは、椅子に座り直しながら抗弁する。

「いやあ、ごめんごめん、言い方が悪かったよ。正確には、キミたちの子供が欲しいんだ」

「却下」

と、コーヒーカップ片手にアスカはにべもない。

犬や猫の子でもあるまいし、と冷静を装った青い瞳がそう語っている。

ところがどっこい、渚夫妻も食い下がってきた。

「だから、今の話ではないわ。将来の話よ…」

妻の方のレイのあくまで真剣な視線に、アスカはようやくまともに会話をする気になった。

「あのね、なににせよ嫌がらせか悪い冗談にしか聞こえないわよ」

目前のアルピノの二人を見据える。

色素の薄い肌に赤い瞳。見慣れてはいたが、意識して見ると奇妙な二人だ。

行動や言動に至っては、奇妙という表現の数段上をいっているけど。

それにしても今回のは奇行は極め付きだ。

呼びもしないでいきなり遊びに来たと思ったら、ウチの子供が欲しいですって?

碇アスカになって久しいが、惣流アスカ・ラングレーだったころの時間を勘案しても、こんな奇天烈な申し込みは記憶にない。

アスカの内心で好き勝手に批評された夫婦二人は、僅かに顔を見合わせた。

結局、妻は顔を伏せて紅茶を啜り、夫の方が再度口を開く。

「…知ってのとおり、ボクらには男の子がいないんだよ。だから、男の子が欲しいんだ。

なんなら、子供でなくてシンジくんでもいいんだけど…」

その顔面にコーヒーを吹き付けて、アスカは激昂する。

「それこそ冗談じゃないわよ! アンタたち、おふざけも大概にしなさいよ!?」

「…冗談じゃ、ないわ」

カップを静かにソーサーにもどして、レイ。

「碇くんに関しては確かに冗談だけど、私たちが男の子が欲しいのは本当…」

すっと上げられた顔には涼やかな赤い瞳。

それは真っ直ぐ対面の青い瞳を見つめてくる。

なぜか気圧され、アスカは大人しく椅子に腰を落としながら、呻くように訊ねる。

「まさか、養子にでも欲しいっての? そんなの、簡単にあげられるわけないじゃない…」

自分のお腹を痛めて産んだ子供だ。それを他人の家の子にするなんて、想像したくない。

そこまで考えて、アスカは慌てて首を振る。

子供のやりとり以前の問題だろうに。一体何を考えてるんだ、あたしは。

「とにかく!」

またまた立ち上がり、アスカは拳を握る。

「そんな戯言は大却下! 養子なんてもってのほかよ! 日が高いうちに帰りなさい!」

「養子じゃないよ」

「え?」

あっけらかんとしたカヲルの答えに、アスカは呆気にとられた。

白い歯を煌めかせ、にこやかにカヲルは続ける。

「養子じゃ、渚家と碇家の真の縁戚関係が結べないじゃないか、ははははは」

怖気がするくらいの爽やかな笑い声の主を蹴り倒しておいて、アスカはその妻に詰問する。

「…つまりは、どういうこと?」

淡々と、いつもの調子を寸分も狂わさず、レイは答えた。

「早い話、あなた達の息子さんをお婿さんに欲しいの…」

…たっぷり一分間笑った後、アスカは目尻の涙を拭いながら、なお声を震わせていう。

「いやあ、今世紀最高のジョークだわね。まさか、小学生になったばかりの子をお婿に欲しいなんて…」

「一応、ボクらが欲しいのは、次男の方だけどね」

との返答に、一瞬アスカは硬直したかに見えたが、再度笑い飛ばした。

「なら、ますますお話にならないわよ…」

現在、碇家の子供構成は、男子二人に女子一人。一番上の長男はようやく小学生だ。

その次男坊であり渚家夫妻が所望しているリュウジは現在幼稚園年中組である。

幼稚園児のうちから婿に迎えたいなんてのは、冗談に妄想がかかっているとしか思えない。

「本気なんだけどなあ…」

あくまでめげないカヲルの台詞と、アスカはどういうわけか共感する事が出来た。

子供は、臆面もなく全員愛していると断言できる。

しかし、次男坊は特にお気に入りだった。

自分に似て自立心旺盛で要領の良い長男に比べ、不器用で甘えん坊ざかりの次男。

容姿が夫であるシンジの幼い頃と酷似しているのも、贔屓してしまう一因だろう。

…渚夫妻が欲しがる理由も同じなのだろうか?

「ちょうどうちのミレイとも、年が同じだし」

カヲルが更に言い募る。

アスカは答えず、脳裏に渚家の娘の姿を思い浮かべた。

渚ミレイ。夫妻の一粒種。

名前の由来を聞いたら、ほら、北原ミレイって歌手もいるし、だの、レイのミニ版でミレイだよははは、と言われた記憶がある。

ジョークではなく、本当にそうなのだろう。そしておそらく後者であるに違いない。

そう思わせるほど、渚家の娘は母親に瓜二つだった。

違うのは髪型がショートカットではないことぐらいだ。

性格は…素直なよい子だとは思う。

しかし、こちらの息子と同じ年であれば幼稚園児であるのは自明の理。

五歳児の将来を思い描くのは親の勝手にしても、そう育つ保証はない。

ましてや、両親がこの二人では…。

自分のことを遠い棚に放り投げて、アスカは腕を組む。

「やっぱりお話にならないわよ、そんな先のことなんて。大体、あの子たちの主体性を無視してるじゃないの?」

そう答えたとき、渚夫妻の赤い瞳が妖しく光ったのに、アスカは気づかなかった。

「つまりキミは、子供たちの主体性は尊重する、ということだね?」

と夫の方。

「貴女は、子供たちが決めたのなら、干渉しない。それでいいわね…?」

とこちらは妻の方。

「ちょ、ちょっと待ってよ!!」

アスカは焦る。

確かに、子供たちが将来誰かと恋愛するにしても、それは親の干渉するべきことではないだろう。

しかし、それが親の希望と重複させるのはおかしい。いや、そもそも何かが根本的に間違っている…!!

喚いたが、渚夫妻は涼しい表情でお互いにカップを口に運んでいる。

なおアスカががなり立てる中、二人は悠々とカップの中身を飲み干し、安堵の表情を浮かべてみせた。

「いや〜、安心したよ。キミが狭量な人じゃないとわかって」

「良かったわ…とっても」

こうなっては、N2地雷を打ち込もうが何をしようがもうどうしようもない。

そう判断したアスカはサジを放り投げた。

それこそ成層圏まで放り投げ、目前の二人を睨み付ける。

両眼を煮え立たせ、力一杯宣言した。

「あたしたちは、アンタたちの家なんかと、ぜーったい縁戚関係なんか結んでやんないからね!!」

対して、レイは穏やかに微笑んだ。

彼女にしては珍しく、優しく柔らかい笑みだった。

「だから、それを決めるのは、貴女でなくて子供たちだわ」 














































幼稚園の砂場で熱心にピラミッドを造っている三人のこどもたち。

そのうち、一人の男の子が立ち上がる。

「ちょっとおしっこいってくるね!」

元気よく叫び、学舎へ向けて走り出す。

まるで跳ねるような足取りに合わせて、胸の青リンゴを模したネームプレートが揺れた。

『いかりりゅうじ』

とマジックで書かれた名札が記すように、これがこの少年の名だ。

用を足し手を洗い、砂場へと戻る道すがら、リュウジは滑り台とブランコの奥の茂みに身を滑り込ませた。

そこには、同じ年頃の幼稚園児がいた。少年と同じく青リンゴの名札をした女の子。

名札には、

『なぎさみれい』

とあった。

見慣れた顔なのに、なんとなくリュウジはウサギを思い出した。

つい先週、両親から連れていってもらった動物園の触れあいコーナーにいた、純白のウサギ。

全然日焼けしていない真っ白な顔。そして大きな赤い瞳が、ゆっくりとこちらを見上げてきた。

「おかえりなさい…」

深々と三つ指をついて頭を下げる姿は、五歳の女の子にしては様になりすぎている。

ゆっくり頭を上げれば、これまた色素の薄いストレートヘアーがサラサラと流れる。

「ごはんにします? それとも、おふろ?」

困惑気味に頭を掻きながら、それでもリュウジは玄関と指定されている部分から足を踏み入れ、少女の側へと近づいた。

「ええとね、みれいちゃん…?」

「はい?」

可愛らしく小首をかしげる幼なじみに、リュウジはおそるおそる言う。

「おままごとといっしょにすなあそびもするのは、ちょっとたいへんだよぉ…」

「べつにいいですよ、おとうさんはお外ではたらいてくるものです」

喋りながら、少女はせっせと葉っぱを丸めている。

丸め終えた葉っぱを、カラフルなプラスチックの皿にのせて差し出しながら、

「そして、おかあさんは、おうちでご飯をつくったり、そうじをしたりするんです」

にっこり微笑まれ、リュウジは、まあいいかとばかりにどっかと地べたに腰を下ろし、葉っぱのご飯を食べたふりをする。

「ごちーそーさま」

「おそまつさまです」

互いに頭を下げてから、リュウジは元気よく立ち上がった。

「じゃあ、しごとにいってきます」

「いってらっしゃい」

笑顔でおかあさん役の少女が送り出してくれたが、そこではたとおとうさん役の方が足を止めた。

「でも、このおままごと、なんかへんだよ?」

「…そうですか?」

小首を傾げる少女に、少年は元気よく言った。

「だって、ボクんちじゃ、まいにちおとーさんがご飯つくったりそうじしたりしてるよ?」









幼稚園のバスから降り立つ男の子と女の子。

仲の良く手を繋いだリュウジとミレイである。

出迎えるのは、女の子の方の母親、渚レイだ。

男の子の方の母親が見たら驚きそうな明るい笑みを浮かべ、娘とその幼なじみを出迎える。

「おかえりなさい、リュウジくん…」

同じ幼稚園に通う碇家の次男坊が、送迎バスを途中下車して渚家を訪問する姿は良く見られる。

そのたびに、碇家の母親はあまりいい顔をしないのだが、無邪気な息子は気づかない。

徒歩数十メートルで渚家に着く。

碇邸には及ばないが、立派な総二階建ての新築である。

「さあ、あがって…」

レイに促され、碇家次男坊は控えめに挨拶をして玄関から上がり込んだ。

「おじゃましま〜す」

他人の家には独特の匂いがある。

渚家の匂いは、少年にとって既に馴染み深いものだった。

廊下の突き当たりを右に曲がり、居間へ。

明るい、和洋折衷の色合いの強い居間のテーブルの上には、所狭しとお菓子が並べられていた。

エクレア、ラスク、ロールケーキ、レモンパイ、ピーチゼリー、杏仁豆腐…。

父の手作りとは違い既成品だけど、全部リュウジの好物ばかり。

目移りして、全部つまみたい衝動に駆られながらもじっと我慢。

料理もお菓子も、少しづつ手をつけて残すのは、一番失礼なこと。

母の教えが、石碑のように少年の心の中に鎮座している。

結局、レモンパイだけを頬ばっていると、ミルクティーを持った幼なじみがやってくる。

「はい、どうぞ…」

少女のかいがいしさを気にもとめず、少年は存分に欲求を満たした。

おやつが済めば、隣室へと場所を移し、子供二人は遊び始める。

渚家には娘しかいないのに、この男の子向けのオモチャの充実ぶりはなんだろう?

巨大ロボットとバービー人形を戦わせ、プラスチックの刀でオモチャの野菜を切断する。

その光景を、ひたすら優しく見守るレイ。

散々遊び倒した後、碇家次男坊は言う。

「そろそろぼく、かえらなきゃ…」

「…そう」

なぜか悲しそうな顔をする幼なじみの母親の表情の変化の意味も、少年には分からない。

それじゃあお迎えに来てもらいましょうか、とレイが受話器を取ったとき、折良く旦那のカヲルが帰ってきた。

自家用車代わりのマウンテンバイクにまたがったまま、彼は碇家次男坊の搬送を二つ返事で引き受けた。

「さあ、しっかりつかまってるんだよ?」

マウンテンバイクから荷台のあるママチャリに乗り換え、カヲルは首だけ後ろを振り返る。

「うん! …じゃあ、ミレイちゃん、またあしたね!」

荷台に腰を下ろし、元気にリュウジは見送りに来た幼なじみとその母親に手を振った。

「じゃ、送ってくるね」

妻と娘に軽くうなずき、カヲルはペダルを踏み込む。

目前のバイオレット(ラメ入り)のスーツ姿の腰に手を回し、リュウジは一度だけ背後を振り向いた。

スピードを上げていく自転車に比例して親子の姿が遠ざかっていく。

もう一度だけ盛大に手を振って、リュウジは掴まえる手に力を込めた。

薄暗くなった景色の向こうに、オレンジ色の夕日の境界線が見える。

少し冷たくなった風に、夕方の独特の匂いが混じり始めた。

夕餉の支度の匂い、行き交う人々の匂い…。

清涼系のコロンの香りがするスーツ姿に後ろからひっつきながら、少年はこの匂いも決して嫌いではなかった。

これから家に帰るという期待感は、黄昏時の寂しさを駆逐してくれた。

それにこの時間は、いつも誰かが自分の手を引いてくれていたから。

「ねえ、リュウジくん。ウチのミレイのことは好きかい?」

前を向いたままのカヲルの弾んだ声に、リュウジは顔を上げる。

「うん、大好きだよ!」

そう答えるのに躊躇はいらなかった。

「おじさんもおばさんも、みーんな大好きだよ!」

少年は、皆が大好きだった。優しくしてくれる人々に、無条件で好意を抱いている。

幼さ故の純真さと知りつつも、カヲルは更に声のトーンを上げた。

「そうか。よかった。ミレイもリュウジくんのことが好きだよ。もちろん、ボクも大好きだけどね」

生憎と自転車を漕いでいるので、顔も半分だけしか振り向くことができない。

その業界では百万ユーロの笑顔と称される白磁の頬の片方だけを晒して、カヲルは破顔した。

「うん!!」

元気よく返事をして、更にしがみついてくる姿がたまらなく愛おしい。

口元を綻ばせながら、カヲルは更に話しかけた。

「もし、リュウジくんが良かったら、ウチのミレイのいいなづけになってもらえないかなあ?」

「…いいなづけ?」

小首をかしげる少年をよそに、カヲルは陶酔の表情を浮かべた。

「いいなづけはいいねぇ。人類の生み出した文化の極みだよ…」

遠い目をし始めたおじさんを余所に、少年は自分なりに考え続ける。

いいなづけ、という言葉自体初めて聞くモノだ。

でも、響きからして、たくあん漬けとか白菜漬けとかの仲間だろうか?

リュウジの頭に浮かぶのは、自分の家の食卓だ。

しょっぱいものがあまり好きではない母にあわせて父が漬けるのは、かなり甘口の漬け物ばかり。

もちろん、子供たちにも大変好評なのであるが…。

でも、漬け物の仲間なら、「いいなづけになってくれ」という意味が通らない。

…ぼくが漬け物になるの…??

混乱した少年は、質問することにより問題の解決をする方法を選択した。

「えーとね、ぼくがいいなづけになると、ミレイちゃんはうれしいの?」

「ああ、もちろん。きっとリュウジくんも嬉しいと思うよ。なにより、おじさんたちも嬉しいしね」

淀みのない返答に、リュウジは即座に返した。

「じゃあ、ぼく、ミレイちゃんのいいなづけになる!!」

元気いっぱいの返事に、カヲルは娘と同じ赤い瞳を細める。

「そうかい、それは良かった…」

呟きと呼ぶには情感と熱が籠もりすぎた言葉の意味を、リュウジは察することはできなかった。

なぜなら、自転車はもう碇家の前に到着していたから。

「じゃあ、リュウジくん、ここでね」

敷地内への入り口に幼い身体を荷台から降ろしてやり、カヲルは微笑みかけた。

本当は玄関まで送っていきたいところだけど、自分が姿を見せると、いいなづけを確約してくれた少年の母親のほうがあまりいい顔をしないのである。

いわんや、それが送ってきたともなれば。

だから、このような時、カヲルは早々に退散を決め込むことにしている。

「うん、ありがとう、おじさん!」

リュウジの方も、さして疑問に思わないほど慣らされてしまっていたし。

「じゃあね」

片手を上げ、おじさんと呼ばれるのは実際な酷な年齢の笑顔を残し、カヲルは自転車をUターンさせた。

その姿が見えなくなるまで手を振ってから、リュウジは家に入った。

玄関でクツを脱ぎ散らかし、五歩ほど進んで慌てて戻る。

丁寧にクツをそろえ直してから、パタパタという足取りでリビングへ駆け込んだ。

とその前に、手を洗いうがいをするのも忘れない。

「あら、おかえり、リュウジ」

長い金髪は束ねた母親は、食卓を拭いていた手を止め、次男坊を迎え入れた。

「ただいま、おかーさん!! えーとね、今日はね…!」

その日あったことを報告するのが日課なのだ。

端正な唇を綻ばせながらも、渚家によったくだりで母が渋い顔をした。

リュウジには、そんな機微が分からない。

ゆえに父親は、「あんたの鈍感さが遺伝したのよ!」と母に理不尽な叱責を受けてたりするのだが、もちろんそれにも気づかない。

そんな父の遺伝子を色濃く受け継いだ次男坊は、元気いっぱい報告を続けている。

そして報告も終盤にさしかかり、自転車で家まで送ってもらった所まで来た。

母親の苦虫を噛みつぶしたような表情も気づかぬまま、リュウジは無邪気にとびっきりの爆弾を投げつける。

「あ、そうだ。ぼく、みれいちゃんのいいなづけになったんだよ!」

息子の得意そうな発言と裏腹に、アスカはその場で派手にひっくり返り、強烈に床に額を打ち付けていた。

何事かとキッチンから駆けてつけてきたシンジにすがり付き、涙目で何かを訴え始めた母親を、リュウジは不思議そうに眺めるだけだった。






…これからも連綿と続いていく碇家史上、母を昏倒させてのけたのは、後にも先にもこの次男坊だけである。















































ある日、赤い瞳の父親は幼い娘に言った。

「いいかい? 贈り物というものには、どんなものにせよ意味があるんだ。

 そして、物より贈り主のほうが重要なんだよ。なぜなら、贈り物をするのは好意のあらわれなのだから」

神妙な幼い赤い瞳が、真剣に問い返す。

「でも、サンタクロースさんはどうなんです?」

父親は滑らかな頬を崩して答えた。

「好意にも二つあるんだよ。つまりは、ボクやお母さんの好きと、もう一つ。

 サンタさんのは、ボクらの好きと変わらないのさ」

難しい物言いに、娘は黙り込む。

それをまた楽しそうに眺め、父親は娘のストレートヘアを指先でくすぐった。

「そのうちミレイにも分かるさ。だから、後はその気持ちを大切にするんだよ…」












































「うわぬぅたぁ くうわりぃいわぁ ぬわぃいですくうわぁぁあ♪」

碇家のリビングに、調子っぱずれの歌声が響く。

歌い手は、驚くなかれアスカである。

彼女は、流行のポップスや果ては英語ドイツ語圏の歌までそつなく歌いこなすが、どうも日本の歌謡曲の「こぶし」の概念が把握できないらしい。

結果、子供たちからまで不思議がられる始末だ。

「おかーさん、何でそんなヘンな歌、うたうの?」

邪気のないストレートな一撃だったが、全くダメージを受けた様子もなく、アスカは胸を張る。

「これはね、日本で編み物をするときに口ずさむ、由緒正しい歌なのよ?」

ああ、ここにも間違った日本文化の担い手が一人。

ふーん、などと大人しく日本の伝統やらを拝聴する次男を傍らにおいて、アスカは最後の一編みを仕上げた。

「さあ、出来上がりぃ!!」

バッと両手で掲げたそれは、真っ赤な毛糸の塊にしか見えない代物だった。

しかしこれこそは、制作に実に一ヶ月以上費やしたアスカ手編みの靴下。

「あ、出来たんだ。良かったね、アスカ」

歓声を聞きつけてやってきた旦那のシンジはそう評した。

特に出来に対するコメントはない。

炊事、洗濯、掃除はこなせる万能主夫型決戦兵器たるシンジも、縫い物や繕い物は苦手なのだ。

ついでにセンスも持ち合わせていないのは、仕方のないことだろう。

呑気に互いに品評しあった両親の視線は、一番身近な次男坊に集中した。

既に逃亡している長男は勘が鋭いというかなんというか。

「さ、ちょっと、この靴下、履いてみなさい?」

「え〜、やだよ、おんなのこみたいな色だもん」

ブーたれる次男坊リュウジ。この年頃の男の子は、赤やピンクを女の子色と忌避する傾向が生まれるものなのだ。

「いーから! だいたい、赤は戦隊もののリーダーの色よ?」

抱え込まれ、殆ど有無を言わさず履かされてしまう。

不服そうな息子に苦笑しながら、シンジは別のモノをもって近づいた。

「はい、これ。明日は、忘れないで幼稚園にもっていくんだよ?」

渡されたのは包み紙。

「はーい!」

父の声に元気よく返事をし、リュウジは幼稚園の鞄に包み紙を仕舞い込んだ。

「ちゃんと、その靴下も、明日はいていくのよー?」

母の声に、リュウジは、この少年にしては珍しく悲しそうな顔をした。







明けて翌日。

第三新東京市丸独幼稚園は、現在クリスマス会の準備に追われていた。

メインは、園児の年長組によるツリーへの手作りの飾り付けだ。

ふんだんに折り紙のリングや星が作られ、金色と銀色の紙の取り合いが行われたのはよく見られる光景。

それでもどうにか飾り付けは終わり、いよいよ仕上げに入る。

園児各自、それぞれ持ってきたそれをツリーに吊す。

それは、両親のものかはたまた新しく買って貰った物か、大きい大人用の靴下だ。

この中に、夜の内に園長がサンタクロースを称してお菓子やらなにやらのプレゼントを詰めていくのである。

「あっ…」

短い声は、明らかに動揺を示していた。

さっさと吊し終えた男の子のグループが、声の主に視線を集中させた。

「あ、なぎさのヤツ、クツシタわすれてきたらしーぞー」

「サンタさんからプレゼントもらえないぞー」

「あー、いけないんだーいけないんだー」

…一言でいってしまえば、渚ミレイという少女は特異な存在だった。

容姿が一般人離れしていることはもちろん、言動も年齢に反して大人びたものである。

そのような異質の存在に対し、子供たちは残酷だ。

好きな子ほど気になる子ほどいじめたくなるという感情も無いわけではないのだろうけど、無邪気さのほうが勝る。

まして、渚ミレイという少女は泣き叫ぶタイプでもない。

ほろほろと涙を流し、しゃくり上げるように泣くのだ。

反撃してこない者に対し、幼い無邪気さはより加虐性を帯びる始めた。

更にからかい始めた園児三人の間に、スッと割って入った影がある。

何を隠そう完全無欠の幼なじみにして碇家次男坊、碇リュウジだった。

明らかにたじろぐ男の子たち。

この碇リュウジという少年も比較的大人しい部類に入るのだが、どこか底知れぬ不気味さを感じるのだ。

背後に漂う威圧感。

すぐ側に親のサーベルタイガーが控えている虎の子という表現がしっくりくるのだが、幼い少年たちとっては本能的に回避するべきものに感じられたらしい。

それ以上からかう気をなくしたらしく、そそくさと行ってしまう。

意地悪な園児たちに背を向け、リュウジは幼なじみへと向き直った。

「みれいちゃん、クツシタ、忘れてきたの…?」

真っ白い頬にくっきりと涙の筋を残したまま、渚家の娘は頷いた。

これは、几帳面な彼女にしては希有なことである。

なにせ今まで忘れ物などには無縁なのだ。

それを不思議に思うよりも早く、碇リュウジは行動を起こしていた。

何よりまず、みれいちゃんの涙を止めなきゃ。

保育士が騒ぎを聞きつけ、忘れてきた園児のための予備の靴下をもってくるより早く、彼はそう判断した。

なんと、自分が履いていた靴下を脱ぐと、幼なじみへと差し出したのである。

それは、母が先日完成させたばかりの毛糸の靴下。

編み込みが甘いため、緩く隙間だらけの毛糸は、ちょっとした大人ものくらいの大きさになっていた。

「この、赤いクツ下でよければ、かたっぽあげるよ?」

きょとんとした表情で、靴下を差し出す幼なじみを眺めるミレイ。

「…いらない?」

直後、ぶるんぶるんと綺麗なストレートヘアーが左右に振られた。

小さな白い手が、赤い靴下を掴む。

互いに微笑み会った幼い二人は、しっかりとツリーの下に、その赤い靴下を吊した。





















帰った後、母からクツ下の片方の行方を追及されるのは分かっていた。

そうなったら、全て正直に話そう。

リュウジはそう覚悟を決めていた。

決して悪いことをしたのではないのだから。遊んで無くしたりしたわけじゃないのだから…。

予想に反して、母は何も言わなかった。

事情を聞き出してから、ただ青い瞳で息子を悲しげに見下ろしただけだった。

きっと、一生懸命作った靴下をあげちゃったことを悲しんでいるんだな、と幼稚園年長組の次男坊は解釈し、ますます身を縮こまらせた。

事実は違う。

ましてや、その悲しみの中に憐憫が混じっていたなど、少年に看破のしようもなかった。

当然、帰宅する数分前に渚家から、「結納品はもらったから」などという謎の電話があったことも。

最後に一言、母は言った。

「…アンタが選んだんだからね? 責任は持つのよ?」

「…? はい」

とりあえず神妙に頷く息子に背を向け、アスカは頭をかいた。

みょうちくりんな身内を、いずれは親戚と呼ばなければならない未来を軽く嘆きながら。













そして渚家の一人娘はというと。










結局、渚ミレイはその片方ばかりの靴下を大事にし続けた。

幼稚園のクリスマス会が終わり各自に返還されたわけだけど、中に満たされたお菓子より赤い靴下の方が嬉しかった。

それは大事な大事な宝物。

彼女にとって何物にも代え難い、好きな人からの初めての贈り物だったのだから。

その赤い靴下は、彼女がお嫁にいったあとも(正確にはお婿に迎えたあとも)大事にされ続けた。

もちろん、彼女(彼)が初恋を実らせたのは、記すまでもない。





























おしまい








2005/1/4




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