日曜日はラブソング





































良く晴れた日曜日。

リビングの床のクッションに身を横たえ、アスカはティーンズ雑誌なんぞをパラパラとめくっていた。

ふんわりと床に金髪を広げた彼女の耳にはSDAT。

もちろんシンジから借りたというか徴発したもので、聴いている曲もシンジのライブラリから勝手に拝借したものだ。

そんなのんびりとしている彼女の傍らを、洗濯カゴを抱えて忙しそうに行き来するのは、言わずもがな同居人の碇シンジである。

「ねえ、シンジー?」

耳からイヤホンを外し、床から見上げてくるアスカに、シンジも足を止める。

どうしたの? という感じで小首を傾げてみせる姿は、男性にしてはエプロンが似合いすぎだ。

「あのさー、今聴いてるこれって、昔のラブソングよねー? なんかさー、もっと説得力のあるラブソングとかないの?」

アスカの言に目をぱちくりさせるシンジである。説得力のあるラブソングっていう表現は耳慣れない。

「…いったい何の曲聴いてるの?」

床にしゃがみ込み、アスカから片方のイヤホンを受け取り耳に付ける。必然的に顔が近づくわけで、髪が頬をくすぐっていい香りがした。

「ああ、これね」

イヤホンから流れてくる曲は、もう30年近く昔に、自分たちが産まれる前に流行ったドラマの主題歌だ。

再放送だか特番だかで映像もうろ覚えながら見たような気がする。

たしか、主人公がヒロインの前で道路に飛び出して、やってきたトラックに……轢かれたんだっけ?

「ったく、これってかーなーり軟弱なラブソングよね?」

ブツブツいうアスカに、シンジは賢明にも曖昧に微笑むだけで深入りを避けた。

だいたい、バラード調で軟弱じゃないラブソングなんてあるものだろうか?

もっとも、アスカの定義している『軟弱』という単語の意味にもよるだろうけど…。

洗濯カゴを抱えなおし、なおブツブツいうアスカの側から離れ、シンジはベランダへと出た。

眩しい太陽に目を細め、洗い立てのタオルの皺を伸ばしながら、丹念に一枚ずつ干していく。

風も適度にあるこういう日は気分もいいもので、次々と洗濯物を干すシンジの口元から鼻歌まで飛び出す。

鼻歌でリズムを取りながら手際よく洗濯物を干しつつ、先ほどのアスカの発言に想いを馳せる。

そりゃあ、たしかにアスカはまったりとしたラブソングよりはね、激しい叩きつけるようなラブソングが好きなんだろうけど。

彼女の告白は、実際、熱く激しく直情的だった。

普段の毅然として大人たろうと自身を戒めている彼女から信じられないほど幼く、感情的だった。














それは、つい一年前のこと。








どうにか平穏を取り戻した生活だけど、完璧に元には戻らなかった世界。

そんな中で、また同じ関係を繰りかえす資格もなければ、一緒に暮らすことも許されないだろうと判断したシンジはマンションを出る事にした。

なにより激しくアスカを傷つけた。その罪は決して償うことは出来ない。

そして、また彼女を傷つけない保証もなかった。

『この期に及んで、また逃げるの、あんたは!?』

彼女の罵声にも、ただ微笑むだけ。

自分の役割は終わったと思った。もはや彼女の羽は癒された。自分はそんな彼女の傍らにいていい存在じゃない。

僕と一緒じゃ、彼女は飛べない、もっと相応しい人がいるはず。

そう説明するまでもないと考え、適当な嘘を吐く。

『大丈夫だよ。出て行くっていっても、近所のアパートに住むし。いつでも会えるし』

果たして、アスカは大仰にため息をついてみせた。

『アンタ、つくづく嘘が下手ね。どうせ、会いに来る気はないんでしょ?』

内心でぎくりとしつつも、シンジはどうにか取り繕った笑いを浮かべる。

図星だった。もはや面と向かってアスカに会う気はなかった。

ただ、近所に住むのは本気だった。今度は近くで見守ろうとでも思っていたのだ。…役に立つかどうかは別として。

ぼーっと突っ立ていると、アスカから体当たりをされた。

壁に背中を打ち付けられ、それでも胸に飛び込んできた金色の頭髪を見下ろす。

顔は伏せられたまま、低くくぐもった声が、しかし力強くシンジの胸に響く。

『…アンタが出て行くなら、あたしもここに留まる理由もないし、ドイツに帰るわ…」

シンジは驚く。そんなことをされては意味がない。

…いや、意味がないわけでもないか。それでアスカが幸せになってくれれば…。

『そして、一生アンタとはもう会わない。尋ねてきても全力で逃げ続けてやる。アンタがくたばるまで…』

『…アスカ?』

よく意味が分からなかった。

だけど、彼女の身体から伝わってくる小刻みな振動が切なくて、シンジはその細い肩に腕をまわそうと試みる。

未練がましいと自分を叱咤しながら。

『触らないで!!』

『!!』

手をはねのけ、毅然と顔を上げたアスカの両眼は大きく見開かれていた。

まるで、水底から引き上げられたばかりのサファイアのような光を孕んで。

『いい!? あたしはアンタを許してなんかいないんだから!! 

そりゃあ確かにここ数年、アンタは凄くあたしの世話焼いてたみたいだけどね、そんなんじゃ全然足りないのよっ!!』

それは炎の剣の斬撃にも似た衝撃をシンジに与えた。

精神的にもよろめいたシンジに、アスカは更に言葉をぶつけてくる。

『ふざけてんじゃないわよっ!? 自分だけ正義のヒーロー気取りで、平和になった街から姿を消すってコト!?

そんなもん、無責任なだけよっ! アンタ、残された人の気持ち、考えたことある!?』

シンジは言い返せない。

『誰がアンタのこと必要ないっていったのよ!? 誰がアンタの役目が終わったなんていったのよ!?

だったら…っ!!』

僅かの間、二人の息を飲む音だけが響く。

『選びなさい!! あたしの側で一生罪を償うか。それともあたしの目前から一生姿を消すか!!

選びなさいよっ!! …どっちにしたって、あたしはずっとアンタなんか許してやらないんだから…っ!!』

胸元に叩きつけられた柔らかいリアルな衝撃は、アスカの両拳がもたらしたもの。

更に断続的な衝撃を叩きつけながら、金髪の頭は再度シンジの懐深く埋没していた。

ただ茫然とシンジは現実とともに彼女の身体を受け止めた。

そう、なんにしろ自分が許される事はない。

だったら、少しでも彼女が望む道を選択すべきではないのか?

こんな僕でよかったら、という答えをシンジは飲み込む。

代わりに、ひっくひっくと震える彼女の身体を抱きしめた。

そして今さらながら羞恥に顔を赤くなるのを感じた。

アスカの告白の意味に、ではない。

こともあろうに、自分はアスカに告白をさせてしまったのだ。

何ごとも完璧たらんとする彼女が、ただ感情のままにぶつけてきた不器用な告白。

それは、彼女の剥き出しの本質であって、それが自分にとって、なにより愛おしくて。

シンジはゆっくりと答えを口にする。

決まり切った答えを。

































回想に頬を赤らめながら、干していたシーツを何気なくめくって、シンジはとんでもなく驚いた。

その先に、腰に手を当てたアスカが立っていて、笑いながら睨むという結構器用なことをしていたからだ。

「アンタ、ホッペタ赤くして、何考えてんのよ?」

「な、なんでもないよ…」

ニヤニヤ笑う目が、何嘘ついてるのよっ! と告げている。

目を逸らすシンジに、アスカは詰め寄った。

「何考えていたか当ててみせようか? 」

ドキリとしてしまうシンジに、アスカは軽く目を閉じて、右手の人差し指を空に向けて軽く円を描いた。

「考えていたのは、もちろんあたしのことでしょ?」

それはもちろんだ。

「そんで、結構昔のことね。最近のことじゃない」

さすがに鋭い。

そしてアスカは、ちょっと照れたように笑ってそっぽを向く。

「…まったく、スケベ」

「ちょ、ちょっと待ってよ!! ちがうって!! 前、僕が出て行こうとした時のことを…!!」

シンジは最後まで口にすることは出来なかった。

電光の速さで間合いを詰めたアスカによって、ベランダの手すりまで追いつめられていたからだ。

しかも、こともあろうにアスカは更にグイグイと身体を押しつけてくる。

押し負けて手すりも乗り越えて、いまやシンジの上半身は空中にあった。

辛うじて手すりを後ろ手に掴み身体を支えているのに、アスカは委細構わず更に体重をかけてくる。

鼻先が触れあうくらい身体を密着させ、彼女は鋭く囁いた。

「そのことは、二度と思い出しちゃ、ダメ」

「……はい」

どうにか頷いたシンジだったけど、アスカはまだ身体を離そうとしない。

「危ないから、もう戻りたいんだけど…」

冷や汗を滲ませながらシンジが苦言を呈すると、アスカはニッコリと笑う。

「えーとね、お昼に海老とペンネのチーズグラタンが食べたいな♪」

「…夕飯じゃダメ? 結構手間かかるんだよ、アレ…」

「ダメ、お昼に食べたいの!」

「でも…」

渋い顔をした途端、更にアスカが体重をかけてきた。

「あ、あぶないって!!」

「いーから!! 作るの、作らないの? 作ってくれなきゃ、一緒に落っこちてやるわよ、ほらほら!」

「そんな無茶苦茶な…!」

グラタンと命を両天秤にかけるなんて、極端すぎる。少なくとも等価値とは思えない。

ところが、アスカにとってはそうでもないらしい。

横目で下の景色を窺い顔を蒼くするシンジに向かい、彼女は平然とこう言った。

「あんたの料理食べられないのは、死んでるも同じよ」

「…わかった、作るよ、作ります!!」

シンジが白旗を上げると、ようやくアスカは身体の上から降りてくれた。

しかもご丁寧に胸ぐらを掴んで、ベランダに引っ張り戻してくれる。

戻ってきた血の気にシンジが喘いでいると、すでにアスカは手をヒラヒラさせてベランダから部屋の中へ戻る途中。

「じゃ、よろしく〜♪」

その後ろ姿を見送りながら、シンジは唐突に、先ほどアスカが聴いていた曲のタイトルを思い出す。

曲の内容はともかく、タイトルだけは彼女に相応しい。

思わずシンジの頬に笑みが浮かぶ。

まったく、アスカから何か頼まれたら、自分は「はい」というしかないのだから―――。























(2004/10/25)





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