闘うスリーピング・ビューティ

























「だーかーら、なんであたしなのよっ!?」

放課後の教室に、金髪の少女の声がこだました。

その剣幕に驚いてるのは碇シンジくらいであり、その他の席を埋める生徒は微動だにしない。

むしろニヤニヤ笑いを隠すのに必死なものまでいる。

「…君は、先日いったよね? どのような配役でも構わない、と」

教壇の前に陣取った、血色の悪い生徒が不敵に笑う。

「…う」

アスカは思わず口ごもり、先日のことを思い出す。

そう、たしかに昨日の放課後、クラスの文化祭実行委員であるこの男子生徒と会話したのだ。





『あ、惣流くん? 今からクラス全体で、文化祭の催し物の話し合いをするんだが…?』

『忙しいから却下!! あたしは早く帰って、「踊る大江戸捜査網」の再放送見なきゃならないの!!』

『そんなもの、ビデオに予約録画しておけばよかろう?』

『ふん、あんな下らない番組、録画してまで見る価値ないわよ!!』

『…まあ、君は話し合いに不参加ということでいいんだね?』

『当然よ。それこそ時間の無駄ね』

『念を押しておくが、どんな役割がまわってきても、文句は受け付けないよ…?』

『ハッ、どーぞご自由に!!』





教室中の視線が集まる中、一人冷や汗を流して立ちつくすアスカである。

確かにいった。無責任に明言した。

だけど…!!

「そ、そんなこといったかしら…?」

往生際の悪いアスカであったが、どっこい相手も一枚上手。

「…早瀬くん」

血色の悪い生徒―――文化祭実行委員にして演劇部所属の立谷川ヒロムが、背後に付き従う大柄な男子生徒へ合図する。

「はッ」

ずいと前に進み出た早瀬ショウイチロウは、ポケットからレコーダーを取り出す。

微かな機械音の後、先日の立谷川とアスカの会話が寸分違わず再生された。

「………」

クラスメートたちの視線が痛い。

息苦しさに耐えきれなくなったアスカは叫ぶ。

「わーったわよ、やります、やらせていただきますよ、もう…」

どっかと自分の椅子に腰を降ろし、頭を抱える。

そんな彼女の視線の先、机の上には白いコピー用紙で綴られた台本がある。

台本のタイトルは『白雪姫』。

高校生が演じるにはやや年齢層が低い劇かもしれない。

でも、ベタかもしれないが、急造で行う演劇としては無難なタイトルだろう。

右手で頭を抱えたまま、アスカはぺらぺらと台本を捲る。

原題を正確に訳すなら、「白雪姫」じゃなくて「雪白姫」よねー、などとぼんやりと考えながら、金髪の少女の頬は紅潮していく。

理由は自分に割り振られた役。

すなわち主人公である白雪姫。

ストーリー上、白雪姫は王子様のキスで目を覚ます…。

ま、まさかリアルでしないわよね…?

などと逡巡しつつ台本を巡っていけば、白雪姫が毒リンゴを食べて昏睡したところからあとは真っ白だ。

「ちょっと、何これ? 乱丁本?」

小声でアスカは斜め後ろの洞木ヒカリに問いかける。

果たして親友は、気の毒そうに口を開いた。

「…昨日いなかったから知らないと思うけど、実は…」

「では、他の配役を決めたいと思います」

立谷川の低い声が響く。

ヒカリへの問いかけを中断して、渋々アスカは正面を向き直る。

黒板一面に、白いチョークで配役が記されてあった。

魔女の継母、七人の小人、王子様、etc、etc…。

王子様の文字から、アスカの視線は一人の少年の横顔へスライドする。

その視線に気づいたのか、碇シンジはちょっとだけ彼女の方を見て微笑んだ。

慌てて視線を逸らしたアスカは、軽く唇を噛む。

見ず知らずのヤツにキスされるよりは、まだ我慢できるかも知れない…。

いや、だから芝居だって!! 本当にするわけじゃないわよ!?

わしゃわしゃと金髪をかき乱し、両手を組み合わせ表情を隠す。

配役は公平を期するためくじ引きで行われるらしい。

男子生徒の目が血走る中、シンジの番が回ってくる。

それくらいの確率、引き当ててみなさいよ!!

指の間から黒板を見つめ、全身で緊張するアスカ。

いつになく真剣な彼女の視線の先で、ゆっくりと配役の下に生徒の名前が刻まれていく。

















「こおおの、ばかぁあああ!!」

コンフォートマンションの一室にて、アスカの怒声が響き渡る。

そんな彼女の足下で蹴たぐり倒されているのがシンジだ。

「ばか、ばか、ばかっ!! なんで、アンタ、王子様の役になれないのよ!?」

「…そんなこといったって」

心底困ったような表情で、シンジは床からアスカを見上げる。

「その、僕が王子様役で、いいの…?」

赤面するシンジに、こちらも負けず劣らず赤面するアスカである。

「ば、ばかっ、違うわよ、あんたが相手なら、ごまかすことが出来るでしょ!?」

歯切れの悪い言い方をしてアスカはそっぽを向く。

が、即座にそんな風に和んでいい話ではないことを思い出し、爆発した。

「あんた分かっての!? あたしの、この純情可憐な唇が大ピンチなのよっ!!」

もはや可視領域までに達した怒気のオーラを背にアスカは絶叫する。

まるで子犬みたいに首をすくめることしかシンジには出来なかった。

アスカの怒りの源泉は、白雪姫の劇なのは説明するまでもないだろう。

問題は空白の台本。

その空白にこそに意味があった。

『ここから先のストーリー展開はただ一つ。出演者総出によるバトルロイヤルだ』

声と同時に立谷川の酷薄そうな笑みを思い浮かべ、アスカは悪寒にも似たものが背筋を滑り落ちるのを自覚する。

『…つまり、出演者の誰かが、白雪姫にキスをして目覚めさせたら終劇…』

演劇部員にして文化祭実行委員の彼は、とんでもない脚本を提示したのである。

なんでも、新生無節操活劇を目指しているそうな。

彼の試みはともかく、どうりでくじ引きの時の男子生徒たちの視線がギラついていたわけだ。

同時に、こんなフシダラナ演目に対し、女生徒から反対の意見が上がらなかったのも不思議だった。

いわばキスをエサにしているようなものである。

普通の女生徒など肯んじえるものではない。

アスカは当然不満をぶち上げ、クラス内の女性陣の顔を見回したが、みな視線を合わせてくれなかった。

親友である洞木ヒカリですら目を伏せてしまう。

完全に孤立してしまったアスカの目前で、くじ引きの結果が黒板に記されたわけだが…。



「あんた、『木』ってなによ、『木』って!?」

「う…」

シンジが引き当てた役はセリフすらほとんどない舞台セットと一体化したものだった。

「そんなんじゃ、あたしのピンチの時どうするのよっ!!」

鼻息も荒く、アスカはシンジを睨め付ける。

くじ引きに不正が行われていたのではないか、ということも当然考えた。

シンジを初め、鈴原トウジは照明係、相田ケンスケは音響担当と、鼻薬を嗅がせられそうな面子はまとめて主要キャラクターから外される結果になったからである。

しかし、綾波レイが継母にして魔女役を引き当てたことにより、諦めた。

これこそミスキャストであり、くじ引きが公平であることの証左だろう。

ちなみにヒカリは無難な侍女役である。

親指の爪を噛みながらアスカはウロウロと歩き廻る。

シンジも、彼が悪いわけではないのに色々と気を遣うが、彼女の神経を逆撫でするだけだった。

結局、その日アスカの機嫌が戻ることはなかった。







「はあああ…」

深いため息をついて、アスカは椅子に腰を降ろす。

放課後の教室。

本日から2週間後の文化祭へ向けて練習が開始される。

さすがに練習をサボる気にはなれなかった。これ以上不利な状況に陥りたくない。

参加してまず真っ先に監督に文句を叩きつけたのは言うまでもない。そして恒例のことになるだろう。

『公衆の面前でキスなんて、絶対やだかんね!?』

『…今さら恥ずかしがるものなのかね?』

『どーゆー意味よ!?』

『ふっ、まあフリだよ、フリ。観客にはしたように見えればいいんだから…』

抗議は柳に風と受け流される。

結果、アスカは解釈する。

自分の唇は自分で守らねばならない。

衣装作成も同時にされるわけだが、採寸してくれる女生徒たちもなんとなくコミュニケーションが取りづらくて辟易する。

なにせ、あたしの唇がかかっている演劇に反対しなかった面子だ。…そんなにあたしって嫌われてるのかなあ?

無理にでも視線を合わせようとしても、ある生徒ははなからそっぽを向き、またある生徒は苦笑をして口をつぐむ。

劇の練習にしたって、あまり楽しめるものではない。

毒リンゴを食べて昏倒するまでのパートは、比較的スムーズに行き、それほど練習も必要ないように思える。

問題はその後のシナリオなしのパートだろう。

参加者の男子生徒全員、それこそ、王様の侍従といった端役まで、目の色を変えて筋力トレーニングに励んでいるのだ。

当日の抗争を想像し、アスカはゲンナリとなる。

それだけ自分の唇には価値がある、と多少プライドをくすぐられないわけではないが、実際されるとなると激しくイヤだ。

そんな彼女にとっての微かな救いは、毒リンゴを食べて昏倒するのは、『木』の真下であるということ。

でも、シンジの目前で、他の男子生徒からキスされるのは、究極的にイヤだし…。

そんな逡巡を繰り返し、気がつけば公演の二日前になっていた。

ピッタリの衣装や舞台装置も完成し、いまさら辞退したらどれほどの非難を被るか分からないところまでアスカは追いつめられていた。

俗に言う、外堀を埋められた、という状況である。

気の毒そうな顔つきで洞木ヒカリが葛城邸を訪れたのは、その日の夜のことだった。

















保護者不在の邸内にヒカリを招き上げながら、アスカは首をひねる。

こんな時間に、いったいなんだろう?

「あ、洞木さん、いらっしゃい」

エプロンをつけて洗い物をしていたシンジも挨拶をしてくる。

微妙な表情で挨拶を返した親友の表情の変化だけで、アスカは自室に招くことにした。

案の定、シンジには訊かれたくない話だったらしい。

私室に入るなり、ヒカリは二人だけで話がしたかったと礼をいい、間髪入れず頭を下げてきた。

「その…ごめんなさい、アスカ!!」

「ちょっと、いきなり謝られても、なにがなんだか…」

「そ、そうよね。順を追って話すわ」

困惑するアスカに、ヒカリは気まずそうに話し出す。

まず彼女は、アスカを劇の主役に据えるのを阻止できなかったことを詫びた。

確かに、主役として、アスカほど相応しい人はいなかった。だからといって、実際唇を賭けるのは納得しかねる。

ふしだらだし、そもそも乙女の唇をなんだと思っているの! 

そう論陣を張って挑んだヒカリだったが、賛同する声がなかった。

替わりに、ニヤニヤ笑いを浮かべる文化祭実行委員ではなく、別のところから異論があがったのである。

『惣流さんなんか、普段からキスしまくってるんだろうから、別にいいんじゃない?』

『そうよね〜。彼女はアメリカナイズされてそうだし』

『そうそう、キスなんか挨拶代わりでしょ、彼女の場合』

ヒカリは、苦言を上げた女生徒らの視線が、とある男子生徒に集中しているのを悟り、絶句するしかなった。

当然、相田ケンスケと鈴原トウジも彼女の態度に準ずる。

あからさまなやっかみの声と視線。事実だけに弁護するのはためらわれた。

結局、良識派でならすヒカリをもってしても、クラス全体の妬みは大きく、抗いきれなかったらしい。

みんな知っていたのだ。建前上、同じマンションに住んでいる、とはなっていたが、その実二人が同居していることを。

「ちょっと待って。…その時、あの馬鹿はなにも抗弁しなかったの?」

アスカが口を挟む。

「碇くん? 碇くんはなんか困惑してたわよ。『へ〜、アメリカじゃキスは挨拶代わりなんだ』なんていってたような…」

親友の答えにアスカはにっこり微笑んだ。

「お茶もってくるから、ちょっとキッチンまでいってくるね」

間もなくお茶をもって戻ってきたアスカの拳に血が付いていたのは、きっと気のせいだと思いながら、ヒカリは更に続けた。

「だから…ごめん。本当にごめんねアスカ…」

そう頭を下げてくるヒカリの手を、そっとアスカは握って優しく首を振る。

「ううん。こっちのほうこそ謝らなくちゃ。そして、報せてくれてありがとうヒカリ…。やっぱりあたしたちは親友よ」

感涙にむせびながら抱きあう二人。

結局、すっきりとした顔付きでヒカリは葛城邸を辞していった。

見送りに出てきたシンジの右頬が腫れて、かつ片方の鼻の穴にティッシュがねじ込まれているのに首をヒネリながら。

ドアが閉じられ、来客のいなくなった玄関でアスカは笑顔を一転、吠えた。

いいだろう。そっちがその気なら、こっちだって容赦してやらない。

傍らで何事かと怯えるシンジの首根っこをひっつかみ、リビングまで連行する。

「一体、どうしたってのアスカ?」

この期に及んで困惑することしきりの同居人を、アスカは怒鳴りつけた。

「あんた、もう一発ぶん殴られたいの!? 今回の劇は、いわばあたしたちはハメられた見たいなもんだ、っていってるのよ!」

「…はあ?」

きょとんと見返してくるシンジに、アスカは思わず天を仰ぐ。

ぶん殴ってもいいけれど、今回こちらの手駒となるのはシンジくらいしかいない。ここで再起不能にするのは不味い。

辛抱強くアスカは説明を始めた。

アンタとあたしが同居しているのは、クラスの全員が知っていること。

アンタとあたしは、ひっじょーに不本意だけど、その、デキてると思われていること。

それを元に、クラスの連中の大半から相当妬まれていること。

今回の演劇は、その妬みと演劇部部員の個人的な趣味の融合したシロモノであること…。

たいして長くない説明を聞き終えたシンジは、非常に爽やかな顔で一言。

「あはは、そりゃああれだけ学校でお弁当の受け渡しなんかしてるんだもの。バレバレだよね」

言い終えるやいなや、アスカから投げっぱなしジャーマンスープレックスを喰らったのは自業自得であろう。

リビングの壁に逆さまに転がったバカモノに、アスカはびしっと指を突きつけた。

「とにかく! こんなアホな演劇、真面目に演じてやる義理もなにもないのよ!」

「じゃ、じゃあ、どうするの? エスケープでもする…?」

痛む後頭部をさすりながらシンジ。

その胸ぐらを引き寄せて、アスカは頬に笑みを浮かべた。肉食獣の笑みを。

「アンタが、勝てばいいのよ」

「…え? だ、だって僕の役目は『木』だよ?」

「そんなこと知ったこっちゃないわ。木の精霊にでも扮して、命がけであたしの唇を護るのよ!!」

反論しようとして、シンジは口をつぐむ

アスカの蒼い瞳に怒りの炎が揺れている。このような場合、彼女に逆らうのは自殺行為に等しい。

どうにかコクリと頷くと、アスカは半ば突き飛ばすように胸ぐらから手を離した。

そして腕を組み、そっぽを向いて言う。どことなく照れた仕草で。

「そして、キスをするフリをするんだからね。いい。フリだからね、フリ! うっかり本当にしちゃダメよ!?」

「う、うん…」

そこまで強調しなくてもいいじゃないか、などとシンジは胸中で呟いた。

まったく正解である。もし口に出していたら、間違いなく彼は再起不能と化していただろう。




















次の日。

明日を本番に控え、通し稽古が行われた。

アスカにとっては、演技の総ざらえというより敵の戦力分析の時間といっても過言ではなかった。なにせ、クラスのほとんどが敵である。

配役と演者を見極め、的確に捌かないと、たちまち唇は奪われてしまうだろう。味方は少ない。

まず、女性キャストはほとんど無視してもいいと思う。

森の動物たちの兎と鹿がいるが、後半のバトルロワイヤルにはまず参加しないと見た。

女王様付きの侍女は三人で、これも同上。しかも一人はヒカリだ。仮に暴走してもヒカリがなんとか押えてくれるだろう。

今ひとつ見定められないのは、継母にして魔女にしてお妃様役の綾波レイの存在だ。

敵に回るか味方にのるか。

アスカが焼き付くような視線を送っても平然と無視している横顔からは何も伺えない。

今回の最大の不確定要素である。しかし、邪魔さえしてこなければ、それでいい。

それ以上考えても無駄に思えたので、アスカは男性陣へと思考を移す。

かっぷくの良い王様役は柔道の黒帯だ。これは要注意である。

細身の侍従長は科学部だから軽視するにしても、バスケ部、サッカー部、バレー部の三人で構成された侍従チームは侮れない。

森の動物チームはアライグマは水泳部で、熊はレスリング部。これも驚異となりうるだろう。

王子様役は剣道部期待のホープであるところに、今さらながらクジへの疑問が鎌首をもたげてきたが、偶然だろうと納得する。

白雪姫をお城から連れだし殺すように命令された狩人役が弓道部なのもきっと偶然。

しかし、七人の小人役に関しては、故意でないとしたら運命の悪意を禁じ得ない。

全員がラグビー部員で構成された七人パーティは、どうみてもオークの群れだ。

だいたい、これのどこが小人なのよ!?

盛大に文句をいったところで、聞いてくれるのは昏倒した演技をしている彼女の傍らに佇む『木』だけ。

アスカとしては、せいぜい綿密に『木』であるシンジと打ち合わせるくらいしかできない。

後半のバトルロイヤルが始まったら、全身に茶色いタイツを着た『木の精霊』シンジがこっそり木の張りぼてから抜け出す。

いきなりじゃ白けるから、頃合いを見計らって、キスしたフリをしておしまい。

なあに、プロの演劇じゃないんだから、そんな展開くらい大目に見てもらえるって…。

自信たっぷりにシンジを励ますアスカであったが、そう思惑どうりにいくものか、彼女自身信用していなかった。

あたし自身もなにか防衛策を練っておかなくちゃね…。

舞台の喧噪をよそに、一人思案に沈むアスカ。

こうして、目を血走らせ生傷を増した汗くさい男たちに囲まれ、最後の練習は幕を閉じた。























そして本番の日である。

お姫さまに飾り立てられたアスカは、妬みまくっているクラスの女子連中が見ても、思わず賞賛を洩らすほど綺麗だった。

男子連中などいわずもがなである。

メインキャストに選ばれなかった連中は歯がみして地団駄踏んでくやしがり、出演者は鼻息を荒くしている。

ただ、平常心というか、むしろ不安そうな表情をしているのはシンジだけ。

当然である。もし失敗したら、アスカに何をされるか知れたものではない。少なくとも楽しいことじゃ絶対にないだろうし。

ふらりと舞台裏に、自称総監督の立谷川が姿を現した。

「…さて、いよいよ我々の演目の番だ。諸君らの健闘に期待する」

「おうっ!!」

盛り上がる男子連中に反比例して、白けるのはアスカ一人。

まったく、なんでこんなことをするのに一致団結するのよ、この連中は?

心の中で悪態をつく彼女の傍らで、シンジが『木』の張りぼての中に入る所だった。

『木』だけに木製で、幹の所に顔を出す丸い穴が開いている。後は左右の枝の部分に腕を伸ばせるようになっているが、視覚的にもどれだけ意味があるのだろう?

こうして演劇の中盤から、舞台の中央に立っているのだ。

役目というより、イジメに近いんじゃないのこれ? などとアスカが考えていると、道具班の連中がやってきた。要するに舞台装置を作ったメンバーである。

今さらなんの用だろう、と見守る彼女の目前で、こともあろうに道具班は張りぼての入り口部分に板を打ち付け始めた。

「ちょ、ちょっと! そうしたら出られなくなるじゃない!!」

「本番だから補強してるんスよ。途中で壊れたら困るし。大丈夫、舞台が終わったらちゃんと出してあげるから」

「そういう問題じゃないでしょ!? ほら、シンジも何かいってやりなさよ!」

「え? ちょっとこっちから見えないんだけど…!?」

などとやり合っていると、ぬっとやってきたのはラグビー部の面々。

思わずシンジもアスカも絶句してしまう。

森の妖精というよりは妖怪じみた風貌で、道具班と木の張りぼてを見比べていた彼らは、やおら手にもった獲物を振りかざした。

スコップに見えるシャベルを振り回し、よってたかって『木』の張りぼてに板と釘を盛大に打ち付け始める。

「いや〜、こういうのは頑丈にしておかないとね〜」

などと笑ったように睨み付けてくるから恐ろしい。

結果、シンジ入りの『木』の張りぼての入り口は物理的に完全に封鎖された。

…あたしたちの作戦は見透かされいる?

平静を装いながら、アスカはその暴挙を見守るしかなかった。

代わりに彼女はドレスのポケットに入ったあるものを握りしめる。それが最後の奥の手だった。











舞台は始まった。

冒頭から、至ってスタンダードな白雪姫の物語が展開されていく。


昔々、とある国に、それは綺麗なお姫さまがおりました。

白雪のように肌が白く美しいことから、そのお姫さまは白雪姫と呼ばれました…。

白雪姫はとっても幸せに暮らしておりました…。



ここでアスカ扮する白雪姫のご登場である。

その艶姿に、観客席からは盛大なため息と歓声が響いた。


そんなある日、亡くなったお妃さまの代わりに、王様は新たなお妃さまをもらうことになりました…。


ここで、綾波レイの扮するお妃様の登場である。


しかし、このお妃様は、実は恐ろしい魔女だったのです…。


お妃様にスポットライトが当たる。メイクと衣装の効果もあるのだろうが、どことなく冷たい美貌は、魔女の説得力十分だ。

この後、魔女の正体を現したお妃が、魔法の鏡に語りかけるかの有名なシーンへと移行。ただし台詞は棒読み。

何も知らない白雪姫を、城にお付きの狩人が森に連れだして殺すように命令されて舞台が変わる。

場面が森の変わり、シンジの粉した『木』のまわりに動物が集まる中、狩人は理由を話し白雪姫をこっそり逃がす。

代わりに狩人は、森の動物のうちイノシシの一匹を弓矢で射殺し、その着ぐるみの体内からデフォルメされた肝臓を引っ張り出す。

それを白雪姫の肝臓と偽ってお妃様に差し出して、また場面は森へと、森の奥深く小人の家周辺へと移る。

さまよい歩く白雪姫が疲れ果て小人の家に上がり込み、用意されていた料理を平らげ、小さなベッドで眠りにつく。

そこに帰ってきた小人というより巨人の群れに、客席から唖然とした声と失笑が洩れたが、小人の一人が、家の入り口をくぐるとき、ちょっと壊してしまったところで笑いが飛ぶ。

わけを話した白雪姫を小人たちは寛大にも受け入れてくれた。

しばらく白雪姫は小人らの世話をし、森の動物たちと戯れて暮らす。

ここいらの演出は、過不足なくアスカの魅力を引き出すことに成功しており、その手腕は賞賛されるべきだろう。

反面、後半の破壊的なパートを引き立てる役目もあるのだろうが。



舞台はゆっくりと暗転する。

スポットライトが観客席から舞台の左手奥、城の一室を模した装置にぼんやりと当てられた。

そこでお妃さまはまた鏡に問うのだ。やっぱり台詞は棒読みだけど。

とにかくお妃さまは、この世で一番美しい白雪姫がまだ生きていることに気づく。

正体を現し、黒いローブ姿の魔女へと姿を変えたお妃さまが舞台袖に引っ込むと同時に、舞台全体はまた明るくなった。

木の下で白雪姫が遊んでいると、老婆に扮した魔女が、カゴを片手に杖をつきながらやってくる。

おじょうさん、とっても美味しいリンゴはいらないかえー?

見事な棒読みに、アスカは内心で引きながらも、精一杯愛想のよい声を出す。

ええ? くれるの、ありがとう?

無邪気に受け取り、リンゴに歯を立てる白雪姫。ちょっとばかり、これ本当に毒入ってるんじゃないの? なんて思いながら。

とたんにその場に崩れ落ちる白雪姫を、正体を現した魔女が確認しようとした所に、小人たちの帰ってくる気配。

速やかに身を翻す魔女が消えてからやってきた小人たちは、倒れ伏している白雪姫に驚愕の声を出す。

舞台はまた暗転。青白いスポットライトが城の一室に当てられる。

鏡の前で例の台詞を繰り返すお妃さまに鏡は答える。

この世で一番美しいのはお妃さまです、と。

お妃さまの高笑いとともに、またライトは消えていく。棒読みの高笑いも、ここまでくるとかえって不気味で味がある。




さてさて、舞台は変わってまた森の中。

木の下に手を組まされて横たわる白雪姫の周辺に、小人や動物たちが集まり悲嘆にくれている。

そのうち一人がポツリと洩らす。

いったい誰がこんなヒドイことを…。

そして、この舞台唯一の『木』の見せ場がやってくる。

張りぼての幹から顔だけ出したシンジが台詞を言う。


僕はみたよ。魔女が白雪姫に毒リンゴを食べさせるところを。あれはきっとあたらしいお妃さまだよ。彼女は魔女なんだ。


すると、小人の一人から叱責の声が飛んだ。


おまえ、それを黙ってみてたのか?

そんなこといっても、僕は『木』だし…


たちまち他の小人も文句を言い始める。


役立たず!

ウドの大木がぁ!!

でかいナリして邪魔なんだよ!

いる意味がねーだろうがあ!!

もういいよ、帰れ!!

このXXXXXXXXXX(検閲削除)があ!


アドリブの言葉攻めにあい、涙目で口をつぐむシンジ。




いよいよここからがオリジナルパートへの突入となる。

普通に王子様が来るのを待っていたら、その後のクライマックスのバトルロイヤルに繋がらないからだ。

白雪姫を囲んでいた小人たちがやおら立ち上がる。

そしてリーダーの一人が叫ぶ。


白雪姫は死んだ! 殺された!

我らの同胞が殺されたのだ!

彼女は殺されるような罪悪を犯したか!?

否!

なのに殺したヤツはのうのうと生きている。

これは許されることか!?

否!

我らには復讐する義務がある!

恨みを晴らす権利がある!

ここに横たわる我が同胞の為に、血の葬送曲を奏でてやろう!!


リーダーは続いて立ち上がり、被っていた帽子を裏返して被る。鮮血の色だ。

これは森の小人たちが、善良なホビットなどではなく凶悪なレッドキャップに変わるのだという示唆であるのだか、観客の何人が気づいたことだろう?

どっちにしろ、唖然とする観客を置きっぱなしにして、物語は進行する。


野郎ども、武器をとれ!!

滑車を鳴らせ!!


小人たちが一斉に足踏みをする。もともと体格のよい面子だけに、舞台が振動するほどのド迫力。

そんな中、小人の一人が舞台袖に引っ込み、武器を抱えてもどってきた。

次々と配れられる武器を天に向かって突き立て、小人たちは吠える。


ガンホー!

ガンホー!!

YEYAAAAAAAAAAAAAA!!


行進を開始した小人たちは、途中で王子様たちと合流。意気投合して城に殴り込みをかける。

そして、迎え撃つ城の侍従たちと盛大な戦闘が開始された。荘厳なBGMが流れ始める。

一方、舞台の端に『木』ごと避難させられたアスカは、どういうわけか盛り上がってる観客席を薄目を開けて眺めうんざりとする。

ったく、なんで白雪姫の演劇に「カルミナ・ブラーナ」なんか使うわけ?

そんな彼女の思惑に反して、舞台は盛り上がる一方。

狩人の弓と、小人のトマホークの撃ち合いを、互いに海老ぞりで回避するところで最高潮に達し、いよいよ王子様と小人のリーダーがお妃さまを追いつめる。

命乞いの素振りすら見せず一刀両断に舞台装置の奥に消えていったお妃さまは、ある意味潔い。

しかし、あ〜れ〜やられた〜 という棒読み台詞だけは正直カンベンして欲しい。

諸悪の根元が絶たれた城は静寂を取り戻す。

茫然と立ちつくしていた王様が天を仰いで言う。

あたらしい妃は魔女であったか。ああ、白雪姫も死んでしまい、なんとしたことか…。この国は終わりじゃ…。

次の瞬間、無情感漂う舞台に、天の声よろしくナレーションが響く。


白雪姫は死んではおりません。まだ、眠っているだけです。もっとも愛している人の口づけで、彼女は目を覚まします…。


優しい声と裏腹に、それは修羅への幕開けを告げる合図だった。

とたんに、先ほどまで陽気に肩を組んでいた小人同士が、手に持った獲物をお互いめがけて振り下ろす。


白雪姫を一番愛しているのはオレじゃああああ!!


おぞましい愛の告白が舞台のそこかしこで起こる中、宣言もせずまっすぐ白雪姫に向かっていった連中は賢明な方に分類されるだろう。

もっとも一方向から殺到したため、途中でぶつかり合い、結局戦闘を展開するはめになったが。

文字通り唖然と観客が口を開けている中、一応寝た演技をしたまま、アスカは情勢を見守ることにする。

互いにつぶし合って、共倒れで全滅してくれるといいんだけど…。そうそう都合良くいくわけないか。

薄目を開けて、アスカは幹から出た間抜け顔を睨み付ける。

こら、シンジ!! さっさと出てきなさいよ!

…ごめん、これ、思いっきりふさがれていて、一人じゃ無理だよ〜。

泣きごというまえに努力しなさいよ、このっ!!

小声の深刻な会話は中断を余儀なくされた。

横たわる白雪姫にかぶさる影。

乱戦を突破してきた小人の一人が、鼻息も荒くこちらを見下ろしている。

へへっ、悪いけど、お目覚めのキスはオレがもらうぜ…!!

ほとんどダイビングヘッドバットの勢いで突っ込んでくる厳つい顔を、アスカは直前で回避。

あまつさえ、即座に起きあがって横っ腹に強烈な前蹴りを喰らわしてしまったものだから始末に悪い。

当然、争いの手を止めて舞台上の誰もが身動きしなくなった。

白雪姫は眠っているから目覚めのキスが必要なのだ。それが目覚めてしまえば、ストーリーそのものが瓦解するではないか!

失態を察し、凍り付いたように動けなくなったアスカに、天佑のような声が舞台に大音量で響いたのはその時だ。たとえその声が綾波レイのものだとしても。


白雪姫は睡拳の達人。眠れば眠るほど強くなる…


ファースト、多謝!

とっさにアスカはまぶたを閉じて、それでも薄目は開けて、舞台上の連中と対峙する。

あたしのキスが欲しいなら、力ずくで奪ってみせなさい、ぐー。

…語尾にぐーをつければいいものでもなかろうが、演者たちはこの舞台が継続されることにこそ喜びを見いだしたらしい。

アスカの方もアスカの方で、凌いだと思ったのも束の間、状況は更に厳しいものになっていることに気づく。

さっきまではつぶし合いに期待できたが、いまとなっては全員がしゃにむに襲ってくるだろう。

つまりは、白雪姫VSその他大勢ということだ。

まったく、あの馬鹿は最後まで頼りにならないみたいだし…。

ちらりと『木』を眺め、アスカは舞台装置を駆け上がる。

四方八方から襲いかかられては不利なのはいうまでもない。

だとしたら、精々派手に引っかき回して各個撃破するしかないだろう。

こうなってくると、お姫さまの煌びやかな衣装が恨めしい。

そんなことを考えている間に、レスリング部の熊が城の階段を駆け上ってくる。

前蹴りを出そうとしてスカートが邪魔になった。仕方ないので肘打ちを喰らわせて階段から叩きおろす。

続いて、手近に刺さっていた侍従の剣をスカートに突き立て、根本近くまで一気に切り裂いた。

舞台袖から衣装係の悲鳴が聞こえてきたけど、気にするもんか。 こちとら、乙女の唇がかかってるんだから!

剣を放り出し、やってきた侍従チーム三人組を、アスカは回し蹴りで文字通り蹴散らした。

派手にスカートが靡いて太股がチラりと見えたけど、ブルマを履いているから問題ナシ!

客席はアスカの事情を忖度せず、再度盛り上がり始めた。

少なくとも、華麗な美少女がムクツケキ大男を翻弄するという筋書きは、演劇に限らず大昔からのフォーマットである。

それで盛り上がらないわけがない。

不意に流れ出したBGMも、この舞台が予め計算されつくしたものだと観客に錯覚させるに足りた。

確か音響は相田ね。サンキュ!

『燃えよドラゴン』のBGMにのり、アスカは縦横無尽に舞台を駆け回り、男どもを翻弄する。

観客の方を向くときは薄目になってみせるあたり、彼女もなかなか芸が細かい。

ために視界が効かず、隙が生じた。

右手奥から襲いかかってきた王子様に反応が遅れたとき、不意にスポットライトの強烈なヒカリが王子役の顔面に集中した。

思わず立ちすくむ王子を、アスカが思いっきり蹴り飛ばし、ライトの操作盤のほうへ視線を向ければ、鈴原トウジが親指を立てていた。

ああ、あたしは一人きりじゃない! ぐー。

感動にむせりそうになりながらも、アスカの頭脳は天啓を得ていた。

照明係は味方だ。

だとすれば、いますぐシンジにキスしたふりをしてフェードアウトすれば、この舞台を終わらせることが出来るのではないか?

総合的な体力では、アスカはさすがに男子には及びもつかない。

幾人かは昏倒させたが、格闘技系の部活の連中はとんでもなくタフだ。

いずれはジリジリと追いつめられ、唇を奪われてしまうだろう。

いきなり舞台袖に逃げてこんでもいいが、ここまできたら、観客を納得させる終わらせ方をしなければ。

冷静に考えればバカバカしい義務感に駆られ、アスカは舞台端に疾駆する。

そこでは、まだあの馬鹿が張りぼてから出られずにいる。この際顔が出ていればそれでいい。

ポケットの中の奥の手を握りながら、アスカは柔道部の王様のタックルを避け城の階段を駆け下りる。

そして、あともう三歩で木の幹まで手が届くとき。

アスカの視界は不意に沈んだ。

床に上半身を打ち付けて、ようやく自分は足を引っ張られて倒れたことに気づく。

下半身へ視線を送れば、そこには位の一番に横っ腹を蹴飛ばして悶絶させたラグビー部の小人がいた。

へへっ、もう誰でもいい、キスしちまえ!

もうこの男は自分でキスをするのを諦めたらしい。

こ、こら、離しなさいよ! ぐー。

もう片方の足を振り回したけど、逆に掴まれ、両足とも押さえ込まれた。

あまつさえ仰向けにされたところに、他の小人たちも近づいてくる。

ったく、手間かけさせやがって…

一人が白雪姫の左腕を押さえつける。

もう一人が右腕を抱え込むようにして顔を近づけてきた。

やめっ、やめよ!! お芝居でしょ! ぐー。

必死で抵抗するも、大の男三人に押さえ込まれてはどうしようもない。

とうとうぶるぶる振っていた首も、ほっぺたごと押さえ込まれた。

ひょれってひゃんじゃいひょ!!(これって犯罪よ!!) ひょろうすぁひょ!!(殺すわよ!!)

近づいてくるゴツイ顔に、アスカは涙目になる。

見上げた先には顔を真っ赤にしたシンジがいる。

男にキスされるのはイヤ。シンジの目前でされるのはもっとイヤ!!

心の中で、アスカが絶叫したとき。

メキメキメキ。

何か、生木が裂けるような音がした。

なんだあ?

犯罪行為に等しいキスを中断し、小人が顔を上げたとき。

彼が目にしたのは、こちらに向かって倒れてくる木の張りぼてだった。

張りぼてとはいえど侮るなかれ。幹から突き出た左右の太い枝の部分など木製に補強を重ねたもので、それなりに重量がある。

それの右の枝が顔面を直撃したからたまらない。

仰向けになるアスカにまっすぐ倒れ込んできたものだから、当然左の枝は彼女の左手を押さえ込んでいた小人の後頭部を直撃。

垂直に伸びた幹の部分は、アスカの足を押さえ込んだ不埒モノを完全に押しつぶす形になった。

渾身の力を込め不自由な内部で全身を揺すり、シンジは張りぼての足下、固定されている部分を破壊することに成功したのである。

彼の向こう見ずな、唯一にして最大、最後の一撃だった。

本来ならアスカも一緒に潰される運命にあったのだが、小人というキャスティングに似つかわしくない連中の体格が彼女を救った。

つまり、白雪姫より厚みがある身体が張りぼて全体を支えつっかえ棒の役割を果たした為、その中心に空間が生じたわけである。偶然か幸運か判じかねるが。

その無事な空間では、もっとすさまじい光景が展開されていた。

アスカに真っ直ぐ倒れ込んできた木の張りぼてには顔を出す穴がついていた。むろんそこから顔を出していたのはその役のシンジだ。

剥き出しの顔同士が、上下が逆とはいえ重なりあい、あまつさえキスまで成立させていたのは、どう形容すべきだろう。

互いの上唇に下唇を、下唇に上唇を重ねたまま、きょとんとしていた二人の姿が観客に見えていたかどうかは定かではない。

とにかく、タイミングを逸してばかりいた照明係は、出来るだけ急いで、それでも不自然にならないように舞台を暗転させる。

同時に緞帳も閉め始め、かなり適当なナレーションが舞台を締めくくった。



こうして、白雪姫は、森の木の精のキスで目を覚ましたのでした…。めでたしめでたし…。
…あれ…? あたし、泣いてるの…? どうして…?












状況を把握し、いち早く行動を起こしたのは、やはりアスカのほうだった。

照明が落とされ舞台が暗くなった中、急いで唇を離し、手探りでポケットから奥の手を引っ張り出す。

まったく、なんて無茶するのよ、この馬鹿は。…ちょっと嬉しかったけどね。

その奥の手をこれまた手探りでシンジの口の上に貼り付けたのは、緞帳が閉まりきり、改めて舞台にライトが点灯された瞬間だった。

意味不明の歓声を上げ駆けつけてきたクラスメートが、まず張りぼてごとシンジを引き起こす。

続いて、昏倒した小人たちが、同じラグビー部の手を借りて保健室へ向かうべく搬送された。

他にも舞台に転がっている連中の大半は保健室のお世話になることだろう。

それはともかく。

立ち上がったアスカは、さりげなく、あくまでさり気なくシンジの傍らに行く。

ねえ、みんな、あたしがキスしたように見えた?

でもね、実際はガムテープ越しなのよね〜。

裏方のほとんど全員が見守る中、アスカはシンジの口元を指さす。

そこには、彼女が用意した奥の手が貼ってあった。

アスカが用意したこのガムテープ、中心にバッチリと口紅の跡がついている代物だ。

もちろんこの口紅跡は事前につけたもので、現在つけているのと色は全く一緒のもの。

本来の使い方は、万が一シンジが間に合わなかった時、適当な相手を昏倒させてから貼り付けて、キスしたことにする工作用だ。

まあ、あながち本来の使い方と間違ってないし、いいでしょ。…実際はシンジとキスしちゃったけどさ。

果たして、クラスの連中の白けきった視線がアスカを迎え撃った。

な、なによ、どうしたのよ、みんな?

続いてニヤニヤ笑いを交しながら、それでも衣装係の女の子の一人が説明してくれた。

あのね、惣流さん? あなたたち、上下逆さまにキスしてたわよね?

……?

思わずマジマジと未だ張りぼてから解放されてないシンジの方を見て、アスカは瞬間沸騰してしまった。

ガムテープについた口紅跡は、正面同士でキスしなければつかない形に記されていたのだ。

シンジの顔も負けず劣らず紅潮している。羞恥より、ガムテープで口と鼻をふさがれている理由が大半だろうけど。

もはや暴れる気力も体力もないアスカは、がっくりとその場に腰を降ろす。

分厚い緞帳の向こうから響いてくる賞賛八割罵倒二割の歓声が、せめてもの慰めだった。

























その後の二人に、極端な変化は見られなかった。

表面上は、相も変わらずシンジはどつきまわされ、隷従しているかのように見えた。

アスカもアスカで開き直ったりして公衆の面前でイチャついたりしないところは、好ましく思えなくないこともない。

クラスメートもせいぜい生暖かい目で見守ることに落ち着いたようである。

ただ、アスカの方だけに、妙なオファーが来ることが多くなった。











「あー惣流くん。今度は『ヘンゼルVSグレーテル』ってのを企画してるんだが…」

「ぜぇええええええええったい、お断りよっ!!」






















劇終


(2004/11/4)





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