碇くんの元カノ



























僕の高校時代、級友に碇シンジくんという人がいた。

なんかふにゃんとした容姿の持ち主で、取り分け目立つ行動や言動を彼自身が取った記憶はない。

誰かの悪口を言ったり大声を上げたりとかしないので、割り合い話しかけやすい人物だった。

率先して何かをやる人でもなく、反面断ることもなくて、よくクラスや校内行事の委員を押しつけられていたような気もする。

酷い言い方をすれば、クラスに一人はいる毒にも薬にもならないヤツ。

もちろんそれは僕の評価ではなく、彼とは控えめにいっても良い級友同士だったと思う。

そんな碇くんには、とびっきりの彼女がいた。

いや、彼女と称するには少し語弊があるかもしれない。

特に、彼女本人が、顔を真っ赤にして、ともあれば怒鳴り散らして否定しまくっていたのだから。

でも、そんな二人の関係は、どうみても彼氏彼女そのもので………つまりは第三者には間違いなくそう見えていたということ。

知らぬは本人たちばかりっていうのかな?

彼女の名前は、惣流・アスカ・ラングレーといって、とにかく目立つ女の子だった。

日本人離れしたスタイルと金髪碧眼。しがない地方都市都会の高校では注目の的である。

おまけに頭脳明晰、運動神経も抜群。

帰国子女らしいけれど日本語のアクセントも完璧で、ぽんぽんとまくし立てるような歯切れのよい口調はいっそ清々しいほど。

とにかく何をやっても注目を浴びて、よく物事の中心にいる彼女だった。

そんな彼女はよく碇くんと一緒にいたので、必然的に碇くんも目立つことになる。

間接的であるにせよ、彼自身、あまりそれは望んでいなかったことは明らかだった。都合三年間、同じクラスだった僕が証言するんだから間違いない。

クラスには同じく三年間ずっと一緒だった人たちもいる。

洞木ヒカリ、鈴原トウジ、相田ケンスケ。

彼らに碇シンジ、惣流・アスカ・ラングレーを含めた男女比の中途半端な仲良しグループ。

聞けば、彼らの出身中学は一緒だとのこと。

第三新東京市。実験施設だかの事故で街の大半が吹き飛んだ場所。

ゆえに全員こちらに越して来て、この高校に入学したという。

事故の時どうしてたか、事故のことをどう思っているのか。訊ねるのはさすがに憚られた。

今更だけど、彼らのグループが都合二回のクラス替えも乗り越えてずっと一緒の教室で学んでいたのには、作為的なものを感じる。

もっとも僕のやっかみも大分入っているに違いない。

なぜなら、僕はそのグループにはどうやっても入れて貰えなかったのだから。

…いや。

元々僕が立ち入れるような彼らではなかったのだと思う。

なにか僕には分からない絆が確かに彼らの中にあった。





他のクラスメートたちは、僕より遙かに敏感で如才なかった。

碇くんたちのグループとは別のコミニュティを作り上げ、適当な距離を置き、適当な付き合いを続ける。

そんな中で僕は鈍感過ぎたのか。

気づけば、どこにも属する機会を逸し、一人佇む羽目になっていた。

親友などと呼べるほどの付き合いを持つ友人もいない。

だからといって苛められたりしたわけでもないけれど。

必然的に人付き合いは広く浅くなる。





グループに入れて貰えないにしろ、僕には碇くんらと確かな交遊があった。

談笑もするし宿題の答えの確認もする。

一緒に昼食を摂ったことさえ一切ではない。

休日にみんなと遊びに行ったことさえある。

しかし、どう見てもそれは補欠みたいなもので。

その補欠に固執し続けた僕は、結果として一番最初にハートブレイクしていた。

誰よりも深く、誰よりも早く。

それからの僕は、自分の感情を素直に表明して交流を断つより、観察者たる道を選んだ。

それはつまり、惣流・アスカ・ラングレーに対する想いの黙殺。

彼女と碇シンジが同居している事実に気づいたのは、彼らのグループの人間を除けば、おそらくクラスで僕が一番早かっただろう。

奇異なのは、そこでお互いが恋人関係にあることは確実なのに、僕が違和感を抱いたことだ。

他のクラスメートたちに同居生活がバレて、みんが二人を恋人同士だと認識を深めるのに反比例して、僕の中の何かが訴える。

彼は、彼女は、単なる彼氏彼女の関係ではないのではないか…?

確信が持てたのは実に高校も最終学年になってからだ。






あれは、受験が目と鼻の先に差し迫ったころで、外には木枯らしが吹いていた季節だと思う。

昼食も食べ終えぼんやりとしていた僕は、けたたましく教室に入ってきた惣流・アスカ・ラングレーの姿を目撃した。

一瞥して、彼女は不機嫌そうに見えた。

吊り上げた眉に細められた青い瞳が剣呑そうに光っている。

何でそこまで微細に見て取れたのは、何のことはない、僕の斜め前の席が碇シンジだったからである。

つかつかと碇シンジの机の前に詰め寄るなり、ボソボソと、それでも鋭そうな声で何事かを碇シンジに語りかける彼女。

何気なくそっぽを向いて興味がないふりをしつつ、そのじつ聞き耳を立てた僕は、返す返す情けない。

でも、尋常な雰囲気でなかったのだ。これで興味をそそられなかったといえば嘘になる。

やがて聞き耳を立てる必要もなくなった。

不意に彼女が怒鳴る。

「アンタね、ここまであたしが言われてるのに、何もいうことないの!?」

碇シンジは少し悲しそうな顔つきで、

「いや…そんなこと言われても、最終的に決めるのはアスカだろ? 僕が…」

そこまでが僕の聞き取れた部分。

なぜなら彼の語尾に、盛大に殴打する音が被さっていたから。

僕の目前を碇シンジがゴロゴロ転がって、窓際の壁にぶつかって止まった。

どうにも殴られたことが理解できずきょとんとしてしまう彼にむけて、惣流・アスカ・ラングレーは怒声を打ち下ろした。

「…バカ! 最低っ! 死んじゃえっ! 大バカァッ!!」

そういって彼女は踵を返し、教室を走り出て行ってしまった。

後に残されたのは、なおきょとんとする碇シンジに、何事かと呆気にとられるクラスメートたちだけ。

他ならぬ僕も、彼に負けず劣らず茫然としていた。

だって、初めて見た。

女の子が拳で男を殴りつけ吹っ飛ばすところなんて。

そして、身を翻す彼女の目尻に涙が光っていたのも。

ヨロヨロと立ち上がった碇シンジに僕は厳かに言う。

「早く追いかけた方がいいと思うよ?」

それが合図というわけでもないんだろうけど、弾かれたように立ち上がり、疾風の如く彼は駆け出していた。

その日、二人はどうなったかは知らない。

僕が知っているのは翌日のことだけ。

ホッペタに湿布を貼って登校してきた碇シンジ。

そして、右拳にギプスをはめた惣流・アスカ・ラングレー。

なんと彼女の方は骨折していたとか。

どうやら彼女が激怒した理由は、他のクラスの男子から告白された事に起因するらしい。

卒業式でもない受験前に? というなかれ。

毎年この時期になるといるのだ。受験勉強でせっぱ詰まって煮詰まって、自暴自棄に憧れの人に告白しようと決行する迷惑者が。

彼らほど根性のない僕には笑えない話だ。

とにかく噂は色々で、様々な憶測が受験勉強の息抜きとばかりに飛び交っていた。

彼女に告白したのは実は同性で、何のことはない碇シンジへの告白の橋渡しをさせられたことに激怒して、彼女は彼を殴りつけた。

一番説得力を持って流れていた噂。反面、矛盾も孕んでいる。

惣流・アスカ・ラングレーがモテるのはともかく、碇シンジはそうモテた試しはないのだ。

その時、おそらくクラスで僕だけが一番真実に近い答えを持っていたように思う。

近い席ゆえに聞こえた会話の断片。

それに、今まで僕が彼らに接してきた情報をくわえると。

まず、惣流・アスカ・ラングレーが何者かに告白されたのは間違いない。

そのことを彼女は、碇シンジに報告した。

そこでおそらく、彼は――――多分に僕の想像だが――――彼女の自由意思を尊重したのだと思う。

おかしな言い方かも知れないが、彼はおそらくこういったのだ。

『誰とつきあうとかさ…。最終的に決めるのはアスカだろ? 僕自身がそれを止める権利はないよ』

僕の仮定が正しいとすれば、碇シンジは致命的な馬鹿を犯したわけだ。

この推論は、僕の抱いていた違和感をも見事に巻き込んで消化しており、実にしっくり来る。

彼氏彼女と断じきれない、それでいて特別な距離を保つ二人。

二人とも、間違いなく互いに好き合っているくせに。

独占欲より他人を尊重する彼。

対して、独占されたくないくせに独占されたい彼女。

ある意味、二人とも似ている。自分の感情の表し方が急カーブだ。

むしろフォークボールを投げ合ってキャッチボールをしているのに近いのかも。

だとしたら、まったく不器用な恋愛と形容するしかない。

もちろん全部僕の想像だ。本人たちに確認を取ったわけじゃないから、真相は闇の中。

あの出来事は、文字通り何かの決定打になったらしい。眼に見えて、二人の関係は変化していた。

僕は思う。何にも増して威力があるのは、いつだって真っ向からの力技だ。

あの特別な関係を破壊出来るのも、やはり文字通りストレートな一撃だったのだろうか?

例の事件の直後から自由登校も始まり、二人が関係を修復できたどうか僕は見届けることが出来なかった。

だから最後に彼らを見かけたのは卒業式。

グループメンバーでの卒業パーティに招かれてもいたが、家の都合がどうしてもつかずキャンセル。

進学してからも幾度がメールや携帯で連絡が来たけれど、色々な都合が重なって合うまでには至らない。

第一、僕だけが県外の大学へ進学していたし。

自然と彼らとは疎遠になってしまった。

ただ、風の噂で聞いた。

卒業後すぐ、碇シンジと惣流・アスカ・ラングレーが、彼氏彼女の関係でなくなったことを。


















卒業してたった10年しか経ってないのに同窓会なんて。

案内状が来たとき思わず愚痴った僕だけど、今日こうして会場に足を運んでいる。

矛盾する思考と行動。

つくづく成長してない自分に呆れながらも、久々に再会する級友らと思い出話に華を咲かせた。

10年はやはり人を成長させるには十分な月日で、当たり前だけどみんな大人っぽくなっている。

髭の濃くなったヤツやら化粧の濃い女の子の顔を眺めていると、背中から声をかけられた。

正直、驚いた。金髪碧眼の彼女がそこにいた。

碇くんの元カノ。

口中で呟き、飲み下す。

そんな彼女は、可愛いというより綺麗なという表現が相応しくなったのは当たり前で、口調だけは全然変わっていなかった。

「お久しぶり! 元気してた?」

「…うん、こちらこそ、お久しぶり」

どうにか即座に返答することに成功。

しかし、10年経ったというのに、相変わらず女の子のあしらいが巧くできない。困ったものだ。

―――いや、彼女は特別か。

改めて彼女を眺める。

長い綺麗な金髪は後ろで束ねられていて、以前より顔つきがほっそりしたようにも見える。

青い瞳が悪戯っぽく煌めいた。

「ねえ、アンタ結婚はまだ?」

「う、うん、まだだよ…」

緊張している。何を緊張している?

誤魔化すように胸ポケットを探ったけど、あいにく煙草のケースはそこにはなかった。

かっこわるく手を下ろす僕に、彼女は更なる爆弾を投げつけてきた。

「ふふ…、アンタ、昔、あたしに惚れていたでしょ?」

…爆弾は、僕の呼吸器系を破壊してくれた。

息が出来なくなる。当然、言葉だってしゃべれない。

その沈黙をとう解釈したのか、彼女はふっと笑う。

「まああの頃は、あたしに惚れてない男子なんかいなかったけどねー」

なんとも彼女らしい傲岸不遜な物言い。今はカクテルグラス片手だから、まるで悪の秘密結社の女幹部のようだ。

ジョーク混じりの台詞のおかげで、どうにか僕も呼吸器系の修復に成功。

回復すると同時に、ある言葉を口にしていた。

「そうさ、君のことが好きだった」

10年前に言えなかった言葉。言いそびれた台詞。

笑ったまま彼女は僕の顔を見た。にこやかな微笑みの中、眼だけは笑っていなかった。

でも、おどけた口調で彼女は言う。

「ひょっとして、口説いているつもり?」

「さあね」

誤魔化すように僕も持っていたウイスキーに口をつけた。

彼女は益々おどけたようにグラスを傾けてから、

「残念。手遅れだわよ?」

「分かってる。…冗談さ」

グラス同士を打ち鳴らし、僕も微笑み返す。




冗談だよ。

君のことが好きだった。

冗談さ。

本当は。
 
君のことが今でも好きなんだ。




もう一度互いに微笑んで別れる。

そうこれが、僕と彼女のラストメモリー。








































最後に一つだけ訂正というか追加をしておこう。

実のところ、碇シンジと惣流・アスカ・ラングレーは、高校卒業と同時に結婚している。

つまり、彼女は碇シンジくんの奥さんになった。

だから彼女ではなく『元』彼女である。

ゆえに、僕は嘘をついていない。念のため。










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