転がる瓦礫。銃痕が刻まれた壁。

薄暗い廊下は電気系統も半ば死んでいる。

所々にともる非常灯と、先行した侵入者が置いていってくれた簡易照明だけが辛うじて進むべき道を指し示していた。

「…うわ〜…えぐいわねえ…」

仄かな灯りの下で、壁に斜めに飛び散った血痕を見て顔をしかめる人影がいる。

既に変色して久しいが、陰影のせいか妙に生々しく映えた。

それでなくとも、照明がきちんと生きてさえいれば、あの時の虐殺はより凄惨な光景を投げかけてきただろう。

平穏だった記憶のそれとは様変わりした、無惨極まりない姿を。

転じて、照明が曖昧で救われているともいえる。

「あんまり見ないほうがいいよ…」

おずおずと提案した声は、先ほどの少女の声と別の少年のものだった。

「そうね。みんな助かっているとはいってもね…」

珍しくあっさりと少女の声が折れる。

「それより、急がないと」

少年の急かす声に、少女のシルエットはぐらりと揺れた。

「わかってるわよ。でも、暗い上に視界が半分しか効かないのよ、あたしは?」

「あ……ごめん」

「ったく、本当にいつまで経ってもアンタは壊滅的にボケボケね! …さあ、手ぇ貸しなさいよ!」

「う、うん…」

おずおずと差し出した少年の手を掴む少女の左手。無傷な左手。

薄闇に、片目を包帯で覆った白い顔を映し、少女は歩き出す。

少年に手を引かれて、半壊した廊下を進む。

彼女の名前は惣流・アスカ・ラングレー。

少年の名前は碇シンジ。

両名とも、実に一年ぶりのネルフ本部への来訪だった。

ときに、2017年、三月末のことである。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「やあ、二人とも、久しぶり」

その場所では、仄かなコーヒーの香りと、日向マコトの声が出迎えてくれた。

廊下とうって変わって電子機器の灯りに溢れる部屋である。

ネルフ本部第三実験場コントロールルーム。

「ここまで来るの、結構骨が折れたろ? 一般出入り口から一番遠いからなあ…」

青葉シゲルのねぎらいの声も、この場所に至るまでの事情が含まれている。

比較論ではあるが、施設の中央から最も端にある利便性の悪いこの実験場。

それが結果として、あの日の業火も掠めるだけに留まったのだ。多分に幸運が重なったものにせよ。

2016年の静かな夏の惨劇。

日本政府による特例A−801の発令。

戦略自衛隊によるネルフ本部直接占拠。

それは、ヒトという同一種の救われない殺し合いだった…。

その場に居合わせた全員が、一様にその時の出来事を脳裏に思い出したからだろう。

一挙に重苦しくなった空気を払拭するように、伊吹マヤが殊更明るい声を出す。

「そ、それより、二人とも、中学校卒業おめでとう。来月から高校生ね」

声の先にはうつむいた少年少女。

弾かれたようにシンジは顔を上げ、こちらもややぎこちない笑顔で応じた。

「…ありがとうございます」

ところが、その隣に立つアスカの表情は、少年に準じなかった。

「ま、順当にいけばね…」

呟くような声に内包される性質。

諦めか妥協か達観か喜びか、それとも不安か。

誰もがその声の意味に思いを馳せ、至り、またぎこちなく口を閉ざす。

今から行われること、そしてその意味を彼らは誰よりも知悉していたから。

基本的に喜ぶべきことなのだ。思いやりでもある。しかし、それ相応のリスクも否めない。

なのに、本日ここに全員が集まったことが、この計画遂行の全体意志と見てもよいだろう。

なにより、その中核たる少女が姿を見せた以上は。

作り笑いを浮かべたまま、マヤはそっと膝上の資料の表面を撫でる。

ひたすら安っぽいコピー紙の束には付箋がびっしりと貼られていた。

また、それほど古いものとは思えないのに、所々が擦り切れ摩耗していた。

飾り気のない表紙の中央へは、明朝体でこう記してある。

「セカンドチルドレン再生計画」と。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





有り体にいえば、ゼーレの計画は破綻したといえる。

サードインパクトによる全人類の意志の統一も、媒介となった碇シンジの決断により回避された。

それでも、計画自体は限りなく最終段階までは達成されていたことは否定できまい。

人々の心の境界線を剥奪し、肉体という殻からの意志の解放。

全人類が命の水に還元されてしまったという、非現実極まりない世界。

当然世界は大混乱に―――陥らなかった。

笑えるほど粛々と日常的な生活が復興されてく様を、誰もが不思議にすら思わなかったに違いない。

仮に、全世界を鳥瞰できる存在がいれば、人々が形を取り戻していく様が恐ろしく滑稽に鑑賞できただろう。

それはさながら、アメーバが蠢くにも似て。

黄金の海原から弾けるように散った飛沫が、水玉が、人の形を取り戻していく。

それぞれが正しい場所で。瞬間的に。

世界の時間に当て嵌めれば、サードインパクトが発生後、わずか0.00001秒の間断もない。

全てが毫ほどにすら満たぬ時間で完結したのである。

果たして、体感的にこれを認識できた正常な人間はいただろうか?

意識の隅になにやら残滓めいたものが残っていたにせよ、多くの人々はそのまま生活を継続していた。

極少数の人間の中に直後に違和感を抱いたものもいたが、具体的に表現する術を見いだせないでいた。

主観的には何も変わっていないのだから無理もない。本当に一瞬の間だけ世界中の人間の意識が一体化したなど、誰が想像できよう?

つまるところ、このような個人の内面レベルの無害な混乱のみが、直接的なマイナス要因と形容できるかも知れない。

そんなささやかすぎる混乱に対する巨大な恩恵。

一つは死者の復活。

おそらくサードインパクトが発生するわずか前の時間に遡って、失われたはずの命が根こそぎ甦ったのである。

ただし、これは日本のとある街と施設の周辺のみに留まる。

さらにもたらされた全世界的なもう一つの結果こそ、奇跡の名に値する出来事だった。

大事故で死にかけていた青年は不思議そうに折れた肋骨のあたりをさすり、一生立てないと診断されていた下半身不随の少女は取り戻した高い視界に驚愕の笑みを浮かべている。

植物状態のままベッドに横たえられていた老人は鮮明な視界と動く手足に戸惑い、聴覚障害だった少年は初めて耳にする潮騒に感動の涙を流す。

そう、不治の病や怪我で伏せっていたはずの人間は健康を取り戻したのだ。

圧倒的な目に見える奇跡へ合理的な説明が求められたが、誰一人真実を公言したものはいなかった。

また、多くの人々は原因を明確にせずとも、日々を生きていく。消化されていく。ただ、世界に冠たる一神教が比較的信者数を増加させてたとの統計は認められている。

結局、およそ半瞬で世界破壊され、同じ速度で復元されたと言えるのかもしれない。

もっともそれらを認識できたのは、サードインパクトという計画へ参画していた人間、計画の中心へとより近かった人間だけに留まる。

もちろん、彼らも恩恵を受けて甦ったからこそ考察をすることができたのだが。

その死者が蘇った惨劇の地にて起きた混乱は、世界規模に比べいささか深刻だった。

殺された者、死んだ者同士が額を付き合わせおそるおそる自分の頬に触れる。

なぜ、生きているんだ? 一体なにが起きたんだ?

みなが状況を把握できず戸惑う中、気丈な者の一人が、安全圏で指示を出していた上司と連絡を取ることに成功。

俗的に記せば『毒気を抜かれた形で』急遽休戦協定が結ばれた。

当事者たちからは責任者が選出された。組織の上層部間の指示も踏まえ、決して長くない協議が執り行われるに至る。

とりあえず、全員が郊外へと退避。

更に重ねられた協議の結果、速やかな計画の抹消が望まれた。

関係者の万人の総意を受けた結論は、出来うるかぎりの速度で実行されたのは事実である。

徹底的に。周到に。秘密裏に。不明瞭に。

ただし、それは完全ではなかった。表沙汰に出来なかったからこそ完全ではなかったともいえる。

今現在、ネルフ第三実験場に吊されたそれが、その間隙に乗じて修復されたものに他ならない。

それは、全体にバカバカしいほど大きな布が被せられ、中身は伺えない。

布の隙間から這い出した用途不明の幾筋ものパイプと、布越しのシルエットが辛うじて内容物の姿を推測させた。

これは―――巨大な人の上半身ではないのか?

静かに響く胎動。

不気味な唸り声にも酷似したそれは、布の下の何者かが発しているようにすら思われる。

もちろんそれは錯覚だ。

これは久々に火を入れられた各設備が発する駆動音。

密かにプールされた電力がケーブルを駆けめぐり、一時的にオリジナルMAGIの枷を解き放つ。

往年の最先端技術が投入されたネルフ本部の実験施設は、未だ世界でもトップクラスのスペック水準は満たしていた。

前置きもなく無言で機器のチェックを開始する、元ネルフオペレーターの三人たち。

所在なさげにたたずむのは、少年少女たちだけということになる。

沈黙に居たたまれなくなったシンジの方が動く。

魔法瓶から二つの紙コップに中身を注ぎ、片方を壁に寄りかかる少女へと手渡した。

「…ありがと」

アスカはそう応じはしたが、口を付けようとせず徒に両手の中で熱を消費させていく。

それはシンジも同様で、さして好きでもないブラックのコーヒーの表面に自分の顔を反射させている。

この期に及んで、隣に立つ少女へかけたい言葉は山ほどあった。

いや、こうなればこそ。

チラリと、こちらに背を向けてコンソールと向き合う三人組の姿を見やる。

誰も聞いていない。聞こえても知らないフリをしてくれるはず。だったら…。

意を決してシンジが口を開きかけたときだった。

「みんなおまたせ〜」

やたら脳天気な声を響かせ、コントロールルームに入ってきた影がある。

オレンジ色のつなぎの上半身を脱いで、黒いタンクトップ姿だ。

所々に真新しい汚れが散見できるところから察するに、ついさっきまでどこかのダクトに身体を突っ込んで、機器の物理的なチェックでも行っていたのか知れない。

推論を裏付けるが如く、セミロングの黝い髪は埃にまみれていた。その髪の色の持ち主で、ネルフ関係者で、かつ脳天気な挨拶が出来る人物など一人しかいない。

葛城ミサトである。

「いやー、派遣の連中も結構やっつけ仕事でねー。配線とかかーなーり適当でねー」

訊かれてもいないことをガハハと笑いながら話し、ついでにアスカの手からコーヒーを引ったくってグビグビと飲み干している。

「仕方ないわ、謀ってさせた仕事ですもの」

そう応じたのはミサトの後に従って入室してきた人物で、くたびれた白衣と金色に染められた髪が非常に対照的であった。

「お疲れ様です、先輩」

マヤがコーヒーを手渡す。彼女の発言から推し量れるようにこの白衣姿は赤木リツコのものだった。

黒縁眼鏡を外し肩をほぐすリツコの表情は疲労の色が濃い。

コーヒーを一口だけ含んでから、彼女は室内をゆっくりと見回す。壁際の少年少女を見やったときだけ、僅かながら目が細められた。

それでも、リツコは努めて明るい声で告げる。

「準備は…これで完了ね。では、最終ミーティングを行うわよ。いい?」





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「…パイロット、エントリープラグに搭乗しました。これより接続作業を開始します」

灯りの落とされたコントロールルームにマヤの声が響く。モニターライトだけが彼女の顔と室内を青く染め上げていた。

「了解。接続シークエンス開始。内圧、接続パルスともに正常値………接続完了。問題ありません」

マコトの声も淀みないものではあったが、声質とは裏腹に、表情には露骨に安堵の色が浮かんでいた。

それは無理もない。強化ガラス越しに見える光景と、これから行う計画の難度を鑑みれば、ここまで巧くいったことさえ驚嘆ものだ。

第三実験場に吊された巨大なそれは、現在掛けられていた布も剥ぎ取られ、その姿を晒している。

エヴァンゲリオン弐号機。

エヴァシリーズ初の量産タイプ。

戦略自衛隊のネルフ侵攻の際孤軍奮闘したものの、その後ゼーレにより投入された他量産機により蹂躙されつくした真紅の機体…。

もはや地球上には一体しか存在しないエヴァンゲリオンである。

しかし、公式にはその存在は抹消されていた。国連への報告書へも、解体処分済みと記されてある。

それがなぜここに存在するのか。

理由は、これから行われる作業、いや、秘儀に必要な聖なる道具であるからに他ならない。

だが、その重要性に反し、旧ネルフスタッフの目前に晒されたその姿は無惨の一言に尽きた。

原型を留めているのは上半身だけなのは勿論だが、腹部あたりから露出する内臓部分が痛々しくも生々しい。

辛うじて破損箇所の処置はしてはあるものの、いっそ稼働するのが不思議なほどに思える。

国連から派遣されていた技術者や管理官の目を謀り、大破した弐号機を回収・搬送、あまつさえここまで修復させてのけたリツコを筆頭にした旧ネルフのスタッフの尽力こそ筆舌に尽くしがたいものであったであろう。

しかしシンジは、旧ネルフ陣の労力を慮るよりも、弐号機の痛々しい姿に眉を顰めるよりも、その中に乗り込んでいる少女のことをひたすら案じていた。

彼なりに今回の計画書は熟読していた。数値や専門用語はわからねど概要は十二分に承知している。なにせ、自分自身で体験したことだ。

だから、なおのこと、今回の計画は無謀にも思えた。しかし、反対は出来なかった。アスカが決めた以上。

自分でも、そう覚悟したじゃないか。

『…久しぶりね、こうやって乗り込むのも』

コントロールルームに響く少女の声が、シンジの顔を上げさせた。

「どう? いけそう?」

応じたのはミサトの声。

『だーいじょうぶ! 別に動かして闘うわけじゃないんだからさ!』

明るい声にオペレーターの面々からも苦笑が漏れる。



ただ、シンジだけが微妙なアスカの心情の機微を看取していて、笑えなかった。

アスカだって怖いのだろう。怖いと思う。

でも、敢然と立ち向かっているじゃないか。そんなアスカだからこそ、僕は…。

少年の思惑に反し、着々と計画は進行していく。



「問題なさそうね。…アスカ、それじゃあそろそろ第二フェイズに移行するわよ」

レシーバー型のマイクに話しかけながら、リツコの両指は熟練の速度でキーボードの上を踊る。

『OKよ! じゃあ、みんな、お願いね!』

室内のそれぞれの声が応じる中、リツコのみがさりげなく部屋の隅に身を引く。

「…じゃあ、アスカ、頑張ってね」

『はっ! アンタに心配されるほど落ちぶれちゃいないわよ!』

「………」

最後になんとも言えない顔でシンジが引き下がったのを確認してから、小声でリツコはアスカに話しかけた。

「アスカ、本当に覚悟はいいの?」

声に込められた意味を察したのだろう、リツコのレシーバーの奥でアスカの息を呑む音。

『…これって、秘守回線よね?』

「ええ。私たちだけにしか聞こえないわ」

『そう。じゃあ……とりあえず、お礼を言うわ、リツコ』  
 
今度はリツコが息を飲む番だった。咄嗟に声を出せぬ間に、アスカの台詞は続いている。

『だって、もう保たないんでしょ、あたしの身体?』

「…知ってたの…」

呻くようなリツコに、アスカの物言いはあっけらかんの見本のようなもの。

『自分の身体だもの、自分がよく分かるわ。精々あと数年でしょうね、生きられるのは…』

まあ、バカシンジも気づいていないでしょうけど。

そう付け足して笑ってのける態度は、同年齢の少女と比して豪毅と賞賛できるかも知れない。

が、リツコにとってはひたすら痛々しく思えた。未だ深手を負った少女の身体と、半壊した弐号機が重なってみえ、彼女は慌てて頭を振る。

「こちらも最善は尽くすわ。…じゃあ、後で会いましょう」

『うん、よろしく〜』

守秘回線を切った後も、しばらくリツコは部屋の隅に佇んでいた。

彼女の顔の上をどのような表情が流れ落ちていったのか。

堆積した闇に飲み込まれ、それは誰にも知ることはできなかった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「セカンドチルドレン再生計画」

元々は、計画の最も中核に近かったのに一人多大な傷を負った少女に対する憐憫に端を発している。

多くの人間は恩恵を受けたのに、なぜに彼女一人だけが?

この上なく不公平な意志は誰に拠るものか。

それを追求する上で、碇シンジもその責を負わざるを得ない。自覚せざるを得ない。

ゆえに、この計画は、アスカのみならずシンジへ対する救済も示唆しているものといえる。

但し、成功したとすれば。

成功率は、理論上は不可能ではない、という形容詞に毛が生えた程度。
 
実際、過去に二度同じことが行われ、1度目は失敗。2度目も成功したとは言い難い。

くわえて、今回使用するのは初号機ではなく弐号機である。しかも瀕死の体の。

だがこれもやむを得ない事情が存在する。だいたい現存するのは弐号機だけであるし、加えてアスカがシンクロ出来るのも同機だけである。

やや乱暴に計画の手順を列挙すれば以下のようになる。


@パイロットを搭乗させての人為的な過剰暴走

A過剰同調による搭乗者の自我境界線の喪失

BLCL化した搭乗者のサルベージ 


この計画の要は、最後のサルベージ過程にあると断言してもよい。

サルベージする段において、以前の二度のサルベージ手順を踏むのは勿論だか、ネルフ施設が健在だったころテストで採取したバイタルデータを使用。

それを元に、惣流・アスカ・ラングレーの痛んだ身体を健康体に組み直す…。

エントリーされて30分ほど経過した。

「無理はしないでね。気分が悪くなったらすぐ中止するから」

心配するミサトの声に、アスカが皮肉混じりに応じる。

『そんな時間かけちゃいられないわよ…。だいたい余剰電力なんてロクロクないんでしょ?』

笑い声は漏れるが、その表情はみな一様に硬い。

アスカの指摘は全くの事実で、政府の目を掠めて一ヶ月溜め込んだ電力も、どうにか12時間この第三実験場を稼働するだけで精一杯なのだ。

つまり、今回失敗すれば、次回は最低でも一ヶ月後。

しかしながら、次回も万全で挑めるという保証すら覚束ない。

要は、今回限りの一回勝負といっても過言ではないのだ。

表情にこそ出さないが、皆が緊張している。

シンジに至っては我知らず手を開閉するという昔のクセを再発させていた。

――――そして6時間が経過した。

既に残された時間の半数が消費されたといえる。

この部屋唯一の大型モニターに表示された各種データ。

表示されるシンクロ率は48%。

当初はシンクロすら危ぶまれていたゆえに、この成果には感嘆の声があがった。

しかし、それからピクリとも動こうとしない。

全員に疲労の色が濃い。

暴走がいつ始まるか、まったく予断を許さないからだ。

いつ第三フェイズに移行しても対応できるよう、常に気を配っていなければならない。

コントロールに張り付く必要もないシンジとミサトだけが交代でお湯を沸かしたりちょっとした食べ物を配ったりしてはいたが、必然的に口数は少なくなっていく。

搭乗しているアスカが一言も発さないからだ。

彼女の苦悩、苦悶が推し量れるだけに、シンジの口は更に重くなる。

もしかしたら、人為的な暴走など不可能ではないのだろうか。

やっぱりこの計画自体無理があったんじゃないだろうか。

シンジはますます口を硬く引き結ぶ。

口に出してしまえば、それが真実になってしまいそうな気がしたから…。

劇的な変化が訪れたのは、更に1時間後だった。

最初はシンジは見間違いかと思った。

しかし、強化ガラス越しの弐号機は、徐々に開口していく。

やがて迸る咆哮。

堰を切ったように跳ね上がるシンクログラフ。

そして―――アスカの絶叫。



「いやあぁあぁぁああああああああああああああああああああ!!!!!」





「どうしたのっ!?」

ミサトの怒声にも近い悲鳴に、リツコの落ち着いた声が対峙した。

「予測通りだわ。過剰シンクロに至るまでの心理的なトラウマの解放。もしくは現状の弐号機の破損状態のフィードバック…」

いずれかが、アスカの肉体と精神どちらかに残酷な爪を突き立てているはず。

「だけど…!!」

狼狽の色を浮かべるミサト。シンジに至っては顔面蒼白の様相を呈している。

「ここは耐えてもらうしかないの。生まれ変わりには痛みが伴う。アスカも承知しているはずよ!」

説明するリツコ自身、組んだ両腕に爪を突き立てている。

続いて噛みしめられた唇に、ミサトもシンジも言葉を飲み込んだ。

「…自我境界線、反転していきます!」

額から汗を迸らせ、マヤが叫ぶ。

ほぼ同時に弐号機の咆哮も更に激しくなり、辛うじて破損の少ない左腕がゆっくりと持ち上がる。

まるで何かを求めるように宙を二度三度掻きむしった後―――半壊した紅い巨人は沈黙した。

「…………エヴァ弐号機沈黙。同パイロット、有視界領域からの消失を確認しました…」

シゲルの声が、凝り固まった室内の空気に更なる一味を加えた。

辛うじて第三フェイズまでは成功したといえる。同時に、もはや取り返しの付かない段階まで来たことも意味していた。

この時点で、物理的に惣流・アスカ・ラングレーという少女の肉体は、この世界に存在しないのである。

これでサルベージできなければ、ある意味完全犯罪だろう。

タチの悪いジョークが皆の頭によぎったかどうかは定かではないが、全員粛々と次のフェイズへの作業に取りかかる。

あらかじめ打ち込んであったデータを呼び出し、展開させる。

後はキー一つで最後の作業は開始される。

なのにリツコが躊躇ったのは、何かしらの第六感が働いたからだろうか。

妙な胸騒ぎを圧殺するように、リツコは周囲の人間を見回す。

「いい? 最終フェイズを開始するわよ?」

この期に及んで確認してくるリツコに全員が違和感を覚えたが、それも彼女なりに緊張しているのだろうと解釈。結果素直に全員が頷いた。

背中を押されるような形になったリツコは胸を反らし、やや芝居がかった動作でエンターキーを押す。

MAGIがプログラムに従い、一連の作業を開始した。

人間は、後は見ていることしかできない。

「アスカ…」

自分でも気づかないうちにシンジは声に出している。

成功してくれることを心より祈っている。

彼女の声が聞きたい。

もっと彼女と話がしたい。

二度と会えなくなるなんて、死んでもごめんだった。

今になってそう思う自分がつくづく情けない。

今となって想いに確信を抱く自分を殴りつけてやりたくてしようがない。

だから、どうしてももう一度、アスカに会いたかった。

シンジは、ただそれだけを切実に願う。

果たして、その願いは聞き届けられたのだろうか。

何者に? 何者かに。

「作業推移状態、正常です。もうすぐ、肉体が形成されます!」

マヤの喜色に溢れた声に、空気が色づく。

アドレナリンの匂いがコーヒーと電子機械の匂いと混じり合い、一種独特の臭いが室内を満たす。

それに握った手に滲む汗の臭いも加わったが、誰もが食い入るようにモニターを見入って瑕瑾にすらならない。

あと少し…!!

進行状況を示すグラフの数値がカウントされていくのをジリジリと見つめている。

数値が限りなく100に近づいた、おそらくもう数%しか残っていなかったその時。

コントロールルームに鳴り響く警告音。

驚愕と悲鳴が追従した。

「ここまで来て失敗したの!? 原因はなんなのよっ!?」

ミサトのいっそ恨めがましい声を背中に、シンジは半泣きの表情で強化ガラスにへばり付いている。

しかし、マヤの希望の声が一縷の望みを繋ぐ。

「大丈夫です。肉体は無事再構成されてます! 計画は成功…で…………す…?」


















◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


金髪の少女は目を覚ました。

高く白い天井と微かな消毒薬の臭いに、即座にここが病室であることを認識する。

そうか、あたし病院へ運びこまれたんだ……。

では、どうして病院に?

アスカは弾かれたように右腕を眼前に持ってきている。

細く白い腕。そこには見慣れた傷痕は………ない! 一筋も残っていない!

そういえば、霞んでいたはずの左目の視界もはっきりくっきり見えるじゃないの!

ということは…計画は成功したのよね!

喜びのあまり、掛けられていたタオルケットをはね除け上体を起こしたアスカであったが、自身が全裸であることに気づき慌ててタオルの縁をひっつかむ。

おそるおそるタオルの隙間から見下ろしてみれば、なだらかな起伏を描く腹部にも傷は綺麗さっぱりなくなっていた。

――やはり計画は大成功だったのだ。

ドアの開く音が彼女の注意を引く。

思わずタオルを抱きしめるように見やれば、見慣れた顔がこちらに近づいてくるところ。

「…良かった、アスカ。目を覚ましたんだね」

なんかシンジは泣きそうな表情に声。今のアスカには、感激しているからだろうという解釈しか成立しえない。

「ええ、おかげさまでね」

本当は飛び上がって抱きついて行きたいほと嬉しかったのだけれど、あえて皮肉げな表情を造り皮肉げな声を投げかける。

ところが、まもなく彼女の表情はやや驚いたものに移行する。

…あれ? シンジって、こんなに背ぇ高かったっけ?

その表情は間髪おかず驚愕へと変わった。

アスカは目を丸くして絶叫する。

「…って、ええ?! 一体これはどうなってんのよぉ!?」

彼女の目前には、巨大なシンジが全身で困ったような表情で立ちすくんでいた。

いや、正確を期すならば、シンジが巨大化したわけではない。

異常があった主体の違いだ。

サルベージされたアスカは、以前の肉体の1/8の大きさになっていたのである。

























NEON GENESIS EVANGELION AFTER 

“ MY LITTLE LOVER ”



りとらば!


プロローグ〜了





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(2006/3/15 初出)




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