333333ヒット記念いかりけ&なぎさけスペシャル


































某月某日の良く晴れた日曜日。

リビングの片隅で、アスカは次男坊の着せ替えに余念がなかった。

傍らのテーブルには真新しい服の山。

それらを組み合わせ、色々と試行錯誤することもう20分。

小学二年生になる次男坊リュウジもそろそろ辟易して来ていたが、だからといって母親に逆らえるわけもない。

「いい? 初めてのデートなんだから、きちんと身支度していくのよ?」

おまけに母にそうまで言われてしまえば、口答えすることすらままならぬ。

結果、もはや着せ替え人形の赴きで、少年は好き勝手に母親に弄くられまくっている。

でーとって大変なんだなあ…。

もはや他人事のように疲れた目をしはじめた次男坊に、励ますように微笑みかけたのは通りすがりのシンジだ。

息子に、うん、もう少しの辛抱だからね、とアイコンタクトで伝えておいて、それから妻を見やる。

シンジが見ても、次男坊を飾り立てるアスカの様は少々大げさに思える。

くわえて、どことなく悲壮な空気が漂っているのは気のせいだろうか?

そう、まるで、古代文明の神官が神に捧げる生け贄を飾り立てるかのよう。

シンジの推察は正しく、アスカ自身の内情はその推論に輪をかけて悲観的だった。

なんでよりによってうちの子が、あんなみょうちくりんな家の子と…。

息子の上着を整えてやりながら、アスカの口からでるため息は重く暗い。

そう、生け贄。まさしく生け贄だ。

しかもこの生け贄を捧げたところで、あたしたちが得られる利益は…。

アスカの脳裏に、色素の薄い肌をした二人の顔が浮かぶ。

片割れはひたすら脳天気な笑みを湛えていて、もう一人はひたすら無愛想。

渚カヲルにその妻レイ。

彼ら二人がシツコイほどに碇家次男坊に入れ込んでいるのは周知の事実だ。

将来的には婿に迎えると宣言して憚らないくらいである。

アスカとしては断固拒否なのであるが、肝腎の次男坊は言質を取られまくり、半ば外堀は固められつつある。

そして渚家の娘自体も満更どころか積極的ですらあるのが始末に悪い。

しかも、渚家一人娘のミレイ個人に関しては、アスカも結構気にいっているものだから、事態は複雑化の一途を辿る。

兎にも角にも、あの絹ごし夫婦が問題なのよ!!

あんな二人と親戚関係になったら困る。

よく分からないけど、困る。

絶対困るに決まっている!

アスカは思う。

理想的なのは、渚家の娘をこちらに嫁入りさせてから渚家本家との断絶だ。

しかし、そうそう巧く事は運ぶまい。

なにより義父が黙っていないだろう。義父碇ゲンドウは、事の他レイがお気に入りなのだから…。

そこまで考えてアスカはぶんぶんと頭を振る。

まだ不確定の未来だ。今から気を揉んでも仕方ない。

不本意だが、様々な意思が雑多に絡み合っている以上、対症療法を取らざるを得ない事が多すぎる。

「よしっ、出来上がり!!」

ジャケットに細いネクタイを結んでやって仕上げる。

仕上がり具合はアスカの満足のいくものだったが、当の次男坊は少々窮屈そうだ。

あまりネクタイを締めたこともないはずだから当然だろう。

「これ、してなきゃ、ダメ…?」

上目遣いで見てくる仕草は抱きしめたいくらい可愛いものだったが、アスカは首を振る。

「ダメ。慣れなさい」

「…うん」

長男坊と違い素直に頷く様子に、アスカは益々胸が締め付けられた。

こんな良い子を、あの夫妻に渡さなきゃいけないなんて…。

そんなお気に入りの息子に玄関先で靴を履かせる。

おろし立てだがオーダーメイドの特別品だ。歩き回って靴ズレすることもあるまい。

「ティッシュとハンカチは持った?」

「うん、大丈夫だよ。じゃあ行ってきま〜す!」

元気いっぱいに庭先を飛び出していく次男坊を見送りながら、アスカが懐から取り出したのはなんと火打ち石だった。

その昔、日本が江戸時代だったころ、出がけに石を打つことにより厄を払ったという。

アスカも古き日本文化に学び、ささやかながらも想いを託したのだろう。

託したはずなのだが。

「…やっぱり、納得できるかあ〜〜!!」

庭の隅に思い切り石を投げ捨て、アスカは吼える。

どう考えても納得いかない。

お腹を痛めて産んだあたしの子を、どうして余所様に預けなきゃならいのよ!?

あたしが産んだ子なのよ? あたしの子なのよ? それがなんで!?

「シンジぃっ!!」

叫ぶと、すぐに夫はやってきた。

「どうしたの、アスカ?」

答えは予想出来たけどあえて訊ねるシンジに、アスカは八重歯を煌めかせた。

「あたしたちもあの子の後を追うわよ!!」

「それは野暮ってもんじゃないかな…」

「アンタね、息子の初デートなのよ?! 間違いが起きないように見守るのも親の勤めでしょーが!!」

小学二年生のデートで何の間違いの起きようもないとは思ったけど、シンジは頷く。

「…分かった。だけどね」

妻にカーディガンと財布を差し出しながらシンジはいい淀んで、

「僕たちがいなくなったら、誰がミコトの面倒見て留守番するのかな? アスマも遊びに出かけるっていうし…」

確かに、小学一年生になったばかりの末娘を一人だけ家に残して両親が留守にするわけにはいかない。

返答に窮したかに見えたアスカであったが、青い瞳は鋭く庭を振り返る。

そこにいたのは勘の良すぎる長男坊アスマ。

背中にグローブを吊したバットをしょって、忍び足状態でそろそろと移動している。

しかも、見つかったと判断するや否や、なりふり構わず全力の逃走形態に移行した。

ここいらの判断の速さはまったくもって尋常じゃない。

母親譲りとも思われる行動力は、小学四年生ともなるとおいそれと掣肘できないレベルに達している。

両親の目を盗んで逃亡を成功させたことも一切ではないのだ。

では、そのような腕白盛りの息子に対抗する術はあるのだろうか?

結論。更なる行動力を持ってあたること。

「とりゃああああ〜〜っ!!」

気合い一閃、アスカが宙に舞う。

まるで流星のような金髪の軌跡をたなびかせ空中で一回転。

驚くべき事に長男坊を飛び越えて進路を塞ぐことに成功した。

必然的に長男は、不意に目前に出現した母のお尻あたりにしたたかに顔を打ち付けることになる。

振り返り、地面に転がった息子を見下ろしながらアスカは言う。

「お父さんとお母さんはこれからデートに行ってくるから、大人しくミコトの面倒見て留守番してること。いいわね?」

ところが、痛む鼻をさすりつつ長男坊は反論してくる。

「そんなこといっても、オレも友達と約束してるんだぜ…?」

ボクがいつの間にかオレに変わった生意気盛りの長男の額を、アスカは指で弾いた。

「友達とお母さんのお願い、どっちが大事なの?」

とんでもない台詞を優しく言う。

ぐうの音も出ない長男に、アスカは更に声を被せる。

「友達と野球するんでしょ? じゃあ、友達呼んで家の庭を使えばいいじゃない」

確かに碇家の庭は、ミニサッカーや三角ベースが出来るほど十分に広い。

一転、複雑そうな表情で押し黙る長男坊。確かにそれは合理的な提案だ。

しかし、広い庭に大きい家というのは、なんとなく自慢たらしくはないか。

他の友人の家庭のあり方と、自分の家の家庭のあり方が異なることを薄々感じてきている碇家長男坊。

できるなら、学校でもマイノリティでなくマジョリティでいたいのである。

その長男坊の心情まで、さすがのアスカも看取できなかった。

しかし、長男坊が白旗を揚げてくれたので、ご褒美とばかりにぎゅっと抱きしめてやる。

背骨がバキバキいうくらい抱きしめられぐったりしている息子に、シンジは気の毒そうに笑いかけた。

「お土産にケーキでも買ってくるからね…」

「…いってらっしゃい」

力無く手を振ってくる息子の声を背に、シンジは慌てて妻の後を追う。

















駅前の噴水の前で、その少女は待っていた。

薄いピンクのワンピースに、腰には紫色の大きなリボン。

同色のヘアバンドを青い髪に挿し、肩から赤いポシェットを吊していた。

渚家の一人娘、渚ミレイである。

この娘自体、万事控えめの性格であるからにして、今日のコーディネートはおそらく父親の見立てだろう。

「ミレイちゃん、おまたせ!」

そう声をかけながら駆け寄ったのが碇家次男坊リュウジ。

こちらは半ズボンに薄手のジャケットとネクタイ。

年配の方なら正太郎君とでも呼んでしまいそうな格好だ。

「まった? まだ10時にはなっていないと思うけど…?」

「いえ…」

可愛らしく小首を傾げてくる幼なじみに、リュウジも笑顔で応じる。

「じゃあ、映画見にいこうよ!」

そのままクルリと背を向けて歩き出す。

小走りで後を追い、肩を並べて歩きながら、ミレイがちょっと悲しそうな顔をしたのにリュウジは気づかない。

「なんでそこで服を褒めてやらないのよ、あの子は…!!」

子供二人を物陰から見やり、ギリリと歯噛みしたのはアスカである。

まったく我が息子ながら鈍感だ。一体誰に似たのかしら?

同じく隣から眺めている夫の横顔をチラリと眺め、アスカは視線を戻す。

多分に将来的なことはともかく、個人的には子供たちのデートが成功することを祈っているのだ。

渚家との縁戚関係は徹底的に拒否するくせに、子供たちの幸せは願って止まない。

一見矛盾する思考を力技で超克する。彼女らしいといえば彼女らしい。

そんなパワフルな母親が見守る中、幼いカップルは映画館の中へと消えていく。

「…あたしたちも中へ入るわよ!」

急かしてくるアスカに、シンジは戸惑いながらも後に続く。

「大人二枚!!」

元気よくチケットを購入している妻の姿がちょっと恥ずかしい。

なにせ現在上映されているのは、子供向けのアニメ映画なのだから。

子供連れでならともかく、大人二人だけで入るとなると……と躊躇ってしまう。

しかしながら、館内には結構大人や若いカップルの姿も多く見られ、シンジは驚いた。

「へへっー、このシリーズって大人にも人気あるのよねー♪」

いつの間にかパンフレットとポップコーン片手にしてアスカは笑う。

「ふーん、そうなんだ…」

館内に張り出されたポスターを見てシンジは呟く。

『未来探偵コナン・ザ・グレート』

パンフレットに拠れば、セカンドインパクトの混乱期に、なにやら色々と原作が混じってしまったそうな。

ところが、座席を確保する段になって、碇夫妻は困惑してしまう。

息子たちが中段の真ん中の列の一番良い席を確保していたのはまだいい。

問題は、後は空いている席は、最前列のスクリーンかぶりつきだけなのだ。

「どうしよう?」

オロオロといった様子でシンジ。

子供たちに黙って尾行してきたのだ。見つかってしまっては元も子もない。

なにより妻の容色は目立ちすぎて余るほど。

しかし、金髪碧眼の若妻は、夫ほどの躊躇すら見せなかった。

堂々と最前列の真ん中の席に腰を下ろし、シンジを手招きする。

「こそこそするほうが返って目立つのよ!」

小声で鋭く言ってくるアスカにバツが悪そうに微笑み返してから、シンジはおそるおそる背後の席を見上げる。

数段上の座席に収まった子供たちは、二人で熱心にパンフレットを覗き込んでいる。さすがに有料でなく無料で配布されている類のだが。

どうやら全くこちらの存在に気づいていない様子。

そうこうしているうちに上映時間のブザーがなった。

心配が杞憂に終わったことに安堵しても、薄暗くなる館内でなお見つからぬよう座席で小さくなるシンジであった。

一方、妻であるアスカの度胸は、夫に比べてもはや別次元に達していたらしい。

映画の冒頭こそ「ああ、子供向けだわねえ」などと悪態をつきながら静観していたが、中盤の盛り上がり始めた頃には全力で前言を翻していた。

興奮に頬を上気させ、青い瞳をランランと輝かし、食い入るようにスクリーンに見入っている。

空いた手でポップコーンをひたすらバリバリ咀嚼する姿は、ある意味正しいアメリカンスタイルと言えるかもしれない。

「…アスカ、アスカ、…その…もう少し落ち着いてよ…!!」

シンジが小声で諫めるが、完全に耳に入っていないのは金髪を振り乱す様から見ても明らかだ。

ヒヤヒヤしながらシンジは背後を振り返る。

幸いなことに、妻の狂態に気づく観客はいなくて、みな熱心にスクリーンに見入っている。

そんなシンジの視線は次男坊を捉える。

ポップコーンを食べるのも忘れ、瞳を輝かせスクリーンに見入る息子の姿は、妻の姿に酷似していた。

なるほど、やっぱりアスカの息子なんだあ、としみじみ思う。

対してその幼なじみの方に、シンジはより共感めいたものを抱いた。

嬉しそうな笑みを浮かべる渚ミレイ。

彼女の視線の先は、スクリーンより遙かに隣席に向けられることの方が多い。

楽しそうな幼なじみの横顔を眺めるだけで自分も嬉しい。

小さな身体は慎ましげにそう自己主張していた。

ただ肝腎の幼なじみの少年が、全く視線に気づいていない様子なのが不憫だったけど…。

「いやー、面白かったわねー♪」

映画館を出るなり背伸びして、アスカはそうのたもうた。

目的の為に手段を選ばず、ともあればその手段を堪能してしまう。

彼女のこのような前向きな精神には本当に感心してしまう。

苦笑一つで返事をしておいて、シンジは目前を行く小さなカップルの後を追う。

そろそろ時間はお昼だけど、何を食べるのかな?

両親に見守られているのもつゆ知らず、小さな二人が入ったのは世界規模のハンバーガーチェーンショップ。

「あんまりジャンクフードは食べさせたくないんだけどねー…」

「しょうがないよ、あの子たちのお小遣いで入れる場所はここくらいだろうし」

母親めいた発言をして腕を組むアスカの斜め前を、トレイを持った二人が笑いながら歩いて行く。

それぞれのトレイの上には何かのハンバーガーにポテトフライ、それとシェイク。計300円といったところだろう。

「どうする? 僕たちもここで食事にしようか?」

子供たちが屋外のカフェテラスの一席を確保するのを見届けてからシンジはアスカに訊ねた。

「仕方ないわね、安物だけど…」

というわけで、碇夫妻連れだってカウンターへ向かったわけだが、そこで思いもがけない面子と鉢合わせすることになる。

「レタスバーガー肉ヌキにもやしサラダセット、飲み物はウーロン茶で、デザートは豆腐プリン…」

「…綾波!?」

先に注文をしていたサングラスをかけた妖しい風体の青い髪の人物に、シンジは思わずそう声をかけてしまった。

「…あ、碇くん、こんにちは。…奇遇ね」

サングラスをそっと下にズラし、抑揚のない口調で渚夫人レイは答えた。

「…なんでアンタがこんなとこいるのよ?」

別にいても可笑しくはないのだが、露骨に針を含ませた視線でアスカも声をかける。

それから何かに気づいた様子ではっと顔を上げ、

「アンタがここにいるってことは……まさかっ!?」

アスカの予想は正しく、しかも現実の形を伴って、彼女の隣にいた夫へとしなだれかかっていた。

「やあ、シンジくん!! こんなとこで会えるなんて、運命を感じちゃうよ♪」

長い手足にスレンダーなボディ。歯を白く煌めかせ、魅惑のスマイルを振りまく渚カヲルがそこにいた。ただし今の彼もサングラスをしていたが。

次の一瞬で展開された攻防を視認できた一般人はいないだろう。

有無を言わせぬアスカの右上段回し蹴りを、カヲルはシンジの肩から手を離し、上半身だけのけぞらせて回避。

アスカの蹴り足はシンジの身体にぶつかる寸前で急停止。そのまま跳ね上がり、踵をのけぞったままのカヲルに叩き込もうとする。

しかし踵が触れる寸前、カヲルは横っ飛び。

まるで香港映画のワイヤーアクションのように空中で真横に身体を三転させ無事着地。

アスカの間合いからの脱出に成功している。

実にこの間1.38秒!!

「…なかなかやるわね…」

「君こそ、腕は落ちていないようだね♪」

周囲の客を呆気にとらせて睨み合う二人。

最もいくら拳を交わしたところでこの二人に熱い友情が芽生える可能性は皆無である。

「あ、綾波は、どうしてここにいるのかな?」

場の空気を取り繕うように、シンジは妻のと同じ質問をする。

今度はレイも答えようとして口をつぐむ。

いつの間にか隣に来たカヲルとサングラス越しに視線を交わし合ってから、二人して異口同音に答えてくれた。

「…デート」

「んなわきゃあないでしょ!? そんな妖しいサングラスしてさあ!!」

すかさずアスカは指を突き出して喚く。

「アスカ、穏便に、穏便に…!!」

ほとんど羽交い締めでシンジがアスカを引きはがす中、レイは何事もなかったように店員へと向き直った。

「…豆腐プリン、3個追加」

















「まったく、アンタたちもデートの監視に来たなら素直にそういえばいいのよ…」

むしゃむしゃと貰った豆腐プリンを貪りながらアスカは悪態をつく。

「タダのジョークのつもりだったんだけどね…」

存外素直にカヲルは侘びた。ただしシンジに向かって。

「仕方ないよ、カヲルくん。誤解は誰にでもあるものだから…」

脳天気な返答をするシンジの姿が気にくわない。

半ば自棄になってアスカは三個目のチキンバーガーに齧り付く。

「それにしても、あの二人、これからどうするのかしら…?」

ウーロン茶片手にサングラス越しの視線を放つレイ。

途端に大人たちの視線はカフェテラスの端のテーブルに集中する。

テーブルで向かい合うそれぞれの息子、娘たち。

碇家次男坊の方はもう食べ終えて飲み物の氷で遊んだりしているが、渚家の娘は今なおハンバーガーと格闘中である。

もともと食が細いのだろうか、それでもどうにか食べ終えたようだ。

まだ口をもごもごさせる幼なじみに向かって少年は言う。

「これから、どこへ行こうか?」

「…はうふぇふね(…そうですね)」

遠く聞こえてくる子供たちの声を聞きながら、アスカは歯噛みと一緒に心情を口に出してしまっている。

「今日はもうこれでおしまいでいいでしょ? 後はさっさと家に帰るのよ!!」

対して、渚カヲルは臆面もなく考えを口にする。

「うーん、ホテルに行くにはまだ日が高いかな? ははは」

途端に大きく弧を描いたトレイがまるでブーメランのようにカヲルの後頭部を直撃した。しかも二つ。

アスカとレイ、互いに手首をプラプラさせて見守っていると、椅子から降り立った碇家次男坊は、勢いよく幼なじみの手を取った。

まるでこれ以上ない名案のような口調で言う。

「お祖父ちゃんところに遊びに行こうよ!!」

















その日、アポイントメントなしの来客を告げられた碇ゲンドウ氏は、最初に憤慨した。

続いて、客人の正体が判明した途端、驚愕した。

慌てて施設内への立ち入りを許可した後は、まるで天にも昇る夢心地である。

しかし、その内面を完全に押し隠して二人の客人を出迎えた。

「…よく来たな、二人とも」

威厳のある太い声を出す。

「うん、こんにちは、お祖父ちゃん。遊びにきたよ!!」

「ご無沙汰してます、おじいさま…」

目前でペコリと頭を下げる孫の姿が例えようもなく愛おしい。

弛み、ともあれば崩落しそうな頬を必死で押しとどめ、ここまで案内してきた部下を労う。

「ご苦労だった。さがってもよろしい」

これまた威厳溢れる声。更に、机の上で組んだ手もポーズもそのままだ。何事にも体裁は必要なのである。

だが、職員は素直に引き下がらなかった。

「来客中のところ申し訳ありませんが、この後すぐ総務会議が…」

「むう…」

ゲンドウは唸る。せっかく孫が遊びに来てくれたというのに、なんと間の悪い。

しばらく唸った後、ゲンドウは素っ気ないとも受け取れるような声を部下に放った。

「私は欠席だ。今日の裁決は全て冬月に託す」

「…はあ!?」

「聞こえなかったのかね? 私は欠席だ。全ての裁決は冬月副司令に委ねる。復唱したまえ」

「はっ、はい…!!」

復唱し終えた部下に、ゲンドウは更に念を押す。

「いいか、私は体調不良で欠席だ。くれぐれも副司令に伝える際は徹底するように」

訝しげな表情で退室していった部下を見送ってから、ようやくゲンドウは相好を崩した。

「ふう…」

顔を上げ、息を吐く祖父に対し、孫はたちは気遣わしげだ。

「もしかして、お祖父ちゃん、忙しい…?」

一転ゲンドウは破顔する。

「いやいやそんなことはないぞ…?」

席を立ったゲンドウは、部屋の隅にある冷蔵庫に歩み寄る。

冷蔵庫から取り出したのはよく冷えたオレンジジュース。

その脇に取り付けられたサイドボードから可愛い動物の絵柄のグラスと一緒にお盆に乗せる。

どちらとも、いつやってくるやも知れぬ孫たちの為に常備されていたものであり、ここで初めて日の目を見たわけだ。

手ずからジュースをつぎ、孫に渡すゲンドウ。

「…今日は、一体どういう風の吹き回しだ?」

訊ねつつ、難しい言い回しだったかなとちょっぴり心配になるゲンドウである。

「今日はミレイちゃんとでーとなんだよ!!」

元気いっぱいのリュウジの返事。隣で顔を伏せ、静かにジュースを啜るミレイの頬は微かに染まっている。

「そうかそうか…」

サングラスの奥のゲンドウの目はひたすら優しい。

ともあれば滲みそうな視界は、過去の自分を映している。

まだ残酷な未来も別れも知らず、幸せだったあの頃…。

『男だったらシンジ、女だったらレイと名付ける』

あの言葉のそのままがここに存在する。

シンジとレイに酷似した二人の孫たち…。

そして、今だって幸せだ。きっと、あの頃よりもずっと。

思わずサングラスの下から目蓋に指を当ててしまう。

手袋の先への僅かな湿り気を振り払うように、ゲンドウは努めて明るい声を出した。

「さあ、施設の中でも歩き廻ってみるか…?」

















総司令自らに案内され、施設内の見学を始める初デートの二人。

そんな三人の後をこっそりと追いかける四つの影。

言わずもがな碇夫妻に渚夫妻だ。

「…まさかネルフへ遊びに行くなんて思わなかったわ」

アスカの呟きが四人の心情を代弁している。

ところで、現在のネルフは企業のような体制に移行はしていたが、前組織の名残もまだ強い。

当然部外者は立ち入り禁止だ。見学するにしても少なくとも申請する必要がある。

「…シンジくん、何やってるんだい?」

妖しい四人組を見咎めて、代表して声をかけてきたのは青葉シゲルだ。

いきなり保安部が出張ってこないあたりは、元チルドレンに対する配慮が成されているといってもいいだろう。

「顔パスにしたいところだけど、形式ってものが最近とみに必要でね…」

大体の事情を聞き終えたシゲルはそういって苦笑する。

それから四人に手渡してくれたのは、簡略化されたIDカードだった。

「今日一日だけだけどね。とりあえず、施設内ならどこにいっても咎められないはずだ」

この手回しの良さから察するに、はなから罰したり捕まえたりする気はないのだろう。

シンジは礼を述べる。

「ありがとうございます、青葉さん。またうちに遊びにでも来てください」

「ああ、奥さんにもそういっておくよ」

その背中に頭をさげてからシンジが振り向くと、アスカが不機嫌そうな顔をしている。

「不本意だわ…」

「…なにが?」

訊ねるシンジにアスカは言い放つ。

「こいつらと一纏めに不審者扱いされていることよ!!」

彼女の指さす先には渚夫妻。

レイは憮然と見返してきたが、その夫は全然めげることはなくシンジに擦り寄っている。

「せっかくだからお風呂に入っていかないかい? 僕たちが友情を深めたベストプレイスさ!!」

すかさず飛んでくるアスカの正中線三連撃を涼しい顔でかわしたカヲルだったが、背後からの妻のエルボーの一撃はかわしきれなかったらしい。

肩で荒い息をしながら床に倒れ伏した渚カヲルを見下ろし、アスカは今更ながら周囲を見回す。

「あの三人は、どこにいったのよ!?」

はっとした顔を見合わせるシンジとレイ。二人は答えられなかった。

















ゲンドウに案内されて、孫二人は様々な施設を見学した。

さすがに以前のような妖しいプラントや廃棄場などまで案内しなかったし(実際にはもうないし)、一般職員が見られる程度の機密エリアを数カ所廻っただけである。

それでも、巨大なマニュピレーターが稼働している姿や、擬体開発と実験現場の見学は、それなりに碇家次男坊の興味をそそるものだったようだ。

つきそう渚ミレイも終始笑顔を絶やさない。彼女は幼なじみが喜んでいるのが何よりも嬉しいのだから。

また、表情にこそ出さないが、誰より喜んでいるのはゲンドウであった。

道行く職員に声をかけられるのは彼にとって一種の快感ですらある。

『あら、司令? お孫さんですか?』

『きゃ〜、可愛いわねー』

『良かったわね〜、お祖父ちゃんに案内してもらって』

職員にしてみれば、ゲンドウが孫に対して大甘なことを知っているから、からかいがいがあるらしい。

中には度胸のある職員もいて、もっと直接的にゲンドウをからかってきたりする。

『そういえば、体調不良でお休みではなかったんですか?』

『う、うむ、つい先ほど全快した…』

もはや威厳を保つのだけで精一杯なゲンドウに対し、孫たちは屈託がない。

それぞれがゲンドウの片手をとり、ぐいぐい引っ張ってくる。

結果、散々引っ張り回されて、先に息があがったのはゲンドウの方だった。

ジオフロントが望めるラウンジで一息つく。

孫たちにはチョコパフェとフルーツパフェを振る舞い、自身はお冷やを飲みながら乱れた呼吸を整える。

それでも、あらかた見せてしまったな…。

おしぼりで額を拭いながら、ゲンドウは思考を巡らす。

見学が終われば孫たちは帰ってしまう。しかし出来るだけ孫と長くいたいのだ。

ふとゲンドウは窓越しにジオフロントの一角を見た。ドームで覆われた幾つかのスペースがある。

そうだ、まだとって置きの場所があったではないか。

















「うわあ…!!」

孫二人が同時にあげた歓声は、十分にゲンドウを満足させるものだった。

ジオフロントに林立された幾つものドーム状の建物。

実際のところ、それは屋根としての役割しか持っていない。

その下で造られているものこそ、子供たちの感嘆のタネだった。

複雑なループを描くジェットコースターにメリーゴーラウンド。

鏡のマークがあるのはミラーハウスだろうけど、何も飾られてない建物はお化け屋敷かなにかだろうか?

他にも見たことも用途の想像もつかない建築物が乱立している。

ドームの中身は巨大な遊園地だった。しかもドームは複数ある。

未完成らしく作業員が忙しそうに動き回っているけれど、もしドームが外されたら、おそろしく広大な遊園地になるだろう。

「来年にはオープンできるはずだ…」

視線を前方に釘付けにしたままの孫たちに、ゲンドウは語りかけた。

以前からジオフロントの活用方法に関しては色々と俎上にあがっていた。

地質学的な調査も完了した今、ただ保存させておくだけでは意味がない。

また保存しておくだけの価値もない。

何か有効活用できはしないか。

様々な論議が交わされた。

出された結論は、地下世界に展開される総合アミューズメントパークだった。

おそらく世界初になる地下都市遊園地はかなりの集客が見込めるだろう。

政府の援助を打ち切られ、独立採算性を取っているネルフにとっては是非もない選択だったとも言える。

客が来て財政が潤えば、さらに開発規模を広げて行くというわけだ。

雨が降らないというだけでも、地下都市に価値はあるのかもしれない。

「どうだ、すごいだろう?」

心なしか自慢げなゲンドウの声は、老人の金きり声で破られた。

「碇っ!! 貴様は…!! 貴様という男は!!」

顔を真っ赤にした冬月がすぐ背後からこちらを睨んでいた。

失敗を悟ったゲンドウだが、まさか孫を置いて逃げ出すわけにもいかない。

正面から冬月に向かい合うことにする。他にしようがなかった。

「聞け、冬月。実はな…」

「ふん、いわんでも分かるわ!! 孫が来たのをいいことに、おまえは自分ばっかり…!!」

「いいから落ち着け」

「これが落ち着いていられるか!!…ぐふっ、ごほっ!!」

何事かと振り返ってくる孫たちの視線が居たたまれない。

ゲンドウは半ば抱きかかえるようにして咳き込む冬月を引きずってその場を離れた。

二人の孫にここを動かぬよう言い残して。

残された二人の少年の方は、目を輝かして工事現場にも視線を送っている。

ブルトーザーやクレーン車などはこの歳の男の子の興味をそそるものだ。

それを微笑ましく眺めていた少女の方は、すっと近くのベンチに腰を降ろす。

「…どうしたの、ミレイちゃん? つかれた?」

振り返り近寄ってくるリュウジに、ミレイは軽く首を振る。

こちらも小首を傾げて、リュウジはごく自然ば動作でベンチの隣に腰を降ろす。

そのまま幼い恋人たちは黙って工事現場を眺めていたけれど、ふと少年の肩に重みが加わった。

そちらを見れば、青い髪の幼なじみの頭が寄りかかってきている。

どうしたのか訊ねるより早く、小さなあくびが聞こえてきた。

「…もしかして、眠いの?」

訊ねる少年に、眠そうな少女の声が答えた。

「昨日…楽しみで……あまりねむれなかったん…です…」

語尾に穏やかな寝息が加わった。

その寝顔を眺め、少年は単純に起こしちゃ可哀想だと思う。

だって、あまりに綺麗な寝顔だったから。

ベンチに腰をおろしたまま、幼なじみの寝顔と工事現場を眺めながら、リュウジはずっと肩を貸してあげた。

そのままずっと。

















やがて、ジオフロント内に夕焼けが降ってきた。

地上の日没に合わせ、人工的に演出しているとのこと。

橙色に染まった世界を駆け回った碇渚両夫妻は、ようやくジオフロントの一角で足を止める。

ようやく発見したと思った子供たちは、二人して頭を付き合わせるように、ベンチで眠りこけていた。

















「…いい顔で寝ているじゃないか」

うっすらかいた額の汗を拭いながらカヲルは言う。

「よっぽど楽しかったのね…」

これはレイ。

「お互いに嬉しかったんじゃないかな」

これはシンジで、アスカは最後まで悪態をつくのを忘れない。

「まったく、あたしたちが奔走したのがバカみたいだわよ…」

それでもその顔は、子供たちを眺める視線はとても優しい。

「それじゃあ帰ろうか…」

いつまでも二人の寝姿を眺めていたかったけど、誰ともなしにそう宣言する。

大人たちは二人の子供を優しく抱き上げた。

ああ、また重くなったみたいだ。

この重み、成長している証しだろう。健やかに育ってくれているのがひたすら嬉しい。

黄昏の帰り道。

子供たちはオレンジ色の夢の中。

寝顔を眺め、大人たちは顔を見合わせる。

今日の初デートは、この子たちにとっても、きっといい思い出になることだろう…。
























お互いに微笑みを交わしたその瞬間、渚カヲルの横っ面にアスカの必殺の化鳥蹴りが炸裂した。














「どうしてあたしの子まで連れ帰ろうとしてんのよっ!!」


 


























(2005/06/10)




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